第71話 審問の玉座
翌日の正午。
私たちは、王宮の謁見の間へと向かう馬車の中にいた。
父上も母上も、そして私も、昨日の学園訪問とは比較にならないほど、重苦しい緊張感に包まれていた。全員が、儀式用の最も格式高い正装に身を包んでいる。
「……良いか、パスティ。今日の謁見は、ただの報告会ではないと思え」
父上が、強張った顔で私に言い聞かせるように言った。
「我々は、すでに領内で起きた三度の『精霊の顕現』と、そのうち二度も発せられた『浸食者に関する警告』について、詳細な報告書を国と魔導院に提出している。だが、その反応は芳しくない」
「芳しくない……のですか?」
「ああ。『現代において精霊が人の前に現れるなど、おとぎ話の中だけの奇跡だ。それを幼い娘の幻聴と混同し、公的記録として提出するとは何事か』……そう陰口を叩く貴族が多いようだ」
父上の言葉に、私はぎゅっとドレスの裾を握りしめた。
そうだ。この時代、精霊は目に見えない存在というのが常識。それが姿を現すなんて、誰も信じていない。
その上で、泉の精霊の時も、港町での豊漁の精霊の時も、ケルドでの不思議な音の時も、その明確な「意志」や「警告の声」を聞いたのは、私だけだったのだ。
「私のせいで……父上のお立場が……」
「あなたのせいではありません」
母上が、私の冷たくなった手を両手で包み込んでくれた。
「あなたが聞いたことは真実です。一度ならず二度までも、精霊はあなたに危機を伝えたのです。堂々としていなさい。わたくし達も、全力であなたを守りますから」
「……はい、母上」
私は深く息を吸い、腹を括った。これは、私が始めたことなのだ。
王宮に到着し、案内された「謁見の間」は、その名の通りの煌びやかな場所だった。高い天井、磨き上げられた大理石の床、壁に並ぶ歴代の王の肖像画。
けれど、そこに渦巻く空気は、氷のように冷たかった。
広間にはすでに、この国の政治を動かす有力な貴族たちがずらりと並んでいた。彼らの視線は、まるで被告人を値踏みする裁判官のように、私たちに突き刺さる。
そして、その最前列。玉座に最も近い場所に、銀髪の老人が涼しい顔で立っていた。
ヴァレリウス・カエルス公爵。
彼は私を見ると、哀れむような、それでいて爬虫類のように冷酷な笑みを、一瞬だけ浮かべてみせた。
「――魔導王陛下、御成り!」
儀典官の声が響き、重厚な扉が開く。
玉座に現れた人物の姿を見て、私は息を呑んだ。
王冠を戴き、豪華な王衣を纏ってはいるが、そのボサボサの茶髪と無精髭、そして何より、その飾らない雰囲気は、見間違うはずもなかった。
(あ、あのおじ様!? 図書館にいた、あの変な研究者のおじ様が、魔導王陛下!?)
あまりの衝撃に目を丸くして固まる私に気づき、玉座についた魔導王――オリオン・アルカディアは、ニヤリと片目をつぶってみせた。
謁見が始まった。
進行役の宰相が、事務的な口調で切り出す。
「ゼノン辺境伯。貴殿からの報告書には、領内の各地で立て続けに精霊が顕現し、『大陸の危機を告げた』とある。これは、真か?」
「ハッ! 間違いございません!『泉の精霊』、そして『豊漁と凪の精霊』が相次いで光と共に姿を現し、古代の伝承にある災厄『浸食者』の復活を警告したのです!」
父上が必死の形相で訴える。
しかし、周囲の貴族たちからは、遠慮のない嘲笑が巻き起こった。
「精霊が、顕現しただと? ハッ、辺境伯は『おとぎ話』と現実の区別もつかなくなったのか?」
「神話の時代じゃあるまいし、そんな奇跡が都合よく何度も起こるものか。辺境の過酷な暮らしで、集団で夢でも見たのだろう」
「『泉の精霊』に、『豊漁と凪の精霊』だと? そんな精霊、文献にも存在していない」
その空気を決定づけるように、カエルス公爵が一歩前に出た。
「陛下。そもそも精霊が姿を消して二千数百年、いまさら人の前に姿を現すなど、常識では考えられません。ですが、百歩譲って、辺境で何らかの珍しい自然発光現象があったとしましょう」
カエルス公爵は、静かに、しかしよく通る声で指摘した。
「しかも、その精霊が発したという『警告』を聞いたのは、毎回、そこにいる、まだ七歳の幼い令嬢ただ一人であったとか」
すべての視線が、私に集まる。
「魔獣の脅威、過酷な環境……そうしたストレスが、感受性豊かな幼子に、都合の良い『幻聴』を繰り返し聞かせているのではないでしょうか? 彼女は、『奇跡の少女』という夢に逃げ込んでいるのです。……ああ、なんと可哀想な」
カエルス公爵の言葉は、表面上は私を気遣っているようでいて、その実、「子供の深刻な妄言癖」として、ゼノン家の報告全ての価値を否定するものだった。
卑怯だ。そんな言い方をされたら、私が何を言っても「病的な思い込み」にされてしまう。
母上の体が怒りで震えるのが分かったが、ここで騒げば相手の思う壺だ。私たちは、ただ唇を噛み締めるしかなかった。
広間は、「ゼノン家は常識を失った」という空気で満たされていく。
その時だった。
「――くだらん推測はやめたまえ、カエルス公爵」
玉座から、気だるげだが、よく通る声が響いた。
魔導王オリオンが、頬杖をついたまま、冷ややかな視線を貴族たちに向けていた。
「へ、陛下?」
「私は、このパスティエール嬢の証言を支持する」
王の言葉に、広間がざわめく。常識外れの報告を、王が認めたのだ。
オリオン陛下は、まっすぐに私を見た。その瞳は、昨日図書館で見たときと同じ、澄み切った深い青色をしていた。
「私は昨日、学園の図書館で、お忍びで彼女と話す機会があった。彼女は、古代の『大厄災』の伝承と、自身が領内各地で見聞きした異変を、非常に論理的に結びつけて私に語ってくれた」
陛下は、昨日の会話の内容を明かした。
「彼女は、ただストレスで幻聴を聞くような、ひ弱な子供ではない。自らの目で世界を見て、考え、真実に辿り着こうとする、優れた知性を持った『探求者』だ。……その彼女が、場所を変えて二度も明確な警告を『聞いた』と言うのなら、私はそれを無視するほど愚かではないつもりだよ」
魔導王自らが、私の「知性」と、体験の「一貫性」を保証してくれた。
それは、常識や前例にとらわれない、賢者としての決断だった。
胸が熱くなった。涙がこぼれそうになるのを、必死でこらえる。
「よって、ゼノン辺境伯の報告を正式に受理する! 魔導院に特別調査班を編成させ、浸食者の再来に向けて徹底調査を命じる! まずは辺境に調査班を送り、起きたことを洗い直せ」
王の宣言が、広間に響き渡った。
形勢は逆転した。貴族たちは押し黙り、父上は感動で肩を震わせている。
だが、カエルス公爵は、まだ終わっていなかった。
「……陛下がそこまで仰るなら、認めましょう」
彼は、面目を潰されたはずなのに、表情一つ変えずに恭しく頭を下げた。
「ですが、調査の客観性と公平性を保つため、一つ提案がございます。我がカエルス公爵家からも、調査団の『監視役』を一名、派遣したく存じます」
「……監視役、だと?」
「ええ。孫娘が二度と『ストレスによる幻聴』に惑わされぬよう、適切な監督が必要かと」
わざとらしく強調された『孫娘』という言葉に、母上が不快げに眉をひそめたのが見えた。
(嘘だ……!)
私の『瞳』には、彼の言葉の裏に渦巻く、昏い執念が視えた。これは、私に首輪をつけるための、合法的な手段だ。
貴族派の者たちが「なるほど、公平性は重要だ」と同調し始め、断りにくい空気が作られる。
しかし、オリオン陛下はニヤリと笑った。
「いいだろう。公平性は重要だ。……ならば、私からも直属の『調査員』を一名、派遣することにしよう。文句はあるまい?」
「……ッ!」
カエルス公爵の眉が、初めてピクリと動いた。意表を突かれたのだ。魔導王直属の人間が来るとなれば、彼の手の者が好き勝手することはできない。
「……御意に」
ヴァレリウスは、渋々といった様子で承諾するしかなかった。
こうして、波乱の謁見は終了した。
私たちは、報告を受理させるという最大の目的を達成した。けれど同時に、「貴族派の監視役」という厄介な爆弾を抱え込むことにもなったのだ。
退出際、オリオン陛下が私の横を通り過ぎざまに、小声で囁いた。
「君の知性が、道を拓いたのだ。自信を持ちなさい。……学園で待っているよ」
王宮からの帰り道。馬車の中は、安堵と新たな緊張感に包まれていた。
「カエルス公爵……タダでは転ばぬか」
父上が悔しそうに呟く。
「ええ。派遣されてくる『監視役』……十中八九、ロクな人物ではありませんわね。ですが、陛下の『調査員』も来ます。拮抗状態、といったところかしら」
母上も険しい顔で今後の対策を考えている。
私は、窓の外を流れる王都の景色を見つめた。
私の言葉は、届いた。常識の壁を越えて、信頼してくれた人がいた。それはとても嬉しい。
でも、これで終わりじゃない。むしろ、ここからが本当の始まりなのだ。
(これから領地にやってくる、二人の使者……。監視役と、調査員……いったい、どんな人が来るんだろう)
私は、まだ見ぬ「二人の使者」の到来を予感し、ギュッと拳を握りしめた。




