第69話 王都の洗礼
大陸歴685年、実りの月。
不気味な「沈黙」に包まれたクレストン領を後にした私たちは、さらに東へ、王都エレメンシアを目指して馬車を走らせていた。
道中、文化の都と呼ばれる「フェアウィンド伯爵領」や、王都への玄関口である「グリーンフィールド男爵領」を通過した。
けれど、私の『瞳』に映る光景は、どこも同じだった。
ある宿場町の広場で、陽気な曲を奏でる吟遊詩人を見かけた。技術は確かなのに、それを取り囲む聴衆たちには笑顔がなく、拍手もまばらで乾いていた。
車窓から見える牧草地の牛や羊たちは、どこか生気がなく、農民たちの表情も暗い。
まるで、国全体を覆う重苦しい空気が、人々の「活力」や「楽しむ心」をじわじわと吸い取ってしまっているようだ。
(クレストン領だけじゃない……)
私は膝の上で拳を握りしめる。
(この『静かな浸食』は、もう国の中心近くまで広がってるんだ)
その焦燥感を抱えたまま、旅立ちから三週間後。
ついに私たちは、旅の終着点へと辿り着いた。
目の前に現れたのは、平原の向こうにそびえ立つ、天を衝くような白い巨塔――魔導院本部『真理の庭』。
そして、それを中心に広がる、堅牢な城壁に囲まれた巨大都市。
魔導国アルカディアの王都、学術都市エレメンシアだ。
城門の検問所では、先頭を騎馬で進む父上の「ゼノン辺境伯」の紋章を見た衛兵たちが、慌てて最敬礼をして道を開けた。
私たちは、そのまま隊列を組んで城門をくぐる。
その瞬間だった。
(な、なんだこりゃぁぁぁ!?)
私は思わず窓に張り付く。そこには、辺境では見たこともない光景が広がっていたのだ。
整備された美しい石畳の街路。そこをチョコチョコと動き回っているのは、人間ではない。 箒と塵取りを持った、背丈ほどの大きさの木製人形――ゴーレムだ!
「……すごい数ね」
私の向かいの席で、母上が静かに呟いた。
市場の方を見れば、重い荷車を軽々と引く、金属製の武骨な運搬ゴーレムたち。交差点では、信号機代わりに腕を振って交通整理をするゴーレムまでいる。
辺境ではほとんど見かけないゴーレムが、ここではただの雑用係として、当たり前のように使い潰されている。
馬車の速度が落ち、人混みの中をゆっくりと進む中、私の窓の横に、騎馬のアルフレッド先生が並んだ。
「驚かれましたかな、パスティエール様」
先生は馬上で手綱を操りながら、教師らしい口調で解説してくれた。
「ケルドの街のゴーレムでも少しお話ししましたが、あれは『虚魂術』という魔術で作られた自律人形です。失われた古代魔法である死霊魔法の原理を応用して、疑似的な魂『虚ろな魂』を人形に吹き込み、命令通りに動かしているのです」
「疑似的な、魂……」
「ええ。感情も自我もない、ただの命令式です。だからこそ安全とされ、王都の社会を支える基盤技術となっているのですが……」
先生は少し声を潜めた。
「『虚ろな魂』は空っぽの器。管理が甘いと、その隙間に悪いモノが入り込んで暴走する『霊的汚染』のリスクもある。ケルドの時の様に。まあ、王都の結界内なら安全でしょうが」
(空っぽの器……か)
私の『瞳』にも、彼らの中に宿る「魂」のようなものは見えない。あるのは、ただ魔力で編まれた複雑な命令式だけ。
私は、機械的に動く彼らを見つめながら、胸の奥のポルカに手を重ねた。
隣に座るセリナも、緊張した面持ちで窓の外の異様な光景を見つめている。
馬車は、貴族たちが住む区画へと進んでいく。
だが、その時だった。
ガガガッ!
突然、御者が手綱を引き、馬車が急停車した。
「何事だ!」
馬上で先導していた父上の鋭い声が聞こえる。
窓の外から、大勢の足音と、ガチャリという鎧の擦れる音が聞こえてきた。
私が恐る恐る窓の外を覗くと、私たちの行く手を塞ぐように、紋章入りの黒塗りの馬車が数台、横並びに停まっていた。
そして、その周囲を固めるのは、揃いの黒い軍服を着た、数十名の武装した集団だ。
その胸元には、天秤と剣をあしらった紋章があしらわれている。私は母上から事前に教わり、その紋章がどこの家の者かをすでに知っている。
「カエルス公爵家…!」
「これはこれは、お早いご到着でライナス辺境伯様」
黒い馬車から降りてきたのは、漆黒の礼服を隙なく着こなした、慇懃無礼な老執事だった。
彼は、馬上の父上と先生を一瞥した後、私たちの馬車の前まで歩み寄り、恭しく一礼した。
「お久しぶりでございます、エリアーナ様。……そして、お初にお目にかかります、パスティエール様」
蛇のような視線が、窓越しに私を舐めるように観察する。
「何の用かしら。往来を塞ぐとは、カエルス家の執事も随分と礼儀知らずになったものね」
馬車の中から響く母上の声は、氷点下のように冷たい。
「これは失礼を。当家当主、ヴァレリウス様より伝言を預かって参りました。『愛しい娘と孫が王都に到着したと聞いた。ぜひ実家でお茶でもいかがかな』……とのことです」
「お断りする」
馬上の父上が、槍の石突で石畳を鳴らし、毅然と言い放った。
「我々は、公務として魔導王陛下への報告を最優先せねばならん。私的な茶会になど興じている暇はない。道を空けられよ」
「左様でございますか」
執事は、残念そうに肩をすくめた。
「ですが、公爵様は大変お楽しみになされておりましてね。……それに」
執事は、口元を歪めた。
「学園にいらっしゃるレオナルド様とギルバート様のことも、大変気にかけておられます。『孫たち全員と会えるのを、楽しみにしている』と……。もしパスティエール様がいらっしゃらないとなれば、寂しさのあまり、彼らを強引にでも『招待』してしまうかもしれませんなぁ」
「――ッ!」
馬車の中の母上の気配が、一瞬にして凍りついたのが分かった。
脅しだ。私たちが従わなければ、兄たちを人質に取るぞ、と言っているのだ。
「……貴様、下種な真似を」
父上の体から、怒りの魔力が立ち上る。
すると、それを合図にしたかのように、執事がパチンと指を鳴らした。
ヴォンッ!
その瞬間、私たちの隊列を中心とした広範囲の空間が、半透明のドーム状の膜に覆われた。
「……『魔力障壁』か!?」
馬上の先生が叫ぶ。
執事が冷酷な笑みを浮かべる。
「騒ぎを起こしては外聞が悪いでしょう?遮音と目隠しを施させていただきました。さあ、お連れしろ」
ザッ!
周囲を囲んでいた私兵らしき男たちが一斉に武器を構える。さらに、彼らの後ろから、無機質な駆動音と共に、数体の奇妙な機械人形が姿を現した。
街で見かけた木製のゴーレムとは違う。全身が土気色の粘土のような素材で覆われ、腕の代わりに武骨な刃物や、重そうな鉄球が取り付けられている。その無機質な頭部にある目が、ギョロリと赤く光った。
「あれは……!」
私が息を呑むと、馬車の窓から外を見ていたアルフレッド先生が、苦々しげに呟いた。
「……戦闘用自動人形……といっても、旧式の量産品でしょう。『数合わせ』ですな。ですが、感情を持たぬ分、厄介な相手です」
先生の言葉に、私は戦慄した。王都にはそんなものまであるのかと。
「――おのれ、下郎どもが!!」
烈火のごとき怒号と共に、父上が馬から飛び降り、愛用の槍を手に突撃する。
「我が愛娘に、その薄汚い手を伸ばすなッ!!」
父上は、魔力を纏った槍で、真正面から迫っていた自動人形を、その装甲ごと串刺しにして吹き飛ばした。
アルフレッド先生も馬から降り、冷静に精霊魔術の詠唱を開始する。
『――生命宿りし木の精霊よ、その息吹に応えよ!地の底より絡みつく鎖よ、生え出でよ《ウルハヨダ》!強く敵を縛し・決して逃がすな――《蔓の鎖!》」
先生が地面に手を突くと、石畳から無数の太い蔦が伸び上がり、私兵たちの足を絡め取って転倒させた。
「させるかよッ!」
後続の馬車から、他の護衛兵より先に弾丸のように飛び出してきた影があった。カイルだ!
「パスティエール様には指一本触れさせねぇ!俺が相手だ!」
彼は、その小さな体で、抜身の剣を構えた大人の兵士たちの中へ、獣のように突っ込んでいく。
「パスティエール様、ここから動かないでくださいませ!」
セリナが私の前に立ちふさがり、スカートの裾から数本のナイフを取り出して構えた。
「お嬢様のお邪魔です!」
凛とした声と共に、近づいてきた自動人形の関節に正確にナイフを投げ込み、動きを封じる。
他の護衛兵たちも、ただ手をこまねいているわけではない。彼らは辺境で魔獣と渡り合う精鋭中の精鋭だ。こんな粘土細工の人形になど、遅れは取らない。
「陣形を崩すな、連携して各個撃破しろ!」
護衛隊長の号令と共に、兵士たちの体が濃密な魔力光に包まれる。彼らは高レベルの基礎魔術を使いこなし、一糸乱れぬ連携で、襲い来る自動人形たちを次々と粉砕していく。その動きは洗練されており、迷いも恐怖もない。
カイルも彼らの間に混じり、必死に剣を振るっているが、やはり大人の、それも本職の精鋭たちに比べると、まだ危なっかしい。
「っとぉ!」
カイルが突出して囲まれそうになったところを、ベテランの兵士が割り込んでカバーし、自動人形を盾で弾き飛ばした。
「カイル、突っ込みすぎるな!周りを見ろ!」
「くそっ、わりぃ!」
父上、先生、カイル、セリナ、それと護衛兵達。
それぞれの獅子奮迅の働きにより、カエルス家の私兵団は圧倒されていた。
しかし――敵の数は多い。
特に、感情を持たずに次々と現れるオートマタの増援が、じりじりと包囲網を狭めてくる。
「くそっ、数が多い!」
父上が槍を振るいながら悪態をつく。
執事が、余裕を取り戻したように笑った。
「流石は辺境伯。ですが、この障壁はただの目隠しではありません。外部のマナとの接続を遮断する『檻』です。魔力の回復もままなりませんよ。物量で押し潰させていただきます」
無機質な暴力が、私たちを飲み込もうとした、その時。
「――いい加減になさい」
その場を支配するような、静かで、絶対的な声が響いた。
馬車から、母上が降り立った。
瞬間、周囲の空気が一変した。肌がチリチリと焼けるような熱気。母上の全身から、燃え盛る炎のような、紅蓮の魔力が立ち上っていた。
静かだった怒りが、灼熱の奔流となって溢れ出したのだ。
「わたくしの通り道を塞ぎ、あまつさえ、わたくしの愛する夫と子供たちに手を出すとは……。カエルス家の『教育』は、ずいぶんと地に落ちたものですわね」
母上は両方の手のひらを前に向け、指を大きく開く『印』を結んだ。それは、熱を放射するイメージ。 力強く、得意とする火の精霊魔術を詠唱した。
『――灼熱の火の精霊よ、集いて応えよ!目に見えぬ熱の波よ、形を成せ!――』
『――広がり満たし、敵を覆い尽くし――』
最後の詠唱と共に、母上は両腕を押し広げながら、体幹を使って半円を描くように身を捩った。
『――熱せよ焦がせ、その力を示せ!――』
ゴォォォォォッ!!
瞬間、母上を中心に、結界内部の空間が、一瞬にして灼熱の地獄へと変貌した!
《熱波》
広範囲に放たれた超高温の熱の波が、敵味方の区別なく襲いかかる。空気が揺らぎ、息を吸うだけで肺が焼けるようだ。
「うおっ、あちちっ!?」
近くで戦っていた父上が、慌てて飛び退く。直接火がついたわけではないが、鎧の金属部分が熱せられ、触れられなくなっている。
「お、落ち着けエリアーナ!俺たちまで干物にする気か!」
「あら、ごめんなさい、あなた。少し熱がこもってしまいましたわ」
母上は涼しい顔で言うが、額にはうっすらと汗が滲んでいる。その熱量は冗談では済まないレベルだ。カイルやセリナも、顔をしかめて後退る。
しかし、敵への影響はそんなものでは済まなかった。
私兵たちは熱波に煽られて、武器を取り落とし、悲鳴を上げて転げ回る。そして、自動人形たちにも異変が起きた。
単純な命令しか受けていない彼らは、この想定外の熱気にパニックを起こしたかのように、無意味に腕を振り回したり、その場で回転したりと暴走を始めた。
さらに、その体表を覆う粘土質の素材が、高熱によって急速に乾燥し、ひび割れていく。
「ギギッ、ガガガッ……」
不快な音を立てながら、体内に刻まれた術式が熱で焼き切れたのか、次々と機能停止し、その場に崩れ落ちていった。
さらに、結界内部の急激な温度上昇と魔力膨張に耐えきれず、執事が展開していた大規模障壁に無数の亀裂が走る。
パァァァァン!!!
ガラスが割れるような巨大な音を立てて、結界が粉々に砕け散った!
障壁が消え、熱気が外へ逃げていく。
街の騒音が戻ってきた。
立っているのは、私たちと、熱気で髪が焦げ、顔面蒼白になった執事だけ。
「ひっ……!障壁で密封した中で、これほどの熱波の魔術を躊躇なく使うとは……!」
執事は、エリアーナの実力を知っていた。知っていたからこそ、まさか自身の父の膝元である王都の真ん中で、それを解き放つとは思わなかったのだ。
「エリアーナ様…その苛烈さは健在ですか……!」
執事が、恐怖に顔を引きつらせて後退る。
母上は、赤い残り火のような魔力を纏わせたまま、冷徹な瞳で彼を見下ろした。
「『紅蓮』の二つ名は、伊達ではありませんわよ?……警備兵が来ますわ。公爵家の私兵が、白昼堂々往来で辺境伯家の馬車に襲撃していたとなれば、お父様の顔に泥を塗ることになりますけれど」
「くっ……!」
「お伝えなさい。『孫たちに会いたければ、まずは礼儀を覚え直してきなさい』と。……失せなさい」
最後の言葉は、もはや宣告だった。
「ひ、引き上げろ!退却だ!全員、撤収しろ!」
執事の悲鳴のような号令で、火傷まみれの私兵たちは、這うようにして黒い馬車に乗り込み、機能停止したオートマタを回収する暇もなく、逃げるように去っていった。
「……ふぅ。少し熱くなりすぎましたわね」
母上は、短く息を吐くと、いつもの優雅な姿に戻って振り返った。
父上が汗だくの顔を拭いながら、やれやれと肩をすくめる。
「全く、お前の『少し』は寿命が縮むぞ……。火加減を覚えろ、火加減を」
「あら、あなたが不甲斐ないから、わたくしが火を吹く羽目になったのですわよ?」
そんな夫婦漫才をしながら、みんなが無事かを確認し合う。
私は、改めて母上の力の片鱗を見て、ただ呆然と頷くしかなかった。
カイルも、熱気で赤くなった顔で、目を丸くして母上を見ている。
「すげぇ……エリアーナ様、マジで怒らせちゃダメな人だ……」
そうだっ!ペトラにこの自動人形お土産に持って帰ろ!
カイルに頼んで護衛兵達の馬車にこっそり一体運び込む。もちろん母上には秘密だ。
私たちは、警備兵が到着して事情聴取などの面倒事に巻き込まれる前に、急いで移動を再開し、別邸へと滑り込んだ。
カエルス家は退けたが、状況は最悪だ。
彼らは、兄たちを人質に取ることを、明確に匂わせた。
「……母上。お兄様たちは、大丈夫でしょうか」
私の問いに、母上は厳しい顔で答えた。
「学園内は中立地帯です。そう簡単には手出しできないはずですが……相手はあの父上です。油断はできません」
私は、拳を握りしめた。
「学園へ行きましょう。お兄様たちが無事か、確かめに行きます!」
「……そうね。それが良いでしょう。ここに閉じこもっているよりは、皆で固まっていた方が安全です」
父上は、再び王宮への連絡を急ぐために馬を走らせて行った。
私は、窓の外に広がる、煌びやかだけど冷たい王都の夜景を見つめた。
ここは、華やかなだけじゃない。暴力と、陰謀と、悪意が渦巻く場所。
「……ここも、戦場なのね」
私は、ギュッとドレスの裾を握りしめ、明日に向けて気を引き締めた。




