第6話 専属侍女セリナ
私が三歳の誕生日を迎えてしばらく経った頃、私の日常に新しい風が吹いた。
その日、両親に連れられて紹介されたのは、栗色の髪をきっちりとお団子に結った、少し緊張した面持ちの少女だった。歳は十二歳だという。
「今日から、お前の専属侍女になる、セリナだ」
「パスティエール様。本日よりお側仕えをさせていただきます、セリナと申します。至らぬ点ばかりと存じますが、誠心誠意、お仕えいたします!」
ピンと背筋を伸ばし、練習してきたであろう完璧な礼をする彼女。けれど、私の『瞳』には、その完璧な所作とは裏腹に、彼女の内側で期待と不安が入り混じった、まるで楽譜の書き損じのように激しく揺れ動く旋律が渦巻いているのが見えていた。
その日から、私の側には、いつも一生懸命な彼女がいるようになった。
しかし、彼女は少し…いや、かなりのおっちょこちょいだった。
「パスティエール様、お茶の時間です」
そう言って運んできてくれたティーカップは、お辞儀が深すぎてお盆の上でカチャカチャと音を立て、ソーサーから紅茶がこぼれている。
「も、申し訳ありません!」
真っ赤になって慌てる彼女に、私は「だーじょーぶよ」と微笑む。
ドレスに着替えるのを手伝ってもらえば、背中のリボンと格闘しているうちに、なぜか自分の指とリボンを結んでしまっている。
廊下を歩けば、私の可愛らしさにメロメロになって見惚れているうちに、目の前の扉にゴツン、と頭をぶつけて涙目になっている。
「うぅ…面目次第もございません…」
「だーじょーぶよ」
真面目で、忠誠心に溢れていて、私のことを本当に大切に思ってくれている。それは、彼女の奏でる旋律が、何よりも雄弁に物語っていた。けれど、その真面目さが空回りして、いつも何かしらドジを踏んでしまうのだ。
(この子、本当に大丈夫かな…。私がしっかりしないと…)
まだ三歳の私に、そんな風に心配されてしまうのが、私の最初の友人であり、これから長い付き合いになるセリナだった。
そんなある日。またお茶をこぼして落ち込んでいるセリナを見て、私は彼女の手を引っ張った。
「せりな、あしょぼ?」
「え…?しかし、わたくしは…」
「あしょぼ!」
私は、前世の記憶の片隅にあった「手遊び歌」を思い出し、見よう見まねで彼女にやってみせる。きょとんとしていたセリナだったが、すぐに「でしたら、この辺境伯領に伝わる歌がございます」と、今度は彼女が私の先生になってくれた。
「♪〜鉄の砦の兵隊さん、槍持ってどこ行くの〜♪」
二人で向かい合って、小さな手をぱちぱちと合わせる。最初はぎこちなかったけれど、繰り返すうちに、だんだんと息が合ってくるのが楽しかった。歌い終わる頃には、セリナの顔にも、いつもの緊張ではない、年相応の柔らかな笑顔が戻っていた。
「そのうた、だあれに、おしえてもらったの?」
「母です。わたくしが小さい頃、よく一緒に歌ってくれました」
「せりなの、おかあしゃま?」
「はい」
セリナはそう言って、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
(この世界にもいろいろな歌があるなら、わたしが歌っても、そんなに驚かれないかな)
そんなことを考えていると、もっと他の歌も知りたくなった。
「もっとおうた、おしえて!」
「え、はい…。ですが、この兵隊さんの歌ぐらいしか、わたくしも覚えていなくて…。申し訳ございません」
セリナは本当に申し訳なさそうな顔で謝る。
「じゃあ、わたちがこんど、おうたおしえてあげるね」
私がそう言うと、セリナは「はい!」と、ぱあっと瞳を輝かせた。
それから数日後のこと。彼女は侍女服ではない、動きやすい訓練服に着替えて、城の訓練場に姿を現した。
こっそり覗きに行った私は、彼女が兵士の一人に混じって、短剣を使った護身術の訓練を受けているのを見た。動きはまだ拙く、何度も体勢を崩している。けれど、その眼差しは、ドジばかりしている普段の彼女からは想像もつかないほど、真剣だった。
(セリナ、頑張ってる)
私を守るために。この辺境で生きるために。まだ十二歳の彼女が、一生懸命に頑張っている。その事実が、私の胸を熱くした。
柱の影に隠れながら、私は彼女にだけ届くように、小さな、小さな声で歌い始めた。
「♪〜らんらんら〜ん、がんば〜れぇ〜♪せりな~♪…」
私の内なる湖から、きらきらと輝く光の粒が生まれ、ふわりとセリナの方へと飛んでいく。
ちょうどその時、訓練の厳しさに膝に手をつき、荒い息を繰り返していたセリナの肩が、ぴくりと震えた。
「…あれ?」
彼女は不思議そうに、自分の体を見下ろしている。急に、ほんの少しだけ、疲れが軽くなったような。そんな不思議な感覚に、首を傾げている。
私の『瞳』には、私の歌が生んだ光の粒が、彼女のオーラにそっと溶け込み、その輝きをわずかに増しているのが見えていた。
ドジで、おっちょこちょいで、いつも心配のタネは尽きない。
けれど、誰よりも優しくて、真面目で、一生懸命な私の専属侍女。
彼女の隣で笑いながら、私はこの新しい日常が、どうしようもなく愛おしいものだと感じていた。




