第67話 腹ぺこ娘
大陸歴685年、実りの月。
父上たちから王都行きを告げられ、嵐のような三日間の作法訓練が過ぎた。
そして、運命の出発の朝。
暁の薄闇がまだ領都アイアン・フォルトを包む中、城門には王都へと向かう私たち一行……父上、母上、アルフレッド先生、セリナ、カイル、そして護衛兵団が集結していた。
私は、ピンと背筋を伸ばして馬車のステップに立つ。今日の私は、お洒落さんだ。
髪型は、セリナが今朝、夜明け前から起きて、ものすごく時間をかけて結ってくれた、特製の「二つ結びのおさげ」。
ただのおさげじゃない。王都の流行りだという、複雑な「編み込み」が何重にも施されていて、日中の活動でも崩れにくいように、きっちりと結い上げられている。
「パスティエール様!これなら三週間の旅の間でも、毎朝完璧な髪型を維持できますわ!」
そう言って、私の髪を完成させた時のセリナの顔は、達成感で輝いていた。
服も、いつものフリフリドレスじゃない。
母上が用意してくれたのは、ゼノン家の色でもある落ち着いた濃紺の、長袖の旅装ワンピース。生地は上質だけど、飾りは一切なくて、すごく動きやすい。
襟元と袖口には、辺境の冬に咲くという「雪割草」の意匠が、銀糸で控えめに刺繍されている。
これは、セリナが昨夜、夜なべして縫い付けてくれたものだ。
その上から、フード付きの厚手のマントを羽織る。もう「実りの月」だから、道中の野営は冷える。
そして足元は、革製の頑丈なショートブーツ。
(めっちゃ可愛いわ……!この上品さと機能性を両立したコーディネート! ブーツもお洒落だわ! 本革よ!魔獣のだけど)
私が一人で満足していると、厳粛な出発を見送る、二つの影が目に入った。
お爺様と、ペトラだった。
ペトラは、工房から駆けつけてきたのか、作業着のまま大きなあくびを噛み殺している。
「…パスティエール様。留守の間に『魔導楽器』の製作進めておくからね、あと貰ったアイディア帳も読み込んでおくよ、気をつけていってらっしゃい」
彼女は私に向かって親指をぐっと立てて見せた。
お爺様は、何も言わなかった。 ただ、馬上の父上の前に立ち、その肩を「バシン!」と一度だけ強く叩き、無言で頷いた。もう、言葉は必要ないらしかった。
カイルは、そんなお爺様と護衛兵団の威圧感を前に、緊張でガチガチになっている。
彼は護衛兵用の馬車に、まるで石像みたいに乗り込んでいった。
(いよいよ、出発か……)
お兄様達に会えるという楽しみもあるけど、会ったこともないヴァレリウスお爺様、私を『国益』として狙うかもしれない、魔導王様。
(うー、ドキドキする)
「――出発する!」
父上の号令一下、私たちのキャラバンは、東……宿場町リベルへと続く街道へ向けて、静かに動き始めた。
王都までの旅程は、馬車を乗り継いでも三週間近くかかるという。
退屈な馬車の中では、母上による「王都の作法」の復習が続く。
私が退屈しのぎにちびギターを爪弾き、小さな声で「走れ~走れ~お馬さん〜♪」などと即興歌を口ずさんでいると、母上がピシャリと私の手を押さえた。
「パスティエール」
「は、はい、母上!」
母上は、氷のように冷たい、完璧な笑顔で私を見つめる。
「この領地を出たらあなたは『ゼノン辺境伯令嬢』です。これからは公務を意識し、対外的な言葉遣いに常に気をつけなさい」
「は、はい…わかりました。」
「言葉遣いももちろん、挙動や動作の一挙手一投足にも気をつけること。王都は、わたくしの父をはじめ、揚げ足を取ろうと待っている者たちばかりです」
母上は、私が膝に置いていたちびギターに一瞥をくれた。
「特に、公務中に許可なく歌ったり踊ったりなど、絶対にしてはいけません。あなたの『力』がどういうものか、彼らに無防備に晒すことになります」
「うっ…!」
私の特技が封印されてしまった、これじゃ何の変哲もない美少女じゃないか。
「……では、復習します。公爵家の方へのご挨拶は、正式な『宮廷式カーテシー』を。よいですね?」
「は、はい、母上……」
「ですが、魔導王陛下の御前は全く別物です。『謁見』の作法が必要です」
母上は、あの三日間の猛特訓を思い出させるように、厳しい声で確認する。
「私たちは先に謁見の間に通されます。陛下が入室されたら、即座に『最敬礼のカーテシー』を。陛下が玉座に着き、『面を上げよ』と声がかかるまで、決して顔を上げてはいけません。許可なく発言することも許されません。分かりましたね?」
(うぅ、魔術訓練の方が百万倍マシ……!)
旅が始まって数日。リベル到着を翌日に控えた日の午後。
私たちのキャラバンは、見通しの悪い岩がちな隘路に差し掛かっていた。
その、瞬間だった。
馬車が隘路に差し掛かった瞬間、併走していた先生が焦ったように叫ぶ。
「総員、停止!地中から魔力反応多数!この反応パターンは……!」
馬上から、父上が即座に号令を飛ばす。
「敵襲!『岩土竜』だ!護衛は馬車を囲め!爪は固い、腹を狙え!」
「「「応ッ!!」」」
護衛兵団とカイルが、それぞれの馬車から飛び出し、即座に私の馬車を囲むように円陣を組む。
彼らが円陣を組み終わるのとほぼ同時に、ゴゴゴゴゴ…! と地面が揺れ、岩土竜が馬車の周囲の地面から次々に飛び出し、キャラバンを取り囲んだ。
カイルは円陣の外周で、緊張に顔を引きつらせながらも、必死に《身体強化》して剣を構え、岩土竜と対峙している。
護衛兵団が外周の「岩土竜」との戦闘を開始した、直後だった。
(……!っ、戦闘の揺れとは違う!)
私の『瞳』が、護衛兵の誰よりも、先生や母上の魔力感知よりも早く、馬車の真下から迫る、あの嫌な『不協和音』を捉えた!
「母上! セリナ! 下っ!!」
私は『瞳』の感知により、床板が突き破られるコンマ数秒前に、反射的に座席から床へと転がり避けた!
ガゴォォン!!
私が今しがたまで座っていた座席のクッションが、瘴気を帯びた禍々しい鋼鉄の爪によって、下から突き破られ、綿を撒き散らした。
突き破られた穴から、爪が第二撃を繰り出そうと動く。
「パスティエール様!」
セリナが、私が転がった先を庇うように、咄嗟に《魔力障壁》を展開!
ガキン!
と、瘴気の爪が《障壁》に激突する。
(あ、あぶなかったー! お尻をチョッキン!されるところだったー!)
「パスティエール、セリナ! 外へ!」
母上が馬車の扉を蹴破る。
爪が《魔力障壁》に阻まれて怯んだ隙に、私とセリナ、母上は、壊れた馬車から護衛兵が守る円陣の内側へと転がり出た。
私たちが地上に降り立った瞬間、それを待っていたかのように、先程馬車を真下から奇襲してきた岩土竜が再び私たちの足元の地面から飛び出してきた。
「させません!」
セリナが、私の前に立ちふさがり、咄嗟に《魔力付与》した短剣で、岩土竜の爪を弾き飛ばす!
「パスティエール様!」
円陣の外側で戦っていたカイルが、その奇襲に即座に反応した!
(え!? 今、カイルが私のこと、ちゃんと名前で、しかも「様」付けで呼んだ!? いつも「チビ」とか「おまえ」なのに!)
セリナに弾かれて体勢を崩した岩土竜に、魔力で《身体強化》したカイルが剣で斬りかかる。
「させねえよ!」
カイルの剣が、岩土竜の硬い皮膚を、確かに切り裂いた。
それを合図に護衛兵たちが畳みかけ、残りの岩土竜を掃討して戦闘は終わった。
父上と先生が、カイルが斬った「奇妙な個体」を検分している。
「ライナス様、この個体…『魔力感知』にまったくひっかかりませんでしたな。いったいどういう……!」
先生が焦った声を上げた。
「見た限りは他の『岩土竜』と変わりはなさそうだ……しかし、パスティの反応が少しでも遅れていたら、直撃だったな……」
父上が馬車に空いた穴を見ながら呟く。
私は、お尻をさすりながら、小さく頷いた。
(本当に危なかった…あの岩土竜だけ瘴気に汚染されていたな)
「ライナス様!」
御者さんが、悲痛な声を上げる。
「申し訳ありません、今の戦闘で馬車の車軸が破損しました…!」
護衛兵の一人が、悔しそうに悪態をついた。
「クソっ、こんな時にペトラがいてくれたら、あいつなら何とか直しちまうのに!」
先生も、壊れた車軸を見て苦笑いする。
「違いない。こればかりは魔術でもどうにもできん」
瘴気を帯びた魔獣との遭遇と、馬車の故障。
野営の準備を始めるキャラバンの空気は、重く、沈んでいた。
カイルは、自分が円陣の内部への侵入を許したことに気を病んでいるのか、焚き火から離れた場所で一人落ち込んでいる。
セリナは、私の側に張り付き、さっきから「お怪我は!?」「怖くありませんでしたか!?」と不安げにしている。
その重い空気を破るように、私のお腹が、高らかに鳴り響いた。
「ぐぅ〜〜〜〜…」
(あ、やばい。お腹すいた…!)
この空気は、ダメ。お腹が空いたら戦はできない。
私は、この空気を吹き飛ばすため、そして自分の空腹を訴えるため、荷物からちびギターを取り出した。
母上との約束が一瞬頭をよぎったけれど、今はまだ自領内だし! ノーカン!
そして、ステップを踏みながら、即興の歌を歌い始めた!
『――おなかが〜おなかが~ぺっこぺこ〜――』
『――ぐるぐる〜ぐるぐる~ぐーるぐる~――』
シーン…
あまりにシリアスな空気の中で、あまりに「へんてこ」な歌が始まったため、兵士たちも、セリナも、落ち込んでいたカイルも、全員が呆気に取られて固まっている。
『――魔獣も倒したし〜はやくごはんが食べたいな〜――』
「……なんだよ、あの歌……」
カイルが小声で呟くのが聞こえた。
「……パスティエール様、お腹が空きすぎて……」
セリナが真顔で言う。
護衛兵の一人が、耐えきれずに「…ぷっ」と吹き出した。
「……ぶはっ!」
それを皮切りに、全員が大爆笑に包まれた。
「ははは!」
「確かに腹が減った!」
「お嬢、最高だ!」
父上も、兜を脱いで豪快に笑い飛ばした。
「がっはっは! よし、戦闘終了だ! 腹ぺこ娘の言う通り、今夜は盛大に食うぞ!」
瘴気と戦闘で張り詰めていた空気が、私の「へんてこ」な歌で、完全にほぐれたのだった。
ふと横を見ると、母上が扇子で口元を隠しながら、目は笑っていない冷徹な光を放っていた。
(ヒィッ! ……で、でも、父上が許可したからセーフ! セーフだよね!?)
壊れた馬車を応急処置し、予定より半日遅れで、私たちは宿場町リベルに到着した。
街は相変わらず活気に満ちていたけれど、以前訪れた時のような「陽気な熱気」が、少しだけ湿っている気がした。
商人ギルドの長に迎えられ、私たちは公務として会談の席に着いた。
「ギルド長。道中で『岩土竜』に襲われました。その中に、我々の魔力感知を完全にすり抜けた、奇妙な個体が混じっていました。この辺りでもなにか異変が?」
母上の言葉に、ギルド長は渋い顔をした。
「…エリアーナ様、まさにその『異変』で、このリベルも困惑しているところです。冒険者たちからも、『岩土竜』がやけに凶暴化している、『感知できなかった個体に奇襲された』という報告が、ここ数週間で急増しております」
「そして、異変は魔獣だけではないのです。東のクレストン領方面から来るキャラバンが軒並み遅延しておりまして。彼らの話では、『原因不明の不作』で、『運んでいた野菜が、道中で腐った』という報告まで…」
「奇妙な魔獣に、腐る作物…。正直、我々も気味が悪いのです」
(野菜が腐る…? さっきの魔獣も、様子がおかしかった…)
(ケルドやサザンで感じた、あの『嫌な感じ』と似てる…。まさか…)
父上と母上も、すごく険しい顔をしている。やっぱり、ただの不作じゃないんだ…!
リベルで馬車を完璧に修理してもらい、数日間の情報収集を終えた私たちは、再び東へと出発した。
数日後、キャラバンはゼノン辺境伯領の最後の街、「領境の街ライムス」に到着する。
目の前には、隣領クレストン子爵領とを隔てる大河と、その向こうに見える双子都市「ウェストリア」の街並みが見えた。
ライムスの代官に挨拶を済ませると、クレストン領からの使者が「お待ちしておりました」と現れた。
「我が主、アラリック・クレストン子爵より。盟友たるゼノン辺境伯一行を、領都ミルブルクにて歓迎したく、ご招待申し上げます、と」
(クレストン子爵…。あのライムスで会った、蜂蜜色の髪の、計算高そうな人だ…!)
(リベルで聞いた『不作の噂』の中心地。)
(領地を出る。ここから先は私にとって未知の世界…)
私は、これから始まる「政治の戦い」の重圧を感じながら、クレストン領へと続く橋を渡る馬車の揺れに、身を任せた。




