第61話 【幕間】侍女の誓い
領都アイアン・フォルトに帰還した翌朝。
わたくしは、主であるパスティエール様の寝室を訪れ、そのお目覚めを待っていました。
(…まだ、お疲れのようですね…)
長旅と昨日の凱旋の興奮で、まだすやすやと安らかな寝息を立てておられるパスティエール様の寝顔を、わたくしはそっと見守ります。
陽光を浴びてキラキラと輝くパステルピンクの御髪。閉じられた瞼の長い睫毛。七歳という年齢以上に幼く見える、その無防備な寝顔は、まさに天上の存在そのものです。
この七十日間の旅は、わたくしの想像を絶するものでした。
港町サザンでの『海の浸蝕者』との遭遇と、漁師さんたちの大合唱に応えた《豊漁と凪の精霊》様の顕現。
遺跡の街ケルドでの、あの絶望的な『音の呪い』との死闘。
そして、北の要塞シルヴァでの、兵士たちの凍てついた心を一夜にして溶かしてしまった、圧巻の『慰問コンサート』。
その全てが、この小さな、七歳の少女の「歌」によって引き起こされた奇跡だったのです。
ケルドで、戦場の地獄に舞い降りたお姿を拝見した時、わたくしは確信しました。わたくしの主は、きっと精霊に愛された、特別な御方なのだと。
わたくしは、そっとパスティエール様の胸元に視線を落とします。
ドレスの上からでは何も見えません。けれど、あの日、ケルドの響谷で消滅した精霊が、パスティエール様に宿ったそうです。
今も、パスティエール様の鼓動に合わせて、服の上からでもわかるほど微かに、その場所が明滅している気がします。
(『精霊憑き』…なんと神々しい…。このお方の侍女でいられることを感謝しなくては…)
しかし、わたくしの心は、喜びだけで満たされているわけではありませんでした。
このお方を起こしてしまうのは忍びない…。わたくしは、音を立てぬよう静かに寝室を後にし、隣接する侍女の控え室へと戻りました。
そこで、わたくしは昨夜のことを反芻しておりました。
ライナス様への公式なご報告が終わった後、パスティエール様は疲労のために自室へ下がられました。
その後、ライナス様、エリアーナ様、ガレオス様、アルフレッド先生の四人が執務室に残られたのですが、あの重苦しい雰囲気は、ただの「報告会」の続きではなかったはず。
この領地の未来に関わる、本当の『会議』を行っていたに違いありません。
パスティエール様のこの神々しいお力は、祝福であると同時に、何かとてつもない事態を引き起こしている。
わたくしには、その詳細はわかりません。けれど、この領都に帰還しても、パスティエール様のお力を利用しようとしたり、その神聖さを疑うような、不敬な輩が現れるかもしれない…。
そう思うと、居ても立ってもいられませんでした。
わたくしは、侍女控え室に戻り置いていた訓練用の木剣を握りしめます。
脳裏に蘇るのは、あの生意気な少年の顔。
「(魔術師なんて近づけばなんもできねーだろっ!!)」
シルヴァからの帰路、彼と木剣を交えたあの模擬試合のことは、わたくしの心に深く刻み込まれていました。
(確かに、わたくしは力も剣の腕もカイルには劣っていました…)
無尽蔵の体力も、剣に乗る重さも、獣のような鋭い踏み込みも、わたくしとは比べ物になりませんでした。
けれど、勝ったのはわたくしです。
わたくしは、アルフレッド先生に教わった通り、彼の踏み込みに合わせて《魔力障壁》を展開し、体勢を崩したところに《身体強化》した足払いを叩き込みました。
力だけが強さではないと、証明できたはずです。
(でも…)
わたくしは木剣を握る手に力を込めます。
(あれは、木剣での模擬戦だったから勝てただけ。もし、あのカイルが本気で…真剣でパスティエール様に襲い掛かっていたら?わたくしは、本当に止められたでしょうか…?)
あの少年が叫んだ言葉が、耳の奥で蘇ります。
「俺が、あんたの剣になってやる!」
(あの少年が、パスティエール様の『剣』になるというのなら…)
わたくしは、決意を新たにします。
(わたくしは、パスティエール様の『盾』にならなければならない。誰にも触れさせない、完璧な盾に!)
そのためには、今の力では足りません。
わたくしは、アルフレッド先生から渡されたばかりの、一枚の羊皮紙のメモを取り出しました。
帰路の最後に、先生がわたくしにだけ教えてくださった、新しい魔術。
雷の二節詠唱――《弱雷》。
雷の精霊魔術は使える人が少ないらしく、雷の精霊との相性もあるようですが、そもそもの魔力の制御が難しいとのことです。
わたくしは、メモを見ながらその詠唱を反芻する。
『――雷の精霊よ、応えよ《オィアト》!我が指に・小さき火花を宿せ!――《弱雷!》』
魔力が霧散する、集中できていない。
(先生は「水と風の『三節』が安定した」とおっしゃってくださった。わたくしにも、もしかしたら精霊魔術の才能があるのかもしれない…!)
わたくしがこれまで習得した魔術は、《水滴》や《風の息吹》といったお世話のためのものと、《水の矢》や《風の刃》といった三節詠唱の攻撃魔術…。
(でも、それだけでは足りない!ケルドでのゴーレム戦や、サザンの海上戦では、わたくしはパスティエール様を守るどころか、足手まといにすらなっていた…!)
(でも、この《雷》は違う。水や風よりも、もっと直接的な『力』!これこそが『武器』になる!)
わたくしが、この手で、パスティエール様をお守りするための、力になる!
控え室の隅に立ち、指先に意識を集中させます。
パスティエール様を起こさないよう、息を殺して、けれど、これ以上ないほどの真剣さで何度も詠唱と魔力操作の訓練を行う。
何度も、自分の不甲斐なさを嘆き。
何度も、主のことを想い。
何度も、自身の決意に誓い。
繰り返すこと何度目だろうか。
バチッ!
指先から、ほんの小さな、しかし確かな青白い火花が散った。
(やった…!やったやった!やりましたわ!)
胸が、達成感で熱くなります。
(見ていてください、パスティエール様!このセリナ、カイルにも、まだ見ぬ難敵にも負けない、最強の侍女になってみせますわ!)
高揚感に包まれ、わたくしは調子に乗りました。乗ってしまったのです。
(もう一度…!今度は、もっと魔力を込めて、もっと強く!)
わたくしは、先生からの「焦らず、ゆっくりと」という忠告をすっかり忘れ、ありったけの魔力を指先に込めながら、二発目を詠唱しようとしました。
『――雷の精霊よ、応えよ《オィアト》!我が指に・小さき火花ぅぉっ!?!……』
興奮のあまり、詠唱の最後を盛大に噛んでしまいました!
制御を失った魔力が、行き場を求めて暴走します。
バチチチチチチッ!!
指先から放たれるはずだった雷が逆流し、わたくし自身の体を駆け巡りました!
「あああぁぁぁっ!?し、しびびびびれっ…!」
わたくしは、髪をライオンのように逆立たせ、床に倒れて痙攣してしまいました。
(…さいきょうへのみちは、まだまだけわしそうですわ…)
その時、壁一枚を隔てた隣の寝室から、パスティエール様の寝ぼけた声が微かに聞こえました。
「ん…?なんだか焦げ臭い…?」
わたくしは、痺れて動けないまま、心の中で思い切り叫びました。
(パスティエール様!申し訳ございませーんっ!!!)
セリナ ステータスシート(一章終了時点)
■基本情報
名前:セリナ
性別:女
年齢:16歳
誕生日:大陸暦669年、若葉の月
種族:人間
髪色:栗色
髪型:シヨン(お団子ヘア)。オフの時は髪の毛を下ろしていることも。
肌色:健康的な肌色
性格:
四年間の修練を経て、有能な侍女として振る舞おうと努力しているが、ここぞという時にドジを踏む(何もないところで転ぶ、詠唱を噛むなど)癖は健在。
パスティエールへの忠誠心は、共に過ごした時間と数々の奇跡を経て、信仰の域に達している。「お嬢様の盾になる」という覚悟は本物だが、それが強すぎて空回りすることも多い。
人となり:
ゼノン辺境伯家の専属侍女。
12歳から兵士と共に訓練を受け、パスティエールを守るために武術と魔術の両方を磨いてきた。
旅の道中でカイルとの模擬戦に勝利するも、純粋な「力」での敗北感から、更なる強さを求めて攻撃的な雷の精霊魔術の習得に励んでいる。
完璧を目指しては失敗し、それでも諦めずに立ち上がる姿は、パスティエールにとっても「愛すべきお姉さん」である。
■基礎魔術の熟練度
侍女としての業務と護衛任務に必要な全スキルを、高レベルで習得している。
・身体強化:【高】
一般兵士以上の速度と体幹を持つ。ただし、足元の注意がおろそかになりがちで、よく躓く。
・魔力付与:【中~高】
短剣への付与は手慣れたもの。
・魔力障壁:【中】
自身やパスティエールを守る障壁を即座に展開できる。カイルの踏み込みに合わせて展開するなど、戦闘勘は鋭い。
・魔力関知:【高】
護衛としての索敵能力は高い。
・魔力弾:【高】
移動しながらの連射や、死角からの生成・発射など、魔力弾を巧みに操る。
ただし、焦ると制御をミスして自爆することもある
■習得魔術
・精霊魔術
水属性:『水の矢』、『水滴』
※お茶を淹れる、掃除など日常でも多用するため熟練度は高い。
風属性:『風の刃』、『風の息吹』
雷属性:『弱雷』
習得を試みるも、詠唱を噛んで自爆。しかし才能の片鱗は見せている。
■戦闘スタイル
【魔術剣士(ドジっ子侍女スタイル)】
身体強化と魔力障壁を駆使した機動戦を得意とする。
普段のドジからは想像もつかない鋭い一撃を放つ。
スカートの中に魔力弾や暗器を隠す奇襲戦法も辞さない。
■加護
なし
特別な加護はないが、パスティエールからの「歌による支援」を最も長く受け続けてきた影響と、本人の執念により、常識外れの成長速度を見せている。




