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第60話 凱旋

大陸歴685年 深緑(しんりょく)の月


 領都の巨大な城門が、私たちの帰還を歓迎するように、ゆっくりと開かれていく。


「ただいま」


 私は、胸元のポルカに語りかけるように、小さく、そう呟いた。


 七十日。


 領都アイアン・フォルトを発ったあの日から、実に七十日ぶりの帰還だった。


 たった七十日。けれど、私にとっては、前世の記憶を含めても比較にならないほど濃密で、永遠のようにも感じられた旅が、今、終わったのだ。


 馬車が城門をくぐり抜けた瞬間、私の耳に飛び込んできたのは、割れんばかりの歓声だった。


「「「うおおおおおっ!!お帰りなさいませ!!」」」


「エリアーナ様、万歳!」


「パスティエール様、万歳!」


「歌姫様のお帰りだ!」


 街道の両側には、領都の民衆が溢れかえり、熱狂的な歓声と、色とりどりの紙吹雪で私たちを迎えてくれていた。


(え…えええ!?なにこれ!?)


 シルヴァでの兵士さんたちの熱狂もすごかったけれど、これは規模が違う。シルヴァがライブハウスの熱狂だとしたら、こっちはもうドームツアーの千秋楽だ。


(いや、凱旋パレードか!)とツッコミを入れる。


「パスティエール様!窓を!」


 セリナに促され、私はおそるおずと馬車の窓から顔を出した。


「姫様だ!」


「ちいさくて可愛らしい!」


「あの小さなお体で、ケルドの呪いを…!」


 無数の視線と、純粋な感謝、尊敬、そして熱狂の旋律が、私の『瞳』に濁流のように流れ込んでくる。


(うっ…重い…!嬉しさよりも、戸惑いと重圧がすごい…!)


 私は、その熱量に完全に気圧され、こわばった笑顔で小さく手を振ると、そっとセリナの陰に隠れた。


 馬車はゆっくりと進み、ついにゼノン家の居城…私の家へと到着した。


 私が母上やセリナと共に馬車から降りると、後方の馬車から降りてきたペトラとカイルが、興奮した様子で真っ直ぐにこちらへ駆け寄ってきた。


「パスティエール様!見た!?すごい!何あの城壁!全部がデカくて…息苦しいくらいキッチリしてる…。あの構造、後で絶対中見せてよね!」


 ペトラが、目をキラキラさせながら私の手を掴んでぶんぶん振る。


 そう、ここ領都アイアン・フォルトは、宿場町リベルと違って商業的な雑多さはない。リベルの方がよっぽど人口は多いだろう。けれど、この街は、巨大な城壁、等間隔に配置された見張り台、兵士たちが寸分の狂いもなく往来する大通り…すべてが「魔獣の侵攻を防ぐ」というただ一点のために設計された、軍事要塞都市なのだ。


「うるせぇペトラ!それより兵士の数だ!シルヴァとは比べ物にならねえ…。これが、辺境伯の本拠地…!」


 カイルも、その威容に息を呑み、武者震いしているようだった。


「はいはい、二人とも落ち着いて。その興奮わたしにはよーくわかります。でもまずは父上たちに挨拶ね!」


 私が二人をなだめていると、城の入り口で私たちを待っていた二人の人物が、大股で近づいてきた。


「父上!お爺様!」


「おお!パスティ!よくぞ無事で…!父さんは、父さんは心配で、仕事も手につかなくて…!」


 父ライナスが、領主の威厳も何もあったものではない親バカ全開の顔で、私を力いっぱい抱きしめようとする。


「あなた、落ち着きなさい。皆の前ですわ」


 長旅で少し疲れた様子の母エリアーナが、冷静な一瞥で父を制止する。


「フン。エリアーナの言う通りだ、ライナス」


 厳格な表情のまま、お爺様が、父の失態を暴露した。


「執務室で『パスティはまだか』『連絡は来てないのか』と、五分おきに書類の束を放り出しては窓の外ばかり見ていた貴様の姿は、見苦しかったぞ」


「ち、父上!?そ、それは…!」


 母上の前でかっこつけたかったのか、父上が盛大に狼狽えている。


(お父様、可愛い…!)


「お爺様、ただいま戻りました」


「うむ。長旅、ご苦労だった。エリアーナも、アルフレッドも。…パスティエールも、少し顔つきが変わったな」


 お爺様はそう言うと、武骨な手で私の頭を一度だけ、優しく撫でてくれた。


 私たちは、領主の執務室に通された。


 父が領主の席に着き、私たちは向かい合う。これは、家族の再会であると同時に、領主への公式な「視察任務完了報告」の場でもあった。


「では、エリアーナ、アルフレッド。報告を」


 父上の声が、親バカのそれから『領主』のものへと切り替わる。


 母上と先生が、この七十日間の旅の概要を、淡々と、しかし詳細に報告していく。


 港町サザンでの『海の浸食者』との遭遇と、豊漁と凪の精霊の顕現。


 領境の街ライムスでのクレストン子爵との腹の探り合い。

 宿場町リベルでのペトラとの出会い。


 北の要塞シルヴァでの兵士たちの疲弊と、カイルとの出会い。


 そしてケルドでの『響谷』の惨状と、『シジマ作戦』の全貌。


「――以上です。瘴気は浄化され、ゴーレムの脅威も沈黙。何より、死者ゼロという、奇跡的な勝利を収めることができました」


 先生がそう締めくくると、父上もお爺様も、そのあまりに壮絶な報告内容に、息を呑んでいた。


「…そうか。歌で、精霊を鎮めた、か…」


「そして、今回の旅で得た、新たな仲間をご紹介いたします」


 母上が、私ではなく、ペトラとカイルを前に促した。


「こちらはリベルで見出した、ペトラと申します。ハーフドワーフの技術者見習いですが…ケルドでの『超指向性歌声増幅砲』の設計・開発は、彼女の功績ですわ」


「ほう…!あのケルドのギルドマスターや職人たちを動かし、『増幅砲』そのものを、この小さな嬢ちゃんが…?」


 父上の驚嘆の視線が、ペトラに突き刺さる。ペトラは、貴族の作法など知らないとばかりに、気だるそうに頭をかいた。


「…ペトラです。よろしく」


(あ、ペトラ!挨拶!)


 私が慌てて袖を引くと、ペトラは「あ、そうだった」と思い出したように、ぎこちなくスカートの裾をつまんだ。 


(可愛い…)


「そして、こちらはカイル。シルヴァのバルガス隊長が預かっていた、筋の良い剣士見習いです」


「…カイルだ。よろしく」


 カイルも、不愛想に頭を下げる。


 父上は、そんな二人の無骨な挨拶を、むしろ気に入ったように豪快に笑った。


「はっは!よい!ペトラと言ったな、その技術、後でじっくり見せてもらおう!カイル、お前はバルガスところで育ったか!よかろう、後で訓練場でその腕、この俺が直々に見てやる!」


(うわぁ、お父様がやる気だ…カイル、ドンマイ…)


 父上とお爺様が、ペトラとカイルの処遇を決めている間、私は、張り詰めていた緊張の糸が切れるのを感じていた。


(着いた…やっと、帰ってきたんだ…)


 長旅の疲労と、何より無事に帰還できた安堵感で、急に目の前がクラクラしてきた。


「パスティエール?」


 私がふらついたのに気づいた母上が、すぐに私の額に手を当てる。


「…少し熱がありますわね。無理もありません。セリナ、パスティエールを部屋へ。今夜はゆっくり休ませなさい」


「はい、エリアーナ様!」


 私は、セリナに支えられるようにして、よろよろと謁見室を後にした。


(お父様たちに、ポルカのこと、まだ話せてないな…。まあ、いいか…。明日、ちゃんと話そう…)


 その夜、私は、自分のベッドに倒れ込むと、泥のように深い眠りに落ちていった。



 【幕間】


 パスティエールが自室で深い眠りに落ちていた、その頃。


 領主の執務室では、本当の報告会が始まっていた。


 重厚な扉が閉じられ、室内はランプの灯りだけが揺らめいている。集まっているのは、領主ライナス、その妻エリアーナ、先代領主ガレオス、そして魔術顧問のアルフレッド。四人のみである。


 そこには、先ほどまでの穏やかな再会の雰囲気は微塵もなかった。


「…では、アルフレッド。単刀直入に聞こう。パスティの身に、何が起こった?」


 ライナスの厳しい問いに、アルフレッドは重々しく口を開いた。


「はい。今回の旅で、我々は、魔導国の歴史にも記録のない、規格外の現象に二度…いえ、三度遭遇いたしました」


 アルフレッドは、まず、サザンでの出来事を時系列で報告した。


「一つ。先ほども簡単に説明しましたが、港町サザンにて、パスティエール様の『魔除けの歌』に領民の歌声が重なった時、サザンの伝承にのみ存在した《豊漁と凪の精霊》が顕現いたしました」


「ふむ、深淵の森の《泉の精霊》に続いて二度目だな…」ライナスが頷く。


「二つ。遺跡の街ケルドにて、パスティエール様の『鎮魂歌』により、瘴気の源であった『音』もしくはそれに近しい精霊が顕現。しかしながらその精霊は…瘴気に抗えず消滅いたしました」


「…三度目の精霊の顕現か…」


「そして、三つ目。これが最も重大なご報告となります」

 アルフレッドは、声を潜めた。


「その消滅した精霊の核とも言うべき存在が、パスティエール様に…取り憑きました。パスティエール様は、現在、『精霊憑き』の状態にあります」


 シン、と執務室が静まり返る。


「…精霊憑き…」

 ライナスが、絞り出すような声を上げた。


「そんなものは神話のお伽話でしか聞いたことがないぞ…!」


「左様。魔導国の歴史上、前例がございません」

アルフレッドも同意する。


「パスティエール様は、その精霊を『ポルカ』と名付け、意思の疎通すら行っておられます。シルヴァでのコンサートで、パスティ様の『声を届けたい』という願いにポルカ殿が応え、『共鳴』を起こしたのを、わたくしも確認いたしました」


「そして…」

今度はエリアーナが、静かに報告を引き継いだ。


「ケルドの工房でも厄介ごとが起きました。ペトラの着想と、パスティの歌による『水滴』を使い、ただの銀から『魔導銀』を生成することに成功したのです」


「魔導銀を、錬成しただと!?」

 今度こそ、ガレオスが驚愕に目を見開いた。


「工房のグレンが、その事実を完全に秘匿してくれたのが、不幸中の幸いでしたが…」


 ライナスは、頭を抱えるようにして呻いた。

「…精霊の三度の顕現、前例のない『精霊憑き』、そして『魔導銀錬成』…。パスティは、一体、何なのだ…」


「…エリアーナ」

ライナスが、苦虫を噛み潰したように妻を見た。


「君の予想通りかもしれん。パスティの歌の件は、すでに王都に伝わっているだろう。いや耳聡い他家の貴族もだろうな…」


 エリアーナが、険しい表情で頷く。


「ええ。わたくしの実家、カエルス公爵家をはじめとする中央の保守派貴族が、『歌』における魔術の発動を危険視し、魔導院を通じてパスティの身柄の調査を要求してきている、と…王都にいるわたくしの『目』から報告がありましたわ」


「カエルス公爵…!あの御仁が、孫娘の力を嗅ぎつけたとあらば、厄介なことになるぞ!」


ガレオスが忌々しげに呟く。


「問題は、それだけではございません」

 アルフレッドが、さらに重い報告を続けた。


「深淵の森の泉の汚染、サザンの結晶体の魔獣、ケルドの呪い、これらは全て、かつてこの星を襲ったという『浸食者』による、より大規模な『何か』の予兆である可能性が極めて高い」


「シルヴァのバルガスからも、森の異常行動の報告が、今朝も上がってきている」

ライナスが頷く。


「…アルフレッド、極秘裏にその関連性の調査を」


 精霊憑き、魔導銀、中央貴族の政争、そして浸食者…。

 次々と明らかになる脅威に、執務室は重い沈黙に包まれた。


 その沈黙を破ったのは、ガレオスだった。


「…ライナス、エリアーナ。もはや、この領都にパスティを匿っておける規模ではない」


「…ええ。あの子には、自らの力を制御する更なる魔術の知識と、その身を守る後ろ盾が必要ですわ」


 エリアーナが、夫の顔をまっすぐに見つめる。


 ライナスは、苦渋に顔を歪め、深く、深く息を吐き出した。そして、領主として、父親として、一つの決断を下した。


「…王都へ行く」


「!」


「カエルス公爵家が本格的に動く前に、こちらから魔導王陛下に直接報告する」


「あなた…!」


「魔導王陛下は、『浸食者』の脅威と、『精霊の顕現』という前例のない事象には、必ず関心を持たれるはずだ」


 ライナスの言葉に、アルフレッドが頷く。


「確かに。魔導王陛下は、保守派貴族とは違い、実利と研究を重んじられるお方。カエルス公爵家の『異端』という主張より、ゼノン辺境伯家の『浸食者対策』という主張を重視される可能性は高いですな」


「そうだ。魔導王陛下に謁見し、事の次第を包み隠さず報告する。カエルス公爵家や魔導院の調査要求を『王命』によって退け、パスティの庇護を取り付ける。それが、あの子を守る唯一の道だ」


「…分かりました。わたくしも参ります」

エリアーナが即座に言う。


「わたくしの実家のことでもありますから。カエルス公爵家への対応は、わたくしが」


「うむ。それがよかろう」ガレオスも頷く。


「そして、アルフレッド」

ライナスがアルフレッドを見る。


「お主もだ」


「はっ。わたくしは、今回の『精霊顕現』と『浸食者』の関連性について、魔導院への報告書をまとめねばなりませんからな」


「そして、パスティエールもだ」


「!」


「彼女は、全ての中心にいた証人だ。魔導王陛下に謁見させる。…大丈夫だ、エリアーナ。王都にはレオナルドとギルバートもいる」


「…承知いたしました」


 何も知らずに、自室のベッドで深い眠りに落ちているパスティエール。その胸元で、ポルカがかすかな光を明滅させている。


 執務室で交わされる、自らの運命を決める深刻な会話に呼応するかのように、その光は、不安げに揺れていた。

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