第59話 ある日の誓い
シルヴァでの慰問コンサートから数日が過ぎ、私たちが領都アイアン・フォルトへ帰還する朝がやってきた。
私たちが到着した日の、あの張り詰めた、鋼のような空気はどこにもない。
城門前には、早朝にもかかわらず、非番の兵士さんたちが大勢集まってくれていた。
「歌姫様、また来てくれよ!」
「ありがとう!あんたの歌のおかげで、ここ数日はぐっすり眠れたぜ!」
「本当だ!なんだか力が湧いてきて、昨日の魔獣討伐はいつもより楽だった!」
「俺なんか、おかげで妻に手紙を書く気力が湧いてきたぜ!」
「それはこまめに書いてあげて!」
わあっ、と沸き立つ兵士さんたち。私の『瞳』には、彼らの旋律が、コンサート前とは比べ物にならないほど温かく、力強い輝きを放っているのが視えた。
(よかった……みんなに、届いて……)
バルガス隊長も、いつもの厳つい顔はそのままに、どこかスッキリとした表情で母上と最後の挨拶を交わしている。
「では、バルガス隊長。シルヴァの守り、引き続きお願いしますわ」
「はっ!エリアーナ様も、道中ご安全に。……パスティエール様、兵たちの無礼、重ねてお詫びいたします。そして…感謝を」
「いえ!とんでもないです!」
私が慌てて首を振ると、バルガス隊長は少しだけ口元を緩めた。
私と母上、そしてセリナは馬車に乗り込み、先生や護衛兵さんたちも騎乗やそれぞれの馬車の準備を終える。
「出発!」
御者台からの号令で、いよいよ馬車が動き出そうとした、その時だった。
「待て!」
甲高い、けれど必死な声が響き渡った。
兵士さんたちの輪を突き破って、訓練用の木剣だけを背負ったカイルが、私たちの馬車の真正面に立ちはだかった。
「おい、カイル!何をしている!無礼であろうが!」
バルガス隊長が怒鳴るが、カイルは私たちを、まっすぐに睨みつけて叫んだ。
「…俺も連れて行け!」
「「「!?」」」
その場にいた全員が、息を呑んだ。
「こら、カイル!貴様、何を馬鹿なことを!」
バルガス隊長の怒声にも怯まず、カイルはこちらを睨みつけたままだ。
私は、そっと馬車の窓を開けた。
「カイル…?どうしたの…?」
私の声に、カイルは一瞬びくりと肩を震わせ、それから顔を真っ赤にして、私に向かって叫んだ。
「…っ!うるさい!」
「ええ!?」
(反抗期!?)
理不尽な物言いに驚いていると、カイルは一気にまくし立てた。
「…チビ、お前の歌はすごかった!あの光も風も…全部、すごかった!」
(チビだと!チビだけど!ぐぬぬ)
「でも!」
彼は、私を指差す。
「お前…歌うことしかできねえだろ!」
(うっ…!ま、まあ、戦闘力はミソッカスだけど…)
「あんな訓練場で、あんな無防備に突っ立って…!あんたは自分がどれだけ危なっかしいか分かってない!」
「あ、危なっかしい…?」
カイルは、ぎゅっと拳を握りしめた。
「俺は、強くなりたい!あんたみたいな『すげぇ力』を持ってる奴が、くだらねえ魔獣なんかにやられねえように…!俺が、あんたの剣になってやる!だから、領都に連れて行け!」
その真っ直ぐな、不器用すぎる懇願。
シン…と静まり返った城門前で、馬車の中から、母上の静かな声が響いた。
「…バルガス」
「はっ!も、申し訳ありません、エリアーナ様!この馬鹿は、魔獣に家族を殺されて以来、強くなることしか頭にない奴でして…!領主家のお嬢様に向かって『剣になる』などと…!どうかご無礼を…!」
バルガス隊長が必死に頭を下げる。
しかし、母上はカイルから視線を外さずに、そのとりなしを遮った。
「…バルガス。良い目をしていますわ、その子」
「え…?」
「気に入りました」
母上は、カイルに向き直る。
「カイル、と言いましたね。あなたをゼノン家の兵士として正式に雇うかは、領都での採用試験に合格してからです。辺境伯家の兵士の任は、あなたが思うほど軽いものではありませんわ」
「…っ!」
「ですが、その覚悟が本物か、領都までの道中、見極めさせてもらいましょう。見習い兵士として、護衛の兵士たちと共に馬車に乗ることを許可します」
「…!」
カイルの表情が、一瞬だけ、驚きと喜びに輝いた。けれど、彼はすぐにそれを隠すように、ふいっと顔をそむけた。
「…ふん、当たり前だ。絶対合格してやる」
(うわぁ…)
私は、その一連の流れを、窓からこっそり覗きながら、内心、とんでもないことになっていた。
(褐色!黒髪!ぶっきらぼうなタメ口!しかも『あんたを守る剣になってやる』ですって!?ツンデレショタっ子とか、属性盛りすぎでしょ…)
私の『瞳』が、ポルカの光もかくやというほどに、激しく明滅していた。
(これは…『推せる』!推し決定だわ!絶対に立派な騎士に育て上げてみせる…!まずはあのボロボロの服を新調して、髪も少し整えて…あ、でもあの無造作な感じも捨てがたい…!)
「パスティエール様…?なぜそんなにニヤニヤしてらっしゃるのですか…?」
「なんでもないわよ、セリナ!」
こうして、私たちのキャラバンには、予期せぬ新しい仲間が一人加わることになった。カイルは、バルガス隊長に思い切り頭を殴られた後、シルヴァの兵士たちに「出世しろよ!」「姫様を守れよ!」と野太い声で冷やかされながら、護衛兵さんたちの馬車にぎこちなく乗り込んだ。
領都アイアン・フォルトへの帰路は、数日を要する。
シルヴァの街を出てからも、深淵の森は街道のすぐそばまで迫っており、油断はできない。野営地での訓練は、これまで以上に真剣なものになっていた。
カイルも、今日から「見習い兵士」として、早速護衛兵さんたちの訓練に加わっていた。
「カイル!振りが遅いぞ!」
「はいっ!」
シルヴァで鍛えられただけあって、体力や剣の筋は、同年代の私たちとは比べ物にならない。
動きはまだ荒削りだけれど、その食らいついていく根性は、護衛兵さんたちも「ほう、見所があるな」と評価しているようだった。 先生も、彼の動きを見て頷いている。
「ふむ。体力、瞬発力、動体視力…いずれも一級品ですな。良い拾い物をしました、エリアーナ様」
「ええ。磨けば光るでしょうね」
母上も、どこか満足そうだ。
訓練の合間、私がセリナから水筒を受け取っていると、汗だくのカイルがこちらにやってきた。
「おい、あんた」
「私ですか?…私はパスティエール様の専属侍女のセリナと申します。あんた、じゃありません」
セリナが、カイルの無礼な視線を受けて立つように、私の前に出た。
カイルは、そんなセリナを品定めするように見つめると、鼻で笑った。
「侍女?兵士の皆がお前が強いと言っていたぞ。俺と勝負しろ!」
「なぜわたしが、あなたのような子供と…」
「怖いのか?お姫様付きの侍女なんて、どうせ見掛け倒しなんだろ」
カイルの挑発的な言葉。彼はきっと、あのコンサートで私の力を目の当たりにして、私の「一番近く」にいるセリナの実力も確かめておきたいのだろう。
そして、自分の方が強いと証明して、私に認められたいのだ。
(…このツンデレヤンチャ坊主!)
「あなたねえ…!」
セリナが言い返そうとする。
「セリナ」
静かな声で制したのは、母上だった。
「パスティエールの侍女兼護衛として、その実力を疑われていては円滑なコミュニケーションも取れないでしょう。セリナ、おやりなさい」
「えっ、エリアーナ様!?」
「大丈夫。あなたは、あの子が思うほど弱くはありませんわ。…アルフレッド、審判をお願いします」
「かしこまりました。二人とも、木剣を持ちなさい。魔術の使用は基礎魔術のみとします」
こうして、野営地の広場で、急遽「セリナvsカイル」の模擬試合が始まることになった。
カイルは木剣を構え、荒々しいが鋭い闘気を放っている。
「お姫様付きの侍女の魔術師なんかに、俺が負けるかよ!」
対するセリナは、侍女服のまま、おずおずと木剣を構えている。
「…はじめ!」
先生の合図と同時に、カイルが地を蹴った!
「魔術師なんて近づけばなんもできねーだろっ!!」
速い!まるで獣のような踏み込みで、セリナの懐に飛び込んでくる。
セリナは落ち着いて木剣でそれを受け止めるが、カイルの重い一撃に体勢を崩しかける。
「どうした!それだけか!」
カイルは休むことなく、左右から激しい連撃を繰り出す。セリナは防戦一方。体力や剣術だけなら、明らかにカイルが上だ。
(セリナ、頑張って…!)
私がハラハラしながら見守っていると、カイルが「終わりだ!」と叫び、これまでで一番の大振りの一撃を繰り出した。
(あ…!)
セリナは、その一撃を後ろに飛んでギリギリでかわす。
「逃がすかよ!」
追撃しようと、カイルがセリナの着地点に踏み込んだ、その瞬間だった。
「――ここ!」
セリナの目が、カッと見開かれた。
カキン!
カイルが踏み込んだ足元に、音もなく半透明の『魔力障壁』が出現!
「なっ!?」
予期せぬ障害物に躓き、カイルの体勢が大きく崩れる。 その一瞬の隙を、セリナは見逃さなかった。
「はあっ!」
セリナの体が淡い光に包まれる――『身体強化』!彼女は、体勢を崩したカイルの軸足に、流れるような動作で足払いを叩き込んだ!
「うわっ!?」
完全にバランスを失ったカイルが、派手に地面に転がる。
そして、カイルが顔を上げた時には、セリナが突き出した木剣の先端が、彼の喉元にピタリと止められていた。
「……」
「……」
時が、止まった。
カイルは、何が起こったのか分からない、という顔で、自分を見下ろすセリナを呆然と見上げている。
「わたしの勝ちですね」
セリナは、木剣を引くと、スカートの埃を払いながら、勝ち誇ったように胸を張った。
(セリナ、かっこいいー!完全に主人公!しかも全然本気出してないね、あれ)
「そこまで!」
先生が試合終了を告げる。 カイルは、まだ呆然としたまま、悔しそうに立ち上がった。
「…魔術…」
「ええ。あなたも基礎魔術くらいは学んだ方がよろしいのではなくて?」
(いつ見てもセリナのドヤ顔は、愛おしくてたまらない)
「さすがセリナ、しかも本気じゃなかったよね」
見ていたペトラが苦笑いで呟いた。
模擬試合の後、魔術訓練の時間が始まった。
カイルも、渋々といった様子で基礎魔術の訓練に参加する。先生が彼に『魔力弾』を試させたが、その結果は…まあ、私と同じくらい、ひどいものだった。
「ふむ…」
先生がカイルの様子を見て、厳しい顔で告げた。
「カイル君。どうやら君は、魔力の絶対量そのものが非常に少なく、また、それを体外で精密に操作する適性も、残念ながらほとんど感じられません」
「…ちっ…わかってるよ!」
カイルが悔しそうに唇を噛む。
「しかし」と先生は続けた。
「君はまだ10歳。魔力総量は、これからの鍛錬と成長によって伸びる可能性も秘めています。そして何より、君の身体能力に、たとえ最小限であっても基礎魔術の《身体強化》が加われば、その力は数倍にも跳ね上がる。先ほどのセリナ殿との試合で、嫌というほど実感したはずです」
カイルは、セリナに完敗した光景を思い出し、木剣を握りしめた。
「…当たり前だ!すぐにマスターしてやる!」
先生は「その意気です」と頷き、カイルに《身体強化》の基礎の基礎から徹底的に教え込み始めた。カイルは、魔術への苦手意識と闘いながらも、必死にその感覚を掴もうと集中していた。
その横で、私は私で、相変わらず基礎魔術の訓練を続けていた。
(まあ、私には泉の精霊さんの加護もあるし。ってそういえば、豊漁の加護はいまのところ使いどころがないな。ペトラとカイルが釣れたといえば釣れたけど…まさかね)
「そういえば先生、ケルドの響谷にいたのは、音の精霊だったのでしょうか?呪いの内容も音に関するものばかりでしたし、こないだのポルカの共鳴も私の声を増幅してくれている様でした」
「ふむ、おそらくは。起きている事象から考えるに、音もしくはそれに関係する精霊であったのでしょう。ポルカ殿も、音の精霊の系譜なのかもしれませんな。もし音の精霊魔術が確立できたなら…」
先生とそんな専門的な話をしていると、隣でペトラがブツブツと呟きながら、ケルドで手に入れた響木の欠片に指を当てていた。
「こうして魔力を込めると、響きが良くなる気がする…。この鉱石と組み合わせたら、どうなる…?」
あ、ペトラが完全に技術者モードに入ってる。
そして、セリナ。 先生は、カイルに圧勝した彼女を呼び寄せた。
「セリナ殿は、基礎魔術も水の『三節』も安定してきました。カイル君との試合も見事。そろそろ次の段階に進みましょう」
「はいっ!」
「雷は扱いが難しいですが、今のセリナ殿の制御力なら、二節詠唱の《弱雷》なら使いこなせましょう…」
先生が教え始めたのは、雷の精霊魔術の、《弱雷》だった!先生がお手本の詠唱を行う。
『――雷の精霊よ、応えよ《オィアト》!我が指に・小さき火花を宿せ!――《弱雷!》』
すると先生の指先から、小さな電気がバチっと放たれる。
セリナは、「頑張ります!」と目を輝かせ、必死にその新しい詠唱を練習し始めた。
(あ、セリナに先越された!私も雷使ってみたいのにー!絶対かっこいいやつ!)
私は、セリナを羨ましそうに見つめながら、口を尖らせるしかなかった。
旅は続き、この視察旅行が始まってから七十日が経った。
長い、長い旅だった。港町サザンでの海の魔獣との戦い、領境の街ライムスでの初めての他の貴族との出会い、宿場町リベルでの路上ライブ、遺跡の街ケルドでの死闘、北の要塞シルヴァでのコンサート…。
そして何よりも、私たちのキャラバンには、技術オタクのハーフドワーフであるペトラと、褐色黒髪ツンデレ見習い剣士のカイルが加わった。そして、私の胸には、小さな精霊、ポルカが宿っている。
あの領都を出発した時とは、何もかもが変わっている。
そんなことを考えていると、丘を越えた馬車の窓から、懐かしい景色が飛び込んできた。
巨大な城壁、聳え立つ『鉄の砦』。 私たちの故郷、領都アイアン・フォルトだ。
「…着いた」
安堵と、少しの緊張が胸に広がる。
(この旅では…あまりにも多くのことがあった。領都に帰ったら、お父様やお爺様に何から話そうかな…)
領都の巨大な城門が、私たちの帰還を歓迎するように、ゆっくりと開かれていく。
「ただいま」
私は、胸元のポルカに語りかけるように、小さく、そう呟いた。




