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第57話 深淵の砦、シルヴァ

 ケルドの街を出発してから、早くも五日が過ぎようとしていた。


 西へと続く街道を進み、車窓から見える景色は日に日に緑の色を濃くしていく。


 ケルド周辺で見られたような、ごつごつとした岩肌の丘陵地帯は徐々に姿を消し、代わりに街道の間近まで、鬱蒼(うっそう)とした木々が迫ってくるようになった。


 深淵の森。


 その名の通り、どこまでも深く、古の神秘と、そして計り知れない脅威を内包すると言われる広大な森が、いよいよ私たちの行く手にその姿を現し始めたのだ。


 馬車の中は、心地よい揺れと共に、旅の疲れを癒す静かな時間が流れていた。 私は窓の外を流れる景色から目を離し、そっと胸元に手を当てた。


 ドレスの布地越しに伝わる、小さな、確かな温もり。ケルドの響谷で私の元へ来てくれた、新しい仲間。


 そっと掌で触れると、トクン、トクン……と、私の心臓の鼓動と共鳴するかのような、微かな振動が伝わってくる。


(この子、名前、なんて呼ぼうかな……?)


 ケルドで最期に聞いた、あの澄み切った旋律……『メロディ』?ううん、もっとこの子は……小さくて、ぴょこぴょこしていて、楽しげな感じがする。


 音符……『ノート』?光……『ルクス』?星……『ステラ』? 色々な名前を心の中で呼んでみるけれど、どれもしっくりこない。


 この子の光は、なんだか弾むように明るくて、聞いているだけで楽しくなるような……そう、まるで前世で好きだった軽快な舞曲みたい。


(……ポルカ……)


 心の中でそう呼んでみた瞬間、胸元の光が、今までで一番嬉しそうに、キラキラと強く輝いた!


 チリチリ……と、小さな鈴が鳴るような、可愛らしい音が聞こえた気さえした。


「ポルカ……うん、可愛い!この弾むような光にぴったりだわ。今日からあなたはポルカね!」


 私が小さな声でそう語りかけると、ポルカはまるで「うん!」と返事をするかのように、私の胸元でくるくると楽しげに光の輪を描いた。


 新しい名前、気に入ってくれたみたい。


 ふと、ケルドで消えていった精霊さんのことを思い出す。彼が最後に願ったように、この小さな命を、私が大切にしなくちゃ。


「ふふ、これからよろしくねポルカ」


 ポルカとの対話に夢中になっていると、ふいに後ろから髪を()かれる感触がした。


「パスティエール様、少し髪が乱れておりますわ。整えさせていただきますね」


 振り返ると、いつの間にか私のすぐ後ろに座っていたセリナが、嬉々として携帯用の櫛で私の髪を梳かし始めていた。


「もう、セリナったら。少しくらい大丈夫よ」


「いいえ、いけません!辺境伯家のご令嬢たるもの、いついかなる時も、身だしなみは完璧でなくては!」


 セリナは妙に力を込めて言うと、今度は私の髪で三つ編みを作り始めた。かと思えば、それを解いて今度は違う編み込みを試したりしている。


 ……完全に、私の髪をおもちゃにして遊んでいる。


 でも、彼女の指先から伝わる、不器用だけど優しい手つきは心地よくて、私はされるがままになっていた。



 日が傾き、野営の準備が始まると、私はようやく馬車から降りることができた。


 冷たい風が火照った体に心地よい。少し離れた場所では、日課となっているアルフレッド先生の魔術訓練が始まっていた。


「さて、パスティエール様。まずは基礎魔術の復習です。『放出』で、できるだけ長く、『魔力弾(バレット)』の形を維持してみてください」


 先生に促され、私は両手の中に意識を集中させる。


 以前はすぐに揺らいで消えてしまっていた光の球が、今日はいつもより少しだけ長く、そして安定して形を保てているような気がした。胸元のポルカが、私の魔力に呼応するように、微かに光っている。


(もしかして、ポルカが手伝ってくれているのかな……?)


「ふむ、良いでしょう。少しずつですが、確実に進歩していますな」


 先生は穏やかに頷いた。


 一方、隣ではセリナが鬼気迫る表情で訓練に励んでいた。


「はぁっ!」


 セリナは『水の矢』を放つと同時に、自身も『身体強化(ブースト)』で走り出す。


 『水の矢』が的に命中した直後、魔力付与した短剣で追撃。さらに『魔力障壁(シールド)』を足場にして後方へ跳び退き、空中で『魔力弾(バレット)』の連射を叩き込んだ。


「……え、凄すぎなんだけど」


「……え、本当に侍女?」


 私とペトラがポカンと口を開ける中、セリナは「フフフ、もうゴーレムなんかに後れは取りませんよ!」とドヤ顔を決めている。愛おしいけれど、方向性が少し心配だ。


「セリナ殿はそろそろ次の段階かのう」


「先生、私、雷の精霊魔術教わりたいです!」


「あ、ズルい!私も雷使ってみたいのに!」


「ホホホ」


 先生は笑って誤魔化したが、セリナの才能は本物かもしれない。


 一方で、ペトラも先生から新しい課題を与えられていた。


「ペトラ君。今日は『魔力付与(エンチャント)』の基礎を練習しましょう。この木片に、君の魔力を込めてみなさい」


「えー、地味……」


「この技術を応用すれば、道具の強度を一時的に上げたり、武器に魔力を付与したりすることも可能になりますぞ」


「……へえ、武器とか鎧とかも?なるほど、面白いかも!」


 技術者魂に火がついたペトラは、ブツブツと呟きながら木片に集中し始めた。彼女なら、『付与』と『技術』を組み合わせて、とんでもない発明をしそうだ。



 訓練のあと、私は一人、焚き火のそばで温かいミルクを飲んでいた。 ふと、少し離れた場所で、母上と先生が小声で話しているのが聞こえた。


「……やはり、王家には正直に報告すべきでしょう。『精霊憑き』の件は」


「ええ。隠し通せることではありません。問題は中央の貴族たちの反応ですが……。あの子の力が、政争の道具にされることだけは避けねばなりませんわね」


(精霊憑き……やっぱり、ポルカのことかな……?)


 母上たちの深刻そうな表情に、胸に小さな不安がよぎる。 でも、今は私が心配しても仕方ない。私にできるのは、ポルカと共に強くなることだけだ。


 領都アイアン・フォルトを出発してから、五十九日目。 私たちはついに目的地のシルヴァに到着した。


 馬車の窓から見えたその街は、私の想像を遥かに超える威容を誇っていた。


 ケルドが古代遺跡を利用した街なら、シルヴァは実用性だけを追求した「要塞」だ。


 天に届くほど高い石造りの城壁。その上には物々しい見張り台や大型弩(バリスタ)が並ぶ。街全体が、背後に広がる深淵の森に対する巨大な盾として機能していることが一目でわかった。


 城門では、街の守備隊長であるバルガスという男性が出迎えてくれた。


 顔に無数の古傷を持つ、歴戦の古強者だ。


「ほう、こちらがエリアーナ様のご息女、パスティエール様でございますか。お噂は聞いております……」


 値踏みするような鋭い視線。そこには好奇心と、ほんの少しの心配の色が見えた。


「パスティエール・ゼノンと申します。よろしくお願いいたします」


 私は背筋を伸ばし、精一杯の礼を尽くした。


 その後、私はペトラと共に街の訓練場を見学させてもらうことになった。


 そこには、今まで見たこともないほどの緊張感があった。 分厚い盾を構えた重装兵、隙間から突き出される槍、後方からの正確な弓と魔術の支援。


 常に死と隣り合わせの「最前線」の空気が、そこにはあった。


「すごい……」


 その迫力に圧倒されていると、休憩中の兵士たちの輪の中に、一人の小柄な少年がいるのが目に留まった。


 私より少し上、十歳くらいだろうか。日に焼けた褐色の肌に、鋭い眼差し。


 彼は黙々と木剣を振るっていたが、私たちに気づくと、ぶっきらぼうに近づいてきた。


「……あんたが、辺境伯のお姫様?別に普通じゃん。歌で魔獣が退くとか、ほんとなのかよ」


 いきなりのタメ口と、疑うような物言い。


 でも、彼の瞳の奥にある旋律は、ただの反抗心ではなく、何かを守りたいという真剣な熱を帯びていた。


「本当です。……でも、私の力だけじゃありません。皆の力が合わさったからです」


「ふーん」

 少年は鼻を鳴らした。 すると、横にいたペトラが口を開いた。


「ねえ、あんたのその剣、バランス悪くない?重心を手元に寄せて、握りを削った方がいいよ」


「あ?なんだよお前……」


「手が小さいんだから、道具を合わせなきゃ。貸してみな、直してやるから」


 ペトラは半ば強引に木剣を取り上げると、懐からノミを取り出して削り始めた。


「お、おい……!」


 少年は文句を言いながらも、その鮮やかな手並みに見入っている。


 ……なんだか、この二人、意外と気が合うのかもしれない。 少年の名はカイルと言うらしい。


 夕刻。私は一人、シルヴァの高い城壁の上に立っていた。 眼下には、厳しい訓練を終え、それぞれの持ち場へと戻っていく兵士さんたちの姿。


 そしてその向こうには、どこまでも続く深淵の森が、夕闇に沈もうとしていた。


 胸元で、ポルカが微かに光を揺らした。 私もまた、森の深淵を見つめる。 この最前線の街で、私にできることは何だろう。


(私も、頑張ろ……)


 この領内で何が起きていて、私に何ができるのか。


 シルヴァでの日々は、きっと私にとって大きな試練と成長の機会になる。


 そんな予感を抱きながら、私は沈みゆく夕日を見つめていた。

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