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第53話 極限のカウントダウン

 残り時間、あと八分。


 先生の悲痛な叫びが、広場に木霊した。


 私のすぐ目の前には、大地を揺るがす三体の大型ゴーレムが迫っていた。皆の必死の抵抗でかろうじて足止めされているものの、その戦線は今にも崩壊しそうなほどに脆く、絶望的だった。


『――我が指先に集い(アガウランス)敵を穿て(イロマエタトエラ)!――《炎の槍(フレイム・ランス)》』


 母上の詠唱が完了するや否や、まっすぐに伸ばした指先から、業火を纏った巨大な炎の槍が生成された。


 それは真紅の軌跡を描き、最も手前にいた大型ゴーレムの巨体に、吸い込まれるように突き刺さる。


 ドォォン!!


 爆音と共に、炎の槍はゴーレムの硬い装甲を焼き焦がし、その表面に大きな亀裂を入れる。


 内部の構造が露出し、赤熱した光が漏れ出した。


 ゴーレムは、まるで苦悶の咆哮を上げるかのように、不気味な重低音を響かせながら大きくよろめいた。


「今だ!関節に集中攻撃!」


 先生の指示が飛ぶ。


 ギルドの魔術師たちが、一斉に水の矢や岩石の弾丸を放つ。


 ヒュン!ヒュン!と風を切る音を立てて飛来する魔術の礫が、母上の一撃で動きが鈍ったゴーレムの膝や肘に集中して叩きつけられる。


 金属と岩石が擦れ合う嫌な音が響き、巨体がさらに大きく揺らいだ。


 セリナもまた、小さな体で懸命に『水の矢(ウォーター・アロー)』を放ち続けていた。


 彼女の放つ魔法は威力こそ他の魔術師に劣るが、その正確さは侮れない。ゴーレムの装甲の継ぎ目を縫うようにして、確実に弱点へと吸い込まれていく。


 しかし――大型ゴーレムは、その名の通り『大型』だった。


 一体を足止めしたところで、残る二体が容赦なく私たちの陣形へと迫ってくる。


 ガァン!


 轟音と共に、別のゴーレムが護衛兵たちの盾に巨大な拳を叩きつけた。


 堅固な盾と『魔力障壁(シールド)』でどうにか受け止めるものの、その衝撃は凄まじく、数名の兵士が血を吐いて後方に弾き飛ばされた。


「くそっ……!硬すぎる……!」


 護衛隊長が、苦々しい声を上げた。彼の腕からも、血が滲んでいる。


 私は、護衛兵たちの円陣の中央、『増幅砲』の基部の傍らで、ただこの激戦を目の当たりにすることしかできなかった。


(皆が……皆が、こんなにも必死に戦ってくれているのに……!)


 目の前で仲間たちが傷つき、倒れていく光景に、心が引き裂かれるようだ。無力感が、鉛のように私の体を重くする。


 峡谷の奥からは、第一部隊と第三部隊の悲鳴のような戦闘音が、途切れることなく響いてくる。そして、ゴーレムの駆動音も、以前よりはるかに近く、大きく感じられた。


 その間にも、時間は無情に過ぎていく。


 先生の持つ懐中時計に、私の視線は釘付けになった。針が、まるで私の心臓を締め付けるかのように、ゆっくりと、しかし確実に動いていく。


「残り……五分!」


 先生の絞り出すような声が、広場に響いた。


 五分……!


 峡谷内部の第二部隊は、あと五分で、あの巨大な砲を完成させられるというのだろうか?


 そして、この目の前の三体の怪物を、私たちはあと五分も抑え続けられるのか?


 ズズズッ……!


 ゴーレムの一体が、地面に張り巡らされた蔓の鎖を力ずくで引きちぎり、泥沼と化した地面から半身を乗り出した。その眼窩の赤い光が、まるで私を直接見据えているかのようにギロリと光る。


「来るぞ!構えろ!」


 護衛隊長の叫び。


 セリナが、とっさに私の前に身を投げ出すようにして立ち塞がった。私の盾になろうとする彼女の背中からは、悲壮なほどの覚悟が感じられた。


「パスティエール様……!私が、きっと……!」


 震える声でそう呟くセリナに、私は何も答えることができなかった。


 母上は、休むことなく次の魔術の詠唱に入っていた。


『――侵入せし者(ウニフオノ)すべてを拒絶せよ(エテバダンタ)!――《炎壁(フレイム・ウォール)!》』


 彼女が掌を広げると、燃え盛る炎の壁がゴーレムの前に立ち塞がる。


 ゴーレムは炎に阻まれ、一瞬動きを止めた。しかし、それはあくまで一時しのぎに過ぎない。炎は表面を焦がすものの、その堅牢な装甲を貫くには至らない。


「残り……三分!」


 先生の声が、もはや悲鳴のように響いた。 三分……!絶望的な数字だった。


 その時だった。


 広場に響く激しい戦闘音と呪いの余波の中、峡谷の入り口を覆う瘴気の中から、再び人影が飛び出してきた。


 ボロボロの革鎧を纏った若い冒険者さんが、肩で息をしながら、文字通り転がり込むようにして現れたのだ!


 顔は血と泥で汚れ、片腕はだらりと垂れ下がっている。彼は満身創痍の体で、護衛兵たちとゴーレムの激戦の隙間を縫うように、指揮を執る先生と母上の元へと必死に這い寄る。


「ほう……報告……!第二部隊……最終……接続……開始……!」


 彼は咳き込みながらも、必死に声を振り絞った。その言葉は、まるで枯れた木から絞り出されるような、か細い声だった。


 最終接続開始……!


 私の胸に、一瞬、希望の光が差し込んだ。あと少し……!あと少しで完成する!


 しかし、彼の口から続いた言葉は、その光を容赦なく打ち砕いた。


「し、しかし……!ゴーレムがさらに……すぐ……そこまで……!第三部隊……限界……!も、持ちません……!」


 その言葉は、私たちを絶望の淵へと突き落とすには十分すぎた。


 新たなゴーレムが、もう目の前に迫っている。第三部隊はもう限界。彼らは文字通り、時間を稼ぐためにその命を燃やし尽くしているのだ。


 セリナが息を呑む音が聞こえた。彼女の体は、先ほどよりもさらに大きく震えている。


 母上が唇を噛みしめるのが見えた。その瞳には、一瞬、深い苦悩の色が浮かんだ。 間に合わない……!?


「残り、一分!!」


 先生の絶叫が、広場に響き渡った。


 一分。 この一分間で、全てが決まる。


 『増幅砲』が完成するか、ゴーレムが私たちを蹂躙するか。


 峡谷の奥からは、もはや戦闘音というより、巨大な何かがぶつかり合い、破壊し合うような、凄まじい物音だけが絶え間なく響いてくる。


 呪いの余波である甲高い高周波音や、腹に響く重低音も最大級に達し、立っているだけでめまいがしそうだった。


 その、地獄のような轟音のさ中。


 突如として、ひときわ大きな、何かが叩き潰されるような金属音と、岩盤が砕け散るような轟音が峡谷内部から響き渡った!


 ガッシャァァァァン!!!


 それは、大型ゴーレムによる決定的な一撃か!?


 それとも、第二部隊を護るための、味方の最後の抵抗が……!?


 広場にいる誰もが、息を止めて峡谷の闇を見つめた。護衛兵たちは盾を構え、来るべき衝撃に備えていた。魔術師たちは詠唱を中断し、固唾を飲んで見守っている。


 その張り詰めた静寂を破って、甲高い飛翔音が聞こえた。


 ヒュゥゥゥ……パンッ!!


 夜明け前の薄紫色の空に、一条の赤い閃光が打ち上げられた。

 それは、事前に決められていた、第二部隊からの『増幅砲、設置完了』を知らせる、合図の閃光弾だった!


(光った……!赤い光……!まさか……!?)


 私の心臓が、大きく跳ねた。胸に、温かいものが込み上げてくる。


「先生!今のは!?」


 母上が鋭く叫ぶ。その声には、信じられないものを見たかのような、驚きと希望が混じっていた。


 先生は、懐から取り出した小さな遠眼鏡で峡谷内部の設置地点を素早く確認すると、震える声で叫び返した!


「間違いありません!赤の閃光弾!『超指向性歌声増幅砲』、設置完了の合図です!やりました、エリアーナ様!」


「やった……!間に合ったんだ……!」


 私の目から、安堵の涙が止めどなく溢れそうになる。セリナも声を詰まらせている。護衛兵たちや魔術師たちからも、安堵の、そして歓喜の雄叫びが上がった。


 ペトラ!みんな……!


 彼らは、あの地獄のような状況の中で、本当にやり遂げてくれた。


 だが、その歓喜も束の間だった。


 先生の次の言葉が、私たちを再び奈落の底へと突き落とした。 彼は、増幅砲完了の報せとほぼ同時に、懐中時計を高く掲げ、血を吐くように叫んだのだ!


「時間です!三十分経過!全隊員への『水のヴェール』、効果消滅!!」


 三十分……。


 奇跡的に、『増幅砲』は完成した。


 けれど、それは同時に、峡谷内部で戦う全ての仲間たち……第一部隊、第二部隊、第三部隊、全員を守っていた「泉の精霊の加護」が消え去ったことを意味していた。


 今、この瞬間、彼らはあの狂った呪いのど真ん中で、ゴーレムと対峙しながら、完全に無防備な状態に晒されているのだ……!


 広場を支配していた歓喜の声は、瞬く間に凍りつき、深い絶望の静寂へと変わった。


 ゴーレムの駆動音と呪いの余波が、以前よりもはっきりと、そして直接的に、私たちの肌を刺すように感じられた。峡谷内部の仲間たちの安否を思うと、私の心臓は張り裂けそうになった。


 母上が私の肩を掴み、血を吐くような、しかし、どこまでも強い声で、私に命じた。


 その眼差しは、私を信じ、私に全てを託す、深い愛情と覚悟に満ちていた。


「パスティエール!今よ!あなたの歌を!!」


 そうだ。今は、涙を流している場合じゃない。


 仲間たちが繋いでくれた、この奇跡の瞬間を、私が無駄にするわけにはいかない!


 私の歌が、彼らを呪いから護り、この地を浄化する唯一の希望なのだ。


 私は、溢れる涙を乱暴に袖で拭うと、母上の目をまっすぐに見つめ返し、強く、強く、頷いた。 その瞳には、もう迷いはなかった。


「はいっ!」


 私は母上の手を振り払い、完成したばかりの『超指向性歌声増幅砲』……その巨大な基部へと、全力で駆け寄った。


 喉の奥が震え、全身の魔力が、私の意志に呼応するように熱く反応する。


 目に映るのは、今なお続く戦場。耳に響くのは、ゴーレムの駆動音と、仲間の雄叫び。


 そして、私の心の中には、ただ一つの旋律。


 私は、祈りの歌を、今、この場所で、全身全霊を込めて歌い始めた。


『――清らかなる光よ、今こそ(そら)より降り注ぎ…――』

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