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第51話 暁の出撃

 東の空が、ほんのりと白み始めた頃。


 作戦決行の朝は、凍えるような静寂と共に訪れた。


 ケルドの中央広場には、昨夜の熱狂が嘘のように、重く、張り詰めた空気が満ちていた。まだ闇に包まれた街の中で、この広場だけが、無数の松明(たいまつ)の灯りに赤々と照らし出されている。


 昨夜、ギルドマスターは言った。


「覚悟のある者だけ、集まってください」と。


 私は、壇上から広場を見渡した。そこに集まっていたのは、昨日と同じ顔ぶれだった。脱落者は、ほとんどいない。


 いや、むしろ、昨夜はいなかったはずの、若い見習いのような冒険者さんの姿までちらほらと見える。彼らは皆、ほとんど言葉を発さず、ただ黙々と、しかし確かな決意を瞳に宿して、最後の準備を進めていた。


 広場の中央には、昨日運び込まれた『超指向性歌声増幅砲』の巨大なパーツが、解体された状態で静かに横たわっている。まるで恐竜の骨格のようだ。


 その傍らでは、ペトラが小さな体をいっぱいに使って、グレンさんたち工房の職人さんと一緒に、パーツの一つ一つに異常がないか、入念な最終確認を行っていた。


 彼女の顔には、徹夜続きの疲労の色が濃く浮かんでいたけれど、その瞳は、技術指揮官としての責任感と誇りに満ちて、爛々と輝いていた。


 冒険者さんたちは、各部隊ごとに輪になり、装備の点検を繰り返している。特に念入りに行われているのが、『耳栓兜』の装着確認だった。


 グレンさんたち工房の職人さんが、一人ひとりの兜の緩衝材の具合や、顎紐の締まり具合を、まるで我が子の身支度を整えるかのように、丁寧に見て回っている。


「いいか、少しでも緩みがあったら、効果が半減するぞ!」


「しっかり奥まで被れ!隙間を作るんじゃねえぞ!」


 グレンさんの厳しい声が飛ぶ。それは、ただの道具ではない。彼らがこの七日間、魂を込めて作り上げた、仲間たちの命を守るための盾なのだ。


 壇上では、母上、先生、そしてギルドマスターが、最後の打ち合わせを行っていた。広げられた地図を指さしながら、低い声で何かを確認し合っている。その表情は、夜明け前の静けさとは裏腹に、嵐の前の海のようだった。


 私も、セリナに手伝ってもらいながら、身支度を整える。

 

 動きやすいようにと仕立ててもらった、けれど胸元にはゼノン家の紋章が刺繍された、特別な衣装。髪は、母上が「これがあなたの戦装束よ」と言って、港町サザンで頂いた真珠の髪飾りで、きつく、けれど丁寧にポニーテールに結い上げてもらった。


(大丈夫。私は一人じゃない。みんながついている)


 私は、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込み、震える手足を叱咤(しった)した。


 やがて、東の空の縁が、燃えるような茜色に染まり始めた。日の出が近い。


 作戦開始の時が、刻一刻と迫っていた。


「…時間ですわね」


 母上の静かな声が、張り詰めた空気を震わせた。


 打ち合わせを終えたギルドマスターが、壇上から降り、第一部隊…これから最も危険な場所へと最初に突入する、屈強な戦士さんたちの前に立つ。


 その瞬間、私は母上の隣を離れ、彼らの前へと進み出た。


「皆さん。…どうか、少しだけお時間をください」


 私は、これから死地へと赴く第一部隊の皆さんに向き直った。その中には、以前私たちに証言をしてくれた、片腕のドワーフ戦士さんの姿もあった。


 彼は、ただ黙って、私を見返してくる。その瞳には、恐怖も、絶望もない。ただ、静かな覚悟だけが宿っていた。


 私は、深呼吸を一つすると、目を閉じ、遥か遠くの森の泉…私に『加護』を与えてくれた、優しい精霊の気配に意識を集中させた。そして、心を込めて、泉の精霊に捧げる『守りの歌』を、彼らの無事を祈りながら、静かに歌い始めた。


『――水面(みなも)に揺れる光のヴェール 清き(しずく)よ彼らを包め――』


 私の歌声は、まだ夜明け前の冷たい空気の中に、細く、けれど確かに響き渡る。それは、戦意を高揚させる歌ではない。ただ、守りたいと願う、私の祈りそのものだった。


『――悪しき音は届かない どうか安らぎをひとときでも――』


 私の歌声と祈りに呼応するように、泉の精霊の力が集まってくるのが『瞳』で視えた。清らかで、温かい光の奔流。


 その力は、目の前にいる第一部隊の皆さん…ギルドマスター、片腕の戦士さん、そして他の全ての戦士さんたちの一人ひとりの耳元へと送られ、淡い、エメラルドグリーンの水のヴェールを形成していく。


 それは、まるで水の精霊の囁きが形になったかのような、儚くも美しい光の膜だった。


 冒険者さんたちは自らの耳元に出現した淡い水の膜を、訓練通りに確認し、あるいは無言で頷き合った。


 作戦説明会で聞き、先日の訓練で体験した私の不思議な力が、今、確かに自分たちを守ろうとしてくれている。そして、あの三十分の限界時間が始まったのだと、誰もが理解した。


 驚きや安堵よりも、むしろ「いよいよ始まる」という、引き締まった覚悟が、彼らの表情には浮かんでいた。


 水のヴェールが耳元を覆い、既に外界の音が遠のき始めていた。完全に遮断されるまでの、ごくわずかな猶予。その間に、私は絞り出すような声で、彼らに語りかけた。


「…この『水のヴェール』が、皆さんを呪いの力から守ってくれます。でも、効果が続くのは、三十分だけです…。どうか、ご無理なさらないでください…」


 私の言葉を聞き終えるか否かのうちに、水のヴェールは聴覚を完全に遮断した。その直後、第一部隊の冒険者さんたちは一斉に、手に持っていた『耳栓兜』を頭に深く被り、その紐をきつく締めた。


 彼らの顔からは表情が消え、視界は兜の隙間から覗くわずかな光に限定される。もう、私の声も、仲間の声も、彼らには届かないだろう。


 ギルドマスターは、自らの耳元の水のヴェールを確認すると、私に向かって静かに、しかし深く頷いた。


 彼女もまた、自らの兜を装着する直前、私に確かな感謝の眼差しを送ると、その声が完全に遮断される直前に、かろうじて言葉を届かせた。


「…感謝いたします、パスティエール様。この御恩、必ずや戦果でお返ししましょう」


 彼女は、完全に兜を装着し終えた第一部隊の前に立つと、今度こそ、声ではなく、右手を高く掲げ、そして力強く振り下ろすという、事前に決められた『突撃』のハンドサインで、出陣の号令を発した。


「「「おおおおおっ!!!」」」


 地響きのような雄叫びと共に、第一部隊の重戦士さんたちが、まだ薄暗い峡谷へと、雪崩を打って突入していく!彼らの屈強な背中が、次々と峡谷の闇へと吸い込まれていく。


 私たちは、ただ固唾をのんで、その姿を見送ることしかできなかった。


(…水のヴェールの効果は三十分…。彼らが峡谷の奥深く、ゴーレムの主力と接触する頃には、もう効果が薄れているかもしれない…。どうか、ペトラが作ってくれた耳栓兜が、持ちこたえてくれますように!そして、皆さん、どうかご無事で…!)


 私の胸は、祈りと不安で張り裂けそうだった。


 第一部隊が突入してから、十分ほどが経過しただろうか。


 峡谷の奥深くから、ゴォォン!という鈍い金属音や、地響きのようなゴーレムの駆動音、そして冒険者さんたちの雄叫びが、断続的に、しかし確実に、ここまで聞こえ始めてきた。激しい戦闘が、既に始まっているのだ。


「…時間です」

 先生の静かな声が響く。


 いよいよ、第二部隊と第三部隊が侵入する時が来た。


 私は、再び深呼吸をし、今度は、これから峡谷へと入る第二部隊と第三部隊の皆さん…ペトラ、グレンさん、設営を担当する工兵冒険者さんたち、そして獣人の斥候さんたちに向き直った。


 短い間に二度続けて『泉の精霊』に強く呼びかけ、多くの人々の無事を祈りながら『守りの歌』を歌うのは、思った以上に精神を消耗するのを感じた。少しだけ、頭がふわふわするような感覚。でも、ここで弱音を吐くわけにはいかない。


 私は、再び心を込め、泉の精霊への祈りを込めて、『守りの歌』を歌い始めた。


『――悪しき音は届かない どうか安らぎをひとときでも――』


 私の歌声と祈りに呼応し、泉の精霊の力が、今度は第二部隊と第三部隊の皆さんの一人ひとりの耳元へと送られ、淡い水のヴェールを形成していく。


(お願い、泉の精霊さま…!こちらの皆さんも、どうか三十分、お守りください…!そして、奥で戦っている第一部隊の皆さんにも、どうか少しでも長くご加護を…!)


 二度目の歌唱を終えた私の額には、うっすらと汗が滲んでいた。セリナが、心配そうにハンカチを差し出してくれる。


 第二・第三部隊の全員に水のヴェールが展開されたのを確認すると、母の隣に控えていた護衛隊長が、高く手を掲げ、そして力強く振り下ろした。ハンドサインによる「前進開始」の合図だ。


 ペトラとグレンさんを含む第二部隊、そして第三部隊の斥候さんたちは、既に『耳栓兜』を目深にかぶり、一切の声を発さず、ただハンドサインだけで連携を取りながら、慎重に、しかし迅速に進んでいく。


 第二部隊が、『増幅砲』の最初のパーツ…巨大な筒を数人がかりで慎重に担ぎ上げ、峡谷へと足を踏み入れていく。彼らの顔には、緊張と決意が浮かんでいる。


 第三部隊の斥候さんたちが、その周囲を固め、まるで影のように、音もなく峡谷の闇へと消えていく。


 先生が、懐中時計の蓋を開け、朝日を受けてキラリと光る針の動きを確認した。


「…開始します。第二、第三部隊の効果持続時間は、これより三十分です」


 三十分。


 その限られた時間の中で、彼らは全長五十メートルの巨大な砲を、あの呪われた峡谷の中に設置しなければならない。


 私は、祈りの歌を終えた後も、峡谷の入り口、これから設置されるであろう『増幅砲』の基点となる場所に立っていた。


 母上と、ゼノン家が誇る精鋭の護衛兵士たちが、私を中心に鉄壁の陣形を組み始める。彼らの顔には、一切の動揺も、恐怖もない。ただ、主君を守るという、絶対的な使命感だけが宿っていた。


 峡谷の奥からは、第一部隊の激しい戦闘音と、耳障りなゴーレムの駆動音が、断続的に響いてくる。時折、閃光のようなものが見えるのは、先生たちが警戒していた、ゴーレムの特殊な攻撃だろうか…?


 そして、すぐ近く…峡谷の入り口付近からは、第二部隊が慎重にパーツを運び込み、設置作業を開始する気配が伝わってくる。


 私は、これから始まるであろう激しい戦闘と、刻一刻と進む懐中時計の針を、ただ祈るような気持ちで見守ることしかできない。


 ふと、第二部隊の最後尾から、こちらに向かって、一つのハンドサインが送られてきたのが見えた。


 それは、「第一パーツ、設置位置到達。固定作業開始」を意味する合図だった。 三十分の、命のカウントダウンが、今、確かに始まった――。

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