第49話 訓練!訓練!
ペトラとグレンさん、そして工房の職人さんたちの手によって、三日間の死闘の末に『超指向性歌声増幅砲』に必要な部材がついに完成した。
その知らせは、まるで夜明けの光のように、ケルドの街全体に広がった。
作戦決行まで、あと四日。
街の空気は、張り詰めた緊張の中にも、確かな希望の色を帯び始めていた。
もちろん、私もただ待っているわけではなかった。
街の誰もが、それぞれの持ち場で戦っている。私も、私にしかできない戦いをしなければならなかった。
来るべき瞬間のために、私は宿舎の中庭――比較的静かで、それでいて空が開けた場所を選び、来る日も来る日も、二つの訓練に明け暮れていた。
一つは、瘴気の中心に届けるための「鎮魂歌」。
私が『瞳』で視た、あの苦しみの旋律……壊れてしまったオルゴールのような不協和音。
その奥底で、か細く助けを求めている小さな光の旋律に、正確に語りかけ、寄り添い、そして鎮めるための歌。
まるで、飛び回る蝶の翅に触れるかのように、繊細で、精密な魔力制御が要求された。
先生が用意してくれた、古代遺跡から持ち帰られたという、微かに瘴気を放つ石に向かって、私は何度も、何度も、歌の調律を繰り返した。
成功したと思えば、次の瞬間にはまた感覚がズレてしまう。
終わりが見えない、孤独な戦いだったけれど、あの谷で泣いている声に応えるためには、絶対に諦めるわけにはいかなかった。
そして、もう一つ。
峡谷内で作業する冒険者の皆さんを守るための、「水のヴェール」を展開する訓練。
これは、泉の精霊様の『加護』がどれほどの時間、私たちを守ってくれるのか、その限界を知るための、重要な検証だった。
先生の指導のもと、私は中庭に集まってくれた十数人の冒険者さんたちを対象に、泉の精霊に捧げる『守りの歌』を歌った。清らかな水が優しく包み込み、あらゆる穢れや悪意ある響きを退ける……そんなイメージを込めた、新しい歌詞と旋律で。
歌い始めると、私の周辺にいた水の精霊たちがたくさん集まって、冒険者さんたちの耳の周りに淡い水の膜が形成されるのが『瞳』で視えた。
問題は、この水のヴェールが、どれくらいの時間、形を保ち、そして呪いの干渉を防ぎ続けてくれるのか、ということだった。
私たちは、固唾をのんで、先生が持つ懐中時計を見守った。
水のヴェールは、淡い光を放ちながら、冒険者さんたちの耳元で確かに存在し続けている。だが、時間が経つにつれて、その輝きは徐々に、徐々に、弱まっていくのが『瞳』で視えた。
「……消えました」
訓練開始から、きっかり三十分が経過した、その時。 冒険者さんたちの耳元を守っていた最後の水の膜が、まるで朝露のように、はかなく消え去った。
先生は、厳しい顔で結果を告げた。
「……三十分。今のパスティエール様の歌による『泉の精霊の加護』が、『水のヴェール』を維持できるのは、およそ三十分が限界のようです」
三十分……。
その数字の重みが、ずしりと私の肩にのしかかった。
それは、泉の精霊様が私たちに与えてくれた、加護の限界時間。冒険者の皆さんが、あの呪いのど真ん中で、『増幅砲』を設置し、守り抜くために与えられた、たった三十分という「命の時間」だった。
もし、この時間内に作業が終わらなければ、彼らはあの恐ろしい音響攻撃に無防備に晒されることになる。
私たちの時間切れは、すなわち作戦の失敗と、全滅に直結する。
その重圧が、七歳の私の小さな背中に、容赦なくのしかかってきた。 私は、唇を強く噛みしめることしかできなかった。
作戦決行まで、あと三日。
私が自室や中庭で、来るべき瞬間のために精神と魔力を研ぎ澄ませている間にも、ケルドの街は、決戦に向けて、まるで一つの巨大な生命体のように動き続けていた。
ケルドの工房は、今や不夜城と化していた。 昼夜を問わず響き渡る、カン、カン、カン!というリズミカルな槌の音。
ペトラの指揮のもと、『耳栓兜』が次々と完成し、冒険者たちへと引き渡されていく。
同時に、全長五十メートルにも及ぶ『超指向性歌声増幅砲』の巨大なパーツ……砲身となる筒や、魔力を注ぎ込むための管などが、次々と鋳造され、職人さんたちの手で寸分の狂いもなく磨き上げられていく。
宿舎の窓から見える街の外れの訓練場は、相変わらず土煙と怒号が絶えることがなかった。
「ぼさっとしない!ゴーレムは待ってくれないぞ!」
ギルドマスターの檄が、風に乗ってここまで聞こえてくる。
第一部隊の重戦士さんたちは、巨大な丸太をゴーレムに見立てて、何度も何度も突撃と後退の連携訓練を繰り返している。
彼らの役目は、ただ耐えること。仲間を信じ、第二部隊と第三部隊のための時間を、一秒でも長く稼ぐこと。そのための、地味で、過酷な訓練だ。
遊撃を務める第三部隊の斥候さんたちは、先生が作成した分厚い「ハンドサイン指示書」を必死に読み込みながら、一切の声を出さずに連携する訓練に励んでいる。
岩壁を模した壁を駆け回りながら、ゴーレムに見立てた的の関節部を正確に射抜く。言葉が歪む峡谷で、彼らの無言の連携こそが生命線となるのだ。
そして、最も過酷な訓練を強いられていたのが、『増幅砲』の設置を務める第二部隊の皆さんだった。彼らは、完成したばかりの『耳栓兜』を被り、重い荷物を運び、不安定な足場で指示書を確認しながら、巨大なパーツを組み立てる、という実戦さながらの訓練に耐えていた。
彼らの顔には苦痛の色が浮かんでいたけれど、その瞳には、作戦の成否を自分たちが握っているという、強い意志が宿っているのが、遠目にもわかった。
母上は、指揮官として、その全ての訓練の様子を、厳しい目で、しかしどこか誇らしげに見つめていた。時には自ら訓練場に立ち、剣を抜いて兵士たちに檄を飛ばすこともあった。
夜になれば、作戦室で護衛隊長と、第二部隊の進軍ルートや、私を守るための最終防御陣形の展開手順について、地図を広げて、寝る間も惜しんで最終確認を繰り返していた。
街の誰もが、自分の限界を超えようと歯を食いしばっていた。
全ては、明日に迫った決戦のために。そして、その中心にいる、私のために。
そして、ついに七日間の準備期間が終わった。 作戦決行を翌日に控えた、夕刻。
ケルドの中央広場は、異様な熱気に包まれていた。
広場の中央には、この七日間でケルド中の職人さんたちの魂と技術を結集して作り上げられた、『超指向性歌声増幅砲』の巨大なパーツ群が、まるで眠れる竜のように、静かに決戦の時を待って整然と並べられていた。
そして、その周りには、作戦に参加する全ての冒険者たちが集結していた。量産された『耳栓兜』が一人ひとりに配布され、誰もが、その奇妙な兜を手に、不安と覚悟が入り混じった硬い表情で、広場に急ごしらえされた壇上を見つめている。
工房から出てきたペトラやグレンさんたちの姿もあった。彼らは、この七日間、ほとんど寝ていないのだろう。煤にまみれた顔には深い疲労の色が浮かんでいたが、その瞳には、自らの仕事に対する誇りと、明日への緊張感が宿っていた。
ギルドマスターの号令一下、全ての視線が、壇上に立つ私たち……母上、先生、ギルドマスター、そして私に注がれる。
シン、と広場が静まり返る。風の音だけが、私たちの間を吹き抜けていく。
母上が、静かに私を見た。その瞳が、私に語りかけていた。
「パスティエール。あなたの番です。皆に、あなたの覚悟を見せなさい」
怖い。足が震える。 でも、逃げるわけにはいかない。この人たちが、ケルドの街の全ての人々が、私のために、この七日間、必死に戦ってくれたのだ。
今度は、私がみんなの心を一つにする番だ。
私は、震える唇をきつく結び、小さな一歩を、前へと踏み出した。




