第48話 【幕間】ペトラの奮闘
私の名前は、ペトラ。
ケルドの孤児院で育った、十一歳のハーフドワーフ。それが、昨日までの私。
『静寂作戦』が始動した、その日の午後。私は、生まれて初めて足を踏み入れた本物の工房で、この道何十年という、伝説みたいな職人さんたちに囲まれていた。
熱い炉の匂い。油と汗の匂い。カン、カン、と響く槌の音。全部、本でしか知らなかった、私の憧れだった世界。
でも、私に向けられる視線は、憧れとは程遠い、冷たくて、トゲトゲしたものだった。
特に、工房の中心にどっしりと構える、あの大きなドワーフの職人さん……作戦会議にもいた、“頑固”のグレンさん。彼の視線は、まるで値踏みするように、私の頭のてっぺんから爪先までをじろじろと見ていた。
午前中の作戦会議で、私は技術指揮官に任命された。そして、この工房で働くことになった。怖い。足が震える。逃げ出したい。でも、ここで逃げたら、私はまた、誰にも理解されない、ただの孤児に戻るだけだ。
パスティエール様が、私の中に見てくれた『何か』を、私自身が裏切ることになる。
だから、私は、巨大な設計図を広げた。そして、そのグレンさんに向かって、深く、深く、頭を下げた。
「……お願いします」
私は顔を上げて、まっすぐにグレンさんを見つめた。
「これが、私が考えた『超指向性歌声増幅砲』の設計図です。この形、この構造なら、パスティエール様の歌を、きっと遠くまで届けることができます。……でも、私には、これを作るための材質の知識や経験がありません」
私は、自分の小さな手をぎゅっと握りしめた。本当のことだから、少しも怖くなかった。
「……私は、孤児院で育ちました。本物の工房に立ったことも、熱い鉄に触れたこともありません。炉の温度も、金属の混ぜ方も、本で読んだ知識しかありません。私にあるのは、この設計図だけです」
私は、もう一度、頭を下げた。
「だから、お願いします。あなたの経験と、その腕を、貸してください。この設計図を本物の形にするために、あなたの力が必要です」
グレンさんは、何も言わずに、私の設計図を睨みつけていた。
「……ふん。理屈はわかる。だがな、嬢ちゃん。この滑らかな曲線、そして音の響きを殺さないためのこの薄さ。これを実現できる合金は、今この工房には存在しねえ」
やっぱり、ダメなのかな。心が折れそうになったけど、諦めたくなかった。
「レシピは、わかりません。でも、どんな金属になればいいかなら、わかります」
私は、目を閉じて、いつも頭の中に流れているイメージを、必死に言葉にした。
「叩いても、鈍い音じゃダメなんです。硬いだけじゃ、ダメなんです。まるで鐘みたいに、叩いた後も、綺麗な音がずっと響き続けるような……。それでいて、粘りがあって、決して砕けない……。そんな金属が、必要なんです」
……そこから、地獄のような試行錯誤が始まった。工房の床は、無数の「失敗作」のインゴットで埋め尽くされていった。「ガッ!」響きの鈍い、ただ硬いだけの塊。「パキィィン!」音は良いが、すぐに砕け散る脆い塊。
グレンさんは、私が求める「理想」と、彼の「経験」をすり合わせるため、考えうる全ての配合を試してくれた。
一般的によく使われている青銅や、何種類もの鉄系合金を、その比率を変えながら、何度も何度も試していく。
私も、炉の炎の色や、溶けた金属の『流れ』が、私の理想とどう違うのかを必死で伝え続けた。
「違う!その音は濁ってる!」
「粘りが足りない!」
「金属同士がうまく『繋がって』ない!」
数十回を超えた失敗に、職人たちの間に焦りといら立ちが募っていく。
「棟梁、いつまでこんな夢物語に付き合えばいいんだ!」
「もう時間がねえんだぞ!」
「だから言ったんだ、そんな金属は存在しねえと……」
グレンさんも、疲労困憊の顔で膝に手をついた。「…………」
そして、作戦開始まで、あと四日に迫った、三日目の夕暮れ。もう、試すべき材料も、配合も、尽きかけていた。
私も、グレンさんも、工房の全員が、諦めという冷たい空気に包まれかけていた。
「……くそっ、万策尽きたか」
グレンさんが、ドサリと床に座り込み、天井を仰いだ。
「響きを良くすりゃ、脆くなる。粘りを出しゃ、響きが死ぬ。これ以上は……理想を言やあ、『魔導銀』みてえに硬くて魔力が通るやつをベースにできりゃあ最高だがな……」
「魔導銀……?」
私は聞き返した。聞いたことのない名前だ。
「ああ」グレンさんは吐き捨てるように言った。
「炭鉱でごく稀に見つかる、生まれつき魔力を帯びた特別な銀鉱石のことよ。普通の銀は柔らかいが、魔導銀は鋼みてえに硬くて、魔力の通りも段違いだ。だがな、採れる量が少なすぎて、武具の装飾か、よっぽど重要な虚魂術の魔術回路にしか使えねえ代物だ。こんなデカいモンを作るなんざ、夢のまた夢よ」
硬くて、魔力が通る銀……。でも、量が無い……。
(……そんな都合のいい素材はないのかな……)
グレンさんの、諦めに満ちた言葉が重くのしかかる。
私は、工房の隅で、床に転がる失敗作を睨みつけながら、頭を抱えていた。
違う。あともう少し。本当に、あともう少しな気がする。でも、その「あと少し」を埋める方法が分からない……!
「……ペトラ」
その時、工房の入り口から、心配そうな声が聞こえた。パスティエール様だった。セリナさんと一緒に、こっちの様子を見に来てくれたみたいだ。
「パスティエール様……!ごめんなさい、私……ダメかも……」
涙がこぼれそうになるのを、必死でこらえた。
「響きと粘りを両立させる合金が、どうしても作れないんです……!」
パスティエール様は、私の説明を聞くと、首をかしげた。
「合金……?うーん、私、金属のことは分からないけど……」
彼女は、何かを思い出すように、ぽん、と手を打った。
「あの、私が昔、本で読んだお話なんですけど……」
彼女は、おそるおそると、工房の大人たちに話しかけた。
「遠くまで音を響かせるための『ラッパ』っていう楽器は、鉄やミスリルじゃなくて、『真鍮』っていう金属で出来てるって……読んだことがあります。えっと、確か……『銅』と『亜鉛』を混ぜたもの、だったかな……?」
『真鍮』。
聞いたことのない金属の名前。グレンさんが、眉をひそめた。
「銅と亜鉛、だと……?嬢ちゃん、そりゃ『黄銅』のことか?あんなものは、装飾品か燭台に使うもんだ。柔らかすぎて、『砲』になんてなるもんか!」
グレンさんの言う通りだ。黄銅は、柔らかい。でも、パスティエール様は言った。『音を響かせるための楽器』に使われてるって。
……柔らかい。でも、響く。
……響く!
(……あ!)
パスティエール様の言葉と、さっきのグレンさんの言葉が、私の頭の中で繋がった!
私は、顔を上げた。
「グレンさん!それだよ!」
「あぁ!?」
「私、ひらめいたよ!組み合わせるんだ!私たちの目的は、『響き』が第一!『響き』は黄銅に任せて、問題の『柔らかさ』は、さっきグレンさんが言ってた『魔導銀』で補強すればいい!」
「補強だと!?魔導銀で!?」
私は、興奮で早口になった。
「まず最高の『黄銅の筒』を作る!次に、その筒の内側に、溝を掘るの!」
「溝だと!?」
「その溝に、溶かした『魔導銀』を流し込んで固めるんだ!魔導銀が骨組みになって、黄銅を補強してくれる!魔導銀のラインが、筒全体の強度を上げる『肋材』になって、同時に魔力の通り道にもなる!」
「……待てよ」
グレンさんが、私の言葉を遮った。
「だからよ、嬢ちゃん。その肝心の魔導銀が足りねえっつってんだろ!聞いてなかったのか!」
私は食い下がった。
「魔導銀がないなら、作ればいいじゃない!」
「作るだと!?馬鹿を言え!」
グレンさんは呆れたように言った。
「普通の銀に魔力を込めるなんざ、昔から山ほど試してきたわ!だがな、どんなに強力な魔力を込めたところで、冷やす時に全部抜けちまう!だから魔導銀は自然発生もんに頼るしかねえんだよ!」
冷やす時に、抜けちゃう……。グレンさんの言葉がヒントになった。
(じゃあ、抜けなくすればいいんだ!魔力と金属を『繋ぎ止める』ことができれば)
私はパスティエール様に向き直った。
「パスティエール様!」
「え?な、なに、ペトラ?」
「魔導銀は『魔力をよく通す』!ってことは、普通の水じゃなくて、『魔力を帯びた水』で冷やしたら、うまく魔力が定着するかもしれない!パスティエール様、お願い!水の精霊魔術の『水滴』が使えれば、お願いできますか?」
私の言葉に、グレンさんが眉間に深い皺を寄せた。
「……嬢ちゃん、だからな!精霊魔術で生成した水だろうが、ただの水なんぞで性質が変わるもんか!それで成功した奴なんぞ、歴史上誰一人……」
グレンさんの言うことは、きっと常識なんだろう。でも……!
「違う!」
私は反論した。
「だって、パスティエール様は私の『からくり』を、誰も分かってくれなかったのに、一目で理解してくれたんだ!きっと、この人のやることは何か違うんだよ!だから、お願い、パスティエール様!やってみる価値はあるはず!」
私の必死の頼みに、パスティエール様は少し考えると、こくりと頷いた。
「……魔力がこもった水……『水滴』ですね……」
彼女は何かを思い出すように呟く。
「……はい!やってみます!」
グレンさんは、呆れた顔をしていたけれど、もう止める気はないみたいだった。
「……ハッ!『水滴』の水で錬成だと!?そんなこと、この魔導国で何人も試したに決まってるだろう!まあいい、どうせ最後だ、姫様に、わしの五十年を賭けてやる!」
グレンさんが、炉で銀鉱石を溶かし、不純物を取り除いて、純粋な溶けた銀を作る。その間に、パスティエール様は、工房の隅で冷却用の小さな桶の前に立った。てっきり水の精霊魔術の詠唱でも始めるのかと思ったら……
「え?」
パスティエール様は、突然、歌い始めたのだ!しかも踊りながら。
「なっ……!?」
グレンさんも私も、何事かと目を丸くする。鍛冶場で歌……?
しかも、彼女の歌声と踊りに合わせて、キラキラと輝く無数の水の玉が、どこからともなく現れて、桶の中に集まっていく!普通の『水滴』の魔術じゃない!なんだこれ!?普通の水とは違う、確かに魔力を帯びた水だ。でも、こんな水の出し方、聞いたことがない!
「……よ、よし、姫様、頼む!」
グレンさんが、溶けた純銀を型に流し込み、まだ熱いうちに、その型ごとパスティエール様が歌って満たした水の桶へと浸した!
ジュワァァァ……!
水が銀を冷やしていく。水面が淡く光っている。しかし……。
やがて、銀は完全に冷え、型から取り出された。それは、普通の銀よりは少し輝きが増している気もするけれど……。私がハンマーで軽く叩くと、コン、という鈍い音がしただけだった。
「……ダメだ。ただの銀だよ、これじゃ……」
「だから言っただろうが!」
グレンさんが怒鳴る。
「歌って出した奇妙な水だろうが、ただの水なんぞで……」
「待ってください!」
声を上げたのは、パスティエール様だった。彼女は、失敗した銀のインゴットと、桶に残った魔力水を交互に見つめ、何かに気づいたように言った。
「……私の歌、本気じゃなかったかも……。ただ水を出すことしか考えてなかった……。もっと『魔力を込める』って、強くお願いしながら歌わないと……!」
パスティエール様は、もう一度、私とグレンさんに向き直った。
「もう一度だけ、チャンスをください!今度こそ、たっぷり魔力を込めた水を作ってみせます!」
その真剣な瞳に、私とグレンさんは顔を見合わせた。グレンさんは、大きなため息をついた。
「……ハッ!分かったよ!これが本当に最後だぞ、姫様!」
グレンさんが、再び銀を炉で溶かし始める。その間に、パスティエール様は、今度は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。 そして、さっきとは全く違う、力強く、清らかな祈りのような歌を歌い始めた。
彼女の歌声に合わせて生まれる水の玉は、さっきよりもずっと大きく、そして濃い青色の光を放っていた。それは、ただ魔力がこもっているだけじゃない……何か、もっと根源的な『精霊の力』そのものが宿っている水だと、私にも感じられた。
「よし、姫様、頼む!」
グレンさんが、再び溶けた純銀を型に流し込み、その型ごと、パスティが『本気』で歌って満たした特別な水の桶へと浸した!
ジュワァァァ……!
今度は、水面が眩しいほどの青い光を放った!
やがて、銀は完全に冷え、型から取り出された。それは、さっきとは比べ物にならない輝き……魔力を強く帯びた、美しい『魔導銀』のインゴットだった。
私がハンマーで軽く叩くと、硬質で澄んだ音が響いた!
「できた……!今度こそ、本当にできた!これが『魔導銀』!」
「……馬鹿な。歌で『水滴』を発動させるだけでなく、歌い方で水の質まで変わるだと……?しかも、本当に銀が魔導銀に……」
グレンさんも、驚きを隠せない様子だ。
魔導銀の生成に成功した私たちは、勢いに乗って、本命の黄銅の製作に取り掛かった。
筒型に形成した黄銅にグレンさんが溝を掘り、先ほど生成したばかりの「魔導銀」を溶かして慎重に流し込んでいく。そして、最後の工程。定着のための冷却。
「よし、もう一度だ!今度も頼むぞ、姫様!」
グレンさんが、魔導銀がまだ溝の中で熱を持っているうちに、その黄銅の筒を、パスティエール様が再び水を満たした水槽へと、慎重に、しかし一気に浸した!
ジュワァァァ……!
精霊の水が、まるで黄銅と魔導銀を優しく繋ぎ止めるように、穏やかに熱を吸い取っていく。水面が、淡い青色の光を放っている。収縮率の違いを超えて、魔導銀が持つ魔力が水の魔力と共鳴し、黄銅の母材と完璧に結合・定着していくのが、私には直感でわかった。
やがて、筒は完全に冷え、静かに水底に沈んだ。私が、震える手でそれを拾い上げ、最後の仕上げのハンマーで軽く叩いてみた、その時。
キィィィン……!
工房に響き渡ったのは、誰も聴いたことのない、どこまでも澄み渡り、長く、長く尾を引く美しい音だった。ハンマーは心地よく弾き返され、流し込まれた魔導銀にも、黄銅の表面にも、傷一つない。完璧に一体化している。
三日間の苦闘が、報われた瞬間だった。グレンさんは、その筒を信じられないという顔で手に取り、美しい音の余韻に耳を澄ませていた。そして、まるで自分に言い聞かせるように、震える声で呟いた。
「……本当にできやがった……歌で生み出した水による銀からの魔導銀生成、そして定着だと……?前代未聞だ……常識が、ひっくり返りやがった……」
彼は顔を上げると、少し照れくさそうに、ガシガシと頭を掻いた。
「……嬢ちゃん。あんたはわしらが諦めても最後まで諦めなかった。立派だよ。それと姫様のその『知識』と『不思議な力』も、大したもんだ。だがな浮かれるのはまだ早い」
グレンさんは、私と、そしてパスティエール様をまっすぐに見据えた。
「姫様。あんた、とんでもねえことをしでかした自覚はあるか?」
パスティエール様は、こくりと頷く。
「『魔導銀を作る』だと?しかも、普通の銀から?そんなことが世間に知れたらどうなるか、わかってんのか?」
グレンさんの声には、隠しきれない怒気と、それ以上の心配が滲んでいた。
「この国が黙っちゃいねえ。他国だってそうだ。あんたのその不思議な力……いや、あんた自身の身が、とんでもなく危うくなる。利用しようとする連中、奪おうとする連中……最悪、命を狙う奴らまで出てくるぞ」
グレンさんの言葉に、私は息を呑んだ。そうだ、私はすごい発見をした気になっていたけど、それは、パスティエール様を危険に晒すことでもあるんだ……。
「いいか!」
グレンさんは、工房にいる全員を睨みつけた。
「ここにいる全員に厳命する!今日ここで見たこと、聞いたことは、墓場まで持っていけ!誰か一人でも口を滑らせたら、そいつはこのわしがこの槌で……わかってるな?」
誰も何も言わない。ただ、ゴクリと唾を飲む音だけが響いた。
「幸い、この奇跡を見たのはわしらだけだ。外向きには……そうだな、『工房の奥に眠ってた、ごく少量の魔導銀の在庫を、わしらの技術でなんとかやりくりして使った』……そういうことにしておく。異論はねえな?」
「……はい」
パスティエール様が、静かに、しかしはっきりと答えた。私も、強く頷いた。工房の職人たちも、皆、固い表情で頷き返す。今日生まれた奇跡は、同時に、決して外に漏らしてはならない『秘密』にもなったのだ。
グレンさんは、工房の皆に向き直り、ニカッと笑った。
「よしお前ら!この嬢ちゃんの示す道を、俺たちの腕で切り拓くぞ!ここからが本当の勝負だ!残り四日で、『超指向性歌声増幅砲』を完成させる!炉の火を絶やすな!」
「「「おう!!」」」
その瞬間、私の胸の奥が、炉の炎みたいに、じんわりと熱くなった。
パスティエール様が、私の手を握ってくれていた。 生まれて初めて、私は、自分の『居場所』を見つけた気がした。




