第46話 シジマ作戦
先生が、テーブルの地図を前に「さて、では具体的にどうやってパスティエール様の歌を、あの中心部まで届けるかですが…」と、さっそく議論を始めようとした、その時だった。
母上が、それを静かに手で制した。
「待ちなさい、アルフレッド」
「はっ…。何か、懸念が?」
「この作戦は、我々だけで完結できるものではありません」
母上は、きっぱりと言い放った。
「『歌で鎮める』。それがどのような具体的な手段になるにせよ、あの『響谷』という魔境でそれを実行するには、現地の戦力と知識…すなわち、ケルドの冒険者ギルドの全面的な協力が不可欠です」
母上は、立ち上がった。
「ここで我々だけで机上の空論を練る前に、まず、彼らの長の意向を確かめるのが先決です。作戦の立案は、彼らを交えてから行います」
母上は、私たちを振り返った。
「ギルドマスターに、直談判しに行きます。」
こうして私たちは、まだ「歌で鎮める」という骨子しかない作戦案を携え、ケルドの冒険者ギルドの本拠地へと、向かうことになったのだった。
アポイントも無しに訪れた私たちを、ギルドマスターは、ギルドの奥深くにある、重厚な作戦室へと丁重に通してくれた。顔に走る大きな傷跡が痛々しいけれど、落ち着いた、理知的な雰囲気をまとった女性だ。
どうやら、彼女もまた、打つ手のない現状に焦りを募らせていたようだった。
部屋には、彼女と私、母上、先生、セリナ、ペトラの6人だけ。広げられた峡谷の地図を前に、母上が、単刀直入に切り出した。
「ギルドマスター。あなたに、無謀な賭けをお願いしに来ました。まずは現状を説明させていただきます」
広げられた峡谷の地図を前に、アルフレッド先生が教鞭の代わりに細い木の枝を手に、厳しい表情で壁に貼り付けた別の羊皮紙を指し示した。そこには、峡谷の断面図と、中心で禍々しい光を放つ瘴気の中心部、そしてそこから放たれる不協和音の軌道が、赤インクで克明に描き出されていた。
「―――以上が、我々が直面している脅威の分析結果です」
先生の言葉は、まるで大学の講義のようだったが、その内容は絶望的だった。
「結論から言えば、通常戦力による突破は不可能。我々が勝利を得る唯一の方法は、ただ一つ。パスティエール様の『歌』という一点集中の力を、可能な限り目標に近づけて撃ち込むことです」
先生が、木の枝で中心部をコン、と叩く。
「しかし、そのためには膨大な魔力が必要です。私が思うにパスティエール様の歌が持つ真の力は、その魔力と込められた想いの乗算によって発揮されます。この作戦の成否は、我々がどれだけパスティエール様の歌に、ケルド中の人々の『想い』を乗せられるかにかかっています」
先生の言葉を受け、議論が始まった。
「『歌』の力を目標に届ける…。具体的にはどうするのです?」ギルドマスターが冷静に問う。
「最も確実なのは、詠唱者であるパスティエール様ご自身が、可能な限り目標に接近することですが…」先生が言い淀む。
「それは絶対に認められません」母上が即座に否定する。
「この子を危険に晒すわけにはいきません」
「では、遠距離から…?しかし、あの瘴気の層はあまりに厚い。歌の力が減衰する前に届くかどうか…」先生が地図を睨む。
「何か…歌の力を増幅し、指向性を持たせるような手段があれば…」母上が呟く。
その時だった。
部屋の隅で黙って議論を聞いていたペトラが、弾かれたように顔を上げた。彼女は、懐から小さなスケッチブックと木炭を取り出すと、猛烈な勢いで何かを描き始めた。
「これなら…!」
ペトラは、まだ線が荒いスケッチをテーブルの中央に突き出した。
それは、いくつものパーツを連結させて前方に伸ばしていく、巨大な筒のラフスケッチだった。
「これなら、パスティエール様の歌声を遠くまで、まっすぐ届けられるかもしれない…!『超指向性歌声増幅砲』…!」
その、あまりにも大胆な発想と、即座にそれを形にする才能に、私たちだけでなく、ギルドマスターも目を見開いた。
「…ほう。面白いことを考える。これが実現可能なら、確かに…」
先生が、そのスケッチを手に取り、関心した様子で付け加える。
「ふむ、この『砲』を使えば、瘴気の中心部までかなりの距離があっても、峡谷の入り口から歌の魔力を減衰させずに目標へ届ける『道』を創り出せるかもしれませんな。」
「…全長はおよそ50メートル、伝声管の基点は峡谷の入り口に置く…。砲身だけを峡谷内部へと連結・設置していけば、リスクは最小限に抑えられる…。」
先生とペトラが、設計図を元に具体的な構造を議論し始める。
「ケルド中の鐘、金属製品、壊れた武具や食器…音を響かせるものなら何でもいい。それらを溶かしてこの砲身の素材としましょう。基部にある伝声管に向けてパスティエール様が歌い、さらに砲身から伸びたこの十本の管に、私たちや冒険者の魔術師が魔力を『付与』し流し込みます。そして、その不揃いな魔力の奔流を全て『調律』するのは…」
「私の仕事ですね」と、母上が静かに、しかし強く頷いた。
「全員の魔力で増幅されたパスティエール様の歌声は、瘴気の防御層を貫き、中心部を鎮めるはずです!」
ギルドマスターは、私たちの議論を黙って聞いていたが、やがて、落ち着いた口調で言った。
「……なるほど。確かに、机上の空論としては面白い。ですが、問題は山積みですね」
彼女は、じっと私の目を見た。彼女は、大きく、深いため息をつくと、それでも、わずかな可能性に賭けるように、静かに言った。
「……よろしいでしょう。どうせ、このままでは我々も干上がるだけです。その与太話…いえ、作戦に乗ってみましょう。辺境伯家の姫君が命を張るのです。我々が黙って見ているわけにはいきません」
私はギルドマスターから目をそらさずに応える。
「私たちが目指すのは『静寂』を取り戻すための戦いです!」
「―――これより、『シジマ作戦』を開始します!」
その宣言を皮切りに、具体的な作戦の細部を詰める議論が始まった。
「まず、最大の障害となるゴーレムの群れですね」と、ギルドマスターが地図を睨む。
「こいつらをどうにかせねば、砲身を設置することすらできません」
「その通りです」母上が応じる。
「そこで、冒険者の皆さんに協力をいただきたいのです。能力に応じて三つの部隊に分けることを提案します」
「まず第一部隊は、陽動と主戦力です。最も危険で、最も重要な役目です」
母上の視線が、ギルドマスターに向けられる。
「峡谷の奥深くへと進攻し、可能な限り派手にゴーレムの注意を引きつけ、その主力を引きつけていただく必要がありましょう」
ギルドマスターは、静かに頷いた。
「承知しました。一番危険で、一番頑丈な役は、我がギルドの戦士たちの独壇場です。我々が、作戦成功までの時間を稼いでみせましょう」
「つぎに第二部隊は、『増幅砲』の輸送と設営。陽動部隊が時間を稼いでいる間に、『増幅砲』のパーツを峡谷内へ搬入し、入り口から目標地点へと砲身を連結・設置していきます」
先生が、地図上を線でなぞる。
「ペトラ君を技術指揮官、我が隊の護衛隊長を警備指揮官とし、この最重要任務を完遂させる」
「最後に第三部隊は、遅滞防御。陽動をすり抜けるはぐれゴーレムの対策を行います」
母上が続ける。
「身軽な斥候や弓兵の方々には、『増幅砲』を設置している第二部隊の周囲を固め、徹底的な妨害に徹していただきます。目的は撃破ではなく、足止め。作業員に一体たりとも近づけさせないでください」
だが、その時。ギルドマスターが、第二部隊が作業を行う峡谷内部を細い指で叩きながら、鋭い指摘を投げかけた。
「お待ちください。計画に穴があります。呪いのど真ん中で、五十メートルもの長い筒を組み立てるなど、自殺行為です。我々冒険者はどうやって『幻惑の呪い』から身を守るのでしょうか?それに、以前聞き取りを行ったドワーフの戦士が言っていたように、あの谷では『言葉』そのものが歪む。どうやって指示を出し、連携を取るおつもりか?」
先生が、その問いに冷静に答えた。
「まず『言葉の歪み』への対策ですが、これは既に想定済みです。峡谷内での意思疎通は、事前に定めた『ハンドサイン』のみで行います。また、『増幅砲』の組み立て作業に関しては、ペトラ君に詳細な『組立指示書』を作成してもらい、作業員全員に配布・熟読していただきます。これにより、口頭での指示なくとも、各自が正確に作業を進められるようにいたします」
先生は、続けて音そのものへの対策に言及する。
「そして、問題の『音による攻撃』と『幻聴』への対策ですが…」
その問いに、ペトラが再びスケッチブックを取り出した。
「完全に防ぐのは無理でも、和らげることなら…できるかもしれない」
彼女は、今度は兜の内側に特殊な素材を貼り付けるというアイデアを、その場で描き始めた。
「『耳栓兜』…。あの呪いの原因が音であるなら、物理的な衝撃はこれで、ある程度は防げるはず…!」
ペトラの即興の回答に、今度は私が静かに、しかしはっきりと続けた。
「ありがとうございます、ペトラ。そのアイデア、素晴らしいと思います!そして、第二部隊と第三部隊の方々には、峡谷に入る直前に私が泉の精霊にお願いして、耳の周辺に水の防御幕を張って貰います。水は音を大きく減衰させます」
「なるほど…!」先生が感心したように手を打った。
「ハンドサインと指示書による連携、ペトラ君のアイデア、そしてパスティエール様の水の精霊…!この三重の対策があれば、屈強な冒険者の皆さんなら耐えきれるやもしれません!」
「…ふむ」ギルドマスターが顎に手を当てて唸る。
「確かに、それならば可能性はあるかもしませぬな。つまり、我々はその『増幅砲』とやらの組立を迅速に行い、姫君の準備が出来るまでゴーレムを近づかせなければ良い、ということですな?」
作戦の最後のピースが、完璧に嵌まった。
母上は、決意を込めて、峡谷の入り口、砲の基部に立つ私の駒の隣に、自らの駒を置いた。
「私と兵士たちは、砲の設営が完了するまであなたの護衛を。そして、あなたが最後の『歌』を詠唱する、その瞬間を、命を懸けて守ります」
作戦の全貌が明らかになり、部屋は緊張に満ちた静寂に包まれた。
先生が、私にそっと告げた。
「この作戦の成功は、あなたにかかっています。パスティエール様」
先生は、私の肩に優しく手を置いた。
私はただ、強く、強く頷いた。




