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第44話 封じられた詠唱

 翌朝。私たちは、代官の案内で「遺跡の街ケルド」の冒険者ギルドを訪れていた。


領都のギルドが、酒場と武具屋が併設された、いかにも「戦士たちの集会所」といった雰囲気だったのに対し、ケルドのギルドは全く違う空気をまとっていた。


 静かで、どこか学術的。


 壁には巨大な魔獣の剥製だけでなく、古代遺跡から発掘されたらしい遺物の精密なスケッチや、未解読の古代文字が刻まれた石板の拓本(たくほん)などが、所狭しと貼られている。


 冒険者というよりは、研究者や学者といった風貌の人々が、熱心に議論を交わしている姿も目立った。


 カウンターの奥から現れたのは、その学者然とした雰囲気とは対照的な、顔に大きな一筋の傷跡を持つ、屈強(くっきょう)な女性だった。


 鍛え上げられた肉体は、並の戦士では太刀打ちできないであろうことを物語っている。


 彼女が、このケルドのギルドマスターらしい。


「エリアーナ様、お待ちしておりました。話は代官から伺っております」


 彼女は、母上の姿を認めると、戦士としての純粋な敬意を込めて、短く、しかし深く頭を下げた。


 母上が改めて事情を説明すると、ギルドマスターは『待っていました』とばかりに快く協力を申し出てくれた。


「『響谷(ひびきだに)』の件ですね。我々としても、手をこまねいている状況でした。辺境伯家(へんきょうはくけ)が動いてくださるというのなら、これほど心強いことはありません」


 彼女は、実際に「響谷」で被害に遭い、九死に一生を得て生還した冒険者たちを、何人か集めてくれた。私たちは、ギルドの奥にある作戦室で、彼らから直接、その恐ろしい体験について話を聞くことになった。


 最初に話をしてくれたのは、片腕を失った、歴戦のドワーフ戦士だった。


 その顔に刻まれた深い皺と、曇った瞳が、彼がくぐり抜けてきたであろう修羅場を物語っている。


「あれは、一月ほど前のことだ…」


 彼は、仲間を失った時のことを、悔しさを押し殺すような低い声で語り始めた。


峡谷(きょうこく)の奥深くで、古代のゴーレムに遭遇したんだ。いつもなら、俺が前衛で注意を引きつけ、相棒の剣士が背後から関節の駆動部を破壊する…何年もやってきた、鉄板の連携だった。だが、あの日は、何かが違った」


 彼の言葉は、悲しみと、そしてやり場のない怒りで震えていた。


「俺は確かに叫んだんだ。『右に回り込め!』と。

だがあいつは、何の疑いもなく、ゴーレムの正面に飛び出し…一瞬で、鉄の拳に砕かれた…。俺の腕は、そいつを助けようとした時に、持っていかれたのさ」


 私の『瞳』には、彼の心の旋律が、友を失った後悔の不協和音で激しく乱れているのが視えた。それは、自らを責め続ける、終わらない悲しみの音色だった。


「……辛いお話を、ありがとうございます」


 私がハンカチを差し出すと、ドワーフの戦士は驚いたように顔を上げ、不器用に目元を拭った。


 次に話をしてくれたのは、大きな犬の耳をぴんと立てた、まだ若い獣人の斥候だった。


 彼は、他の誰よりも優れた聴覚を持つがゆえに、より詳細に、その物理的な音の異常について語ってくれた。


「あの谷では、音の反響がおかしいのです。普通、洞窟や谷では声が響きますよね?でも、あの場所では、声がまるで…分厚い綿にでも吸い込まれるように、全く反響しない。だから、仲間との距離感が全く掴めなくなるんです」


 彼は、思い出すだけでも気分が悪い、と顔をしかめる。


「さらに、風の音や、自分の足音までもが、奇妙に増幅されたり、一歩遅れて聞こえたりする。常に、背後から誰かにつけられているような、不気味な感覚に襲われました。…最終的には、頭の中でキィィィンという甲高い音が鳴り響いて、平衡感覚を失って…倒れてしまいました。仲間がいなければ、今頃は…」


 最後に話してくれたのは、少し臆病そうな人間の魔術師だった。


 彼は、他の二人とは違う、幻聴の恐怖について、今もなお震えながら語った。


「見えないんです。でも、聞こえるんです…!背後から、魔獣の咆哮が。地面の下から、巨大なワームの地響きが…。慌てて魔力を『感知』しても、そこには何もいない。でも、耳だけが、脳だけが、確かにその存在を捉えているんです…!」


 彼は、自らの頭を抱えるようにして、声を絞り出す。


「パニックになって、意味もなく、ありったけの魔術を乱射してしまいました。仲間を巻き込みそうになって…。もう、二度とあの谷には行きたくありません…」


 彼の怯えた旋律は、私の心まで冷たくさせるようだった。


 聞き取りを終え、宿舎に戻った私たちは、重い沈黙に包まれていた。


 母上が、厳しい顔で結論を述べた。


「響谷の呪いは、二つの脅威が組み合わさっています。一つは幻聴とそれに伴う冒険者の混乱、もう一つは、その混乱に乗じて冒険者を襲う、古代ゴーレムの存在です」


「つまり、ただゴーレムを倒すだけでは解決しない。この幻惑現象そのものを、どうにかしなければ…」先生がそう続けた後、母上は言った。


「ですが、対策を練るにも、我々自身がその現象を体験しなければ始まりません。明日、峡谷へ向かいます」


  翌日、私たちは不気味な峡谷の入り口に立っていた。


「いいですわね。これより先、声による意思疎通は一切禁止します。全ての指示は、事前に決めたハンドサインで行うこと。そして、何が聞こえようと、決して信じてはなりません」


 母上の厳しい指示に、全員が固い表情で頷く。


 不安そうなペトラとセリナの手を、私はぎゅっと握った。


「大丈夫。私なら、変な音が来たらすぐ分かるから。合図するね」


 二人が少しだけ安心したように頷き返す。


 峡谷に足を踏み入れた瞬間、世界から音が消えた。


 いや、音の法則が狂ったのだ。自分の足音すら、奇妙に軽く、遠くに聞こえる。


 しばらく進んだ、その時だった。


 キィィィン、と。脳を直接かき混ぜられるような、強烈な高周波音が、突如として私たちを襲った。


「ぐっ…!」


 私だけでなく、セリナやペトラ、屈強な兵士たちまでもが、思わず耳を塞いで膝をつく。


 高周波が止んだかと思えば、今度は腹の底まで響くような、重く、巨大な轟音(ごうおん)が、四方八方から私たちを打ちのめす。


 完全に方向感覚を失い、立っていることすらままならない。


 その、最も無防備な瞬間を狙って、奴らは現れた。


ゴゴゴゴゴ…と、地面を揺るがす地響きと共に、峡谷の岩壁と見分けのつかなかった巨石が、その姿を変える。


苔むした石の体、空虚な光を宿す両目。


ゴーレムだ。


「撤退します!」


 母上のハンドサインが飛ぶ。


 兵士たちが、私たちを庇いながら後退を始める。


 殿を務める母上と先生が、ゴーレムの足止めのために強力な精霊魔術を放とうと、同時に詠唱を開始した。


『――堅牢なる(ロケンウラン)土の精霊よ(オダイリス)……!」


母上が、得意とする土の精霊魔術で、壁を作り出そうとする。


私の『瞳』には、母上の唇から紡がれた、完璧で美しい黄金の旋律が、術式として構築されようとするのが視えた。


「――お母様!だめ、音が!」


 私が叫んだ、次の瞬間。


 その旋律が精霊に届くよりも速く、周囲に渦巻く紫色の不協和音が、まるで飢えた獣のように襲いかかり、黄金の旋律をズタズタに引き裂いてしまったのだ。


 結果、何も起こらなかった。いや、母上の足元で、ぱらり、と少量の土埃が舞っただけだった。


「くっ……!詠唱が届かない……!?」


 母上の顔に、初めて焦りの色が浮かぶ。


「無駄です、エリアーナ様!」


 アルフレッド先生が叫びながら、『魔力弾(バレット)』を放つ。


「音そのものが歪められては、術式が成立しません!精霊魔術は、ここでは封じられたも同然!」


 私たちの最大の武器である精霊魔術が、完全に無力化された。


 私たちは、文字通り、なすすべなく撤退するしかなかった。


 宿舎に戻り、全員が疲労困憊で椅子に沈み込む。


「先生…。ゴーレムは、魔獣なのですか…?」


 私の問いに、アルフレッド先生は、重々しく首を振った。


「いいえ。あれは、魔獣とは全くの別物。…禁忌とされる古代魔法『死霊魔法(ネクロマンシー)』の原理を応用した、『虚魂術(ホロウ・アーツ)』によって動く、魂なき人形です。術式は製造時に本体に直接刻み込まれるため、術者がその場にいなくとも、与えられた命令を半永久的に実行し続けます」


 先生の言葉に、今度は母上が険しい顔で続けた。


「つまり、あのゴーレムは、この遺跡が作られた古代から、ずっとあの場所を守り続けている『番人』…。ですが、なぜ今になって、無差別に攻撃を?」


「おそらく…」


 先生は、苦々しい表情で自らの仮説を述べた。


「この峡谷を覆う瘴気が、ゴーレムの制御術式に干渉し、暴走させているのでしょう。いずれにせよ、あの忌々しい音の呪いをどうにかしなければ、確かめようもございません。戦闘どころか、まともに歩くことすらできないのですから」


 全員が、再び沈黙する。


 私の『瞳』には、あの峡谷の方角から、今もなお、苦しみに満ちた不協和音の旋律が、ゆらゆらと立ち上っているのが視えていた。


 この、誰も解き明かせない「音の呪い」。


 その鍵を握っているのが、私の『瞳』と、私の『歌』であることだけは、間違いなさそうだった。

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