第42話 三重奏
宿場町リベルを出発してから、三日目の朝。
野営地で、ペトラが初めてキャラバンの一員として朝を迎えた。彼女はまだ少し遠慮があるのか、一人離れた場所で、使い込まれた小さなノミの手入れをしている。その姿は、周囲を窺う小動物のようでもあった。
そこへ、セリナがおずおずと近づいてくる。
「ペトラさん、朝食の準備ができました。…それから、こちらを」
セリナが差し出したのは、彼女のために用意された、真新しい下働き用の簡素なワンピースだった。 しかし、ペトラはそれを一瞥すると、申し訳無さそうに口にした。
「…スカート。作業で汚してしまうかも」
「汚れることは気にしなくても良いのですよ、これは下働き用の服ですから」
「でも、動きづらそう」
その様子を見ていた私は、二人の間に割って入った。
「セリナ、ありがとう。だけどペトラには、もっと丈夫な作業着の方がいいかも。そうだ!セリナ、このキャラバンには、裁縫道具や、もっと丈夫な予備の布地があったよね?」
私の突然の提案に、セリナはきょとんとする。
「え?ええ、ございますが…」
「ペトラ、もしかしたら、自分で動きやすい服を作れたりしない?」
私がそう言うと、ペトラは少しだけ驚いた顔をしたが、やがて、その瞳に職人としての光を宿した。
「…え、いいの?布と針と糸があるなら、やる!こんなヒラヒラした飾りは全部取っ払って、機能性重視のズボンに作り替えてみせるよ」
目を輝かせるペトラの様子にセリナは少しむっとしたが、母が遠くから、
「良い考えですわ、パスティエール。ペトラ、あなたの腕前、見せていただきましょう」
と声をかけてくれたことで、小さな嵐はひとまず収まった。
そんなぎこちない朝の後、旅は再開された。
その日の昼下がり。岩がちな悪路を進んでいたキャラバンで、私たちが乗る馬車が、バツンッ!という何かが断ち切れるような鈍い音と共に、ガコンッ、と大きく傾き、動かなくなってしまった。
「うわっ!ビックリしたー」
「…はしたないですよパスティエール」と母は落ち着いた表情で窓の外に問いかける。
「どうしましたか?」
護衛の兵士たちが駆け寄る。
どうやら、車体を吊っていた頑丈な革製の懸架装置の一部が、岩との衝撃で断裂してしまったらしい。
「革帯が完全に切れている!」
「予備はあるが、この場で繋ぎ直しても、またすぐに切れるかもしれんぞ!」
大人たちが頭を悩ませる中、それまで隅で退屈そうにしていたペトラが、すっと立ち上がった。
彼女は馬車の周りを一周し、破損箇所を一瞥した後、意外な場所を指さした。それは、破損していない、反対側の車輪の付け根だった。
「…原因はこっちじゃない。こっちだと思う」
彼女は、独り言のようにそう呟く。
「何言ってるんだ、嬢ちゃん。壊れてんのはこっちだぞ」
兵士の一人が訝しげに言うが、ペトラは構わず続けた。
「だから、ここの角度が、おかしい。設計が甘いよ。だから、あっちに無理がかかって、切れたんだ。ここを直さない限り、新しい革に替えても、また同じことになる」
そのあまりに本質を突いた指摘に、兵士たちは言葉を失う。
アルフレッド先生が、ほう、と感嘆の声を漏らした。
「なるほど…。症状ではなく、原因そのものを見抜いた、と。素晴らしい観察眼ですな」
母エリアーナが、兵士たちに指示を飛ばす。
「聞きましたね。彼女の言う通りになさい。まずは車体全体の歪みを修正します」
兵士たちが、ペトラが指し示した箇所の歪みを、てこや槌を使って慎重に修正していく。
すると、断裂した革帯の交換作業が、嘘のようにスムーズに進み始めたのだ。
その夜の野営地。ペトラは、もう孤立してはいなかった。兵士たちが、目を輝かせた彼女を囲んで、武器の修理や設計について、専門的な議論を交わしている。
夕食の後、私はセリナとペトラを、自分の焚き火のそばに呼んだ。
私は、ちびギターを取り出すと、リベルからの道中で作った、新しい旅の歌を歌い始めた。セリナは、うっとりとその歌声に聴き入っている。
一曲歌い終えると、案の定、ペトラが楽器そのものに食いついてきた。
「…ねえ、パスティエール様。その『木の箱』。ドワーフの仕事だろうけど、良い腕だ。でも、使ってる木材が普通すぎる。だから、音の響きがすぐに死ぬ。もったいないよ」
職人らしい、的確な批評。
私は、待ってましたとばかりに、目を輝かせた。
「ええ!よくお分かりになりました!アイアン・フォルトのブロックさんという、ドワーフの職人様に作っていただいたのですわ!でも、やっぱり木材が…」
「ですから、次の街で、最高の木材を手に入れるのです!『響木』という、魔力が通しやすいという珍しい木を!」
『響木』。その言葉に、ペトラの瞳が、これまでで一番の強い光を宿した。
「…『響木』だって…!?」
「ええ!その木で、新しい楽器を作りたいのです。ペトラなら、きっとできますよね?」
私の問いかけに、ペトラはしばらく興奮した様子でブツブツと何かを呟いていたが、やがて、はっと我に返った。
私は、彼女の熱意が嬉しくて、もっと彼女のことを知りたいと思った。ふと、朝から彼女が大事そうに手入れしていた、使い込まれた『工具袋』に目が留まる。
「ペトラのその道具も、とても素敵ですね。もしかして、孤児院からずっと大事に持ってきたのですか?」
私がそう言うと、ペトラは手の中の小さなノミを、愛おしそうに握りしめた。そして、ぽつり、ぽつりと、自分の過去を語り始めた。
「…わたしの親父は、ドワーフの職人だった。旅をしながら、あちこちで仕事をするような、風来坊だったらしい」
「お袋は、リベルの酒場で働いてた人間。そこで、親父と会ったんだと」
ハーフドワーフ。その言葉の裏にある、彼女の孤独。私の『瞳』には、彼女の旋律が、寂しそうに揺らぐのが視えた。
「わたしが、五つか、六つくらいの時だったか…。親父とお袋と一緒に、キャラバンに乗ってた。…そしたら、魔獣の群れに襲われた」
ペトラの声は、淡々としていた。けれど、その握りしめられた拳は、白くなるほど力が入っている。
「お袋は、わたしを荷物の木箱の中に隠した。『絶対に、声を出すな』って。…親父は、たぶん、戦ってた。金槌を振る音と、獣の咆哮が聞こえた。それから…お袋の、短い悲鳴が聞こえて…。あとは、何も聞こえなくなった」
次に気づいた時、彼女は別のキャラバンに保護されていた。けれど、そこに両親の姿はなかった。ただ、彼女が隠されていた木箱のすぐそばに、この小さなノミが一本だけ、突き刺さるようにして残っていたのだという。
「…だから、わたしは、モノを作る。これだけが、親父とお袋が、そこにいたっていう、証だから」
私は、かける言葉が見つからなかった。ただ、黙って、彼女の話を聞いていた。やがて、私は静かに口を開いた。
「ペトラの作るものは、とても温かい音がします。きっと、お父様とお母様の想いが、その手と、ノミに宿っているのですね」
その言葉に、ペトラの肩が、小さく震えた。
その時、私たちの背後から、そっと、温かい毛布がかけられた。
「…夜は、冷えますから」
振り返ると、セリナが立っていた。彼女は、温かいミルクの入ったカップを二つ持っている。
セリナは、私の隣に座ると、もう一つのカップを、ペトラの前にそっと差し出した。
「…あ、どうも」
意外にも、ペトラは素直にそれを受け取った。先ほどの修理の一件で、少しだけ周囲への警戒が解けたのかもしれない。
セリナは、ペトラが素直に受け取ったことに少し驚きつつも、嬉しそうに微笑んだ。
ペトラは、手の中の温かいミルクを一口飲むと、先ほどの私の問いに、答えるように言った。
「…うん。最高の素材があるなら、わたしが、最高の『楽器』を作ってやる。パスティエール様を、もっとびっくりさせてやるんだ」
それは、私とペトラの間に交わされた、最初の約束。
「わたくしも、お手伝いします!」
セリナが、嬉しそうに会話に加わってくる。
ちょっぴり職人気質な少女と、ドジっ子侍女、そして歌うことしかできない私。三人の間に、言葉はなかった。ただ、焚き火の最後の炎が、ぱちりと音を立てて弾ける。
私の『瞳』には、三つの、全く違う音色を奏でていた旋律が、その瞬間、ほんの少しだけ、一つの穏やかなハーモニーとなって、夜空に溶けていくのが視えていた。
私たちの不揃いな三重奏は、こうして、北の街ケルドへの道を、確かな絆を紡ぎながら、進んでいくのだった。




