第41話 少女の執念
宿場町リベルを出発してから、二日目の昼下がり。
馬車は、これまでの賑やかな街道から一転し、領地北部の荒涼としつつも雄大な内陸路を、次の目的地「遺跡の街ケルド」へと向かって進んでいた。私は、窓の外を流れる景色を眺めながら、『響木』に思いを馳せていた。
そんな穏やかな時間の中、馬車の後方で馬を駆っていたアルフレッド先生が、すっと私たちの馬車と併走してきた。それに気づいた母上が、馬車の窓を静かに開ける。
「どうしましたの、先生」
先生は、馬上から鋭い視線で後方を一瞥すると、声を潜めて告げた。
「エリアーナ様。どうやら、我々の後を追う者がいるようですな」
「…魔力反応は?」
母上が、静かに問う。その表情に、緊張が走った。
「微弱です。敵意も感じられぬ。ですが、実に執拗い。昨日の昼過ぎから、ずっと同じ距離を保ち続けております」
その言葉に、私ははっとした。
(やっぱり、気のせいじゃなかったんだ…)
実は私も、昨日の野営の時から気づいていたのだ。私の『瞳』に映る、キャラバンの最後尾から少し離れた場所に、ぽつんと存在する、小さな旋律。
それは、魔獣が放つ禍々しい不協和音ではなく、もっとずっと小さく、か細い光。
けれど、その旋律は、不安と、焦りと、そして強い決意がないまぜになったように、激しく、必死に揺れ動いていた。
「おそらく、子供です」
私の言葉に、母上と先生は少しだけ驚いた顔をした。
「ほう…パスティエール様には、お分かりになるのですな」
「はい。とても、一生懸命な音がします。悪い人では、ないと思いますわ」
私の言葉に、母上は少しだけ考え込むと、やがて護衛の兵士に冷静な指示を飛ばした。
「刺激しないように。ただし、監視は続けなさい。相手が子供であろうと、油断は禁物です」
その日の夕暮れ。私たちが、岩陰に風を避けるようにして野営の準備を始めた頃、ついにその「影」は動いた。いや、動けなくなった、と言うべきだろう。
「報告します!キャラバン後方、約二百メートルの茂みにて、倒れている少女一名を発見!」
見回りをしていた兵士の一人からの報告に、野営地がにわかに緊張に包まれた。
報告を受け、母上とアルフレッド先生が、数名の護衛を連れて現場へと向かう。私も、心配でセリナと共にその後をついていった。
「パスティエール様、危険です…!」
セリナの制止も、今の私には聞こえなかった。
そこにいたのは、リベルの孤児院で見た、あの茶色い髪の女の子だった。
彼女は、空腹と数日間の追跡による極度の疲労で、もはや立ち上がる力も残っていないようだった。『光玉』の光に照らされたその瞳は、兵士たちに囲まれながらも、私たちを睨みつける元気もなく、ただ荒い息を繰り返している。
その唇はカサカサに乾き、全身が「もう動けない」と訴えているようだった。
母上は、領主の妻として、冷静かつ厳しい口調で彼女に問いかけた。
「名を名乗りなさい。あなたは、なぜ我々の後をつけていたのです?目的によっては、ただでは済みませんよ」
母上の威圧感に、少女の肩がびくりと震える。けれど、彼女は何かを答えようとするも、疲労でかすれた声が「…あ…ぅ…」と漏れるだけだ。
ただ、その視線だけが、集団の中から必死に私の姿を探しているのが、私にはわかった。
その、助けを求めるような瞳に、私はいてもたってもいられなくなった。
「母上」
私は、母上の前に進み出ると、まっすぐに彼女を見つめた。
「この方は、リベルの孤児院にいらっしゃった方ですわ。きっと、悪い人ではありません」
私は、彼女の前にゆっくりとしゃがみ込み、その視線を合わせる。
「ペトラさん!大丈夫!?」
私の呼びかけに、彼女の奏でる、か細い旋律が、安堵の光を放って、わずかに揺らぐのが視えた。
彼女は、震える手で、懐から何かを取り出すと、それをぎゅっと握りしめた。それは、油で汚れ、小さく使い込まれた『工具袋』のようだった。
「…パスティエール…ちゃん…」
掠れた、けれど芯のある声。 そして、堰を切ったように、彼女は自分の想いをぶつけた。
「…あなたが、わたしの作品、すごいって…言ってくれたから…!」
「わたし、もっと作りたい…!あなたをびっくりさせるような、すごいものを作りたい…!だから、連れてって…!」
不器用で、飾り気のない、魂からの叫び。 その言葉と共に、彼女の瞳から、こらえきれなかった一筋の涙が、土埃に汚れた頬を伝った。
その真摯な告白に、そこにいた大人たちは皆、言葉を失っていた。
私は、立ち上がると、母上に向き直り、これまでの人生で最も深く、頭を下げた。
「母上、お願いがございます!この方を、わたくしたちの旅に、連れて行ってはいただけないでしょうか!この方の作るものは、本物ですわ!わたくしが、保証いたします!」
母上は、私がこの少女の才能を正確に見抜いていることを理解したのだろう。そして、その器用さを持つ彼女が、私の助けになるかもしれないという合理的な判断と、娘にできた「同年代の友人」への配慮から、静かに、しかしはっきりと、その決断を口にした。
「…分かりました。その才、見届けましょう。ただし、身元不明の者を無条件で侍女として側に置くわけにはいきません。まずは『下働き』として、キャラバンの雑務を手伝わせます。セリナ」
「は、はいっ!」
名前を呼ばれ、セリナの背筋が、ぴんと伸びる。
「この子は、あなたの預かりとします。侍女としての作法以前に、まずは使用人としての基本を、一から厳しく教えなさい」
「は、はいっ!承知いたしました!」
セリナは、戸惑いながらも、力強く返事をした。
母上は、まだぐったりとしているペトラに向き直る。
「ペトラ。あなたの覚悟、しかと聞き届けました。ようこそ、私たちの旅へ。仕事は厳しいですが、働き次第では、いずれあなたの望む道も開けるやもしれません」
こうして、ちょっぴり一途な職人見習い、ペトラは、キャラバンの下働きとして、私の旅の、最初の仲間となったのだった。




