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第39話 孤児院と新たな出会い

 宿場町リベルでの滞在四日目の朝。


 母上は、辺境伯夫人としての公務の一つとして、街の孤児院への公式な慰問(いもん)を予定していると、朝食の席で告げた。


「今日は、聖教国エリュシオンが運営する教会、および併設されている孤児院を訪問します。パスティエール、あなたも同行なさい」


 私は、思わず聞き返した。


「教会…ですか?はい。ですが母上、アルフレッド先生のお話では、聖教国と我が国は、その…あまり考え方が合わないのでは…?」


 先日教わったばかりの、水面下での冷戦関係。神の奇跡を信じる聖教国と、それを技術で解き明かそうとする魔導国。そんな対立関係にある国の施設が、なぜこの領地にあるのだろう。


 私の問いに、母上は紅茶のカップを静かに置くと、優しく微笑んだ。


「これも、あなたの勉強の一つです。よくお聞きなさい。聖教国の教会は、この国において、いわば『大使館』のようなもの。帝国という共通の敵がいる以上、外交上の窓口として、その存在を認めざるを得ないのです」


「では、孤児院は…?」


「慈善活動ですわ」


 母上は、少しだけ皮肉な笑みを浮かべた。


「彼らは、神の教えの素晴らしさを示すため、孤児の救済に非常に熱心です。そして、我々にとっては…国のお金を使わずに社会福祉(しゃかいふくし)を担ってくれる、都合の良い存在でもある。互いの利害が、ここでは一致しているのです」


(なるほど…大人の世界って、やっぱり複雑なのね…)


「ですが、パスティエール。よく見ておくのです。彼らの善意の裏にあるものを。そして、そこに生きる子供たちの、本当の心を」


 母上の言葉の真意を、私はまだ完全には理解できなかった。


 私たちが訪れたのは、街の少し寂れた地区にある、教会が運営する孤児院だった。建物は古く、清潔に保たれているものの、子供たちの数に対して手狭なのは明らかだった。


 院長のシスターに案内され、中へ入る。そこにいたのは、様々な種族の子供たちだった。人間の子、耳の尖った子、獣人の子。リベルが「十字路」であるがゆえに、様々な事情で親を失った子供たちが、ここに集められていた。


 子供たちは、突然現れた豪華な身なりの私たちに怯え、警戒し、遠巻きにこちらを見つめているだけ。母上が優雅に微笑みかけ、セリナが寄贈品である食料や衣服を渡しても、彼らの心は固く閉ざされているようだった。


 私の『瞳』には、子供たちの奏でる旋律が、不安や寂しさでくすみ、不協和音を響かせているのが視えていた。


 その輪から少し離れた隅の方で、一人、ガラクタの山に背をもたれて座っている女の子がいた。歳は私より少し上くらい。人間の子より少しがっしりとした体つきに、無造作な三つ編みにした茶色い髪。


 彼女は、私たちのことなど意にも介さず、何か手の中の部品をいじくり回している。他の子供たちの旋律が不安や警戒でざわめいているのに、彼女の奏でる旋律だけは、まるで機械みたいに、周囲に一切興味がなさそうだった。


(…でも、なんだろう。気だるげな旋律の奥で、何か小さな火花みたいな、熱いものがパチパチと弾けているのが視える…)


(こんな時、私にできることは…)


 私は、意を決して母上に願い出る。


「母上、わたくし、子供たちのために、歌を歌ってもよろしいでしょうか」


 母上は一瞬ためらうが、静かに頷いた。


「ええ。あなたの歌なら、きっと子供たちの心にも届くでしょう」


 私は、子供たちの輪の中央に進み出ると、ちびギターを構える。前世の母上が、病室でいつも歌ってくれた、あの優しい子守歌を歌う。


「…おやすみ~わたしの~たからもの♪そっと~まぶたを とじたなら……」


 私の澄んだ歌声と、穏やかなメロディーが、静かなプレイルームに響き渡る。


 最初は訝しげに見ていた子供たちだったが、その歌声に込められた純粋な優しさに少しずつ表情が和らいでいく。警戒心で尖っていた旋律が、ゆっくりと解きほぐされていくのが、私の『瞳』には視えた。


 一番幼い獣人の女の子が、おずおずと私のそばに寄り、その服の裾をきゅっと握る。それをきっかけに、他の子供たちも、一人、また一人と、私の周りに集まり始めた。


 歌が終わる頃には、子供たちはすっかり私に懐き、その周りに座り込んで、キラキラした瞳で私を見つめていた。


 その中で、隅にいた茶髪の女の子だけは、まだ部品をいじっていた。けれど、その視線は…私ではなく、私の構える『ちびギター』の構造に、じっと向けられていることに、私は気づいていた。


「おねえちゃん、もう一回うたって!」


 アンコールの声に、私は笑顔で応える。

「じゃあ次はみんなでジャンプできるかなー?」


「ぴょんぴょん跳ねるっ!ウサギさん♪ ふかふかお耳はどこへ行く~♪ かくれんぼしよう~草むらで♪きみを見つけるまで歌おう~ピョンピョンピョンピョン…」


 リズムに合わせて子どもたちが私の回りをピョンピョン飛び跳ねる、私もとても楽しい時間を過ごした。


 慰問の時間が終わる頃には、あれほど固く閉ざされていた子供たちの心は、すっかり解きほぐされていた。


 別れの挨拶を済ませ、私たちが部屋を出ようとした、その時だった。


 私は、ふと足を止め、一人で作業を続けていた茶髪の女の子の元へと歩み寄った。


「それ…もしかして、からくり仕掛け?」


 彼女は、びくりと肩を震わせ、慌てて手の中の部品を隠そうとした。


「な、なんで…わかったの…?」


 その声は、不機嫌というより、驚きと不安に満ちていた。


 彼女の足元に、作りかけの木彫りの小鳥が転がっているのが見えた。私は、それをそっと拾い上げる。


「すごい…!」


 私の口から、心からの賞賛が漏れた。


「これ、ただの木彫りじゃないわね、この中の歯車と、このバネ…連動してるの?もしかして、これ…動くの!?」


 お世辞や同情ではなかった。私の『瞳』には、その小さな木彫りに込められた、彼女の燻っていた『技術への情熱』が、一気に燃え上がって、眩しいくらいの、高速の旋律に変わっていくのが視えたのだ!


「!?」

 彼女はカッと目を見開いた。 


「…わ、わかるの?」

 その声は震えていた。


「わかるよ!だってこれとても精巧!ねぇ、この歯車の連動はどうやって…」


 私がさらに食いつこうとした時、彼女は、それ以上何も言えなかった。ただ、目を丸くして私を見つめ…やがて、その目から、ぽろぽろと大粒の涙をこぼした。


「えっ、あ、ご、ごめん!わたし、何か変なこと…」


「…ううん」

彼女は首を横に振った。


「…うれ、しくて…」


「う、嬉しい…?」


 彼女は、油で汚れた手の甲で、ごしごしと涙を拭った。


「…うん。だって、わたしのこれ、みんな『変なガラクタ』って言うし…誰も、この『仕組み』のことなんか、知ろうともしてくれなかったから…」


 彼女は、潤んだ瞳でまっすぐ私を見つめた。


「あなた、本当にこれ、すごいって思う?」


「思う!すごく思うよ!」

私は力強く頷いた。


「だって、こんなに小さいのに、ちゃんと動く仕組みを考えてるんでしょ?わたし、こういうの大好きだから!」


「…へへっ。そっか…」

 彼女は、照れたように笑った。それは、気だるげな旋律しか奏でていなかった彼女が、初めて見せた、年相応の笑顔だった。


「あのね、ここのバネはね、本当はもっと強いのが良くて、そうすれば羽がね…!」


「うんうん!それで、動力は…?」


「あ、それはね!」


 私と彼女が、目を輝かせて技術談義に花を咲かせようとした、まさにその時。


「パスティエール様、そろそろお時間です」

 部屋の入り口から、セリナの静かな声が響いた。


「あ!もう行かなきゃ…」

 私は慌てて立ち上がる。


「えっと、あなたの名前は?」


「…ペトラ」


「ペトラさん!あのね、この小鳥、本当にすごいよ!もっとたくさん、ペトラさんの作ったもの、見てみたい!」


 私の言葉に、ペトラは一瞬はっと目を見開くと、その作りかけの木彫りの小鳥を、ぐいっと私の手に押し付けた。


「…あげる。まだ、作りかけだけど…」


「え!?い、いいの?ありがとう!大事にするね!」


「…うん」


 私は、ペトラから受け取った宝物を胸に抱きしめ、母上やセリナの待つ出口へと急いだ。


 部屋を出る直前、もう一度振り返る。

 ペトラは、ガラクタの山の中で、まだ私の方をじっと見つめていた。その瞳が、さっきよりもずっと強く輝いているのが、私には視えていた。


 翌日、宿場町リベルでの数日間の滞在を終え、一行が次の目的地「遺跡の街ケルド」へと出発する朝。


 商人ギルドのギルド長や、先日仲直りしたリザードマンと猫獣人、そして多くの街の人々が見送りに来てくれる。


「嬢ちゃんの歌、また聴かせてくれよ!」


 温かい声援に、私は馬車の窓から身を乗り出して、満面の笑みで手を振った。


 私たちの後ろには、次の街まで同行するという、新たな商人たちの馬車が長い列を作っている。この街は、まさに出会いと別れの十字路なのだ。


 やがて、キャラバンはゆっくりと動き出し、リベルの賑やかな喧騒が、少しずつ遠ざかっていくのだった。


【幕間】

 その様子を、孤児院の屋根裏の小さな窓から、一人の少女がじっと見つめていた。


 少女――ペトラは、キャラバンが見えなくなるまで見送ると、意を決したように立ち上がった。そして、使い込まれた小さなノミと、いくつかの工具、作りかけの部品を、古びた布袋に詰め込む。


(あの人なら、わたしの技術の価値がわかる…!)


(あの人の楽器、初めて見たけど、わたしならもっと上手く作れるんじゃない!?)


 初めて見つけた理解者。


 その純粋な技術者としての探求心と興奮が、彼女を突き動かした。


 彼女は、誰にも気づかれぬよう、孤児院の裏口からそっと抜け出した。


 馬車が街を離れ、北へと続く街道に乗った、その時。


 キャラバンの誰一人として、気づいてはいなかった。その最後尾から一定の距離を保ち、一行の動きを追跡する、小さな影が一つ、静かにその旅路を開始したことを。


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