第33話 勝利と豊漁の歌姫
港町サザンへの帰路は、歓喜に満ちていた。
海は、嘘のように穏やかな紺碧の輝きを取り戻している。私たちの船に先行する形で、漁師さんたちの船団が、我先にと大漁旗を掲げ、故郷の港へと急いでいた。彼らは、これから始まるであろう祝宴の、最初の使者となるのだ。
(豊漁と凪の精霊様、本当にありがとう!)
私は、穏やかな海を見つめながら、心の中で陽気な精霊のおじいさんにお礼を言った。
私たちの船が港に到着する頃には、街はすでに、熱狂の渦に包まれていた。先に帰還した漁師さんたちが伝えた奇跡的な勝利の知らせに、街中の人々が仕事を放り出して港へと駆けつけていたのだ。
「うおおお!姫様のおかえりだ!」
「エリアーナ様、万歳!姫さま、万歳!」
「よくぞ、化け物を退治してくださった!」
船から陸に上がった途端、私は屈強な漁師さんたちに軽々と抱え上げられ、何度も、何度も胴上げされた!
「きゃーっ!高い、高いー!」
空中に放り上げられるたびに、青い空と、たくさんの笑顔が見える。少し怖かったけれど、それ以上に、街の人々の喜びが直接伝わってきて、私も嬉しくてたまらなくなった。
母上や先生、護衛の兵士さんたちも、領民さんたちの手荒い祝福にもみくちゃにされているのが見えた。みんな、困ったような、でも嬉しそうな顔をしている。
その日の夜は、代官の館だけでなく、街の中央広場全体が、巨大な宴の会場となった。
漁師さんたちが獲れたての大きな魚を豪快な炭火焼きにし、女の人たちが大鍋で魚介の良い匂いがするスープを振る舞ってくれる。どこからか持ち出されたお酒の樽がいくつも並び、広場には陽気な音楽と、人々の楽しそうな笑い声が、夜遅くまで絶え間なく響き渡っていた。
もちろん、その宴の主役は私だ。けれど、七歳の私は、英雄扱いされることよりも、目の前に並べられた、見たこともないほど美味しそうな海の幸の方に夢中だった。カニ!エビ!大きな貝!全部ピカピカ光って見える!
(ひゃー!この世界で初めてのカニとエビだっ!食べまくるぞー)
夢中でカニの足をほじっていると、私の肩に、ちょん、と何かが触れた。
見ると、あの時の小さな青い精霊だった。仲間たちも引き連れて、私の周りをふわふわと漂っている。どうやら、楽しそうな宴の雰囲気に誘われて出てきたみたい。
(うふふ、あなたたちも楽しんでるのね)
私が心の中で話しかけると、青い精霊は嬉しそうに明滅し、私の持っていたカニの殻に興味深そうに近づいてきた。
(これは食べられないよ。美味しいのはこっちの中身!)
私がカニの身を見せると、精霊たちは「わぁ!」という感じでキラキラと輝き、私の周りをくるくると踊り始めた。他の人には見えない、私だけの小さな宴会だ。
「パスティエール様。これは、街の者からの、心ばかりの礼です」
宴の途中、ボルグさんと漁師ギルドの長さんが、小さな木箱を手に、私の前に恭しく跪いた。
「わぁ…!」
箱の中に入っていたのは、月の光を閉じ込めたかのように、淡く、優しく輝く、見事な真珠がたくさんついた髪飾りだった。すごく綺麗!
「とっても綺麗…。ありがとうございます!」
私は、その輝きに、素直に心を奪われた。早速セリナにつけてもらおうっと!
宴は夜更けまで続き、私はいつの間にか、セリナの隣でこくりこくりと舟を漕いでいた。
翌朝。
街は、まだ昨夜の宴の優しい余韻に包まれていたけれど、私は早起きをして、セリナと一緒に広場へと向かった。朝市が開かれていて、美味しいものがたくさんあると聞いたからだ。
「早くセリナ!朝市で美味しいものを食べるのよ!」
すると、広場の一角で、街の子供たちが集まって、『ヨッコラヤッコラ節』を元気に歌い、踊っていた!
「根性見せろや~♪腰落とせ~♪大漁旗を掲げるぞぉ!ヨッコラヤッコラ!ドッコイショ!!」
その光景に、私の心はぱっと明るくなった。昨日まで恐ろしい魔獣に怯えていた子供たちが、こんなに楽しそうに歌っている!
「私も混ぜて!」
私は、セリナが「姫様、はしたのうございます!」と止めようとするのも聞かずに、子供たちの輪の中へと駆け込んだ。
子供たちは一瞬驚いたが、すぐに「姫様だ!」「一緒に歌って!」と大喜びしてくれた。
私は、この二日間で漁師さんたちに叩き込まれた、力強い振り付けで、子供たちの中心で歌い、踊った。「♪ヨッコラヤッコラ!ドッコイショ!!」
私の澄んだ歌声が加わると、子供たちの歌はさらに勢いを増す。
すると、私の『瞳』に、素敵な光景が映った。広場の噴水や、朝露に濡れた木々から、小さな水の精霊や風の精霊たちが次々と飛び出してきたのだ。
彼らは私たちの周りをキラキラと飛び回り、子供たちの元気な歌声に合わせて楽しそうにリズムを刻んでいる。
やがて、私たちを見ていた大人たちや、朝市の準備をしていた漁師さんたちも、笑顔で手拍子をしたり、野太い声で歌に加わったりと、広場はまるで即席の音楽祭のような、楽しくて温かい賑わいを見せた。
人と精霊の心が、歌を通じて一つになる。なんて素敵な光景なんだろう!
忘れられかけていた古い歌が、今、この街で、完全に新しい命を吹き返したのだ。歌って、やっぱりすごい!
それから数日後。私たちは、港町サザンの人々からの、いつまでも鳴りやまない熱烈な見送りを受け、次の目的地である『領境の街ライムス』へと出発した。
馬車の窓から、いつまでも手を振ってくれるボルグさんや子供たちの姿が見えなくなるまで、私も一生懸命に手を振り返した。
サザンの街にも、私の歌が響いた。
そして、たくさんの笑顔が生まれた。
その温かい記憶を胸に、私たちの旅は、まだ続く。
ヨッコラ!!ヤッコラ!!ドッコイショォォォォ!!!
遠ざかる港町から、今日も漁師さんたちの元気な歌声が、風に乗って聞こえてくるような気がした。
…ちなみに、ずっと後になって聞いた話だけど、あのサザンの港町では、私たちが去った後、一つの習わしが生まれたらしい。
新しく造られた船の舳先には、必ず、一体の木彫りの船首像が飾られるようになったんだって。
それは、風に髪をなびかせ、水平線の彼方に向かって朗々と歌い上げる、小さな女の子の像。
漁師さんたちは、その像を『勝利と豊漁の歌姫』と呼んで、海の守り神として、とても、とても大切にしてくれているそうだ。
その話を聞いた時は、なんだかすごく照れくさかったけど、同時に、胸の奥がじんわりと温かくなったのを覚えている。私の歌が、そんな風に形に残って、今も誰かの力になっているのかもしれない、と思えたから。
きっと今も、あのサザンの港町では、漁師さんたちの元気な歌声が響き渡っているんだろうね。




