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第27話 港街サザン

 港町サザンでの最初の朝は、領都とは全く違う音と匂いで始まった。


 遠くから聞こえる、船の出港を知らせるらしい汽笛の音。カモメの甲高い鳴き声。そして、窓から流れ込んでくる、しょっぱい潮の香り。


 私は、生まれて初めての体験に胸を躍らせ、セリナに急かされるのももどかしく、朝食を済ませた。


 準備を整えた私たちは、代官代理であるボルグさんの案内で、街の視察へと向かった。


「まずは、このサザンの心臓部である港をご案内いたします」


 石畳の坂道を下っていくと、視界が一気に開け、活気に満ちた港の全景が目に飛び込んできた。


 大小様々な船が、所狭しと停泊している。小さな漁船から、遠くの商業都市連合との交易に使われるという、巨大な帆船まで。船乗りたちの威勢の良い掛け声、荷馬車を引く馬のいななき、そして荷下ろしのクレーンが軋む音。その全てが、この街が生きていることを物語っていた。


 そして、何よりも私の目を引いたのは、港で働く人々の多様な姿だった。


 樽や木箱を軽々と担いで運んでいるのは、立派な牙と髭を蓄えた、セイウチかトドのような屈強な獣人さんたち。網の補修をしたり、獲れたての魚を市場に運んだりしているのは、鱗に覆われた肌を持つ魚人さんたちだ。


(すごい…。本当に、色々な人が一緒に暮らしているんだ…)


 私の『瞳』には、彼らが放つ、人間とは少し違う、けれど力強く、海のように大らかな魔力の旋律が、生き生きと映っていた。


 ボルグさんは、街の名産品だという干物や、山のように積まれた塩の袋を指差しながら、この街の産業について説明してくれた。


「この辺りは晴れの日が多いため、古くから塩作りが盛んでしてな。最近では、魔導院からいらした技師様のご指導で、火と風の精霊魔術を応用した『魔導塩田』も稼働しております。これにより、天候に左右されず、安定して良質な塩を生産できるようになりました」


 魔術が、人々の生活を直接支える技術として根付いている。その事実に、私は改めて感心した。


 一通り港を見て回った後、私は母上にこっそり尋ねた。


「母上、砂浜はどこですの…?」


 前世の記憶にある、白い砂と青い波が打ち寄せる、美しい海岸。それを期待していたのだが、目の前に広がるのは、船を着けるための石造りの埠頭と、荷揚げのための無骨な施設ばかり。


「あらあら。この港は仕事をする場所ですもの。綺麗な砂浜は、街の北の外れまで行かないとありませんわよ」


 母上の言葉に、私は少しだけしょんぼりする。


「明日、セリナと二人で行ってもよろしいですか?」


「ええ。もちろん、護衛を付けてなら構いませんよ」


 その言葉に、私はぱあっと顔を輝かせた。


 午後からは、代官の館で、母上が執政者として街の人々の話を聞く時間になった。


 漁師ギルドの長、商人たちの代表、駐留(ちゅうりゅう)する兵士の隊長など様々な人々が、母上の前でこの街が抱える問題や、要望を次々と陳情(ちんじょう)していく。母上は、その一つ一つに真摯に耳を傾け、時には厳しく、時には優しく、的確な指示を与えていく。その姿は、いつも私に見せてくれる母親の顔とは違う、領主の血を引く者としての、威厳に満ちた横顔だった。


 その中で、母上はボルグさんになぜ彼が「代理」なのかを尋ねた。


「ボルグ。あなたを代官代理に任命したのは領主であるライナスですが、本来の代官殿は、まだ王都から赴任されないのですか?」


 その問いに、ボルグさんの海の男らしい顔が、痛ましげに歪んだ。


「…は。前任の代官殿は、数ヶ月前…海の魔獣の被害が拡大し始めた頃、自ら調査船を出され、沖合で…消息を絶ちました」


 その言葉に、室内の空気がぴりりと緊張する。


 ボルグさんの言葉を引き継ぐように、隣に座っていた漁師ギルドの長が、苦渋の表情で口を開いた。


「エリアーナ様。ボルグ殿の言う通り、ここ数ヶ月、沖合での被害が急増しております。幸い、大型の交易船はまだ無事ですが、我々のような小さな漁船が特に狙われておりまして…代官殿のように、帰らぬ者も後を絶たない状況でございます」


 ボルグさんが、悔しそうにその言葉を補足する。


「魚人の冒険者に調査を依頼してはいるのですが、なにぶん、魔獣は広大な海の中から現れるため、巣の特定も、その正体も、未だ掴めておりません」


 母上は、静かにその報告を聞いていた。


「分かりました。その件、わたくしたちも滞在中に調査し、できる限りの手を打ちましょう」


 母上の力強い言葉に、漁師たちは安堵の表情を浮かべた。

 視察の初日を終え、私は館の窓から、夕日に染まる港を眺めていた。


 活気に満ちた美しい街。けれど、その海の向こうには、代官様を飲み込んだ、まだ見ぬ脅威が潜んでいる。


 明日、セリナと見に行く約束をした砂浜も、ただ綺麗なだけではないのかもしれない。


 辺境に生きるということ。その言葉の重みを、私はまた一つ、学んだ気がした。

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