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第24話 初めての視察旅行

 大陸歴685年、花咲(はなさき)の月


 七歳になった春。私の初めてとなる、領内視察の旅立ちの日が、刻一刻と近づいていた。


 兄様たちがいない城は少しだけ静かだったけれど、私の周りは、この一大イベントの準備で、かつてないほど賑やかになっていた。


「パスティエール様、本日は新しいお洋服の採寸にございます」


「今度は、旅の歴史について特別講義ですわ」


「パスティ、今日は長旅に備えて、いつもより長く走るぞ!」


 私の生活は、まさに猫の手も借りたいほどの大忙し。新しい旅装用のドレスや、動きやすい乗馬服の採寸。訪問先の街の歴史や特産品についての予習。そして、長時間の移動に耐えるための体力作り。私の「五年計画」は、この旅の準備だけでも、大きく前進している気がした。


 もちろん、私だけが忙しいわけではない。

「パスティエール様、こちらはもしものための傷薬です。それから、こちらは夜冷えた時用の毛布でございまして、あっ、ちびギター様の雨避けのカバーも…!」 


 私の専属侍女であるセリナは、ここ数日、私の部屋で来る日も来る日も荷造りに追われている。彼女は、心配性なあまり、考えつく限りのあらゆるものを荷物に入れようとしていた。その結果、部屋の隅には、もはや小さな山脈のようだと評するしかない、荷物の山が築かれている。


「セリナ、さすがにそれは多すぎやしないかしら…」


「ですが!万が一ということがございますから!」


 そう言って、また新しい荷物を詰め込もうとして、自分の足元に置いてあったトランクに足を引っかけすっ転び、荷物の山に頭から突っ込んでいる。


 父上に至っては、もっとひどかった。

「パスティ!これを被っていくのだ!魔獣の爪も通さん、特注の兜だ!」


 そう言って、私の頭には到底大きすぎる、滑稽なほど頑丈な兜を持ってきたかと思えば、「やはり危険だ!護衛の兵士を今の倍に増やす!」と言い出して、母上に「あなた、少し落ち着きなさい」と呆れられている。父上の心配の旋律は、もはや嵐のようだった。


 そんな中、お爺様だけは、いつもと変わらなかった。

 離れに呼ばれた私に、お爺様は一本の小さなナイフを手渡してくれた。


「これは、お守りだ。護身の術は、己の身を助ける。」

 そのぶっきらぼうな優しさが、私の心を温かくした。


 そして、いよいよ出発の日の朝がやってきた。

 城の門前は、これまでに見たことがないほどの喧騒に包まれていた。私たちの旅に同行する兵士や侍女たちだけでなく、この機会に南の街まで安全に行こうとする商人たちの馬車や、その護衛を請け負ったであろう冒険者たちも集まっている。私が想像していたよりもずっと大きな、一大商隊(キャラバン)の様相を呈していた。


「パスティ、本当に、本当に行ってしまうのか…!父さんと離れて、寂しくないのか…!」


 出発の直前、父上は今生(こんじょう)の別れであるかのように、私の小さな体にすがりついて泣き言を言っている。


「旦那様、お時間です…」

 セリナが、困り果てた顔で父上を促している。


「フン。見苦しいぞ、ライナス。お前は城の留守を預かる身だろうが」


 その様子を見かねたお爺様が、父上の首根っこをむんずと掴んで、私から引き離してくれた。


「パスティエール、良いですか」

 母上が、私の目の前に屈みこみ、真剣な眼差しで釘を刺す。


「旅の途中、あなたが歌を歌うのは構いません。ですが、決して歌に魔力を乗せてはなりません。人前で、あなたのその特異な力を見せるのは、まだ早すぎます」


「はい、母上」

 私は、こくりと頷いた。

 やがて、準備が整い、私と母上とセリナは馬車に乗り込んだ。


 ふかふかのソファに腰を下ろすと、隣に座ったセリナが、緊張した面持ちで、ぎゅっと自分の拳を握りしめた。


「このような大切な旅にご一緒できるなんて…!パスティエール様、このセリナ、命に代えてもお守りいたします!」


「うふふ、ありがとう、セリナ。でも、そんなに緊張しなくても大丈夫よ」


 一生懸命な彼女の様子に、私は思わず笑ってしまった。

 馬車の窓から外を覗くと、私たちの出発を見送るために、たくさんの領民たちが集まってくれていた。


「パスティエール様、いってらっしゃいませ!」

「歌姫様、お気をつけて!」

「また素敵な歌を聞かせてください!」


 温かい声援に、私は少しだけ胸が熱くなるのを感じる。私は窓から身を乗り出すと、精一杯、大きな声で叫んだ。


「皆さん、いってまいります!」

 そして、精一杯、小さな手を振って応えた。

 やがて、キャラバンを率いる護衛隊長の号令と共に、私たちの馬車はゆっくりと動き始めた。


 父上とお爺様。そして、たくさんの領民たちの姿が、だんだんと小さくなっていく。


 初めての、長い旅の始まり。

 私は、これから始まる未知の冒険に胸を躍らせながら、窓の外を流れていく景色を、いつまでも見つめていた。



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