第18話 祈りの大合唱
戦いが始まってから、どれくらいの時間が経ったのだろう。
城壁の外から聞こえてくる剣戟の音や魔獣の咆哮は、一向に止む気配がない。時折、地面が揺れるほどの衝撃が伝わってきて、そのたびに負傷した兵士さんたちがうめき声を上げる。
私は、広場の中心にある野戦病院で、必死に歌い続けていた。
遠くに見える城壁の上では、母上が戦っているはずだ。時折、空に向かって眩い炎の槍のようなものがいくつも放たれ、空を飛ぶ魔獣らしき影が黒煙を上げて落ちていくのが見えた。母上はすごいな、と思う反面、心配で胸が締め付けられそうになる。
父上は、城壁の外の最前線にいるはずだ。時折聞こえてくる、ひときわ大きな鬨の声や、風を切るような鋭い音から、父上が獅子奮迅の活躍をしているのだろうと想像するしかなかった。
(父上、、母上、どうかご無事で…)
私がいるのは、次々と負傷した兵士さんたちが運び込まれてくる、野戦病院の中心。血と泥と、薬草の匂いが混じり合った、重苦しい空気が漂っている。教会の祈祷師さんたちが忙しく動き回り、あちこちから苦痛に満ちたうめき声が聞こえてくる。
私は、ただ、目の前の人たちの苦しみが少しでも和らぐようにと、一心に子守歌を歌っていた。
不思議なことに、私の歌声が届くと、苦悶に歪んでいた兵士さんたちの顔が、少しずつ穏やかになっていくように見えた。中には、すうすうと安らかな寝息を立て始める人さえいる。
(私の歌が、役に立ってる…?)
その小さな実感が、私の心を支えていた。
不意に、背後に険しい気配を感じて振り返ると、そこにはお爺様が立っていた。いつも厳しい顔をしているけれど、今日はさらに険しい表情で、広場の様子と私を交互に見比べている。その鋭い眼光に射抜かれて、私は一瞬、歌うのをやめそうになった。
お爺様は、目の前の光景…私が歌い、負傷した兵士さんたちが眠っている様子を、何か考え込むようにじっと見ていたけれど、やがて、私の隣で心配そうに私を見守ってくれていたセリナに、低い声で何かを言った。
「セリナ」
お爺様の声に、セリナがはっと顔を上げる。
「パスティエールを頼む。支えてやってくれ」
短く、しかし強い信頼を感じさせる言葉だった。そう言うと、お爺様はすぐに踵を返し、再び後方全体の指揮を執るために持ち場へと戻っていった。お爺様は、私がここで歌うことを、認めてくれたのだろうか…?
その間も、私は必死に歌い続けていた。喉はもうカラカラで、ひりつくような痛みが走る。小さな体は限界に近づいていて、立っているだけで目の前がクラクラした。けれど、歌を止めるわけにはいかない。私の歌が止まれば、この安らかな眠りの奇跡も、途切れてしまう気がしたから。
ギルバート兄様は、そんな私の姿を見て、何かを感じてくれたのだろうか。彼は、ただ見ているだけでなく、自らも負傷者の手当を手伝い始めていた。祈祷師さんたちの間を駆け回り、指示された水を運び、血に汚れた兵士さんの手を握り、包帯をきつく結び直す。自分にできることを、必死に探して動いているようだった。兄様も、自分の戦い方を見つけたのかもしれない。
セリナは、私の喉が少しでも潤うように、水差しから汲んだ水をスプーンでそっと私の口元へ運んでくれる。
「パスティエール様、無理なさらないでください…」と心配そうに言いながら。私が座れるようにと、近くにあった椅子を素早く持ってきてくれたのも彼女だった。
私は、セリナが持ってきてくれた椅子の上に、よろよろと立ち上がった。まるで舞台の上の歌姫みたいに。少しでも遠くまで、前線で戦う父上や母上にまで届くようにと、体を精一杯伸ばして、ただひたすらに、心を込めて歌い続ける。
どれくらい歌っていただろう。
ふと、私の歌声に、別の、小さな音が重なった気がした。
最初は、すぐ隣で負傷した息子の手を握っていた、お母さんの小さなハミングだった。
涙で濡れた顔のまま、それでも、祈るように、私の旋律を口ずさんでいる。
そのハミングに誘われるように、向かい側で包帯を巻かれていた若い兵士さんが、かすれた声で、ぽつり、ぽつりと歌詞を追い始めた。
(…え?)
私は、驚いて歌うのを止めそうになった。
けれど、歌は止められない。止めたくない。
私の『瞳』には、その二人の小さな歌声が、震える、けれど温かい光の旋律となって、私の歌に寄り添い始めるのが視えた。
その光景に勇気づけられたように、一人、また一人と、声が重なっていく。
治療を手伝っていた領民のおじいさん。
物資の搬入を手伝ってくれている冒険者たち。
運び込まれたばかりで、まだ意識が朦朧としているはずの兵士さん。
私のすぐそばで、ずっと心配そうに私を見守ってくれていた、セリナまで。
みんな、決して上手くはない。音程だってバラバラだし、すすり泣きが混じって、途切れ途切れの声も多い。
だけど、その一つ一つの声が、光の糸となって私の歌に織り込まれ、広場全体を包み込むような、大きな、大きなタペストリーを紡ぎ出していく。
それは、ただの合唱じゃなかった。
傷つき、疲れ果て、それでも愛する人を想い、平和を願う…人々の魂そのものの叫び。祈りの歌。
私の『瞳』には、広場全体が、金色と白銀の、温かくて力強い光の旋律で満たされていくのが視えた。それは、私が今まで見たどんな光よりも、美しくて、尊い光だった。
(これが…これが、歌の力…!)
胸の奥から、熱いものがこみ上げてくる。
歌は、ただ音を奏でるだけじゃない。人の心を繋ぎ、想いを重ね、奇跡を起こす力があるんだ!
私は、溢れそうになる涙をぐっとこらえ、皆の想いを一身に受けて、さらに強く、もっと遠くまで届くようにと、声を張り上げた。
その大合唱が、一つの巨大なうねりとなって広場全体に響き渡った、その時だった。
城壁の外から聞こえていた魔獣たちの咆哮が、ふっと小さくなったような気がした。激しかった剣戟の音も、少し遠のいた…?
「…なんだ?」
「奴らの動きが鈍ったぞ!」
広場にいた兵士さんたちの間から、驚きの声が上がる。
その変化を感じ取ったのだろう。遠く城壁の外から、父上の雷鳴のような号令が聞こえてきた。
「好機!全軍、押し返せ!今こそ辺境の底力を見せよ!」
城壁の上からも、母上の凛とした声が響く。
「今です!最大火力で援護します!」
その声と共に、今までよりもずっと多くの、何十もの炎の槍が空に現れ、城壁の外へと降り注いでいくのが見えた。
父上と母上の号令に、兵士さんたちの士気が最高潮に達したのだろう。城壁の外から、「うおおおお!」という、地鳴りのような雄叫びが聞こえてくる。先ほどまでとは明らかに違う、力強い反撃の音だった。
やがて、魔獣たちの苦しげな断末魔が響き渡り、それから、潮が引くように、戦いの音が遠ざかっていく…。
そして、ついに。
城壁の外から、天を突き上げるような、勝利の鬨が聞こえてきた。
「「「うおおおおおおおおっ!!!」」」
(勝ったんだ…!)
その歓声を聞き届けた瞬間、最後の力を振り絞って歌っていた私の体から、ぷつりと、何かが切れたような気がした。
視界が、ぐにゃりと歪む。足元が、ふわふわとして、力が入らない。
(あ、倒れる…!)
ふらり、と椅子から前のめりに倒れ込む。
「パスティエール様!」
その小さな体を、ずっと側で息を詰めて控えていてくれたセリナが、滑り込むようにして、そっと抱きとめてくれた。
周りから、「姫様!」「歌姫様が!」「誰か祈祷師を!」と、心配そうな声がたくさん聞こえる。兄様の必死な声も。
薄れゆく意識の中で、私は、セリナや兄様の声とは全く別の声を、聞いたような気がした。
ずっと遠くの…深淵の森の、さらに奥深くから聞こえてくるような、冷たくて、悲しい声。
(だれか……たすけて……)
けれど、その声の意味を考える前に、私の意識は、深い、深い闇の中へと、完全に落ちていったのだった。
【子守歌】
(歌詞)
おやすみわたしのたからもの
そっとまぶたをとじたなら
ゆめのふねがやってくる
ほしのうみをわたるため
こえはきこえなくても
そばにいられなくても
このうたがかぜになり
あなたのあしたをてらすから
おやすみかわいいうたごえよ
いつかせかいにひびくひを
かあさんはしんじてる
どんなよるのむこうでも
こえはきこえなくても
そばにいられなくても
このうたがほしになり
あなたのみちをてらすから
※作詞・作曲:星野 光




