第101話 帰路
グラント山での激闘を終え、私たちは獣王国の首都へと帰還した。
王宮の大広間では、出迎えた獣王レオニダス様が、私たちの報告を聞き、玉座から身を乗り出した。
「なんと……我が国の守護神たる不死鳥が、そこまでの絶望に冒されていたとはな。……歌姫よ、貴様の歌がなければ、今頃この国は火の海であったろう」
「……いいえ。皆の力があったからこそ、歌いきることができました。不死鳥は正気を取り戻し、本来の住処である精霊界へと還られました」
「そうか……。山頂から立ち上っていた黒い煙が消え、今朝方には神々しい光が降り注いだと報告が入っておる。あれは、守り神の感謝の証であったか」
獣王様は深く安堵の息を吐き、そして鋭い眼光で私たちを見据えた。
話題は、次元の裂け目に潜む『侵蝕者』――あの悍ましい「眼」へと移る。
「『侵蝕者』……次元の狭間より覗く、災いの眼か。かつて世界を滅ぼしかけた『大厄災』の再来、ということか」
「はい。奴らは世界そのものを喰らおうとしています。これはもはや一国の問題ではありません。種族の垣根を超え、手を取り合う時かと」
クロウさんが真剣な表情で告げると、獣王様は力強く頷いた。
「うむ。獣王国はこれより、魔導国と正式に『血の盟約』を結ぶことを約束しよう。共にその脅威に立ち向かうぞ!」
広間を震わせる、獣人たちの地響きのような雄叫び。
その力強いリズムは、これからの苦難を予感させつつも、決して折れない希望の旋律に聞こえた。
その夜、私たちは与えられた客室で今後の帰路について話し合った。
テーブルに大きな地図を広げたのは、ここまでリーダーとして引率してくれたヘクターさんだ。
「さて、どうやって帰るかだが……」
ヘクターさんが地図上のルートを指でなぞる。
「来た時みたいに聖教国を通る陸路は、あまりにも危険だ。パスティエール様の顔が割れている以上、国境には聖騎士団が網を張っているだろう。そもそも往路は、冬で船が出ていなかったから強行突破せざるを得なかったが……」
今は『萌芽の月』。春の訪れと共に、海路はすでに開かれている。
クラウス先生が提案する。
「海路を使いましょう。獣王国の南にある港町から、『商業連合国』行きの大型貿易船が出ています。そこを経由して、魔導国の港へ入るのが最も安全かつ確実です」
「なるほど。船なら聖教国の連中も手出しできねぇな」
カイルも同意する。
「ただ、次の商業連合国行きの大型船が出るのは十日後のようです。それまでは港町で待機し、補給と休養にあてましょう」
十日間の休息。
激戦続きだった私たちには、ちょうどいい骨休めになるだろう。
すると、窓辺で外を見ていたクロウさんが振り返った。
「ならば、俺だけ先に発つ」
「えっ、クロウさん?」
「『侵蝕者』の件と、不死鳥の『精霊王に会え』という言葉。これは一刻を争う情報だ。船旅でのんびり揺られている時間はない。俺は単身、空を飛んで最短距離で魔導王陛下の元へ走る」
確かに、クロウさんの飛翔能力なら、船とは比べ物にならない速さで帰れる。
「……わかりました。報告は頼みます、クロウさん」
「ああ、任された。お前たちは船で安全に帰ってこい。……カイル、お嬢を頼んだぞ」
「おうよ。命に代えても守り抜くさ」
クロウさんはニヤリと笑うと、窓を開け放ち、夜空へと翼を広げて飛び立っていった。
そして翌朝。
私たちは首都を発ち、南の港町へ向かうことになった。
城門の前には、見送りに来てくれたゼガ隊長とレンさん、そして――ひときわ大きな筋肉の塊、獣王レオニダス様の姿があった。
「ガハハ!達者でな、歌姫!お前の拳は見事だったぞ!」
獣王様が豪快に笑い、私の背中をバンと叩く。相変わらず痛いけど、温かい。
「パスティエール様、またいつでも来てくださいねぇ。またゆっくり温泉でも入りましょうぇ」
「ええ、絶対に!レンさんも、ゼガ隊長も、元気でね!」
カイルもゼガ隊長と拳を合わせる。
「ありがとよ、いつか『活法術』をものにしてみせるぜ」
「フン、期待しないで待っててやる若造。」
感動の別れ……かと思いきや、獣王様が私の肩をガシッと掴んだ。
「ところで歌姫よ。気が変わらんか?うちの息子はマジで優良物件だぞ。筋肉質で毛並みもいい。どうだ、ここに住まぬか?」
「だーかーらー!私はまだ7歳ですってば!」
「安心しろ、予約でいい!成人したら迎えに行く!」
「予約もお断りしますー!!」
最後まで豪快で、ちょっと迷惑な王様だった。
私たちは苦笑いしながら馬車に乗り込み、遠ざかる王都に手を振った。
それから私たちは港町へ移動し、出港までの十日間を過ごした。
春の海風は心地よく、穏やかな波音が心を癒やしてくれる。
「……ふむ。やはり興味深いですね」
ある夜。皆が寝静まった宿の談話室で、クラウス先生と二人、暖炉の残り火を眺めていた時のことだ。
「なにがですか、先生?」
「あなたの力についてです。我々が学ぶ『精霊魔術』とは、自身の魔力による精霊への干渉、精霊言語による具体的命令、そして印による所作で発動するものです」
先生は手元のカップを見つめながら、静かに語り始めた。
「しかし、あなたの歌はそれらのプロセスを全て飛び越えている。術式も印もなく、ただ歌うだけで精霊と心を通わせ、奇跡のような現象を引き起こす。……それは、私が学んできた魔導の常識を根底から覆すものでした」
先生の眼鏡が、暖炉の炎を反射して揺らめく。
「……正直に言いますとね、ゼノン令嬢。最初にカエルス公爵からあなたの監視と調査を命じられた時、私は憤っていたのです」
「……そうですね初対面の時は、かなり印象が悪かったと記憶しています」
「ええ。私は魔導院の一級魔導官です。それが、辺境の娘の『お守り』をさせられるなんて、左遷以外の何物でもないと思っていましたから」
先生は自嘲気味に笑った。
「私の実家は子爵家なのですが、兄が亡くなり、私が急遽嫡男となりました。家は代々カエルス公爵の派閥に属しており、寄親である公爵の命令は絶対です。……私は、出世コースから外されたことを恨み、あなたを見る目も曇っていた」
先生がそんなことを考えていたなんて、知らなかった。
いつも冷静で完璧な先生にも、そんな悩みがあったんだ。
「ですが、この数ヶ月……あなたと旅をして、私は思い知らされました。私が学んできた理論が、机上だけのものであり、いかに視野の狭いものだったか」
先生は顔を上げ、私を真っ直ぐに見つめた。
「あなたは、理論よりも大切な『心』で精霊と対話している。……こんなこと、あなたに言ってもしょうがないのですがね。私は今、あなたの先生役であったことを、誇りに思っているんですよ」
「先生……」
先生の少し寂しげな、でも温かい笑顔を見て、私は思わず口を開いていた。
「……ありがとう、先生。でも、大丈夫!」
私は胸を張って、ニシシ、と悪戯っぽく笑ってみせた。
「もし、なにもかもが上手くいかなくなったら……今度は私が先生を守ってあげますよ!」
その言葉に、先生はきょとんと目を丸くし、やがて、今までで一番優しい笑顔を浮かべた。
「……ふふ。それは頼もしい。ですが、生徒に守られるようでは先生失格ですね」
先生は照れくさそうに立ち上がり、私の頭をポンと撫でてくれた。
その手の温かさを、私は忘れない。
「さあ、そろそろ休みましょう。明日は出港の日です」
翌朝。
私たちは『商業連合国』行きの大きな船の甲板に立っていた。
銅鑼が鳴り、船がゆっくりと岸を離れる。
「さあ、帰ろうか。私たちの国へ」
私たちは希望を胸に、海原へと旅立った。




