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第99話 蒼き戦乙女

 グラント山、その内部に足を踏み入れてから、どれくらいの時間が経っただろうか。


 肌を焼くような熱波と、複雑に入り組んだ天然の迷宮。


 地図もなく、視界も悪いこの場所なら、普通は数分で方向感覚を失って遭難していただろう。


 けれど、私たちは一度も足を止めず、迷うことなく突き進んでいた。


「……こっち。こっちのほうが、瘴気が濃い」


 私の『瞳』には、はっきりと視えている。


 赤黒い熱の波長の奥底から漂ってくる、ドロリとした黒い淀み。そして、耳を塞ぎたくなるような悲痛な叫び声(ノイズ)


 私たちは、その「救いを求める声」を道しるべに、あえて最も危険な、最も瘴気が濃い場所へと降りてきたのだ。


 そして。


 長く険しい迷宮を抜け、ついに私たちは火口の底にある巨大なカルデラ――『大空洞』へと足を踏み入れた。


 その光景を見た瞬間、全員が息を呑み、言葉を失った。


 広大なドーム状の空間。その地面を埋め尽くすのは、赤黒く脈動する溶岩の海。


 そして、そこから這い出した数百もの魔獣の軍勢が、私たちを待ち構えていた。


 溶岩犀(マグマ・ライノ)、噴煙亀、火炎蜥蜴……。


 ここまでの道中、一体倒すのにも骨が折れた強敵たちが、ここではまるで蟻の群れのようにひしめいている。


 けれど、真の絶望はそこではない。


 軍勢の中央、煮えたぎるマグマの上空に、それはいた。


 翼長三十メートルはある巨体。本来ならば黄金の炎を纏うはずのその姿は、今はどす黒い怨嗟(えんさ)の炎に染まり、全身から禍々しい瘴気を噴き上げている。


「あ、ありえない……」


 レンさんが、膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪えていた。彼女の顔は蒼白で、唇が震えている。


「あれは……獣王国に伝わる霊獣、『不死鳥(フェニックス)』……!かつての大厄災において、種族の垣根を超えて我々と共に戦い、世界を救ったとされる救国の英雄……。それが、まさかあんな姿に……!」


クラウス先生も続ける。


「魔導国の文献にも残っています……上位精霊、不死鳥。その炎は再生を司ると……まさか今なお存在していたとは……」


 かつての英雄が、今は瘴気に犯され、汚されている。


 さらに、その背後。


 空間がガラスのようにひび割れ、次元の隙間から、ギョロリとした巨大な『眼』がこちらを覗き込んでいた。


(なんだ……あの眼は!?あれだあれこそが元凶だ。瘴気を撒き散らし不死鳥を縛り付けている)


「……あれが……侵蝕者……?」


『……殺シテ……死ネナイ……殺シテ……』


 私の『瞳』と耳に、直接響いてくる声。


 それは、誇り高き不死鳥の、涙のような魂の叫びだった。いっそ殺してくれという懇願。


 バチィッ!!


 背後の『眼』が瞬きをした瞬間、不死鳥が苦悶の咆哮を上げた。


 グォォォォォォォッ!!


 その叫びと共に、溢れ出した瘴気が地上の魔獣たちに降り注ぐ。


 魔獣たちの目が一斉に赤く輝き、私たちへ殺到した。


「来るぞ!総員、迎撃ッ!!」


 ゼガ隊長の怒号が響く。


 開戦だ。


「うぉぉぉぉっ!」


 カイルが先陣を切って突っ込む。


 剣閃が走り、先頭の噴煙亀の首を切り落とす。


 しかし――。


 ボコボコッ。


 切り落とした首が、瞬時にマグマとなって再生し、元通りになった。


「なっ!?再生だと!?」


「くそっ、首を切っても倒せねーのかよ!」


 カイルの悲鳴。不死鳥の能力なのか、瘴気による力なのか、魔獣たちは桁外れの再生能力を持っているようだ。


『――風の刃(ウインド・カッター)!』


 レンさんが煙管を振るい、カマイタチの如き風刃を放つ。


 クロウさんも上空から同じく風の刃を飛ばす。


 だが、圧倒的な熱量が上昇気流を生み、風の軌道を逸らしてしまう。それどころか、炎を煽って勢いを増させてしまった。


「相性最悪だぜぇ!!」


「私が動きを止めます!」


氷結鎖縛(アイシクル・チェーン)!』


 クラウス先生が広範囲の氷の精霊魔術を放つが、数千の熱源の前では、焼け石に水。


「くっ……冷却が追いつきません!このままでは、私の魔力が尽きるのが先か、焼き尽くされるのが先か……!」


 ヘクターさんとヒルダさんが私を守るように陣形を組むが、波のように押し寄せる魔獣に防戦一方だ。


「盾が……溶ける……!」


 私も必死に歌いながら、みんなに強化と回復をかけ続ける。


 でも、ダメだ。


 敵の攻撃によるダメージの速度が、私の回復速度を上回っていく。


 このままじゃ、みんな死んでしまう。ジリ貧だ。


(どうすれば……!)


 聖教国の時のように、大水流で押し流す?


 いや、ただの水では蒸発させられるだけ。それに、あの空中の不死鳥には届かない。


 必要なのは、この理不尽な物量を物理的にねじ伏せる、圧倒的な制圧力!


 私は、胸元のポルカに呼びかけた。


(ポルカ、力を貸して!私の魔力を、全部『水』に変える!)


 イメージしろ、精霊にお願いするのではない、精霊と力を合わせるんだ!


 脳裏に浮かぶのは、もっと強くて、もっと可愛くて、誰も傷つけずに悪いものを全部吹き飛ばしちゃう、最強のステージ衣装!


 私は、泉の精霊の加護を全開にし、戦場を駆けながら歌い出した。


 暗い空気を一変させる、とびきりポップなナンバーを!


『――ポツリ 落ちた 涙のつぶ――』

『――静かな 水面(みなも)ゆらした――』


 透き通るような歌声が響くと同時に、水の精霊が呼応し、大気中の水分が集まり、私の周りでキラキラと輝き始めた。


『――震える足 叱って昨日の私に バイバイ――』

『――もう迷わない 黒い瘴気なんかに 負けない――』


 歌詞に合わせて、私の足取りが軽くなる。


 恐怖心が消え、代わりに湧き上がってくるのは、ワクワクするような高揚感。


『――祈ってる だけじゃ 届かない――』

『――綺麗な 言葉(うた)も 意味がない――』

『――だから 私が 目を覚まさせる――』


 魔力が弾け、光の粒子が舞い上がる。


『――カタチを変える 心――』

『――優しさを ぎゅっと 混ぜて――』

『――柔らかな水は 今 私を守る――』

『――ドレスに 変わる!――』


 ドクンッ!


 変化は劇的で、そして華やかだった。


 私の茶色く染めていた髪が、根本から鮮やかなアクアブルーへと染まっていく。


 同時に髪が伸び、重力を無視してふわりと漂う「清流のロングヘア」へ。


 そして、光の粒子をまとった水流が、私の体の上で踊るように形を変えていく。


 それは(きら)めく蒼き水で織り上げられた、フリルとリボンのバトルドレス。


 背中には、透き通る羽衣(はごろも)のような水の翼が、ふわりと広がった。


 たおやかな水は、今や私を守る、最強にキュートな護りとなった。


「パスティ……なのか?その髪……」


 カイルが呆然と呟く。


「精霊卸ろし……!まるで伝説の古代精霊魔法ですねぇ……」


 レンさんが目を見開く。


「……パスティエール様、素敵……」


 セリナが頬を赤らめる。


 その時だった。


 私の変貌を脅威と見なしたのか、不死鳥が空を裂くような咆哮を上げた。


 キェェェェェッ!!

 

 呼応するように、周囲を埋め尽くす数百の魔獣が一斉に(あぎと)を開く。


 放たれたのは、視界を赤黒く埋め尽くす無数の火球、マグマの塊、そしてすべてを焼き払う灼熱のブレス。


 それは、逃げ場のない「死の雨」となって、立ち尽くす仲間たちの頭上へと降り注ぐ。


「危ねぇっ! 避けろおおお!」


 クロウさんの絶叫。けれど、これだけの弾幕、避ける場所なんてどこにもない。


 ――なら、私が「安全な場所」を作ればいいだけ。


 私はみんなの前に躍り出ると、ダンスのステップを踏むように軽くターン。


 私の意思に応え、身体を覆う水流のドレスが意志を持つ生き物のように躍動する。背中の翼から溢れ出した膨大な水流が、カイルたち全員を包み込む巨大なドーム状の「多層式水殻(ウォーター・シェル)」を瞬時に形成した。


 ジュゥゥゥゥゥッ!!


 着弾した無数の炎とマグマは、私たちの頭上で分厚い水の壁に衝突し、凄まじい衝撃とともに爆発的な水蒸気となって霧散していく。


 鉄をも一瞬で溶かす超高熱が、私の絶対的な盾の前では、線香花火のように虚しく掻き消える。


 ドームの中は、外の地獄が嘘のように涼やかで、静かだった。


 立ち込める白煙を背中の翼で一掃し、私は一歩、前へと踏み出す。


 一人の脱落者も許さない。


 私は絶望の霧を切り裂き、悠然と進撃を開始する。


「……嘘だろ。あの弾幕を、一人で……防ぎきったのか……?」


 背後でカイルが呆然と呟くのが聞こえた。


 驚くのはまだ早い。


 私は、胸にたぎる高揚感をそのまま歌に乗せた。


『――Splash! (はじ)け飛べ――』

『――蒼き鼓動(リズム) キラキラ (まと)って――』


 ドォォォォン!!


 背中の翼から高圧の水を噴射し、私は一気に加速した。


 加速、加速、加速!


 重力を置き去りにし、音さえも追い越す勢いで、魔獣の群れのど真ん中に突っ込む。


『――プリズム 行き場のない 痛み――』

『――愛で 抱きしめるから!――』


「はああああっ!!」


 右手に魔力を集中させる。


 現れたのは極限まで圧縮され、鋼鉄以上の硬度を持った超高密度、超巨大な水の拳だ。


 私はそれを、溶岩の海ごと魔獣の群れに叩きつける。


 ズガァァァァァァァン!!!


 爆発的な衝撃波が広がり、周囲の魔獣たちが、再生する暇さえなく塵へと粉砕された。


 それだけじゃない。


 叩きつけられた莫大な水が瞬時に熱を奪い、さっきまで煮えたぎっていた溶岩の海が、一瞬にして真っ黒な黒曜石の平原へと冷え固まっていく。


「ギシャアアッ!」


 空からは、数千の火炎コウモリが黒い積乱雲のように襲いかかってくる。


 あら私のファンかしら? ようこそ私のステージに。


『――Splash! (きら)めいて――』

『――強くイヤな 暗闇 振り払い――』


 私は空へ向けて、指先でタクトを振るように薙いだ。


『――ハッピー! 絶対 あなたに――』

『――届けてみせるから!――』


 キュピィィィィン……ズバァァァァッ!!


 指先から放たれたのは、一本の極細かつ超高圧の「水流レーザー」


 鋼鉄をも容易く切り裂く蒼き光刃が、空を埋め尽くす敵を、文字通り一筆書きで両断していく。


 何百、何千という魔獣が、悲鳴を上げる間もなく上下に泣き別れ、花火のように霧散して消えていく。


「……す、げぇ……。あんなの、もう魔術なんてレベルじゃねぇ……」


 呆然と見上げるクロウさんたち。


「道は開けたよ! みんな!」


 蒼い光の軌跡を残し、私は垂直に急上昇した。


 水色の長髪をなびかせ、背中の翼を全開にして、私は空に君臨する不死鳥と対峙する。


 驚愕に目を見開く霊獣に対し、私は最高のスマイルでウインクを決めてみせた。


「待たせたわね。――さあ、ここからが本番よ! 希望(ハッピーエンド)を紡いであげる!」

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