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転生したら十歳の幼女医師でした~前世の医学知識で異世界医療を改革します~  作者: NN
転生したら十歳の幼女医師でした~前世の医学知識で異世界医療を改革します~

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第89話 新たな挑戦と古い脅威




 主任研究員就任から、一週間——



 リーゼの日々は、これまで以上に忙しくなっていた。



「先生、培養プレートの準備ができました」


 エルヴィンが報告した。



「ありがとう、エルヴィン」


 リーゼは顕微鏡から目を離した。



 微生物学研究部門——


 それは、リーゼが新たに設立した部門だ。



 研究室には、最新の設備が整えられている。


 顕微鏡、培養器、蒸留装置——


 そして、リーゼが設計した抽出装置。



「今日は、ストレプトマイシンの量産プロセスを試みるわ」


 リーゼは、培養液を手に取った。



 放線菌——


 この微生物が作り出すストレプトマイシンは、結核菌を殺す。



 ペスト治療で使った時は、少量を丁寧に抽出した。


 でも、結核患者全員を治療するには——


 大量生産できる方法が必要だ。



「まず、培養液をろ過します」


 リーゼは説明しながら作業を進めた。



 エルヴィンが、メモを取りながら見守っている。



 ろ過した液体を、蒸留装置にかける。


 ゆっくりと加熱し、揮発性の成分を除いていく。



「次に、沈殿させて——」



 リーゼは、試薬を加えた。



 液体の中に、白い沈殿が現れる。



「これが……ストレプトマイシン……」


 エルヴィンが息を呑んだ。



「まだ確認が必要よ」


 リーゼは慎重に答えた。


「純度と収量を測定しないと。量産化には、安定した品質が不可欠だから」



 沈殿を回収し、精製水に溶かす。



「さあ——」


 リーゼは、結核菌を培養したプレートを用意した。



 その上に、抽出した溶液を数滴垂らす。



「これで、一晩待ちましょう」


 リーゼは言った。


「明日の朝、結果が分かるわ」





 王宮——



 貴族たちの会議室。



「あの小娘が、主任研究員だと? しかも、十五歳だぞ!」


 老貴族の一人が、不満げに言った。


「王立医学アカデミーの威信が損なわれる。陛下は、いったい何をお考えなのだ」


 別の貴族が嘆息した。


「ギースリング枢機卿の逮捕といい——あの娘の影響力が、強くなりすぎている。何とかせねばならん」


 三人目の貴族が重々しく言った。



 その時——



「諸君」



 部屋の奥から、声が響いた。



 貴族たちが振り返る。



 そこには——


 宮廷大臣、エドゥアルト・フォン・ヴァルトシュタインが立っていた。



「大臣閣下……」


 貴族たちが頭を下げた。



「リーゼ・フォン・ハイムダル——」


 大臣は冷たい声で言った。


「確かに、彼女の存在は問題だ」



「閣下も、そうお考えですか」


「当然だ。辺境の弱小貴族の小娘が王子殿下に接近している——これは、王家の血統を汚す行為だ」


 大臣は頷いた。



 貴族たちが、ざわめいた。



「では——」


「しかし、彼女を直接攻撃することはできない」


 大臣は手を上げた。


「国王陛下が彼女を庇護している上に、民衆の間での人気も高い。ペスト治療、港町の熱病——彼女は英雄視されているからな」



「では、どうすればいいのです?」


「時間をかけて、彼女の評判を落とす。彼女の研究が失敗すれば——人々は、彼女を見限るだろう」


 大臣は冷たく微笑んだ。


「それまでは、静かに見守る。チャンスを待つのだ」





 その頃——



 教会本部の地下室。



 黒い服の男たちが、集まっていた。



「ギースリング猊下は、まだ獄中だ。リーゼ・フォン・ハイムダルのせいで——」


 一人が言った。


「あの娘を、このまま放置するわけにはいかない」


 別の男が続けた。


「だが、警備が厳重になっている。講演会での失敗以来、近衛隊が常に彼女を監視しているからな」


 三人目が言った。



「ならば——」


 部屋の奥から、声が響いた。



 男たちが振り返る。



 そこには——


 フードを被った人物が立っていた。



「誰だ、貴様は!」


「私は——」


 人物がフードを脱いだ。



 それは——


 若い神父だった。



「バルタザール神父……!」


 男たちが驚いた。



「お前、まだこの国にいたのか」


「ああ」


 バルタザールは冷たく微笑んだ。


「ギースリング猊下の意志を継ぐために」



 彼は、テーブルに地図を広げた。



「直接攻撃は、もう通用しない」


 バルタザールは説明した。


「では、どうするか——」



 彼の指が、地図上のある場所を指した。



「彼女の研究を、妨害する」



「研究を……?」


「そうだ」


 バルタザールは頷いた。


「彼女が結核の治療薬を開発しようとしている」

「それを、失敗させるのだ」



「どうやって?」


「王立医学アカデミーには、我々の協力者がいる」


 バルタザールは言った。


「研究資料を盗む、実験を妨害する——」

「方法はいくらでもある」



 男たちの目が、険しくなった。



「分かった」


 一人が言った。


「協力しよう」



「では、計画を始める」


 バルタザールは微笑んだ。



 その笑みは——


 邪悪な光を帯びていた。





 翌朝——



 リーゼは、いつもより早く研究室に来た。



 廊下で——


 掃除をしている中年の男性とすれ違った。



「おはようございます、リーゼ先生」


 男性が笑顔で挨拶した。



「おはようございます」


 リーゼも挨拶を返した。



 その男性——フランツ——は、いつもアカデミーの廊下を丁寧に掃除している。


 真面目で気の良い人物だと、皆が言っていた。



 リーゼは研究室に入り——



「さあ、結果はどうかしら……」



 彼女は、昨日準備した培養プレートを手に取った。



 そして——



「これは……!」



 リーゼの目が輝いた。



 結核菌を培養したプレート——


 抽出液を垂らした部分だけ、菌の増殖が完全に止まっていた。



「成功……量産化プロセスが確立できたわ!」



 リーゼは思わず叫んだ。



「先生!」


 エルヴィンが駆けつけてきた。


「どうしたんですか!?」



「見て、エルヴィン!」


 リーゼは培養プレートを示した。


「新しい抽出プロセスで作ったストレプトマイシン——純度も収量も、以前の三倍よ!」



 エルヴィンも、プレートを見て目を見開いた。



「本当だ……菌が完全に死んでいる……しかも効果が強い……」



「これで——」


 リーゼは興奮を抑えきれない。


「これで、大量の結核患者を治療できるわ!」



 二人は、喜びを分かち合った。





 リーゼは、すぐにアレクサンダー王子に報告した。



「本当か、リーゼ!」


 王子も、喜びを隠せない。



「はい!」


 リーゼは培養プレートを見せた。


「ストレプトマイシンの量産化プロセスが確立できました。以前の三倍の収量で、純度も向上しています」



 王子は、プレートを見つめた。



「三倍……それだけあれば……」


 彼は呟いた。


「多くの結核患者を治療できるな」



「はい。ペスト治療では少量しか使えませんでしたが、これで結核患者全員に投与できます」


 リーゼは説明した。


「次の段階は、結核患者への臨床試験です。安全な投与量を確定し、治療プロトコルを確立します」



「順調に進んでいるんだな」


「はい」


 リーゼは頷いた。


「確実に、前進しています」



 王子は、リーゼの頭を撫でた。



「よくやった、リーゼ」


「ありがとうございます、殿下」



「これは、国王陛下にも報告しなければならない」


 王子は言った。


「今夜、謁見の場を設けよう」



「はい」





 その夜——



 王宮の謁見の間。



 国王陛下——ハインリヒ四世が、玉座に座っていた。



「リーゼ・フォン・ハイムダル、参上いたしました」


 リーゼは深々と頭を下げた。



「顔を上げよ」


 国王の声が響いた。



 リーゼは顔を上げる。



 国王——五十代半ばの、威厳ある男性。


 深い青い目が、リーゼを見つめている。



「アレクサンダーから聞いた」


 国王が言った。


「結核の治療薬、ストレプトマイシンの量産化に成功したと」



「はい、陛下」


 リーゼは答えた。


「新しい抽出プロセスにより、以前の三倍の収量と高純度を実現いたしました」



「ほう……」


 国王は興味深そうに身を乗り出した。



「では——結核患者全員を治療できるのか?」



「まだ、結核への臨床試験が必要です」


 リーゼは正直に答えた。


「ペスト治療では効果を確認していますが、結核への最適な投与量と治療期間を確定しなければなりません」



「なるほど」


 国王は頷いた。



 しばらく沈黙が続いた。



 そして——



「リーゼ・フォン・ハイムダル」


 国王が厳かに言った。


「そなたの研究は、この国——いや、世界中の人々を救う可能性がある」



「恐れ入ります、陛下」



「だが」


 国王の表情が険しくなった。


「そなたには、敵も多い」



 リーゼは、息を呑んだ。



「教会の保守派——彼らは、そなたを異端視している」


 国王は続けた。


「貴族の中にも、そなたの影響力を快く思わない者がいる」



「存じております……」



「だから——」


 国王は、真剣な眼差しでリーゼを見つめた。


「気をつけよ」

「そなたの命を狙う者がいるかもしれん」



「はい……」



「アレクサンダー」


 国王は、王子を見た。


「リーゼを守れ」



「はい、父上」


 王子は深く頭を下げた。



「リーゼ」


 国王が再びリーゼに視線を戻した。


「そなたの研究を、全力で支援する」

「必要な資金、設備、人員——すべて用意しよう」



「ありがとうございます、陛下!」


 リーゼは感激して頭を下げた。



「さあ、下がってよい」


 国王は手を振った。


「そして、研究を続けよ」

「多くの人々が、そなたに希望を託している」



「はい!」



 リーゼは、深く一礼して退出した。





 謁見の間を出ると——


 リーゼは大きく息をついた。



「緊張したな」


 アレクサンダー王子が、隣で微笑んだ。



「はい……」


 リーゼは正直に答えた。


「陛下の前は、やはり緊張します」



「でも、よくやった」


 王子は、リーゼの肩に手を置いた。


「父上も、君を認めている」



「ありがとうございます」



 二人が廊下を歩いていると——



「アレクサンダー王子殿下」



 声がかかった。



 振り返ると——


 宮廷大臣、エドゥアルト・フォン・ヴァルトシュタインが立っていた。



「大臣閣下」


 王子が会釈した。



「リーゼ・フォン・ハイムダル嬢も、ご一緒とは」


 大臣は、冷たい目でリーゼを見た。



「はい」


 王子は答えた。


「彼女の研究成果を、父上に報告したところです」



「そうですか」


 大臣は、表面的な笑みを浮かべた。


「素晴らしいことですね」



 でも、その目は笑っていなかった。



「では、失礼します」


 王子は、リーゼを促して歩き出した。



 大臣は、二人の背中を見送りながら——


 冷たく微笑んだ。



(あの小娘め……)



 彼の目には、明確な敵意が宿っていた。





 数日後——



 リーゼは、研究室で次の実験の準備をしていた。



「先生、動物実験の準備ができました」


 エルヴィンが報告した。



「ありがとう」


 リーゼは頷いた。



 次の段階——


 それは、大規模臨床試験の準備だ。



 アンナさんの治療は成功した。


 でも、一人の成功例だけでは不十分だ。


 より多くの患者で、安全性と有効性を確認する必要がある。



「臨床試験プロトコルを作成しましょう」


 リーゼは言った。


「対象患者の選定基準、投与量の設定、経過観察の方法——すべて厳密に定めます」



「はい!」



 二人が作業を始めようとした、その時——



 ガシャン! 廊下で、何かが割れる音がした。



「何!?」


 リーゼとエルヴィンが飛び出す。



 廊下には、培養プレートが散乱していた。それは、彼女が培養していた放線菌のプレートだった。すべて、床に叩きつけられて壊れている。



「誰がこんなことを……」


 エルヴィンが呆然と呟いた。



 リーゼは、廊下の奥を見た。そこには、黒い影が逃げていくのが見えた。



「待ちなさい!」


 リーゼが叫んだが、影はすでに曲がり角を曲がり、姿を消していた。



「先生……これは、妨害工作です……」


 エルヴィンが震える声で言った。


「そうね……」


 リーゼは唇を噛んだ。床に散乱した培養プレート——一週間かけて育てた貴重なサンプルが、すべて無駄になった。



「でも——諦めないわ。培養プレートは、また作り直せばいい」


 リーゼは前を向いた。


「私たちの知識と技術は、誰にも奪えない」



 エルヴィンの目に、涙が浮かんだ。



「はい……!」



 二人は、床を片付け始めた。





 その夜——



 リーゼは、アレクサンダー王子に事件を報告した。



「妨害工作だと……!」


 王子の表情が険しくなった。



「はい」


 リーゼは頷いた。


「培養プレートが、すべて破壊されました」



「犯人は?」


「分かりません。黒い影を見ただけです」


 リーゼは首を振った。



 王子は、拳を握りしめた。



「許せん……近衛兵を配置したばかりだというのに——」


 彼は怒りを抑えきれない。



「もしかすると、アカデミー内部に教会の協力者がいるのかもしれません。掃除人や下級研究員の中に、警備の目を盗んで研究室に侵入できる者が」


 リーゼが考え込んだ。



「つまり——我々の内側に、敵がいると」


 王子の表情が、さらに険しくなった。


「その可能性は、否定できません。でも殿下、怒っても仕方ありません。それよりも、対策を考えましょう。犯人は、また来るかもしれませんから」


 リーゼは静かに答えた。



 王子は、深呼吸して冷静さを取り戻した。



「そうだな……研究室の警備を強化しよう。それから、重要なサンプルは複数の場所に保管する。一箇所が破壊されても、他で復元できるように」


「良い案です」


 リーゼは微笑んだ。



 王子は、リーゼの手を取った。



「リーゼ、君は強いな」


「え?」


「こんなことがあっても、諦めない」


 王子は言った。


「その強さが、私は好きだ」



 リーゼの顔が、赤くなった。



「殿下……」


「必ず、君を守る」


 王子は真剣な目で言った。


「君の研究も、君自身も」



「ありがとうございます……」



 リーゼは、王子の手を握り返した。



 温かい——


 その温もりが、彼女に勇気を与えた。





 翌日——



 研究室には、近衛兵が配置された。



「これで、少しは安心ね」


 エリーゼが言った。



「ええ」


 リーゼは頷いた。



 彼女は、新しい培養プレートを準備していた。



 昨日破壊されたサンプル——


 それを、一から作り直す。



「リーゼ」


 エリーゼが心配そうに言った。


「本当に、大丈夫?」



「大丈夫よ」


 リーゼは微笑んだ。


「こんなことで、諦めたりしないわ」



「でも、敵が多すぎるわ……」


 エリーゼは暗い表情で続けた。


「教会、貴族——みんなが、あなたを狙っている」



「分かってるわ」


 リーゼは静かに答えた。


「でも、だからこそ——」



 彼女は、培養プレートを見つめた。



「だからこそ、成功させなければならないの」



「リーゼ……」



「この研究が成功すれば——」


 リーゼは続けた。


「結核で苦しむ人々を救える」

「それが、私の使命だから」



 エリーゼは、親友の横顔を見つめた。



 その目には——


 揺るぎない決意が宿っていた。



「分かったわ」


 エリーゼは微笑んだ。


「なら、私も全力で協力する」



「ありがとう、エリーゼ」



 二人は、作業を再開した。





 一週間後——



 破壊されたサンプルは、完全に復元された。



「よし……」


 リーゼは満足げに頷いた。



 そして——


 臨床試験の準備を本格的に開始した。



 まず、対象患者の選定基準を決める。


 結核と診断された患者で、従来の治療法が効かない者。


 ただし、重篤すぎず、治療に耐えられる体力がある者。



 次に、投与プロトコルを確立する。


 アンナさんの治療経験から、最適な投与量と投与間隔を設定。


 副作用のモニタリング方法も、詳細に定める。



 一週間、二週間——



 そして、三週間後——



「先生……!」


 エルヴィンが興奮して報告した。


「臨床試験の準備が整いました!」



「本当!?」



 リーゼは、完成した臨床試験プロトコルを確認した。



 そこには——


 詳細な手順、安全基準、評価方法が記されていた。



「これで……大規模な治療を始められる……!」



 リーゼの目に、涙が溢れた。



 アンナさん一人だけでなく——


 多くの結核患者を、救える。



「量産化も成功して、臨床試験の準備も整った……」


 エルヴィンも、感動で声が震えている。



「エルヴィン」


 リーゼは決意を込めて言った。


「次は、本格的な臨床試験よ。多くの命を救いましょう」



「はい!」



 二人は、希望に満ちた表情で頷き合った。





 その夜——



 リーゼは、臨床試験プロトコルの最終確認をしていた。



 コンコン。


 ノックの音。



「はい?」


「私だ」



 アレクサンダー王子が入ってきた。



「殿下……」


「成功したそうだな」


 王子は微笑んだ。



「はい!」


 リーゼは嬉しそうに報告した。


「臨床試験の準備が整いました!」



「素晴らしい」


 王子は、リーゼの頭を撫でた。


「本当に、よくやった」



「これで、本格的な治療を始められます」


 リーゼは続けた。


「アンナさん一人だけでなく、多くの患者を救えます」



「リーゼ」


 王子が、真剣な表情で言った。


「君は、本当にすごい」



「え……?」


「妨害工作があっても、諦めなかった」


 王子は続けた。


「そして、成功させた」

「その強さと、情熱——」



 彼は、リーゼの両手を取った。



「私は、心から尊敬している」



 リーゼの顔が、赤くなった。



「殿下……」


「これからも、一緒に戦おう」


 王子は微笑んだ。


「君の研究を守り、君の夢を叶えるために」



「はい……!」



 リーゼは、王子の手を握り返した。



 その時——



 窓の外から——


 黒い影が、二人を見つめていた。



 冷たい、憎悪に満ちた目で——





 教会本部の地下室——



「動物実験が、成功しただと……!」


 バルタザール神父が、報告を聞いて顔を歪めた。



「はい」


 黒服の男が答えた。


「培養プレートを破壊しましたが、彼女は諦めませんでした」



「くそ……」


 バルタザールは拳を握りしめた。



「どうしますか?」


 別の男が尋ねた。



「次は——」


 バルタザールは、冷たく微笑んだ。


「もっと決定的な妨害をする」



「決定的な……?」


「そうだ」


 バルタザールは頷いた。


「臨床試験を、失敗させる」



「どうやって?」


「患者に、別の毒物を混ぜる」


 バルタザールは説明した。


「リーゼの薬が原因で患者が死んだように見せかけるのだ」



 男たちの顔が、引きつった。



「それは……あまりにも……」


「ギースリング猊下の名誉のためだ」


 バルタザールは冷たく言い放った。


「犠牲は、やむを得ん」



 部屋に、重い沈黙が落ちた。





 一方——



 宮廷大臣エドゥアルトの執務室。



「動物実験が成功したそうですな」


 貴族の一人が報告した。



「ふむ……」


 エドゥアルトは、窓の外を見つめた。


「あの小娘、なかなか諦めないな」



「どうなさいますか?」


「まだ、様子を見る。臨床試験は動物実験よりも難しい——失敗する可能性もある」


 エドゥアルトは答えた。


「なるほど……」


「もし成功したら、その時は別の手を打つ。王子殿下とあの娘の関係を問題視するのだ」


 エドゥアルトは、冷たく微笑んだ。


「身分違いの交際は王家の威厳を損なう——辺境の弱小貴族の娘など、王妃にふさわしくない。そう主張すれば、貴族たちも賛同するだろう。それに、王子殿下にはもっとふさわしい相手がいる。たとえば北方公爵家のエリザベート令嬢、あるいは東方王国との政略結婚もある」


「なるほど……王家の血統を守り、かつ国益にも適う」


 貴族が感心した。


「その通りだ。辺境の弱小貴族の娘など——王妃の器ではない」


 エドゥアルトは冷たく微笑んだ。



「さすがです、閣下」


 貴族が頭を下げた。



 エドゥアルトは、窓の外の夜空を見つめた。



(リーゼ・フォン・ハイムダル——)



 彼の目には、冷たい計算が宿っていた。



(教会の過激派は、直接的な妨害を繰り返している)


(だが、それは愚かだ)



 エドゥアルトは心の中で冷笑した。



(焦って動けば、証拠を残す)


(私は違う——)


(じっくりと、彼女の評判が落ちるのを待つ)


(そして、決定的な瞬間に——政治的圧力で潰す)



 彼は、グラスのワインを口に含んだ。



(暴力ではなく、政治で勝つ)


(それこそが、真の権力者のやり方だ)



(お前の野心を、私が許すとでも思ったか?)





 リーゼの部屋——



 彼女は、ベッドに横になっていた。



 今日一日を振り返る。



 動物実験の成功——


 次は、人への臨床試験。



 でも——



(本当に、これでいいのだろうか……)



 リーゼは、心の奥に葛藤を感じていた。



(前世では、臨床試験には厳格なルールがあった)


(インフォームド・コンセント——患者に十分な説明をし、同意を得ること)


(副作用のリスクを明示すること)


(いつでも試験を中止できる権利を保証すること)



 でも、この世界には——


 そんな概念すら、まだ存在しない。



(治るかどうか分からない薬を、人に投与する)


(もし——失敗したら……)


(患者さんの命を、危険に晒すことになる)



 リーゼは、唇を噛んだ。



(でも、何もしなければ——)


(結核患者は、確実に死んでいく)



 動物実験は成功した。


 理論的には、人間にも効くはずだ。



(私は、医師として——)


(この薬を、試す義務がある)



 それでも——



(患者さんには、ちゃんと説明しよう)


(リスクも、可能性も、すべて正直に)


(そして、本人の意思で決めてもらう)



 リーゼは、自分に言い聞かせた。



(それが、私にできる——)


(せめてもの誠実さだ)



 そして、もう一つの不安——



(妨害が、また来るかもしれない)



 リーゼは、外部からの脅威も感じていた。



 敵は多い。


 教会、貴族——


 彼女を排除しようとする勢力。



(怖い……)



 正直に、彼女は恐れていた。



 でも——



(それでも、諦められない)



 リーゼは、決意を新たにした。



 結核で苦しむ人々——


 彼らを救うために。



 そして——



 アレクサンダー王子の期待に、応えるために。

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