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転生したら十歳の幼女医師でした~前世の医学知識で異世界医療を改革します~  作者: NN
転生したら十歳の幼女医師でした~前世の医学知識で異世界医療を改革します~

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第85話 代償と希望

第085話 代償と希望


 翌朝——


 研究室で、サルファ剤の合成が始まった。


 エルヴィンと若い魔法使いたちが、薬品庫から集めた材料をテーブルに並べている。


 アニリン、硫酸、亜硝酸ナトリウム——

 昨夜リーゼがリストアップした、全ての化学物質。


「準備ができました」


 エルヴィンが報告した。


 リーゼは車椅子に座り、震える手で指示書を握りしめていた。


 まだ体が回復していない。

 高熱の後遺症で、手の震えが止まらない。


 でも——

 指示を出すことはできる。


「では、始めましょう」


 リーゼは震える声で言った。


「エリーゼを救うために」



 サルファ剤の合成は、想像以上に困難だった。


 リーゼの指示に従い、エルヴィンが慎重に薬品を混ぜ合わせる。


「温度管理が難しい……」


 エルヴィンが額の汗を拭う。


「リーゼ先生の指示通り、反応温度を五度以内に保たなければ……」

「少しでもずれると、失敗してしまう」


「『炎制御フレーム・コントロール』を使って」


 リーゼが指示を出した。


「昨夜話した通り、魔法で精密に温度を調整するのよ」


「はい!」


 若い魔法使いの一人が前に出た。


 彼女が杖を振ると、フラスコの下の炎が安定した。

 温度が一定に保たれる。


「完璧……」


 リーゼは安堵のため息をついた。


「魔法と化学の融合……昨夜の計画通りだわ……!」



 三日三晩の作業の末——


 白い結晶が、フラスコの底に析出した。


「これが……サルファ剤……?」


 エルヴィンが慎重に結晶を取り出す。


「純度を確認しないと……」


 リーゼは顕微鏡と試薬を使って、物質を分析した。


 融点測定。

 溶解度テスト。

 結晶構造の観察。


「……間違いない」


 リーゼは震える声で言った。


「スルファニルアミドよ」

「サルファ剤の合成に成功した……!」


 研究室に歓声が上がった。



 でも、喜んでいる暇はない。


 リーゼはすぐに動物実験を開始した。

 ネズミにペスト菌を感染させ、サルファ剤を投与する。


 二十四時間後——


「効果が出ている……!」


 リーゼは顕微鏡を覗きながら叫んだ。


「菌の数が減っている!」

「ストレプトマイシンと併用すれば、相乗効果で——」


 彼女は計算した。


 サルファ剤単独での効果は60%程度。

 ストレプトマイシン単独では70%程度。

 でも、併用すれば——90%以上の効果が期待できる。


「急いで量産しないと……!」


 リーゼは立ち上がろうとして、ふらついた。


「リーゼ先生!」


 エルヴィンが支える。


「無理をしないでください」

「量産は私たちに任せてください」


「でも、エリーゼが……」


 リーゼの目に涙が浮かぶ。


「エリーゼが死んじゃう……!」


「大丈夫です」


 エルヴィンが力強く言った。


「私たちは、あなたから学びました」

「あなたを信じて、あなたを支えます」

「だから、あなたも私たちを信じてください」



 その日の夜——


 研究室は不夜城と化した。


 魔法使いたちが総出で、サルファ剤を量産する。

 魔法で温度を調整し、魔法で結晶を精製し、魔法で純度を高める。


 科学と魔法の完全な融合。


「百人分できました!」

「いえ、まだ足りません! もっと!」


 彼らは休むことなく働き続けた。


 リーゼは車椅子に座りながら、指示を出し続けた。


「温度を二度下げて!」

「結晶が析出し始めたら、すぐに濾過して!」

「純度が95%以上じゃないと使えないわ!」



 翌朝——


 三百人分のサルファ剤が完成した。


「これを……これを港町に……!」


 リーゼは薬を抱きしめた。


「待ってて、エリーゼ……!」


 アレクサンダー王子が研究室に入ってきた。


「リーゼ、準備はできたか?」


「はい!」


「よし。最速の馬車を用意した」

「私も同行する」

「何としても、エリーゼを救おう」



 馬車は全速力で港町へ向かった。


 通常なら一日かかる道のりを、半日で走破する。

 馬は何頭も乗り換え、休むことなく走り続けた。


 リーゼは馬車の中で、薬箱を抱きしめていた。


(エリーゼ……待ってて……)

(絶対に、絶対に助ける……!)


 祈るような気持ちだった。



 港町エルネスタに到着したのは、夕暮れ時だった。


 街は、さらに荒廃していた。


 通りには遺体が並べられ、白い布で覆われている。

 生存者は家に閉じこもり、街は静まり返っている。


「エリーゼは! エリーゼはどこ!」


 リーゼは車椅子から飛び降りようとした。


 ルーカスが駆け寄ってくる。


「リーゼ!」


 彼の顔は憔悴しきっていた。

 目は赤く腫れ、髭も伸び放題。


「エリーゼは……」


 ルーカスの声が震える。


「まだ……生きてる……」

「でも、もう……」


 彼は言葉を続けられなかった。



 臨時病院のテント——


 入る前に、アレクサンダー王子がリーゼを止めた。


「待ってください」


 彼は防護具の入った箱を差し出した。


「マスク、手袋、白衣です」


「ありがとう……」


 リーゼは震える手で、マスクを装着した。


 布製のマスクを顔に当て、紐を結ぶ。

 次に、手袋——厚手の布製手袋をはめる。

 最後に、清潔な白衣を羽織った。


「リーゼ」


 王子が静かに言った。


「あなたはまだ、結核から回復したばかりです」

「体力も免疫力も、通常の半分以下でしょう」


 彼は真剣な目でリーゼを見つめた。


「ペストに感染したら、助からないかもしれない」

「本当に、中に入るのですか?」


 リーゼは頷いた。


「エリーゼは、私の代わりに戦って倒れたんです」


 彼女の目には、強い決意があった。


「私が助けなければ、誰が助けるんですか」


 王子は何も言わず、ただ頷いた。


 リーゼは車椅子を進めて、テントの中に入った。


 そこで、彼女は親友の姿を見た。


「エリーゼ……!」


 ベッドに横たわるエリーゼは、別人のようだった。


 頬はこけ、肌は蒼白。

 首のリンパ節は腫れ上がり、呼吸は浅い。

 全身に黒い斑点が広がっている。


「エリーゼ……」


 リーゼは手袋をした手で、親友の手を取った。


 手袋越しでも分かる——冷たい。


 リーゼは息を呑んだ。


 高熱なのに、手が冷たい。

 これは——末梢循環不全。

 敗血症性ショックの兆候だ。


 体の中心は燃えるように熱いのに、血液が手足まで届いていない。

 重症感染で心臓の機能が低下し、末端への血流が途絶えている。


 これは——死の直前の症状。


「エリーゼ……!」


 リーゼの目から涙が溢れた。


「ごめん……ごめんね……」

「もっと早く来ていれば……」


 リーゼは泣き崩れた。


「私のせいで……私が倒れたせいで……」


 エリーゼの瞼が、かすかに動いた。

 唇が、わずかに開く。


「リー……ゼ……?」


 か細い、か細い声。


「エリーゼ!」


 リーゼは叫んだ。


「大丈夫! 薬を持ってきた!」

「新しい薬よ! 絶対に助けるから!」



 リーゼは消毒液でエリーゼの腕を拭った。


 手袋をした手で、震えながら注射器を準備する。


 サルファ剤とストレプトマイシンの併用療法。

 重症患者用に確保されていた最後のストレプトマイシンを、エリーゼのために使う。

 前世の知識にある、最も効果的なペスト治療法。


 マスク越しに、リーゼは祈った。


「お願い……効いて……!」


 リーゼは注射針を刺した。


 薬液が、エリーゼの体内に流れ込む。


 注射を終えて、針を抜く。

 消毒綿で軽く押さえる。


「あとは……あとは祈るしかない……」


 リーゼは手袋をした手で、エリーゼの手を握った。


 しばらくそうしていると——


「リーゼ先生」


 看護師が声をかけた。


「あなたも休んでください」

「お薬を投与しましたから、あとは体が回復するのを待つだけです」


「でも……」


 リーゼは親友の手を握りしめた。


「まだ……まだ容態が安定していないわ……」


「大丈夫です。私たちが一時間ごとに確認します」


 看護師が優しく言った。


「何か変化があれば、すぐにお呼びします」


 その時、アレクサンダー王子がテントに入ってきた。


「リーゼ」


 彼は有無を言わさぬ口調で言った。


「今すぐ休んでください。それは命令です」


「でも、エリーゼが——」


「あなたが倒れたら、誰がエリーゼを、そして他の患者たちを救うのですか」


 王子は厳しい目でリーゼを見つめた。


「あなたはまだ結核から回復したばかりです」

「三日三晩、薬の合成をして、長距離を移動して、もう限界のはずだ」

「これ以上ペスト病棟にいたら、あなた自身が感染します」


 リーゼは唇を噛んだ。


 王子の言う通りだ。

 医師として、自分の体調管理も責任の一つ。


 でも——


「……分かりました」


 リーゼはゆっくりと立ち上がろうとして——


 膝から力が抜けた。


「リーゼ!」


 王子が彼女を支える。


「やはり……もう限界じゃないか」


 リーゼは王子に支えられながら、エリーゼを振り返った。


「お願い……エリーゼを……」


「任せてください」


 看護師が頷いた。


「必ず、見守ります」



 リーゼは仮眠室に運ばれた。


 ベッドに横になった瞬間——

 意識が落ちた。


 疲労の限界を、とうに超えていた。



 明け方——


「リーゼ先生!」


 看護師の声で、リーゼは目を覚ました。


「エリーゼ様の容態が……!」


 リーゼは飛び起きた。


 まさか——悪化したのか!?


 慌ててテントに駆け込む。


 そして、体温計を手に取った。


 三十九度五分——


 リーゼは目を見張った。


 昨夜は四十一度だった。

 わずか二度だが、確実に下がっている。


「熱が……下がってる……!」


「効いてる……薬が効いてる……!」


 リーゼは涙を流した。


 さらに六時間後——


 エリーゼの意識が戻った。


「……リーゼ?」


 彼女がゆっくりと目を開けた。


「エリーゼ!」


 リーゼは思わず抱きしめようとして——


 止まった。


 まだだ。

 まだエリーゼの体内には、ペスト菌が残っている。

 抱きしめたら、感染リスクが——


 でも——


「リーゼ……」


 エリーゼが弱々しく手を伸ばした。


 もう我慢できなかった。


 リーゼはエリーゼの手を両手で握りしめた。

 手袋越しに、親友の温もりを感じる。


「よかった……よかった……!」


 リーゼは泣き崩れた。


「私……生きてるの……?」


 エリーゼが弱々しく尋ねた。


「もう、ダメだと思ってた……」


「大丈夫! 大丈夫よ!」


 リーゼは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら笑った。


「新しい薬が効いたの!」

「あなたは助かったわ!」

「もう少ししたら……もう少ししたら、ちゃんと抱きしめるから……!」



 その日から、状況は急速に好転した。


 ストレプトマイシンの在庫は尽きていたため、患者たちにはサルファ剤のみを投与した。

 併用療法より効果は劣るが、それでも多くの患者が次々と回復していく。


 重症だった港湾労働者——回復。

 死の淵にいた妊婦——母子ともに無事。

 絶望していた家族たち——希望を取り戻す。


「奇跡だ……」

「リーゼ先生が救ってくれた……」

「新しい薬が、ペストを止めた……」


 人々の喜びの声が、街に響いた。



 でも——

 全てが完璧に解決したわけではなかった。


 ペストで死亡した人の数——百五十三名。

 教会の低純度聖水で死亡した人の数——十七名。


 合計百七十名の命が、失われた。


 リーゼは、犠牲者の名簿を見つめた。


 名前、年齢、職業、家族構成。

 一人一人に、人生があった。

 愛する家族がいた。

 夢があった。


「私が……もっと早く対策していれば……」


 リーゼは呟いた。


「もっと早く薬を作っていれば……」

「培養施設の警備を強化していれば……」


「お前のせいじゃない」


 ルーカスが言った。


「これは、枢機卿の陰謀だ」

「お前は、できる限りのことをした」


「でも……」


「でも、じゃない」


 ルーカスが強い口調で言った。


「お前が倒れてもなお、薬を作り続けた」

「エリーゼを、そして何百人もの命を救った」

「それは誇るべきことだ」



 アレクサンダー王子が報告に来た。


「枢機卿の陰謀の証拠を掴んだ」


 彼は書類を広げた。


「汚染された培養施設を、エルヴィンたちが徹底的に調査した」

「顕微鏡で培養液を分析したところ——」


 王子は報告書を指差した。


「混入していた異物の中に、極めて特殊な物質が検出された」

「教会の高位神官が結界を張る際に用いる、聖別された香油の成分だ」


「本当に……」


 リーゼは息を呑んだ。


「香油……?」


「そうだ。一般には流通していない、教会の奥義に使われる特殊な調合だ」


 王子が続けた。


「エルヴィンの魔導顕微鏡と、リーゼの化学分析を組み合わせた結果、その成分は教会の秘儀でしか作られないものだと判明した」


「つまり——」


 リーゼは震える声で言った。


「これは事故ではなく、教会の誰かが意図的に培養液を汚染したという……」


「科学的証拠だ」


 王子が頷いた。


「顕微鏡は嘘をつかない。魔法による鑑定も同じ結果を示した」

「教会は『偶然の事故』と主張していたが、この証拠の前では言い逃れできない」


「枢機卿を逮捕できるの?」


「できる」


 王子が力強く頷いた。


「科学と魔法が証明した、動かしようのない証拠だ」

「父上——国王陛下は、この証拠を見て激怒しておられる」

「教会との関係悪化は避けられないが、民衆の命を危険にさらした罪は見過ごせない」



 三日後——


 ギースリング枢機卿は、大聖堂で逮捕された。


 罪状:培養施設への意図的な汚染、殺人教唆、医療技術の窃盗、公共の安全を脅かす行為。


 彼は最後まで罪を認めなかったが、科学的証拠は動かしようがなかった。


 顕微鏡が示した教会特有の香油の成分——それが、彼の言い逃れを許さなかった。


 枢機卿の地位は剥奪され、終身刑が宣告された。



 でも、リーゼの心は晴れなかった。


「勝ったのよ、リーゼ」


 回復しつつあるエリーゼが言った。


「枢機卿は捕まったわ」

「ペストも収束した」

「私たちは勝ったのよ」


「でも……」


 リーゼは窓の外を見つめた。


「百七十人が死んだ」


 彼女の目に涙が浮かぶ。


「私が、もっと強ければ……」

「もっと賢ければ……」

「陰謀を見抜いて、対策していれば……」


「リーゼ」


 エリーゼが親友の手を取った。


「あなたは完璧じゃない」

「私たちは、神様じゃない」


 彼女が優しく言った。


「全ての命を救うことはできない」

「でも、できる限りのことをした」

「それで十分よ」



 その後の一週間——


 リーゼは港町に留まり、患者たちの治療を続けた。


 サルファ剤の効果は絶大だった。

 次々と患者が回復していく。


 死の淵にいた人々が、笑顔を取り戻していく。


 でも、リーゼ自身の体調は思わしくなかった。

 結核の後遺症と極度の疲労で、毎日微熱に悩まされた。


 咳も止まらない。

 夜は悪夢にうなされる。


「リーゼ先生、もう王都に戻って休んでください」


 ルーカスが何度も説得した。


「でも、まだ患者が……」


「もう峠は越えました」


 彼は強い口調で言った。


「他の医師たちで十分対応できます」

「あなたがこれ以上無理をしたら、本当に倒れます」


 その時、アレクサンダー王子が訪れた。


「リーゼ」


 彼は真剣な表情で言った。


「来週、犠牲者の追悼式を行います」

「国王陛下の名代として、私が主催します」


 リーゼは頷いた。


「ついては——」


 王子は少し言いよどんだ。


「あなたに、頼みたいことがあるのです」


「何でしょうか?」


「追悼式で、言葉を述べてほしい」


 リーゼは目を見開いた。


「私が……ですか?」


「そうです」


 王子は頷いた。


「でも、私は……」


 リーゼは戸惑った。


「追悼式は、王族や高官が言葉を述べるものでは……」

「私のような若輩者が、壇上に立つなど……」


「あなたこそが、ふさわしい」


 王子は言った。


「あなたは命をかけて、人々を救った」

「自分が倒れても、薬を作り続けた」

「そのあなたの言葉こそ、遺族の心を慰めることができる」


 リーゼは俯いた。


 自分に、そんな資格があるだろうか。


 百七十人もの命を救えなかった自分に——


「私は……多くの人を救えませんでした」


 リーゼは震える声で言った。


「もっと早く動いていれば……」

「もっと賢ければ……」


「リーゼ」


 王子が彼女の肩に手を置いた。


「完璧な人間などいません」

「大切なのは、できる限りのことをしたかどうかです」


 彼は優しく言った。


「そして、あなたはそれをした」

「だから、あなたの言葉を聞きたいと思っている人が、大勢いるのです」


 リーゼは涙を拭った。


「……考えさせてください」


「もちろんです」


 王子は頷いた。


「無理にとは言いません」

「ですが——」


 彼は窓の外、港町の人々を見つめた。


「遺族たちは、真実を知りたがっています」

「何が起きたのか」

「なぜ愛する人が死んだのか」

「そして、その死は無駄ではなかったのかを」


 リーゼは、王子の言葉を胸に刻んだ。



 その夜、リーゼはエリーゼと話した。


「追悼式で、演説をしてほしいと言われたの」


「すごいじゃない」


 エリーゼが微笑んだ。


「でも……私なんかが……」


「リーゼ」


 エリーゼが親友の手を取った。


「あなたは、私の命を救ってくれた」

「何百人もの命を救ってくれた」


 彼女は力強く言った。


「あなたには、語る資格がある」

「いいえ——語る義務がある」


 リーゼは、親友の目を見つめた。


 そこには、強い信頼があった。


「……分かったわ」


 リーゼは決意した。


「やってみる」



 一週間後——


 港町エルネスタで、犠牲者の追悼式が行われた。


 広場には、百七十本の白いろうそくが灯された。

 遺族たちが、涙を流しながら祈っている。


 壇上には、国旗と喪章。

 アレクサンダー王子、地方総督、そしてリーゼ。


 リーゼは、まだ完全には回復していなかった。

 体はまだ重く、時折咳が出る。


 でも——

 彼女は、ここに立つことを決めた。


 これは、医師としての責任だ。

 生き残った者の、義務だ。


 王子が開会の辞を述べた後、リーゼの番が来た。


「それでは、今回の救援活動の中心となったリーゼ・フォン・ハイムダル先生に、お言葉をいただきます」


 リーゼは深呼吸をして、壇上の中央に進み出た。


 何百もの視線が、彼女に注がれる。


 リーゼは、壇上に立った。


「今回の悲劇で、多くの方が亡くなりました」


 彼女の声が、広場に響く。


「私は医師として、全ての命を救えなかったことを、深く悔やんでいます」


 彼女は深く頭を下げた。


「でも、ここで誓います」


 リーゼは顔を上げた。


「二度と、このような悲劇を繰り返さないと」

「疫病に備え、医療を充実させ、全ての人が治療を受けられる社会を作ると」


 彼女は拳を握りしめた。


「亡くなった方々の無念を、決して無駄にしません」

「彼らの死が、未来の人々を救う礎となるように」

「私は、戦い続けます」


 広場に、静かな拍手が広がった。


 遺族たちも、涙を拭いながら拍手していた。



 その夜——


 リーゼは、エリーゼとルーカスと三人で、海を見ていた。


 港町の防波堤。

 波の音が、静かに響いている。


「疲れたわね」


 エリーゼが呟いた。


「ああ」


 ルーカスが頷いた。


「お前たち二人とも、よく頑張った」


 リーゼは、二人の手を取った。


「ありがとう」


 彼女は静かに言った。


「二人がいなかったら、私は何もできなかった」


「お互い様よ」


 エリーゼが微笑んだ。


「私たちは、チームだもの」



 翌日——


 リーゼたちは王都へ帰還した。


 汚染された培養施設の浄化と再建が始まっていた。

 今度は、供給業者の審査を厳格化し、複数の場所に分散して建設される。

 汚染を免れた施設では、ストレプトマイシンとペニシリンの培養が細々と再開されていた。


 研究室では、エルヴィンたちが新しい実験を始めていた。

 魔導レントゲンの改良、新しい抗生物質の探索、ワクチンの研究。


「お帰りなさい、リーゼ先生」


 エルヴィンが笑顔で迎えた。


「あなたがいない間、私たちは研究を進めました」

「見てください、これを」


 彼は新しい顕微鏡を見せた。


「先生が残していった設計図の通り、レンズを追加しました」


「設計図……?」


 リーゼは思い出した。


 そういえば、港町に行く前、改良案のメモを残していた。

 二段階のレンズ構成で、より高い拡大率を——


「実現してくれたのね……!」


「それだけではありません」


 エルヴィンが誇らしげに言った。


「照明も改良したんです」

「『光輝ライト・エンハンス』の魔法で、より明るく安定した光を当てられるようにしました」


 リーゼは顕微鏡を覗いた。


 確かに——以前より明るく、鮮明に見える。


 レンズの改良で拡大率が上がり、照明の改善で細部まで観察できる。


「すごい……!」


 リーゼは感嘆した。


「これで、もっと小さな細菌も見られるわ!」

「みんな、本当に成長してる……!」



 その夜、リーゼは自室でゼンメルワイス先生の古医学書を開いた。


 先生の手書きの文字。

 百六十年前、孤独の中で消えていった天才の叫び。


 先生——


 私は、また壁にぶつかりました。

 自分の無力さを思い知りました。

 全ての命を救えないことを、痛感しました。


 でも——


 私は一人じゃありません。

 エリーゼ、ルーカス、エルヴィン、そして多くの仲間がいます。


 彼らと共に、私は前に進みます。

 あなたが夢見た世界を、実現するために。


 リーゼは本を閉じた。


 窓の外には、星空。

 静かに眠る王都。


 今回の危機で、多くのものを失った。

 でも、同時に多くのものを得た。


 仲間の絆。

 新しい知識。

 そして、前に進む決意。



 翌朝——


 リーゼは白衣を着て、研究室に向かった。


 まだ体は完全には回復していない。

 エリーゼも、まだ歩くのがやっと。

 ルーカスも、疲労が残っている。


 でも、彼らは笑顔だった。


「さあ、始めましょう」


 リーゼが言った。


「新しい医学を作りましょう」

「この世界の全ての人が、病気から解放される日を目指して」


 三人は、研究室のドアを開けた。


 そこには、明るい未来が待っているはずだった。


 でも、彼らはまだ知らない。

 新たな敵が、すでに動き始めていることを。


 教会の保守派は、枢機卿の逮捕に激怒している。

 彼らは、リーゼへの復讐を誓っている。


 そして、遥か南の大陸から、未知の疫病が——


 でも、それはまた、別の物語。



 今は、ただ前を向く。


 失ったものを悼み、得たものに感謝し、そして前に進む。


 これが、医師としての道。


 リーゼ・フォン・ハイムダルは、まだ若い。

 まだ未熟で、まだ弱い。


 でも、彼女には仲間がいる。

 知識がある。

 そして、諦めない心がある。


 その全てを武器に、彼女は戦い続ける。


 全ての命を救うために——


――完――

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