第82話 科学と魔法の法廷
審問会が開かれる朝、私は一睡もできていなかった。
窓から差し込む朝日を眺めながら、顕微鏡と投影装置の最終チェックを行う。
「リーゼ様、朝食を召し上がってください」
エリーゼが心配そうに言う。
「ありがとう、でも喉を通らないの」
私の手は微かに震えていた。
今日は、私の医学が認められるか、異端として断罪されるかの分水嶺だ。
「大丈夫だよ、リーゼ」
ルーカス先輩が肩に手を置いた。
「俺たちが一緒にいる」
「エルヴィンさんも協力してくれる」
「お前は一人じゃない」
その言葉に、少しだけ勇気が湧いた。
◇
中央大聖堂に向かう馬車の中で、私は準備した資料を何度も確認した。
結核菌のプレパラート。
ストレプトマイシンの小瓶。
光学式投影装置の部品。
そして、アンナの治療記録。
「先生」
エルヴィンさんが隣に座っていた。
彼は宮廷魔法学会から、証人として同行してくれている。
「生命感知の魔法は確実に反応します」
彼が静かに言った。
「私は何度も試しました」
「あのプレパラートには、確かに無数の生命反応がある」
「教会の魔法自身が、先生の理論を証明するでしょう」
「ありがとうございます」
私は深く頭を下げた。
「でも、枢機卿は認めないかもしれません」
「彼が認めなくても、真実は変わりません」
エルヴィンさんが微笑んだ。
「そして、若い世代は真実を求めています」
「保守派の聖職者たちがどう反応しようと、科学の潮流はもう止められない」
馬車が大聖堂の前に到着した。
既に多くの群衆が集まっている。
「リーゼ先生を支持します!」
「娘を救ってくださった恩人です!」
「医学に罪はない!」
民衆の声援が聞こえる。
でも、同時に——
「異端者を火炙りにしろ!」
「神の奇跡を冒涜した罪は重い!」
憎悪に満ちた罵声も飛んでくる。
私は深呼吸をして、馬車を降りた。
◇
大聖堂の正面階段で、アレクサンダー王子が待っていた。
「リーゼ」
彼が私の手を取った。
「父上——国王陛下も傍聴席におられる」
「私たちは君を信じている」
「ありがとうございます、殿下」
私は震える声で答えた。
「でも、もし判決が——」
「そうなったら、俺が止める」
彼が真剣な目で言った。
「たとえ教会と対立することになっても、君を守る」
その覚悟の重さに、私は何も言えなくなった。
「さあ、行こう」
王子が私の背を押した。
「君の正しさを、世界に示すんだ」
◇
審問の間。
天井まで届くステンドグラスから、色とりどりの光が降り注ぐ神聖な場所。
しかし、今の空気は凍りつくように冷たい。
正面の祭壇には、ギースリング枢機卿をはじめとする高位聖職者たちが並ぶ。
七人の枢機卿、十二人の司教、そして数十人の高位神官。
左右の回廊には、傍聴を許された貴族たちや学者たち。
その中には、心配そうな顔のアレクサンダー王子や国王陛下の姿もある。
宮廷魔法学会の会長、王立医学会の重鎮たち。
そして中央には、私と、一台の顕微鏡。
ルーカス先輩とエリーゼが、投影装置の部品を抱えて後ろに控えている。
鐘が鳴り、審問会の開始が告げられた。
◇
「今より、リーゼ・フォン・ハイムダルに対する異端審問を開始する」
枢機卿の声が、大聖堂に響き渡る。
「書記官、罪状を読み上げよ」
黒衣の書記官が巻物を広げた。
「被告人リーゼ・フォン・ハイムダルは、以下の罪を犯したとされる」
書記官が読み上げる。
「第一の罪。神聖なる治癒魔法を蔑ろにし、その権威を貶めたこと」
会場がざわつく。
「第二の罪。怪しげな粉薬を用い、民を惑わせたこと」
「第三の罪。魔道具を使い、存在しない『魔物』を見せつけ、恐怖を煽ったこと」
「第四の罪。教会の正統な教義に反する、異端の思想を広めたこと」
一つ一つの罪状が、私の心に重くのしかかる。
「以上の罪により、被告人を異端者として断罪することを提案する」
書記官が巻物を閉じた。
異端者——その言葉の重みを、私は知っている。
火炙りの刑。
二度と医療に携わることができない。
最悪の場合、死刑。
◇
「被告人、リーゼ・フォン・ハイムダル」
枢機卿が立ち上がった。
ギースリング枢機卿。
教会保守派の重鎮で、六十を過ぎた厳格な男。
彼の目は、私を見下ろしている。
「そなたは『神の奇跡』である治癒魔法を蔑ろにし、怪しげな粉と魔道具で民を惑わせた」
彼の声は、怒りに満ちていた。
「その罪を認めるか?」
会場が静まり返る。
全ての視線が私に集中する。
私は深呼吸をした。
前世の記憶が蘇る。
ガリレオの宗教裁判。
「それでも地球は回る」と呟いた科学者の姿。
でも、私はここで負けるわけにはいかない。
◇
「認めません」
私は毅然と答えた。
声は震えているが、目は真っ直ぐに枢機卿を見つめた。
「私は治癒魔法を否定していません」
私は言葉を続けた。
「治癒魔法は素晴らしい神の恵みです」
「傷を瞬時に癒やし、骨を繋ぎ、命を救う」
「私自身、何度も治癒魔法に助けられました」
会場がざわつく。
予想外の答えに、聖職者たちが戸惑っている。
「ですが」
私は声を強めた。
「魔法では救えない命があることも事実です」
「結核、ペスト、コレラ……感染症で苦しむ民を、治癒魔法は救えていません」
「傲慢だ!」
枢機卿が叫んだ。
「神の力に救えぬものなどない!」
「結核ごとき、祈りと高位の魔法があれば治せる!」
彼の顔は紅潮している。
「そなたは、神の全能性を疑うのか!?」
「違います」
私は首を横に振った。
「私は神を疑っていません」
「疑っているのは、私たち人間の『理解』です」
◇
「では、なぜ毎年数千人の民が結核で死ぬのですか?」
私の問いに、聖職者たちが言葉を詰まらせる。
「教会には何百人もの治癒魔法使いがいます」
「高位の司祭様もおられます」
「なのに、なぜ結核患者は減らないのでしょう?」
「それは……」
枢機卿が言いよどむ。
「それは……彼らの信心が足りぬからだ!」
「違います!」
私は声を張り上げた。
「敵が見えていないからです!」
会場が静まり返る。
「魔法は『生命力を活性化』させます」
「それは傷を癒やすには最適です」
「ですが、体内に巣食う『細菌』という小さな生物まで元気にしてしまうことがあるのです!」
私は顕微鏡を指差した。
「病気の原因は、目に見えない小さな生物です」
「彼らは神が創られた生命ですが、時に人間に牙を剥きます」
「魔法は味方と敵を区別できないから、病気には効きにくいのです!」
◇
「黙れ!」
枢機卿が杖を地面に叩きつけた。
「その『細菌』こそが妄想だと言うのだ!」
「そなたは筒の中に魔物を映し出し、恐怖を煽っているだけだろう!」
彼が私を指差す。
「その魔道具は、幻影を映す装置に違いない!」
「民を騙し、教会の権威を貶めるための道具だ!」
会場がざわめく。
確かに、顕微鏡を知らない人々にとっては、そう見えるかもしれない。
でも、私には秘策がある。
「枢機卿猊下」
私は静かに言った。
「そこまで仰るなら、教会の魔法で証明していただきましょう」
枢機卿が眉をひそめる。
「何?」
「ここには、私が用意した『結核菌』のプレパラートがあります」
私は顕微鏡のステージを指差した。
「もしこれが私の作り出した幻影なら、生命反応はないはずです」
私は会場を見渡した。
「ですが、神が創りたもうた生命なら——」
私は枢機卿を真っ直ぐに見つめた。
「『生命感知』の魔法に反応するはずです」
◇
会場が騒然となった。
「生命感知だと!?」
「あれは嘘をつけない魔法だぞ!」
「本当に反応したら……」
『生命感知』は、教会騎士が隠れた敵を探すための初歩的な魔法だ。
生命の気配を感じ取り、その強さと数を光の色で示す。
青は弱い生命。
緑は人間程度の生命。
赤は強大な、または大量の生命。
そして、この魔法に嘘はない。
神聖魔法の一種だから、偽装も干渉もできない。
枢機卿の顔が強張る。
彼は想定していなかったはずだ。
私が教会の魔法を使って証明することを。
「……よかろう」
枢機卿が渋々と頷いた。
「私が自ら暴いてやる」
「そなたの嘘を、神聖なる魔法の前に白日の下に晒してやろう」
彼の側近である、高位の魔法使い(ビショップ)が進み出た。
マティアス司教。
五十代の痩せた男で、生命感知魔法の名手として知られている。
「リーゼ・フォン・ハイムダル」
マティアス司教が冷たい声で言った。
「私の魔法は、蟻一匹の生命も見逃さない」
「もしそこに何もなければ、そなたの罪は確定する」
彼は自信満々に杖を顕微鏡に向けた。
幻影ならば反応せず、リーゼの嘘が露見する手はずだ。
◇
私は静かに頷いた。
「どうぞ」
内心では、心臓が激しく鼓動している。
エルヴィンさんは何度も確認してくれた。
でも、もし何かの間違いで反応しなかったら——
いや、信じるしかない。
科学を、真実を。
「主よ、真実を示したまえ……」
マティアス司教が杖を天に掲げた。
「隠れた生命を暴き、虚偽を打ち砕きたまえ!」
杖の先端が淡い光を放つ。
「『生命感知』!」
魔法の光が、顕微鏡のステージを包み込む。
最初は淡い青白い光。
会場が息を呑む。
全員が固唾を飲んで見守っている。
一秒、二秒、三秒——
その直後——
◇
カッ!
魔法の光が、強烈な赤色に輝いた。
それは「敵性生物が大量に存在する」ことを示す警告色だった。
まるで戦場で敵軍に囲まれた時のような、激しい反応。
「なっ……!?」
マティアス司教が腰を抜かして後ずさった。
「反応がある!?」
彼の声は恐怖に震えていた。
「しかも、この小さなガラスの中に、数千、数万の生命反応が!?」
彼が杖を落とす。
転がった杖から、まだ赤い光が漏れている。
「馬鹿な!」
別の司教が叫んだ。
「そこにはただの水滴しかないはずだぞ!」
「どうしてこんな反応が!?」
枢機卿も目を見開いて絶句している。
彼の顔から血の気が引いている。
教会の魔法自身が、「そこに無数の命がある」と証明してしまったのだ。
◇
「もう一度、確認させてください」
エルヴィンさんが前に出た。
「私も生命感知の魔法を使えます」
「第三者として、確認させていただきます」
枢機卿は何も言えず、ただ頷いた。
エルヴィンさんが杖を顕微鏡に向ける。
「『生命感知』」
再び、同じ反応。
強烈な赤い光が顕微鏡を包む。
「確認しました」
エルヴィンさんが会場に向かって宣言した。
「このプレパラートには、確かに大量の生命反応があります」
「数千から数万、いや、それ以上かもしれません」
「極めて小さいですが、確実に生きています」
会場がざわめく。
信じられないという顔、恐怖に怯える顔、興奮している顔。
「さらに」
エルヴィンさんが続けた。
「私は昨日、健康な人の唾液でも同じ実験を行いました」
彼が別のプレパラートを取り出す。
「健康な人の唾液にも、わずかな生命反応がありました」
「ですが、結核患者の痰と比べると、その数は百分の一以下です」
彼が両方のプレパラートに魔法をかける。
健康な唾液は淡い青。
結核患者の痰は強烈な赤。
「この違いが、病気の正体です」
◇
私は静かに告げた。
「ご覧の通りです」
私は会場を見渡した。
「これらは幻でも魔術でもありません」
「神が創られた、目に見えない小さな隣人たちです」
私は顕微鏡に手を置いた。
「彼らの多くは無害です」
「いや、むしろ人間を助けてくれる者もいます」
「ですが、一部の種類は、人間に牙を剥きます」
私は結核菌のプレパラートを掲げた。
「これが結核菌です」
「目には見えないほど小さいですが、肺の中で増殖し、組織を破壊します」
「それが結核という病気の正体です」
会場が静まり返る。
全員が、私の言葉を聞いている。
「教会の治癒魔法は、傷ついた組織を修復します」
「ですが、原因である菌を殺すことはできません」
「だから、一時的に症状が良くなっても、すぐに再発してしまうのです」
◇
その時、傍聴席から一人の若い魔法使いが立ち上がった。
エルヴィンという名の魔導師だ。
「リーゼ先生の仰る通りです」
エルヴィンが声を上げた。
「私は三十年、治癒魔法を研究してきました」
彼の声は、情熱に満ちていた。
「幼い頃から、治癒魔法を学びました」
「傷を癒やし、骨を繋ぎ、多くの命を救ってきました」
「ですが、ずっと疑問がありました」
彼が拳を握りしめる。
「なぜ治癒魔法は傷を塞ぐことはできても、疫病には効果が薄いのか」
「なぜペストや結核の患者は、高位の魔法を使っても治らないのか」
「なぜ一度治ったように見えても、すぐに再発するのか」
彼が私を見た。
「今、その答えが分かりました」
「我々は敵の姿を見ていなかったのです」
彼の言葉に、何人かの若い魔法使いたちが頷いた。
「リーゼ先生は、敵を可視化してくれました」
「顕微鏡という道具で、我々が見えなかった真実を示してくれたのです」
◇
さらに、別の若い治癒魔法使いが立ち上がった。
「私もエルヴィン先生に賛同します!」
二十代の女性魔法使いだ。
「私の母は、結核で亡くなりました」
「私は毎日、母に治癒魔法をかけ続けました」
「高価な魔法薬も使いました」
「でも、母は救えなかった……」
彼女の目に涙が浮かぶ。
「あの時、もしリーゼ先生の薬があれば」
「もし敵の正体が分かっていれば」
「母を救えたかもしれない……」
彼女の言葉に、会場が静まる。
「魔法は万能じゃない」
彼女が声を震わせた。
「私たちはそれを知っています」
「でも、認めたくなかった」
「認めれば、私たちの無力さを認めることになるから」
彼女が私に頭を下げた。
「リーゼ先生、ありがとうございます」
「真実を示してくれて」
◇
次々と、若い魔法使いたちが立ち上がる。
「私も協力したい!」
「魔法と医学を組み合わせれば、もっと多くの命を救える!」
「保守派の言いなりになるのはもう嫌だ!」
会場が騒然となる。
保守派の聖職者たちは、怒りと困惑の表情だ。
でも、若い世代の目は、希望に輝いている。
私は、彼らの勇気に心を打たれた。
教会という巨大な組織の中で、声を上げることがどれほど難しいか。
「ありがとうございます」
私は深く頭を下げた。
「皆さんの力を、ぜひ貸してください」
◇
枢機卿が杖を叩いた。
「静粛に!」
彼の声が会場を制する。
「確かに、その……細菌とやらは存在するようだ」
彼は認めざるを得なかった。
教会の魔法が証明してしまった以上、否定はできない。
「だが!」
彼が私を指差した。
「それが病気の原因だという証拠はあるのか!?」
「単に病人の体に住み着いているだけかもしれん!」
鋭い指摘だ。
因果関係の証明——前世でも、これは大きな議論になった。
「では、お見せしましょう」
私はルーカス先輩に合図を送った。
「準備を」
◇
ルーカス先輩が部屋のカーテンを閉めた。
室内が薄暗くなる。
「エリーゼ、ルーカス先輩、お願い!」
エリーゼとルーカス先輩が、磨き上げた鏡を手に取った。
三枚の大きな鏡。
窓から差し込む太陽光を、鏡で反射させて顕微鏡の下に集める。
第一の鏡から第二の鏡へ。
第二の鏡から第三の鏡へ。
そして、顕微鏡のステージへ。
集められた光は、レンズを通して一点に集中し——
拡大された像が、白い壁に投影される。
「これは……!」
会場がどよめく。
——光学式投影装置。
前世で「幻灯機」と呼ばれた技術の応用だ。
◇
白い壁に、巨大な映像が映し出された。
うごめく赤い棒状の生物たち。
ゆっくりと動き、分裂し、増殖していく。
結核菌の姿が、大聖堂の全員の目に焼き付けられた。
「ひぃっ……!」
「あんなものが、体の中に……」
「動いてる……生きてる……」
恐怖の悲鳴が上がる。
特に女性や子供の悲鳴が響く。
「落ち着いてください!」
私は声を張り上げた。
でも、パニックは広がっていく。
「私の体にもいるのか!?」
「感染したらどうする!?」
「神よ、お救いください!」
このままでは暴動になる。
◇
私は壁に映る細菌の前に立った。
両手を広げて、会場を制する。
「恐れないでください!」
私の声が響く。
「確かに彼らは恐ろしい」
「でも、正体が分かれば戦えます!」
私は壁の映像を指差した。
「この赤い棒が、結核菌です」
「大きさは、髪の毛の太さの千分の一以下」
「目には見えないほど小さい」
私は会場を見渡した。
「ですが、恐れる必要はありません」
「なぜなら——」
私はポケットから、ストレプトマイシンの小瓶を取り出した。
「神は、試練と共に解決策も用意されました」
小瓶を高く掲げる。
「それがこの薬です」
◇
私は小瓶の蓋を開けた。
白い粉末が光を反射して輝く。
「これは『ストレプトマイシン』という薬です」
「土壌の微生物——放線菌から作られた、神の恵みです」
私は続けた。
「この薬は、結核菌だけを殺します」
「人間の細胞は傷つけず、菌だけを標的にするのです」
私は投影された細菌を見つめた。
「私は既に、この薬で末期の結核患者の命を救いました」
私は会場に向き直った。
「アンナという少女をご存知でしょうか」
「彼女は末期の結核でした」
「咳で血を吐き、高熱に苦しみ、三つの病院で『手遅れだ』と宣告されました」
会場が静まる。
「ですが、今」
私は微笑んだ。
「彼女は元気に学校に通っています」
「咳も止まり、熱も下がり、体重も戻りました」
私は小瓶を胸に抱いた。
「これが医学の力です」
◇
「だが、その薬は安全なのか!?」
別の司教が立ち上がった。
「毒かもしれんぞ!」
「ご心配はごもっともです」
私は頷いた。
「どんな薬にも副作用があります」
私は正直に答えた。
「ストレプトマイシンには、耳鳴りや聴力低下の副作用があります」
「ですが、量を調整し、経過を観察すれば、リスクは最小限に抑えられます」
私は真剣な目で会場を見渡した。
「そして、何より重要なのは」
「副作用のリスクと、死のリスクを天秤にかけることです」
私は声を強めた。
「結核で死ぬか、わずかな副作用を受け入れて生きるか」
「その選択権は、患者自身にあるべきです」
◇
「魔法は『奇跡』です」
私は続けた。
「一瞬で傷を癒やし、骨を繋ぐ」
「それは神の恵み以外の何物でもありません」
私は枢機卿を見た。
「ですが、医学は『神が人間に与えた知恵』です」
「観察し、考え、試し、学ぶ」
「それもまた、神が人間に与えられた能力ではないでしょうか?」
私は一歩前に出た。
「そして、私は既に多くの治癒魔法使いの方々と協力しています」
私はエルヴィンさんたちを示した。
「薬草と治癒魔法を組み合わせることで、治癒期間が半減することも確認されています」
「魔法で傷を癒やし、医学で病を治す」
「二つが手を取り合えば、救えない命などありません!」
私は両手を広げた。
「猊下」
私は枢機卿を真っ直ぐに見つめた。
「教会は『全ての民を救え』と説いています」
「ならば、魔法を使えない民にも、救いの手を差し伸べるのが神の御心ではないでしょうか?」
◇
私は声を震わせた。
「私は、貧しい村の出身です」
「私の村には、治癒魔法使いはいませんでした」
「高額な寄付を払えないから、教会の治療も受けられませんでした」
私の目に涙が浮かぶ。
「だから、人々は傷で死に、病で死に、出産で死にました」
「私の友人も、隣人も、たくさんの人が死んでいきました」
私は拳を握りしめた。
「でも、それは仕方ないことだと教えられました」
「『神の御心だ』と」
「『運命だ』と」
私は首を横に振った。
「でも、違います!」
「神は、人間に知恵を与えられました!」
「学び、考え、病と戦う力を!」
私は会場を見渡した。
「医学は、魔法を使えない民のための、神の贈り物です!」
「どうか、その可能性を認めてください!」
◇
長い沈黙が流れた。
反論できる者はいなかった。
魔法による証明と、圧倒的な視覚的証拠。
そして「教義」に基づいた正論。
枢機卿は、苦悶の表情で黙っている。
他の高位聖職者たちも、言葉を失っている。
やがて——
パチ、パチ、パチ。
拍手が起こった。
最初はアレクサンダー王子。
彼が立ち上がり、大きく拍手をしている。
次に国王陛下。
威厳ある顔に、微笑みを浮かべている。
そして、貴族たちへ。
学者たちへ。
若い神官たちへ。
拍手が、波のように広がっていく。
◇
枢機卿は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
彼の手は震え、杖を強く握りしめている。
この空気の中で異端判決を下すことは不可能だった。
国王が支持している。
民衆が支持している。
若い聖職者たちまで支持している。
ここで私を断罪すれば、教会は民衆の支持を失う。
それは、保守派の終わりを意味する。
枢機卿は、深い深いため息をついた。
そして、杖を下ろした。
「……認めよう」
彼の声は、疲れ切っていた。
「その微小な生物は、神の被造物である」
彼が宣言する。
「リーゼ・フォン・ハイムダルの医術は、異端にあらず」
彼は目を閉じた。
「神の理を探究する学問であると——」
彼は苦しそうに言葉を絞り出した。
「認定する」
◇
会場が歓声に包まれた。
「勝った!」
「リーゼ先生が勝った!」
「医学万歳!」
人々が立ち上がり、拍手し、歓声を上げる。
私は——
その場に崩れ落ちそうになった。
足の力が抜ける。
手が震える。
視界がぼやける。
「リーゼ!」
ルーカス先輩が駆け寄って、私を支えてくれた。
「やったな、リーゼ」
彼の声は、誇らしげだった。
「魔法と科学の融合……お前の演説、最高だったぞ」
「ありがとう……ございます……」
私は震える声で答えた。
エリーゼも駆け寄ってくる。
「リーゼ様、素晴らしかったです!」
彼女の目に涙が光っている。
◇
その時、エルヴィンが数名の若い魔法使いを連れて近づいてきた。
「リーゼ先生、素晴らしい弁論でした」
エルヴィンが深々と頭を下げた。
「私たち治癒魔法部門の若手一同、先生の研究に協力させていただきたいのです」
彼の後ろには、十人ほどの若い魔法使いたち。
男性も女性も、みな真剣な目をしている。
「魔法と医学、両方の力で、より多くの命を救いたい」
エルヴィンが私の手を取った。
「私たちに、力を貸してください」
「こちらこそ」
私は感動で声が震えた。
「ぜひ、一緒に研究を進めましょう」
私は彼らを見渡した。
「治癒魔法の研究は、きっと医学にも役立ちます」
「細胞の再生メカニズム、免疫系の活性化、痛みの緩和……」
「魔法から学べることは、たくさんあります」
若い魔法使いたちの目が輝く。
「本当ですか!?」
「魔法の研究が、医学に役立つのですか!?」
「もちろんです」
私は微笑んだ。
「科学と魔法は、対立するものではありません」
「両方とも、真実を探求する道なのです」
◇
アレクサンダー王子が近づいてきた。
「リーゼ、おめでとう」
彼が私の肩を抱いた。
「父上も喜んでおられる」
「今夜、祝賀会を開こうと仰っている」
「ありがとうございます、殿下」
私は頭を下げた。
「でも、まだ終わりではありません」
私は大聖堂を見渡した。
「枢機卿は認めましたが、心から受け入れたわけではありません」
「保守派の抵抗は、これからも続くでしょう」
「分かっている」
王子が頷いた。
「だが、今日の勝利は大きい」
「民衆が見ていた」
「学者たちが見ていた」
「もう後戻りはできない」
彼が私を見つめた。
「君は、新しい時代の扉を開いたんだ」
◇
保守派の枢機卿は敗北したが、改革派の魔法使いたちという新たな仲間を得た。
これは、医学と魔法が融合する、新時代の幕開けだった。
「……怖かった」
私は小声で漏らした。
足がまだ震えている。
「もし、生命感知が反応しなかったら」
「もし、投影装置が失敗していたら」
「もし、エルヴィンさんたちが立ち上がってくれなかったら」
考えるだけで、背筋が凍る。
「でも、大丈夫だった」
ルーカス先輩が笑った。
「お前は準備を完璧にしたからな」
「科学は、ちゃんと準備すれば裏切らない」
「そうですね」
私は深呼吸をした。
だが、これで道は開けた。
教会という最大の壁を、「魔法」という共通言語を使うことで乗り越えたのだ。
◇
大聖堂を出ると、外には既にニュースを聞きつけた民衆が集まっていた。
「リーゼ先生だ!」
「勝ったんですか!?」
誰かが叫ぶ。
「はい」
私は頷いた。
「教会は、医学を認めてくれました」
その瞬間——
大歓声が上がった。
「万歳!」
「リーゼ先生万歳!」
「医学万歳!」
人々が私の周りに集まってくる。
握手を求める手、感謝の言葉、祝福の声。
「娘を救ってくださって、ありがとうございます!」
「息子の咳が止まりました!」
「あなたは英雄です!」
私は一人一人に応えた。
笑顔で、感謝の言葉で。
◇
でも、心のどこかで——
不安が消えない。
大聖堂の窓から、誰かの視線を感じる。
振り返ると、ギースリング枢機卿が立っていた。
彼の目は、憎悪に燃えていた。
決して消えない、深い恨みの炎。
私は、その視線の意味を理解した。
光が強まれば、さらに濃い影が生まれる。
教会の面目を潰された枢機卿は、決して諦めないだろう。
いつか、必ず——
復讐の機会を狙っている。
私はその視線から目を逸らした。
でも、背筋に冷たいものが走る。
「大丈夫?」
エリーゼが心配そうに聞く。
「ええ、大丈夫」
私は笑顔を作った。
「ただ、少し疲れただけ」
嘘だった。
でも、今は喜びに水を差したくない。
◇
民衆の歓声の中を、私たちは馬車に向かった。
今日の勝利は、大きな一歩だ。
でも、戦いは終わっていない。
むしろ、これから始まるのだろう。
枢機卿の憎悪。
保守派の抵抗。
そして、まだ見ぬ新たな敵。
でも、私には仲間がいる。
ルーカス先輩、エリーゼ、エルヴィンさんたち。
アレクサンダー王子、国王陛下。
そして、何より——
私を信じてくれる民衆がいる。
「さあ、帰ろう」
ルーカス先輩が馬車の扉を開けた。
「明日からまた、忙しくなるぞ」
「患者が殺到するだろうからな」
「ええ」
私は頷いた。
「一人でも多くの命を、救いたいです」
馬車が動き出す。
大聖堂が遠ざかっていく。
窓から見える枢機卿の姿も、小さくなっていく。
でも、その憎悪の炎は——
決して消えることはないだろう。
私はそれを、心に刻んだ。
科学と魔法の融合という夢。
全ての民を救うという使命。
その道は、まだ始まったばかりだ。




