表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら十歳の幼女医師でした~前世の医学知識で異世界医療を改革します~  作者: NN
転生したら十歳の幼女医師でした~前世の医学知識で異世界医療を改革します~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

82/112

第81話 神の領域への侵犯

 アンナの退院から一週間後。

 私は研究室で、次のストレプトマイシン製造の準備をしていた。


 一人の患者を救えた。

 でも、それで終わりではない。


 王国中、いや世界中には、何千万人もの結核患者がいる。

 彼らすべてを救うには、薬を量産しなければならない。


「リーゼ、見て!」


 エリーゼが新聞を持って駆け込んできた。


「王都新聞の一面よ!」


 新聞の見出しには、大きな文字で書かれていた。


『不治の病、結核が治った! 少女医師の奇跡』


 そして、私の似顔絵が載っている。


「うわぁ……」


 私は顔を覆った。


「恥ずかしい……」



 でも、これは始まりに過ぎなかった。


 翌日の新聞には、より詳細な記事が載った。


『死の淵から生還した少女、アンナさん(14)の証言』

『「先生が命を救ってくれました」涙の感謝』


 アンナへのインタビュー記事だ。



 そして、その翌日。


 アンナは母親と共に、王都の大聖堂を訪れた。


 命を救われた感謝を、神に捧げるために。


「お母さん、久しぶりね、外を歩くの」


 アンナが嬉しそうに言った。


 頬にはまだ少し痩せた跡が残っているが、顔色は良い。

 呼吸も楽そうだ。


「本当に、奇跡だわ……」


 母親が涙ぐんだ。


「三週間前は、もう諦めていたのに」


 二人は大聖堂の石段を登った。


 重厚な扉をくぐり、礼拝堂へ入る。



 礼拝堂には、数十人の信徒が祈りを捧げていた。


 アンナと母親は祭壇の前に進み、跪いた。


「神様」


 母親が祈る。


「娘の命を救ってくださり、ありがとうございます」


 そして、アンナも小さく祈った。


「ありがとうございます」


 しばらく祈りを捧げた後、アンナたちは立ち上がった。


 その時、白い法衣を着た神官が近づいてきた。


「お嬢さん」


 神官が優しく微笑んだ。


「お元気そうですね。何か良いことがありましたか?」


「はい!」


 アンナが明るく答えた。


「結核が治ったんです!」



 その言葉に、周囲の空気が変わった。


 祈っていた信徒たちが、一斉にアンナを見た。


「結核……が、治った?」


 神官が驚いた顔をした。


「はい! リーゼ先生が、ストレプトマイシンっていう薬で治してくれました!」


 アンナが嬉しそうに説明した。


「三週間前は、もう死ぬって言われてたんです」

「でも、先生が注射してくれて——」


「待ちなさい」


 神官が手を上げて、アンナの言葉を遮った。


「その……リーゼという医者が、治したと?」


「はい!」


「神の御加護ではなく?」


 神官の声が、わずかに硬くなった。



 アンナは首を傾げた。


「神様の加護も、あったかもしれません」

「でも、先生が薬をくれなかったら、私は死んでました」


 母親も頷いた。


「そうなんです、神父様」

「三つの病院で『手遅れだ』と言われて——」

「でも、リーゼ先生だけが『治せる』と言ってくれました」


「それは……」


 神官が言葉に詰まった。


 周囲の信徒たちが、ざわめき始めた。


「結核が治る薬があるのか?」

「不治の病だと思っていたのに」

「あの少女医師が……?」


 ざわめきが、どんどん大きくなっていく。



 別の神官——年配の、位の高そうな者——が近づいてきた。


「皆さん、お静かに」


 その神官が厳かに言った。


「結核が治ったのは、神の奇跡です」

「医者はただの道具に過ぎません」


「でも——」


 アンナが反論しようとしたが、母親が慌てて制した。


「そうですね、神父様」


 母親が頭を下げた。


「神様のお導きがあったからこそ、リーゼ先生に出会えました」


 母親はアンナの手を引いて、急いで大聖堂を出ようとした。


 何か、空気が悪い。


 このままいると、良くないことが起こりそうな予感がした。



 しかし、すでに遅かった。


 大聖堂の外では、アンナたちの会話を聞いた信徒たちが集まり始めていた。


「結核が治る薬があるって本当か!」

「王立医学院の少女医師が作ったらしい」

「神の奇跡じゃなくて、人間の薬で治ったんだって」


 噂は、瞬く間に広がった。


 教会で祈るよりも、病院へ行ったほうが助かる。


 その認識が、人々の間に広まり始めた。


 そして、その噂は教会の上層部にも届いた。


 ギースリング枢機卿の耳に。



 さらに次の日。


『王立医学院、新薬「ストレプトマイシン」の詳細を発表』

『動物実験で100%の治療成功率』


 技術的な解説記事も出た。


 そして、その次の日——


『各地から患者が殺到 王立医学院、対応に追われる』


 医学院の門前には、朝から長い行列ができていた。



「先生! 私の娘を診てください!」

「息子が血を吐いているんです!」

「お願いします、助けてください!」


 絶望的な顔をした人々が、門を押し開けようとしている。


 守衛たちが必死に制止しているが、人波に押されている。


「落ち着いてください!」

「順番に診察しますから!」


 ヴィルヘルム先生が大声で呼びかけるが、声は群衆の叫びに掻き消される。


 私は門の前に立った。


「皆さん!」


 私の声に、人々の動きが止まった。


「お静かに!」



 群衆が静まる。


 数百人の視線が、私に集中した。


「私はリーゼ・フォン・ハイムダルです」


 私は深呼吸をして、大きな声で言った。


「皆さんのご家族を、必ず診察します」

「ただし、順番を守ってください」


 私は看護師たちに指示を出した。


「整理券を配ってください」

「重症度の高い方から優先します」


 そして、群衆に向き直った。


「薬には限りがあります」

「今すぐ全員を治療することはできません」


 人々の顔に失望の色が浮かぶ。


「でも、諦めないでください」


 私は力強く言った。


「私たちは今、薬を増産しています」

「必ず、皆さんの元へ届けます」



 その日から、医学院は戦場と化した。


 外来診察室は患者で溢れかえった。

 廊下にまで担架が並び、看護師たちは走り回っている。


 私も朝から晩まで、診察を続けた。


 咳き込む老人。

 血を吐く若者。

 高熱で苦しむ子供たち。


 全員が、同じ敵と戦っている。

 結核という、白い悪魔と。


「次の方、どうぞ」


 私は何十人目かの患者を呼んだ。


 聴診器を当てる。

 喀痰を採取する。

 顕微鏡で確認する。


 そして、ストレプトマイシンを処方する。


 単調な作業の繰り返し。

 でも、一人ひとりが、かけがえのない命だ。



 しかし、光が強ければ、影もまた濃くなる。


 五日目の夕方。


 ルーカス先輩が、険しい顔で報告に来た。


「リーゼ、街で妙な噂が流れている」


「噂?」


「ああ」


 先輩が声を潜めた。


「『あの女医は、悪魔と契約して死神を追い払っている』だとか」

「『目に見えない菌などという怪物は、黒魔術の使い魔だ』だとか」


 私の背筋が凍った。


 その言葉は——


 百六十年前、ゼンメルワイス先生を葬った言葉と、全く同じものだった。



「誰が、そんな噂を……?」


「分からない」


 先輩が首を振った。


「でも、広まってる」

「特に、信心深い老人たちの間で」


「教会か……」


 私は呟いた。


 結核治療の成功は、教会の権威を脅かす。


 この世界の医療は、二極化している。


 教会に属する神官や聖女が使う「治癒魔法ヒール」。

 これは傷を塞ぐには劇的な効果があるが、病気——特に感染症には効果が薄い。

 魔力の消費も激しく、高額な寄付ができる貴族しか受けられない。


 対して、私が広めている医学は、安価で、誰にでも効果がある。


 それが教会の特権を脅かしているのだ。



「気をつけろ、リーゼ」


 ヴィルヘルム先生が警告してくれた。


「お前の成功を妬む者は多い」

「特に、既得権益を持つ者たちは」


「分かっています」


 私は頷いた。


「でも、止められません」

「目の前に苦しんでいる人がいるのに」


「……そうだな」


 先生が苦笑した。


「お前らしい」


 でも、先生の目には心配の色が浮かんでいた。



 そして、運命の日が訪れた。


 医学院の正門に、物々しい一行が現れた。


 白と金の法衣をまとい、重厚な杖を持った男たち。

 胸には、炎と剣を組み合わせた紋章が輝いている。


 中央教会の中でも、教義の監視を司る「異端審問局」の司祭たちだ。


 門の前に集まっていた患者たちが、道を開ける。

 恐怖に満ちた顔で、後ずさる。


 異端審問局。


 その名は、この国で最も恐れられている組織の一つだ。


 魔女狩り、異端者の処刑、禁書の焼却。

 彼らの権限は絶大で、時には王権さえも脅かす。



 一行の先頭に立つのは、年老いた男だった。


 背は高く、痩せている。

 鷲のような鋭い目。

 薄い唇。

 そして、冷たく威圧的な雰囲気。


 ギースリング枢機卿。


 王国の宗教界で絶大な権力を持つ、保守派の重鎮だ。


 彼は医学院の門をくぐり、中庭へと進んだ。


 学生たちが息を呑んで見守る中、枢機卿は立ち止まった。


「リーゼ・フォン・ハイムダル医師はいるか」


 厳かな、しかし冷たい声が響く。



 私は白衣を整え、彼らの前に進み出た。


 心臓が激しく鼓動している。

 でも、顔には出さない。


「私がハイムダルです」


 私は最大限の礼儀を尽くして頭を下げた。


「枢機卿猊下、本日はどのようなご用件でしょうか」


 枢機卿は私を見下ろし、侮蔑の色を隠そうともしなかった。


 その目には、明確な敵意が宿っていた。


「そなたか」


 枢機卿が静かに言った。


「神の定めた生死のことわりを乱す者は」



 中庭に、緊張が走った。


 学生たちが固唾を呑んで見守っている。


「結核は、神が人間に与えた試練であり、罰である」


 枢機卿が杖で地面を突いた。


「それを人間の浅知恵でねじ曲げるとは、何たる傲慢か」


 その言葉に、私は静かに反論した。


「猊下」


 私は顔を上げて、枢機卿を見つめた。


「病が試練であるなら、それを乗り越えるための知恵もまた、神が人間に与えた恵みではないでしょうか」


 枢機卿の眉がぴくりと動いた。


「私たちは神の創造した薬草や、土の中の恵みを使って、命を救っているに過ぎません」


「口が減らない娘だ」


 枢機卿が不快そうに言った。



「ならば問う」


 枢機卿が私に向き直った。


「そなたが使う『顕微鏡』なる筒。あれは何だ?」


 枢機卿が顕微鏡を指差す。


「目に見えぬものを見るなど、神の御業みわざを盗み見る行為に他ならぬ」


 周囲の学生たちがざわめく。


「あの筒の中に映る『細菌』とやらは、そなたの魔術が生み出した幻影ではないのか?」


 科学の結晶である顕微鏡を、魔術呼ばわりされた。


 私は努めて冷静に説明しようとした。


「それは誤解です、猊下」


「誤解?」


「はい。顕微鏡はレンズの屈折を利用した光学機器です」


 私は理論を説明し始めた。


「魔術ではありません。誰が覗いても同じものが見えます」



「黙れ!」


 枢機卿が一喝した。


 その声に、私の言葉が遮られる。


「最近、信徒たちの間で不安が広がっている」


 枢機卿が冷たい目で私を睨んだ。


「『教会へ行って祈るよりも、病院へ行って白い粉を貰ったほうが助かる』とな」


 枢機卿が杖を握りしめた。


「そなたの行いは、人々の信仰心を揺るがし、教会への帰依を妨げている」


 ああ、と私は思った。


 本音が漏れた。


 彼らが恐れているのは「神の領域の侵犯」ではない。

 「教会の権威の失墜」だ。


 医学が発達し、病気が「祈り」ではなく「科学」で治るようになれば、教会への寄付や依存が減る。

 それを危惧しているのだ。



「これは看過できぬ重罪だ」


 枢機卿が宣告した。


「枢機卿猊下」


 ヴィルヘルム先生が割って入ろうとしたが、枢機卿はそれを手で制した。


「リーゼ・フォン・ハイムダル」


 枢機卿の声が、雷のように響いた。


「そなたに『異端嫌疑』がかけられている」


 異端嫌疑。


 その言葉の重みに、場が凍りついた。


 もし異端と認定されれば、医師免許の剥奪どころか、最悪の場合は処刑もあり得る。


 火刑。

 絞首刑。

 斬首刑。


 異端審問局の歴史は、血塗られている。



「目に見えぬ魔物を使役し、人々の魂を惑わせた罪だ」


 枢機卿が続けた。


「来週、中央大聖堂にて『審問会』を開く」


 私の心臓が凍りついた。


「そこでそなたの医学が、神の御心に沿うものか、それとも悪魔の所業かを見極める」


 枢機卿が私を睨みつけた。


「それまでは、一切の医療行為を禁ずる」


「なっ……!」


 私は絶句した。


 医療行為の禁止。


 それは、今治療中の患者たちを見殺しにしろという意味だ。



「待ってください!」


 私は叫んだ。


「今、治療を必要としている患者がいるんです!」


 中庭の外では、何十人もの患者が待っている。


 咳き込む人々。

 血を吐く人々。

 高熱で苦しむ人々。


「薬を止めれば、彼らは死んでしまいます!」


「その死もまた、神の定めた運命だ」


 枢機卿は冷酷に言い放った。


「魂が汚れたまま生き長らえるより、清らかに神の元へ召されるほうが幸せであろう」


 その言葉に、私の中で何かが切れた。



「それは違います!」


 私は枢機卿を睨みつけた。


「命を救うことが、どうして魂を汚すことになるんですか!」


「リーゼ!」


 ヴィルヘルム先生が私を止めようとしたが、私は構わず続けた。


「神は、本当にそんなことを望んでいるんですか?」

「苦しむ人を見捨てることが、神の教えなんですか?」


 枢機卿の顔が、怒りで歪んだ。


「不敬である!」


 枢機卿が杖を振り上げた。


「異端の徒め! 神を冒涜するか!」



「私は神を冒涜していません」


 私は一歩も引かなかった。


「ただ、神が創られた命を、神が与えた知恵で救おうとしているだけです」


 枢機卿の目が、憎悪に燃えた。


「来週の審問会で、その傲慢な舌を引き抜いてやる」


 枢機卿が踵を返した。


「覚悟するがいい」


 そして、一行は去っていった。


 白と金の法衣が、夕日に照らされて輝いていた。



 残されたのは、絶望的な静寂だった。


「なんてことだ……」


 ルーカス先輩が拳を壁に叩きつけた。


「王家の承認を得た顕微鏡を、教会の権威で潰しに来るとは」


「どうすればいいの……」


 エリーゼが青ざめている。


 学生たちも、恐怖に怯えている。


 異端審問局の恐ろしさを、誰もが知っている。


 過去に何人もの学者が、「異端」のレッテルを貼られて処刑された。


 その中には、何の罪もない人も多かった。



 私は震える手で白衣の裾を握りしめた。


 悔しい。

 怒りと、恐怖と、無力感が混ざり合っている。


 目の前に助けられる命があるのに。

 科学的な手段はあるのに。


 「迷信」と「権力」がそれを阻む。


 ゼンメルワイス先生も、この壁にぶつかったのだ。


 「手を洗え」という単純な真理が、宗教的観念や伝統に押し潰されたように。


 先生は、孤独の中で敗れた。


 迫害され、追放され、失意のうちに死んだ。



 でも、私は違う。


 私には仲間がいる。

 私が救った患者たちがいる。

 そして、科学という武器がある。


 私は顔を上げた。


「……戦いましょう」


 周囲が静まり返った。


「審問会に出て、証明してみせます」


 私は拳を握りしめた。


「科学は信仰の敵ではなく、隣人であると」

「そして、命を救うことこそが、最大の祈りであると」



「リーゼ……」


 エリーゼが不安そうに言った。


「でも、相手は異端審問局よ」

「勝ち目なんて……」


「あります」


 私は断言した。


「私には証拠があります」

「科学的な、誰にでも確認できる証拠が」


 私は顕微鏡を指差した。


「顕微鏡で見せます」

「結核菌が本当に存在すること」

「そして、ストレプトマイシンがそれを殺すこと」


「でも、彼らは聞く耳を持たないわ」


「なら、聞かせます」


 私は言った。


「魔法で証明してみせます」



「魔法?」


 ルーカス先輩が首を傾げた。


「ああ、そうだ」


 私は閃いた。


「この世界には、魔法がある」

「『生命感知ディテクト・ライフ』という魔法があるはずです」


 私は説明した。


「あれは、生命の気配を感知する魔法」

「もし細菌が本当に生き物なら、魔法に反応するはず」


「なるほど……」


 ヴィルヘルム先生が頷いた。


「教会の魔法で、細菌の存在を証明するわけか」


「その通りです」


 私は立ち上がった。


「彼らの武器で、彼らを説得するんです」



「でも、誰が魔法を使うんだ?」


 ルーカス先輩が尋ねた。


「エルヴィンさん」


 私は答えた。


 エルヴィン——宮廷魔法学会の治癒魔法部門に所属する、中堅の魔導師だ。


 以前、医学院の講義に興味を持って参加していた。


「彼なら、協力してくれるかもしれません」


 私は希望を感じ始めていた。


「すぐに連絡を取りましょう」



 その夜、私は一人、研究室に残っていた。


 机の上には、ゼンメルワイス先生の古医学書が開かれていた。


 最後のページ。


 先生の遺言が記されたページ。


『もし、この本を読んでいる未来の医師がいるなら、伝えたい』

『諦めるな』

『たとえ世界中が敵に回っても、真実を信じろ』

『科学は、必ず勝つ』


 私は涙が溢れてきた。


「先生……」


 私は呟いた。


「あなたは孤独でした」

「でも、私は違います」


 私は窓の外を見た。


 満月が、静かに輝いている。


「私には仲間がいます」

「あなたの遺志を継ぐ者たちが」



「そして、証明してみせます」


 私は古医学書を胸に抱いた。


「科学と信仰は、共存できると」

「命を救うことが、最も神聖な行為だと」


 来週の審問会。


 そこで、私は運命と対峙する。


 医学と宗教。

 人類史上、何度も繰り返されてきた対立の歴史。


 その最前線に、私は立たされた。


 でも、恐れない。


 なぜなら——


「真実は一つしかないから」


 私は拳を握りしめた。


 ゼンメルワイス先生の言葉を、胸に刻む。


『科学は、必ず勝つ』



 翌朝、私は行動を開始した。


 まず、エルヴィンさんを訪ねた。


 宮廷魔法学会の研究棟。

 立派な石造りの建物だ。


 受付で名前を告げると、すぐにエルヴィンさんが出てきてくれた。


「リーゼ先生!」


 彼は驚いた顔をした。


「噂は聞きました。異端審問局が……」


「はい」


 私は頷いた。


「お願いがあって、来ました」



 エルヴィンさんの研究室で、私は事情を説明した。


「『生命感知』の魔法で、細菌の存在を証明したいんです」


「なるほど……」


 エルヴィンさんが考え込んだ。


「確かに、あの魔法は生命の気配を感知します」

「細菌が本当に生き物なら、反応するはずですが……」


 彼が不安そうな顔をした。


「でも、異端審問局を相手にするのは、危険です」

「もし失敗したら、私も巻き添えになるかもしれない」


 私は頭を下げた。


「分かっています」

「でも、お願いします」


「リーゼ先生……」



 エルヴィンさんは長い間、黙っていた。


 窓の外を見つめ、何かを考えている。


 そして、ゆっくりと口を開いた。


「……私には、疑問がありました」


「疑問?」


「はい」


 エルヴィンさんが私を見た。


「私は三十年、治癒魔法を研究してきました」


 彼の目に、真剣な光が宿った。


「でも、ずっと疑問がありました」

「なぜ治癒魔法は傷を塞ぐことはできても、疫病には効果が薄いのか」


 彼が顕微鏡を見つめた。


「先生の講義を聞いて、その答えが分かりました」

「我々は敵の姿を見ていなかったのです」



「だから」


 エルヴィンさんが立ち上がった。


「協力させていただきます」


「本当ですか!」


「はい」


 彼が微笑んだ。


「真実を知りたいんです」

「そして、もし先生が正しいなら、私は先生の味方です」


 私は涙が溢れてきた。


「ありがとうございます……」


「礼を言うのは早いですよ」


 エルヴィンさんが苦笑した。


「これから、命がけの戦いになりますから」



 審問会まで、あと五日。


 私たちは準備を進めた。


 顕微鏡のプレパラートを用意する。

 結核菌の標本。

 ストレプトマイシンで処理した標本。

 対照実験用の標本。


 エルヴィンさんは『生命感知』の魔法を練習した。


 エリーゼとルーカス先輩は、光学式投影装置を改良してくれた。

 審問会の大聖堂で、全員に細菌の姿を見せるために。


 ヴィルヘルム先生は、国王陛下に直訴してくれた。

 審問会に王族が出席できるように。


 みんなが、私のために動いてくれた。



 審問会前日。


 私は一人、大聖堂を下見に行った。


 巨大な建物。

 天井まで届くステンドグラス。

 厳かな雰囲気。


 ここで、明日、運命が決まる。


 私は祭壇の前で、静かに祈った。


 神様。

 もしあなたが本当にいるなら。


 どうか、真実が勝ちますように。

 科学が、人々を救う力となりますように。


 そして——


 ゼンメルワイス先生の無念が、晴れますように。



 祈りを終えて顔を上げると、誰かが後ろに立っていた。


「……アレクサンダー王子」


 私は驚いて振り返った。


 第一王子が、優しく微笑んでいた。


「頑張ってください、リーゼ先生」


 王子が私の肩に手を置いた。


「あなたは、間違っていません」

「命を救うことは、決して罪ではありません」


「王子……」


「明日、私も出席します」


 王子が力強く言った。


「そして、証人として証言します」

「あなたの医学が、どれだけ多くの命を救ったかを」


 私は涙をこらえた。


「ありがとうございます」



 その夜、私は眠れなかった。


 ベッドの中で、何度も寝返りを打った。


 明日。

 すべてが決まる。


 勝てば、医学は認められる。

 科学と信仰の共存への道が開ける。


 負ければ——


 異端として処刑されるかもしれない。

 医学の発展は、何十年も遅れるだろう。


 でも、後悔はない。


 私は正しいことをしている。


 そう信じて、目を閉じた。


 明日、真実が何であるか、世界に示してやる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
異端審問を出しましたか…。中世と言っても宗教と政治の関りは変遷していますから、一概に宗教の方が権力を持っていたとは限りませんが、国王を無視して権力を揮えるほど力がつよかった時期は短かったはずです(カノ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ