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転生したら十歳の幼女医師でした~前世の医学知識で異世界医療を改革します~  作者: NN
転生したら十歳の幼女医師でした~前世の医学知識で異世界医療を改革します~

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第79話 小さな命の重み

 灰色の放線菌から有効成分を取り出す作業は、繊細さを極めた。


 巨大なタンクで菌を培養する。

 培養液が淡い灰色に濁ったら、それをろ過する。

 活性炭で不純物を吸着させ、有機溶媒で抽出する。

 pH調整、濃縮、再結晶。


 ペニシリンよりも化学的な工程が多い。

 一つでも手順を間違えれば、毒性が強すぎて薬にならない。

 逆に精製しすぎると、有効成分まで失われてしまう。


 微妙なバランス。

 それを見極めるのに、私たちは二週間を費やした。


「リーゼ、これで何回目の精製?」


 エリーゼが、疲れた顔で尋ねた。


「十二回目です」


 私は答えた。


「でも、ようやく理想的な純度に近づいてきました」


 フリーデリケ教授が、精製した粉末を顕微鏡で観察する。

 結晶は均一で美しい針状を呈しており、不純物の混濁はほとんど見られない。


「純度、九十五パーセント」


 教授が満足そうに頷いた。


「これなら、医薬品として使えるわ」



 そして、ついに——


「完成しました」


 私は小さなガラス瓶を手に取った。


 その中には、白い粉末が入っている。

 精製された結晶。

 ストレプトマイシン。


「これが……」


 ルーカス先輩が、瓶を覗き込んだ。


「五週間かけて土の中から見つけた、結核を倒す武器」


「ええ」


 私は瓶を光にかざした。


 白い粉末が、柔らかく輝いている。

 この白い粉が、あの頑強な結核菌の鎧を貫く槍となるはずだ。


 だが、これをいきなり人間に使うわけにはいかない。

 特にこの薬は、腎臓や聴覚への副作用があることを私は知っている。


 安全な量と、確実な効果。

 それを証明するためには、どうしても通らなければならない道があった。



 その夜、私たちは研究室で会議を開いた。


「動物実験が必要です」


 私は、三人を見渡して言った。


 ヴィルヘルム先生、エリーゼ、ルーカス先輩。

 みんな、複雑な表情をしている。


「分かっている」


 ヴィルヘルム先生が重々しく頷いた。


「しかし、動物に結核を感染させるというのは……」


「心が痛みます」


 私は正直に答えた。


「でも、人間で試す前に、効果と安全性を確認しなければなりません」


 エリーゼが小さく声を上げた。


「でも、リーゼ……」

「動物を病気にして、観察するなんて」


「残酷ですよね」


 私は頷いた。


「私も、そう思います」


 ルーカス先輩が腕組みをした。


「しかし、これをしなければ、人間に投与できない」

「もし効果がなかったり、毒性が強すぎたりしたら、患者の命が危険にさらされる」


「その通りです」


 私は言った。


「だからこそ、動物実験は必要なんです」

「彼らの犠牲の上に、未来の数百万人の命が救われる」


 室内が静まり返った。


 しばらくして、ヴィルヘルム先生が口を開いた。


「リーゼ君、一つ約束してくれ」


「何でしょうか」


「実験動物たちを、決して粗末に扱わないこと」

「彼らの犠牲を、無駄にしないこと」

「そして、彼らへの感謝を忘れないこと」


「約束します」


 私は深く頭を下げた。



 翌日、医学院の地下飼育室へ向かった。


 そこには、実験用に調達した二十匹の白いネズミがいた。

 小さなケージの中で、彼らは無邪気に餌を食べ、毛繕いをしている。


「……ごめんね」


 私はケージの前で、小さく呟いた。


 エリーゼが痛ましそうな顔をしている。

 ルーカス先輩も、いつもより口数が少ない。


「この子たち、何も知らないのにね……」


 エリーゼが、ケージに手を伸ばした。

 一匹のネズミが、彼女の指に鼻を寄せる。


「ごめんね、本当にごめんね」


 エリーゼの目に、涙が浮かんでいた。


「やるしかないんだな?」


 先輩が静かに聞いた。


「はい」


 私は答えた。


「彼らの命を貰って、私たちは薬の力を証明します」

「この犠牲の上に、未来の数百万人の命が救われるんです」


 私は自分に言い聞かせるように言った。


 医学の歴史は、多くの実験動物たちの犠牲の上に成り立っている。

 ワクチン、抗生物質、手術技術。

 すべて、動物実験を経て確立された。


 その罪悪感から目を背けてはいけない。

 背負って、進むのだ。



 実験計画を立てた。


「まず、すべてのネズミに結核菌を投与します」


 私は黒板に図を描いた。


「培養した結核菌を、注射で肺に投与する」

「感染から三日後、二つのグループに分けます」


 Aグループ十匹:治療を行わない(対照群)。

 Bグループ十匹:毎日ストレプトマイシンを投与する(治療群)。


「対照群は……」


 エリーゼが言葉を濁した。


「死にますよね」


「はい」


 私は正直に答えた。


「対照群がいなければ、薬の効果を証明できません」

「彼らの死は、薬が本当に効いているという証拠になります」


 それは、科学として必要なことだ。

 でも、心は痛む。


「分かりました」


 エリーゼが深呼吸をした。


「私も、手伝います」


「ありがとう」



 実験は始まった。


 まず、二十匹すべてのネズミに、培養した結核菌を投与する。


 ネズミを固定する。

 小さな注射器に、結核菌の培養液を吸い上げる。

 針を刺す。


 チュッ、と小さな鳴き声。


「ごめんね……」


 私は呟きながら、一匹ずつ処置していく。


 残酷なことだが、彼らを結核に感染させるのだ。

 この瞬間、彼らの肺に、無数の結核菌が侵入していく。


 エリーゼは、ネズミたちを優しく撫でている。


「せめて、怖くないように……」


 彼女の声が震えていた。


 二十匹、すべての投与が終わった。


 ネズミたちは、まだ元気だ。

 何も知らずに、ケージの中を走り回っている。


 でも、三日後には、症状が出始めるだろう。

 咳、呼吸困難、体重減少。


「記録を開始します」


 私は実験ノートを開いた。


『実験開始日:×月×日』

『被験体:白色ネズミ、生後3ヶ月、体重150-180g、計20匹』

『投与菌株:結核菌、培養7日目』



 三日後。


 予想通り、ネズミたちに症状が現れ始めた。


 咳のような仕草。

 呼吸が速くなる。

 動きが鈍くなる。


「症状が出てきました」


 私は記録を取りながら言った。


「では、グループ分けを」


 ルーカス先輩が、ケージを二つ準備した。


 無作為に、十匹ずつに分ける。

 Aグループ、Bグループ。


 Aグループのケージには、赤いラベル。

 Bグループのケージには、青いラベル。


「Bグループには、今日からストレプトマイシンを投与します」


 私は白い粉末を生理食塩水に溶かした。

 透明な溶液。

 その中に、結核を倒す力が秘められている。


 注射器で、一匹ずつ投与していく。


「頑張ってね」


 エリーゼが、Bグループのネズミに声をかけた。


「この薬が、あなたたちを救ってくれるから」


 一方、Aグループには、何も投与しない。

 ただ、観察するだけ。


 彼らは、病気と戦わなければならない。

 薬の助けなしで。


 そして、おそらく——負ける。



 一週間が経過した。


 変化は顕著に現れ始めた。


 Aグループのネズミたちは、明らかに衰弱していた。

 毛並みが悪くなり、目に力がない。

 餌もあまり食べない。

 ケージの隅で、じっとしている時間が増えた。


「呼吸が荒いです」


 ルーカス先輩が観察記録を取っている。


「結核菌が肺を蝕んでいる証拠だ」


 私は聴診器で、一匹のネズミの胸を聞いた。

 小さな心臓が、速く打っている。

 呼吸音は、ゼーゼーと異常だ。


「ごめんね……」


 私はそのネズミを、そっとケージに戻した。


 対して、Bグループのネズミたちは——


「元気だ……」


 エリーゼが、驚いた声を上げた。


 彼らは餌をよく食べ、活発に動き回っている。

 毛並みも艶々としている。

 体重も、ほとんど減っていない。


「ストレプトマイシンが効いている」


 私は記録ノートに書き込んだ。


『7日目:Aグループ、全個体で衰弱の兆候。Bグループ、症状の改善傾向』



 二週間が経過した。


 AグループとBグループの差は、さらに広がっていた。


 Aグループのネズミたちは、ほとんど動かなくなっていた。

 呼吸は浅く、速い。

 目を閉じて、横たわっている。


「もう、長くない……」


 ルーカス先輩が呟いた。


 その日の夜、最初の一匹が死んだ。


 Aグループの、ケージ番号3番。

 朝は、まだかすかに呼吸していた。

 でも、夕方にはもう、冷たくなっていた。


「……」


 私は、その小さな体を手に取った。


 まだ温かさが残っている。

 でも、もう動かない。


「ごめんなさい」


 私は、そのネズミに頭を下げた。


「あなたの死を、無駄にはしません」


 エリーゼが、涙を拭いた。


「科学のため、って分かってるけど……」

「やっぱり、辛い」


「ええ」


 私も、涙を堪えた。


「でも、前に進まなきゃ」



 三週間が経過した。


 Aグループは、さらに五匹が死亡した。

 残りの四匹も、瀕死の状態だ。


 一方、Bグループは——


「信じられない……」


 ヴィルヘルム先生が、ケージを覗き込んだ。


 Bグループのネズミたちは、完全に回復していた。

 元気に走り回り、餌を食べ、毛繕いをしている。


「まるで、病気だったことなんて嘘みたいだ」


「はい」


 私は誇らしげに言った。


「ストレプトマイシンは、結核菌の増殖を完全に止めました」

「彼らの肺は、回復しています」


 先生が私の肩に手を置いた。


「素晴らしい、リーゼ君」

「これは、歴史的な成果だ」



 そして一ヶ月後。


 悲しい結果と、喜ばしい結果が同時に確定した。


 Aグループのネズミは、全滅した。

 十匹すべてが、結核による全身衰弱で死亡した。


 私は静かに黙祷を捧げた。


「ありがとう」


 小さな声で呟いた。


「あなたたちの犠牲を、忘れません」


 そして、解剖を行った。


 メスを入れる手は震えなかった。

 彼らの死を無駄にしないために、しっかりと記録しなければならない。


 一匹目のネズミを、解剖台に置く。

 小さなメスで、胸を開く。


 肺を取り出す。


「……これは」


 ルーカス先輩が、息を呑んだ。


 肺は、ボロボロだった。

 無数の白い結節(結核結節)ができており、組織が破壊されている。

 正常なピンク色の部分は、ほとんど残っていない。


「結核菌が、肺全体を蝕んでいます」


 私は顕微鏡用のスライドを作成した。


 肺組織を薄く切り、染色して、顕微鏡で観察する。


「見てください」


 私は顕微鏡を覗きながら言った。


「結核菌が、びっしりと増殖しています」


 レンズの向こうには、赤く染色された無数の棒状の細菌が見えた。

 結核菌だ。


「これでは、呼吸できない……」


 エリーゼが悲しそうに呟いた。


「ええ」


 私は記録を取った。


『Aグループ、解剖所見:両側肺に多発性結核結節。組織の広範な壊死。菌の大量増殖を確認』


 残りの九匹も、同じように解剖した。

 すべて、同じ結果だった。


 結核菌に侵され、肺が破壊され、死亡した。



 次に、Bグループの——生き残った元気なネズミを一匹、安楽死させて解剖した。


 これが、最も辛い作業だった。


 元気なネズミを、殺さなければならない。

 でも、確認しなければならない。

 本当に、肺が治癒しているのかを。


「ごめんなさい」


 私は、ケージから一匹を取り出した。


 青いラベルのケージ、番号7番。

 この子は、一ヶ月間、毎日ストレプトマイシンを投与されてきた。


 そして今、とても元気だ。

 私の手の中で、鼻をヒクヒクさせている。


「あなたの犠牲が、未来の患者を救います」


 私は安楽死の薬を注射した。


 ネズミは、すぐに眠るように動かなくなった。


 エリーゼが、涙を流していた。


「……これでいいの?」

「せっかく治ったのに……」


「これでいいんです」


 私は言った。


「彼の死が、薬の効果を証明します」


 解剖台に置く。

 深呼吸。

 メスを取る。


 胸を開く。

 肺を取り出す。


 そして——


「きれい……」


 エリーゼが息を呑んだ。


 そこには、健康なピンク色の肺があった。

 結節は一つもない。

 表面は滑らかで、弾力がある。


「正常です」


 私の声が震えた。


「完全に、治癒しています」


 顕微鏡で組織を観察する。

 染色して、結核菌を探す。


 でも、見つからない。

 ほとんど、見つからない。


 わずかに、死んだ菌の残骸が見えるだけ。

 生きた菌は、一匹もいない。


「ストレプトマイシンが、すべての菌を殺したんです」


 私は顕微鏡から顔を上げた。


「そして、肺組織は再生しました」



 記録を完成させた。


『Bグループ、解剖所見:肺組織は正常。結核結節なし。生菌はほぼ検出されず』


『結論:ストレプトマイシンは、生体内で結核菌の増殖を完全に抑制し、感染組織の治癒を促進する』


「成功だ」


 私は顔を上げ、宣言した。


「ストレプトマイシンは、結核に対して明確な治療効果を持ちます」

「副作用も、この投与量なら軽微です」

「腎臓のダメージも、許容範囲内でした」


「この薬は、使えます」


 その瞬間、研究室の空気が緩んだ。


 エリーゼが涙を拭い、ルーカス先輩が深く息を吐いた。


「やったな、リーゼ」


 先輩が私の肩を叩いた。


「ああ、長かった……」


 私は白い粉の入った小瓶を握りしめた。


 この中には、死んでいったネズミたちの命が詰まっている。

 土を探し回った私たちの汗が詰まっている。

 そして、ゼンメルワイス先生の願いが詰まっている。


「ありがとう」


 私は動かなくなったAグループのネズミたちに、もう一度頭を下げた。


「あなたたちのおかげで、人間は『不治の病』を克服できる」

「この功績は、決して忘れません」


 エリーゼも、ルーカス先輩も、深く頭を下げた。


 二十匹のネズミたち。

 十匹は、病気で死んだ。

 十匹は、薬で救われた。

 そして一匹は、証明のために犠牲になった。


 彼らすべてが、英雄だ。



 翌日、私はヴィルヘルム先生に実験結果を正式に報告した。


 院長室には、エバーハルト院長も同席していた。


「これが、実験の全記録です」


 私は分厚いファイルを机に置いた。


 解剖スケッチ、顕微鏡観察図、体重変化のグラフ、投薬記録。

 一ヶ月間の、すべてのデータ。


 ヴィルヘルム先生が、ページをめくる。

 院長も、真剣な表情で資料を見ている。


 しばしの沈黙の後——


「歴史的瞬間だ」


 ヴィルヘルム先生が、震える声で言った。


「これで、我々は結核という死神の鎌を折ることができる」


 院長も頷いた。


「素晴らしい成果だ、リーゼ君」

「王立医学院の誇りだよ」


 先生が私を真っ直ぐに見た。


「リーゼ、許可する」

「臨床試験へ進もう」

「人間の患者に投与し、その命を救うんだ」


「はい」


 私は力強く頷いた。



 その報告を聞きつけて、フリーデリケ教授やシュトラウス教授も集まってきた。


「本当に成功したの?」


 フリーデリケ教授が、興奮した様子で尋ねた。


「はい」


 私は実験データを見せた。


「対照群は全滅、治療群は全生存」

「これ以上明確な結果はありません」


「副作用は?」


 シュトラウス教授が尋ねた。


「軽微です」


 私は答えた。


「投与量を適切に管理すれば、腎臓への負担も最小限に抑えられます」

「ただし、長期投与では聴覚への影響に注意が必要です」


「つまり、使える、と」


 教授が確認した。


「はい」


 私は断言した。


「人間の結核患者に、投与できます」



 準備は整った。


 理論は確立し、薬は完成し、動物実験で安全性と有効性も確認された。

 あとは、それを必要とする人に届けるだけだ。


 私は精製したストレプトマイシンの瓶を手に取った。


 透明な液体。

 生理食塩水に溶かした白い粉末。

 この中に、数え切れない命の希望が詰まっている。


「この薬が、本当に人間を救えるのか……」


 エリーゼが不安そうに呟いた。


「救えます」


 私は断言した。


「必ず」


 私はストレプトマイシンの瓶を見つめた。


 動物実験では成功した。

 だが、人間は動物ではない。


 不安はある。

 恐怖もある。


 でも——


 私には、使命がある。

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