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転生したら十歳の幼女医師でした~前世の医学知識で異世界医療を改革します~  作者: NN
転生したら十歳の幼女医師でした~前世の医学知識で異世界医療を改革します~

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第76話 微生物学の夜明け

 ベルンシュタイン伯爵の毒殺未遂事件から三週間が経過した。

 春の日差しが王立医学院の中庭を照らす午前十時。

 突如、王宮からの使者が到着したとの知らせが院内を駆け巡った。


「特別研究員リーゼ・ミュラーは至急、院長室へ」


 使者の声が廊下に響く。

 講義室からざわめきが起こった。


「また王宮からか?」

「今度は何の事件だ?」


 学生たちの視線を背に、私は院長室へと向かった。

 胸が高鳴る。

 何か大きなことが起ころうとしている予感があった。



 院長室には、ヴィルヘルム先生とエバーハルト院長が待っていた。

 そして、紫の外套をまとった王室の書記官が、金縁の巻物を手にして立っている。


「来たな、リーゼ君」


 院長が私を手招きした。

 私が部屋に入ると、書記官は威厳のある声で巻物を開いた。


「国王陛下の勅令を読み上げる」


 室内の空気が張り詰める。


「『朕は、ベルンシュタイン伯爵事件における顕微鏡の功績を鑑み、ここに以下の勅令を発する』」


 書記官の声が響く。


「『顕微鏡ヲ、王立医学院ノ正式ナル研究機器トシテ認メル』」

「『病魔ノ真ノ姿ヲ暴クコノ「真実ノ眼」ヲ、医学ノ礎トセヨ』」

「『また、これを可能としたリーゼ・ミュラー特別研究員の功績を讃え、王立医学院に「微生物学講座」の新設を許可する』」


 私の目が見開かれた。

 微生物学講座——それは、この世界で初めての正式な微生物学の研究機関だ。


「『国王陛下は、科学の発展こそが国の繁栄をもたらすと確信し、顕微鏡の量産と普及を命ずる』」

「『王室御用達職人組合に特別予算を下賜し、医学院各教室への配備を実現せよ』」


 書記官が巻物を閉じた。


「以上が、国王陛下のご意向である」


 しばしの沈黙の後、院長が深く頭を下げた。


「畏れ多きお言葉、確かに承りました」


 ヴィルヘルム先生が私の肩に手を置いた。


「やったな、リーゼ。お前が変えたんだ。この国の医学の未来を」


 私は言葉が出なかった。

 ただ、胸が熱くなるのを感じていた。



 勅令が下ってから二週間。

 王室御用達の職人たちが総動員され、顕微鏡の量産体制が整えられた。


 私は工房を訪れ、その進捗を確認していた。


「お嬢ちゃん、見てくれよ!」


 ガラス職人のマイスター・フリッツが、誇らしげにレンズを掲げた。


「前は一つ作るのに一週間かかったが、今じゃ三日だ」

「王室から最高級の石英ガラスが届くようになってな」

「磨きの精度も上がった」


 彼の隣で、金属加工職人が顕微鏡の本体を組み立てている。

 真鍮のフレームが、春の光を反射して美しく輝いていた。


「こいつで人が救えるんだってな」


 若い職人が言った。


「俺たちの作ったもので、病気の原因が分かる。なんだか、すげえ仕事してる気がするぜ」


「当然だろう」


 フリッツが胸を張った。


「俺たちは、科学の最前線を支える職人だ。魔法使いの杖を作る工房より、よっぽど誇り高いぜ」


 職人たちの熱意が、工房全体を満たしていた。

 彼らにとって、顕微鏡は単なる商品ではない。

 「国王陛下のお墨付き」を得た、科学革命の象徴なのだ。


「もちろん、まだ高価で数も限られていますが」


 私は言った。


「でも、医学院の各教室に一台ずつ配置されることになりました」

「そして、いずれはすべての病院に、すべての医師に届けたい」


「任せとけ、お嬢ちゃん」


 フリッツが力強く頷いた。


「俺たちは、この国で一番の職人だ。必ず実現してみせる」



 そして、記念すべき日がやってきた。

 「第一回微生物学講義」の開催日だ。


 医学院の大講堂は、朝から異様な熱気に包まれていた。

 通常の学生に加え、ベテランの教授たち、さらには他の学部からも見学者が押し寄せている。


「すごい人ね」


 エリーゼが呟いた。

 私たちは教壇の脇で、講義の準備をしていた。


 顕微鏡が三台、等間隔に並べられている。

 それぞれのプレパラートには、異なる微生物のサンプルが用意されていた。


「緊張する?」


 エリーゼが笑った。


「死ぬほど」


 私は正直に答えた。


「でも、ここで怯んだら、ゼンメルワイス先生に申し訳が立たない」


 午前九時ちょうど。

 ヴィルヘルム先生が教壇に立った。


「諸君、静粛に」


 先生の一声で、ざわめきが収まった。


「本日は、医学史に残る歴史的な日だ」

「我々は今から、百六十年前に封印された知識を、この世に解き放つ」


 先生が古医学書を掲げた。

 ゼンメルワイス先生の遺産だ。


「これは、迫害を受け、志半ばで倒れた一人の天才医師の遺言である」

「彼は、病気の真の原因を見抜いていた」

「そして、それを証明する道具——顕微鏡を残してくれた」


 聴衆の目が、教壇の顕微鏡に注がれる。


「今日、我々はその意志を継ぐ」

「これより、リーゼ・ミュラー特別研究員による、微生物学の実演講義を開始する」


 ヴィルヘルム先生が私を手招きした。

 深呼吸。

 そして、私は教壇の中央へ進み出た。



「皆さん、おはようございます」


 私の声が、大講堂に響いた。


「今日、皆さんには、これまで誰も見たことのない世界をお見せします」

「それは、私たちの目には見えないけれど、確かに存在する世界」

「微生物の世界です」


 私は最初の顕微鏡の前に立った。


「まず、これを見てください」


 プレパラートをセットする。

 これは、池の水を一滴取ったものだ。


「普通に見れば、ただの透明な水です」

「しかし——」


 私は顕微鏡を覗き込んだ。

 そして、スケッチボードに素早く図を描き始める。


「この中には、無数の生き物がいます」


 私が描いたのは、ゾウリムシとミジンコの図だった。


「動く単細胞生物。繊毛を使って泳ぐもの。触手で獲物を捕らえるもの」

「この一滴の中に、驚くべき世界が広がっているのです」


「本当か?」


 前列の学生が身を乗り出した。


「では、実際に見ていただきましょう」


 私は学生たちを三つのグループに分け、順番に顕微鏡を覗かせた。


「うわっ!」

「本当に動いてる!」

「こんなものが水の中に……」


 驚きの声が次々と上がる。

 ある学生は目を丸くし、ある学生は興奮して友人に説明し始めた。


「見えるだろう?」


 ヴィルヘルム先生が満足そうに頷いた。


「これが、我々の知らなかった真実だ」



 次に、私は二台目の顕微鏡へ移動した。


「では、次はこちらです」


 今度のプレパラートは、化膿した傷から採取した膿だ。


「これは、感染した傷口から取ったものです」

「昔の人は『悪い気が傷に入った』と言いました」

「でも、真実は違います」


 私はスケッチボードに、球状と棒状の細菌を描いた。


「傷が化膿するのは、『気』のせいではありません」

「この小さな生き物——細菌が、傷口で増殖するからです」


「細菌……」


 フリーデリケ教授が前列から呟いた。


「つまり、病気の原因は『生物』だと?」


「その通りです、教授」


 私は頷いた。


「細菌は生き物です。栄養を食べ、増殖し、毒素を出します」

「この毒素が、私たちの体を傷つけるのです」


「では、細菌を殺せば病気は治る?」


 若い教授が質問した。


「理論的にはそうです」


 私は答えた。


「細菌を殺す物質——私はこれを『抗生物質』と呼んでいます」

「それを見つければ、感染症は治療できるはずです」


 講堂がざわついた。

 これは、医学の常識を覆す発言だ。


「だが、そんな都合のいい薬があるのか?」


 懐疑的な老教授が尋ねた。


「あります」


 私は断言した。


「実は、ゼンメルワイス先生の手記に、その手がかりが記されています」

「青カビから作られる物質が、ある種の細菌を殺すことができる、と」


 私は三台目の顕微鏡を指した。


「これから、私はその研究を進めます」

「そして、皆さんにも協力していただきたい」

「一緒に、この世界から病気を消しましょう」


 しばしの沈黙の後、大きな拍手が湧き起こった。



 講義が終わった後も、大講堂は熱気に包まれていた。

 学生たちは顕微鏡に群がり、何度も何度もレンズを覗き込んでいる。


「信じられん……」

「教科書に書いてあることが、全部変わるじゃないか」

「いや、変わるべきだ。これが真実なんだから」


 かつては「悪魔のレンズ」と忌み嫌われた道具が、今や「最先端の科学」として輝いている。

 国王陛下のお墨付きと、毒殺未遂事件を解決した実績。

 それが、人々の恐怖を好奇心へと変えたのだ。


「リーゼ」


 フリーデリケ教授が私の元へやってきた。

 薬理学の権威である彼女は、興奮した様子で顕微鏡を撫でた。


「素晴らしいわ、本当に素晴らしい」


 教授の目が輝いている。


「病気の原因が『生き物』だと分かれば、薬の作り方も変わるわ」

「今までは『悪い気を散らす』ことを考えていたけれど」

「これからは『この小さな生き物を殺す』薬を探せばいいのね?」


「その通りです、教授」


 私は深く頷いた。


「抗菌作用のある薬草、カビ、土壌菌……」

「この世界には、まだ見ぬ『抗生物質』の種が眠っています」

「それを探し出し、この顕微鏡で効果を確かめるのです」


「具体的には、どうやって?」


 教授が身を乗り出した。


「まず、様々な植物やカビのエキスを採取します」

「次に、それをプレパラートの細菌に垂らして、効果を観察するんです」


 私はスケッチボードに簡単な図を描いた。


「細菌が死ねば、その物質には抗菌作用がある」

「そして、その成分を精製し、薬として使えるようにするのです」


「なるほど……」


 フリーデリケ教授が顎に手を当てた。


「つまり、薬理学と微生物学の融合ね」

「私の専門と、あなたの専門を組み合わせれば……」


「きっと、革命が起こせます」


 私は言った。


「何百年も『不治の病』と言われてきた感染症を、治せるようになるかもしれません」


「ふふ、燃えてきたわ」


 教授が不敵に笑った。


「いいでしょう、リーゼ。私も協力するわ」

「薬理学講座の資源を、全部使っていい」

「一緒に、医学の歴史を変えましょう」


 教授が手を差し出した。

 私はその手を、しっかりと握り返した。



 そこへ、外科のシュトラウス教授も加わってきた。


「リーゼ君、素晴らしい講義だった」


 白髭の老教授が、珍しく笑顔を見せている。


「私は長年、化膿との戦いに苦しんできた」

「どんなに丁寧に手術しても、傷が化膿すれば患者は死ぬ」

「その原因が、ようやく分かった」


 教授が顕微鏡を見つめた。


「この小さな悪魔どもか」


「はい」


 私は答えた。


「でも、原因が分かれば、対策も立てられます」

「手術の前に器具を熱湯で消毒する。手を石鹸で洗う」

「そして、傷口を清潔に保つ」


「アルコール消毒は?」


 シュトラウス教授が尋ねた。


「効果的です」


 私は頷いた。


「特に、手術前の手洗いには、アルコールと石鹸の併用が有効です」

「ゼンメルワイス先生の手記にも、詳しい手順が書かれています」


「そうか……」


 教授がため息をついた。


「もっと早く知っていれば、救えた命があったのだろうな」


 その言葉には、深い後悔がにじんでいた。


「でも、今からでも遅くありません」


 私は言った。


「これから救える命があります」

「それを一つ一つ、増やしていきましょう」


「……ああ、その通りだ」


 シュトラウス教授が力強く頷いた。


「外科講座でも、消毒法の徹底を指示しよう」

「そして、この顕微鏡を使って、術後の経過観察もしたい」

「化膿の兆候を、早期に発見できるかもしれん」


 微生物学と薬理学と外科学の融合。

 医学が大きく飛躍する音が聞こえるようだった。



 その日の夜。

 私とエリーゼは、いつものように特別閲覧室にいた。


 窓の外では、春の雨が静かに降っている。

 ランプの明かりに照らされた部屋で、私たちは古医学書の最後の章に向き合っていた。


「いよいよ、最後の章ね」


 エリーゼが呟いた。


 古医学書の解読も、これで大詰めだ。

 ここまで、ゼンメルワイス先生の知識は私たちの道を照らしてくれた。


 消毒法。

 顕微鏡の設計図。

 様々な病原菌のスケッチ。

 そして、毒物の識別方法。


 すべてが、この時代には革新的な知識だった。


 私はゆっくりとページをめくった。

 しかし、その瞬間、私の手が止まった。


 そこだけ、ページが涙で濡れたように波打っていたからだ。

 インクも、所々にじんでいる。

 まるで、書いている最中に涙が落ちたかのように。


 タイトルは——『白いペスト』。


「白いペスト……」


 エリーゼが呟いた。


「結核のことね」


 そうだ。

 結核。

 この世界でも「労咳ろうがい」と呼ばれ、不治の病として恐れられている。

 若者が血を吐いて痩せ細り、死んでいく病気だ。


 私の前世の記憶が蘇る。

 結核は、二十世紀初頭まで「白いペスト」と呼ばれ、恐れられていた。

 ペストが「黒い死」なら、結核は「白い死」。

 患者は蒼白な顔で、静かに、しかし確実に衰弱していく。


 ページをめくる。

 そこには、ゼンメルワイス先生の無念が刻まれていた。


『私は見つけた。この病の原因となる細菌を』


 スケッチには、細長い棒状の細菌が描かれていた。

 結核菌——マイコバクテリウム・ツベルクローシス。

 染色技術が未熟な時代に、これを見つける執念には恐れ入る。


 だが、次の文章を読んで、私の胸が締め付けられた。



『だが、私は敗北した』


 手記の文字が乱れている。

 まるで、震える手で書いたかのように。


『この菌はしぶとい。あまりにもしぶとい』

『熱湯消毒も効かない。エタノールも効かない』

『既存の薬草も、すべて無力だった』


 結核菌は、細胞壁が特殊な脂質で覆われている。

 ミコール酸という、ワックスのような物質だ。

 これが細菌を保護し、あらゆる攻撃を弾き返す。


『分厚いろうの鎧をまとったこの悪魔は、あらゆる攻撃を弾き返す』

『私は百種類以上の薬草を試した』

『様々なカビのエキスも試した』

『だが、すべて無駄だった』


 ゼンメルワイス先生の絶望が、紙面から溢れ出している。


『そして、最も残酷なことに——』


 次のページをめくった瞬間、私は息を呑んだ。


『私の愛する娘、マリアもこの病に侵された』


 ページの上部に、少女の肖像画が描かれていた。

 優しい笑顔の、美しい娘だ。

 その絵の横に、日付が記されている。


『一八××年、春。マリア、十六歳』


 そして、その下に続く文章。


『私は彼女の痰の中に、この菌がいるのを見た』

『顕微鏡で確認した。間違いない』

『犯人は分かっている。そこにいる』

『目の前で増殖し、娘の命を奪おうとしている』


 私の目頭が熱くなった。


『だが、私には殺す武器がない』

『医師として、これほどの地獄があるだろうか』

『病気の正体を知りながら、何もできない』

『ただ手を握り、彼女が日に日に痩せ細り、咳をし、血を吐き、衰弱していくのを見守ることしかできなかった』


 涙の跡は、ここにあったのだ。

 インクのにじみは、ゼンメルワイス先生の涙だ。


『マリアは半年間、苦しんだ』

『最期まで、私に「お父様、ありがとう」と言ってくれた』

『私は何もしてやれなかったのに』

『何も』


 文字が大きく乱れている。



 私は本を置き、目を閉じた。

 エリーゼが私の肩に手を置いてくれた。


「……辛い記録ね」


 エリーゼの声も、震えていた。


 しばらくして、私は再びページをめくった。

 そこには、ゼンメルワイス先生の最後のメッセージが記されていた。


『未来の友よ』


 文字が、また丁寧になっている。

 まるで、気持ちを立て直して書いたかのように。


『私はこの病に敗北した』

『娘を救えなかった』

『だが、お前たちなら、きっとできる』


 次のページに、詳細なメモが記されていた。


『この菌の特徴を記す』

『脂質の鎧を持つ。通常の消毒では死なない』

『増殖は遅いが、しぶとい。人体の中で何年も生き続ける』

『肺の中で増殖し、組織を破壊する』

『咳によって空気中に広がり、他者に感染する』


 そして、最後の文章。


『未来の友よ。どうか、私の仇を討ってくれ』

『この「白い悪魔」を殺す方法を見つけてくれ』

『そして、マリアのように苦しむ少女を、一人でも減らしてくれ』

『それが、私の最後の願いだ』


 ページの最後に、小さく記されていた。


『娘の墓に、この本を埋めるつもりだった』

『だが、思い直した』

『この知識は、未来に繋がなければならない』

『たとえ私が敗北者でも、次の世代は勝者になれるかもしれない』

『だから、この本を残す』

『頼む。未来の医師よ』



 私は本を閉じた。

 重い。

 この本の重さは、紙の重さではない。

 失われた命の重さだ。

 そして、未来への希望の重さだ。


「……結核」


 私は呟いた。


 前世の記憶を整理する。

 結核の治療には、いくつかの抗生物質が必要だ。


 第一選択薬は「ストレプトマイシン」。

 放線菌という土壌菌から作られる抗生物質だ。

 一九四三年、ワクスマンが発見した。


 そして、「イソニアジド」「リファンピシン」「エタンブトール」。

 これらを複数組み合わせて、最低でも半年間、服用し続けなければならない。


 なぜなら、結核菌は非常にしぶといからだ。

 一種類の薬では、耐性菌が生まれてしまう。

 だから、複数の薬で同時に攻撃する必要がある。


 そして、そもそもストレプトマイシンを発見するのが困難だ。

 土壌菌は無数にある。

 その中から、抗結核作用を持つものを見つけ出すのは、砂漠で針を探すようなものだ。


 ペニシリンよりもはるかに難しい。

 時間もかかる。

 失敗も多いだろう。


 それでも。


「やるしかないわね」


 エリーゼが私の肩に手を置いた。

 彼女の目にも、強い決意が宿っていた。


「ゼンメルワイス先生がここまでバトンを繋いでくれたんだもの」

「アンカーは私たちが務めなきゃ」


「ええ」


 私は立ち上がった。

 本を胸に抱きしめる。


「やりましょう」

「結核菌を殺す薬を見つける」

「そして、この世界から『不治の病』を一つ消すの」


「計画は?」


 エリーゼが尋ねた。


「まず、土壌サンプルを集めます」


 私は答えた。


「畑、森、川辺、あらゆる場所から」

「その中の微生物を培養して、抗菌作用を持つものを探す」

「そして、効果があるものを精製する」


「気が遠くなるような作業ね」


 エリーゼが苦笑した。


「でも、やる価値はある」


 私は窓の外を見た。


 雨が上がり、月が顔を出していた。

 満月だ。

 その光が、閲覧室を静かに照らしている。


「医学の夜明けは来た」


 私は呟いた。


「今日の講義で、微生物学は正式に認められた」

「顕微鏡も量産される」

「これで、基盤は整った」


「だが、日が昇れば、そこにはまだ倒すべき強大な敵が待っている」


 エリーゼが続けた。


「その通り」


 私は本を机に置き、両手を握りしめた。


「結核。白いペスト」

「何千年も人類を苦しめてきた、最大の敵の一つ」


「でも、私たちには武器がある」


 エリーゼが顕微鏡を指した。


「科学がある。知識がある」

「そして、ゼンメルワイス先生の遺志がある」


「ええ」


 私は頷いた。


「ゼンメルワイス先生」


 私は心の中で呼びかけた。


「あなたの娘さん、マリアさんのためにも、私は挑みます」

「この世界のすべての『マリア』を救うために」

「最大の難敵、結核に」


 月光が、古医学書の表紙を照らしている。

 その光は、まるで祝福のようだった。



 翌朝。

 私は早速、行動を開始した。


 まず、フリーデリケ教授の薬理学講座を訪れた。


「教授、協力していただけますか?」


 私が尋ねると、教授は即座に頷いた。


「もちろんよ、リーゼ」

「何が必要?」


「土壌サンプルの培養設備と、抽出・精製の器具です」


 私は説明した。


「結核の治療薬を探したいんです」


「結核……」


 教授の表情が引き締まった。


「確かに、それは最大の課題ね」

「分かったわ。講座の設備、全部使っていい」

「私も手伝う」


「ありがとうございます」


 私は深く頭を下げた。


「これから、長い戦いになります」

「でも、必ず見つけ出します」


「その意気よ」


 教授が笑った。


「医学の革命は、もう始まっているのよ」

「私たちは、その最前線にいる」

「楽しまなくちゃ」


 そうだ。

 これは戦いであり、同時に冒険でもある。

 未知の世界への挑戦だ。


 私は窓の外を見た。

 春の日差しが、医学院の庭を照らしている。

 新しい季節が始まった。


 そして、新しい医学も、今日から始まる。

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