表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら十歳の幼女医師でした~前世の医学知識で異世界医療を改革します~  作者: NN
転生したら十歳の幼女医師でした~前世の医学知識で異世界医療を改革します~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

75/113

第74話 毒の正体と沈黙の証言

 アトロピンの投与から数分後——


 男の痙攣が完全に治まった。


 呼吸も安定し、脈拍も正常値に近づいている。


 収縮していた瞳孔も、少しずつ開き始めている。


「……峠は越えたわ」


 私は額の汗を拭った。


 全身から力が抜けていくのを感じる。


 緊張の糸が切れた瞬間だ。


 だが、安堵している暇はない。


 この患者は、ただの急患ではない。


 何かの陰謀に巻き込まれた、重要な証人かもしれない。



「リーゼ、こいつの服に入っていた手紙だが……」


 ルーカス先輩が低い声で言った。


 男のポケットから落ちた手紙を、慎重に拾い上げる。


 手紙には、猛禽類を模した紋章があった。


 鷲が剣を掴んでいる図柄——見覚えがある。


「レオポルド公爵家の紋章だ」


 先輩の顔が険しい。


 レオポルド公爵——第一王子派の急先鋒であり、最近回復した第二王子カールを疎ましく思っているという噂の貴族だ。


 王位継承権争いにおいて、第一王子の側に立ち、第二王子の復活を快く思っていない。


 そして、カール王子を治した私のことも——目障りだと思っているはずだ。


「公爵家の執事が、なぜこんな猛毒を?」


 エリーゼが不安そうに聞いた。


「口封じ……かもしれません」


 私は患者の顔を見つめた。


 まだ意識は戻っていないが、呼吸は安定している。


 この人は、何を知ってしまったのだろう。


 何を見てしまったのだろう。


 そして、それゆえに殺されそうになったのだろう。


 私は男の口元に残っていた吐瀉物としゃぶつを、ガラス板に採取した。


 前世の知識——法医学的な証拠採取の手法だ。


「もし彼が『何か』を知ってしまい、消されそうになったのだとしたら」


 私は顕微鏡に向かった。


 ゼンメルワイス先生の教え——『必要なのは、知識だけではない。証拠だ』。


 真実を主張するだけでは、権力者には勝てない。


 科学的な、誰にも反論できない証拠が必要だ。



 吐瀉物をプレパラートに載せる。


 カバーガラスを慎重にかぶせる。


 気泡が入らないように、そっと。


 顕微鏡のステージにセットし、反射鏡で光を調整する。


 倍率を上げる。


 最初は低倍率で全体を観察し、次に高倍率で詳細を見る。


 ピントを合わせていくと——


 見えた。


「……やっぱり」


 レンズの向こうには、特徴的な針状の結晶が見えた。


 細長い、槍のような形状。


 そして、破壊された植物細胞の破片。


 細胞壁が壊れ、内容物が流れ出している様子が見える。


 これは、精製された毒物の特徴だ。


 植物をすりつぶし、有毒成分だけを抽出したもの。


 自然界では、こんな高濃度の毒は存在しない。


「『青鬼のブルーデビル』……」


 私は呟いた。


 北方の山岳地帯にのみ自生する、強力な神経毒を持つ植物だ。


 根の部分に、アコニチンに似たアルカロイド系の毒が含まれている。


 一般には流通していない。


 誤って食べるようなものではない。


 つまり、この毒は——


 明らかに、殺意を持って精製され、意図的に飲まされたものだ。



「先輩、この患者を絶対に守ってください」


 私は顕微鏡から顔を上げた。


「彼は、ただの患者ではありません。重要な証人です」


「そして、彼を殺そうとした者は、また襲ってくるかもしれません」


 ルーカス先輩が剣の柄に手を置き、頷いた。


 その目は、騎士としての決意に満ちていた。


「分かった。近衛騎士団の名において、この診療所を要塞化する。ネズミ一匹通さん」


「エリーゼ、すまないが医学院に連絡を。ヴィルヘルム先生にも事態を説明してくれ」


「はい!」


 エリーゼが走り出した。


 ヴィルヘルム先生がいれば、さらに心強い。


 そして、医学院の権威を背景にすれば、政治的な圧力にも対抗できる。


 私は再び顕微鏡を覗き込んだ。


 毒物の結晶構造を、詳細にスケッチする。


 この特徴的な針状の形状。


 長さと太さの比率。


 結晶の端の形状。


 すべてを記録する。


 これが、証拠になる。



 数時間後。


 執事が目を覚ました。


 彼はゆっくりと目を開け、天井を見上げた。


 その目には、混乱と恐怖が浮かんでいた。


 自分がどこにいるのか、何が起こったのか、理解できていない様子だ。


 そして、周囲を見渡して——


 私たちの姿を見た瞬間、彼は激しく震え出した。


「ひっ……! 殺さないでくれ! 私は……私は何も!」


 彼は必死にベッドから逃げようとする。


 でも、体はまだ毒の影響で動かない。


「落ち着いてください」


 私は彼の目を見て、静かに言った。


 パニック状態の患者には、落ち着いた声で、はっきりと話すことが重要だ。


「私は医師です。リーゼ・フォン・ハイムダルと言います」


「あなたを助けました。もう大丈夫です」


「ここには近衛騎士がいます。もう誰もあなたを傷つけられません」


 執事はルーカス先輩の姿を見て、少し落ち着きを取り戻した。


 近衛騎士の制服を見て、ここが安全な場所だと理解したようだ。


 呼吸が少し落ち着いてくる。


「……私は、生きているのですか?」


 彼の声は、か細く震えていた。


「はい。毒を飲まされましたが、解毒に成功しました」


「あなたの命は、助かりました」


 執事の目から、涙が溢れた。


 安堵の涙だ。


 そして——恐怖の涙でもある。


「話してくれますか?」


 私は優しく聞いた。


「何があったのか。誰があなたに毒を飲ませたのか」


 執事は、しばらく沈黙した。


 葛藤しているのが分かる。


 真実を話せば、自分の命が危ない。


 でも、黙っていても、また狙われるかもしれない。


 そして——彼は、ゆっくりと口を開いた。



「……旦那様は、焦っておられた」


 彼の名はハンスといった。


 レオポルド公爵家に、二十年仕えている執事だ。


「カール王子が回復し、馬に乗ったことで、第一王子殿下の地位が揺らぐと……」


「それまで病弱だった第二王子が、突然健康を取り戻した」


「そうなれば、王位継承権争いが複雑になる」


「旦那様は、それを恐れておられました」


 ハンスは震える声で続けた。


「だから、私に毒を渡した。『王子の薬に混ぜろ』と」


 エリーゼが息を呑む。


 やはり、狙いはカール王子だったのだ。


 カール王子を暗殺し、再び第二王子を病床に戻そうとした。


 いや——今度は、永遠に。


「でも、私は出来なかった! あんな幼い方に毒を盛るなんて……」


 ハンスの声が大きくなった。


 涙が頬を伝う。


「私にも、孫がいるんです。カール王子と同じくらいの年の」


「そんな子供に、毒を飲ませるなんて……できるわけがない!」


「断ろうとしたら、無理やりワインを飲まされたんです。その中に毒が……」


「『お前も共犯だ。黙っていなければ、お前だけでなく家族も……』と脅されました」


 ハンスは泣き崩れた。


 肩を震わせて、声を上げて泣いた。


 二十年仕えた主人に裏切られ、家族を脅され、自分も殺されそうになった。


 その絶望が、痛いほど伝わってくる。



「証言してくれますか?」


 ルーカス先輩が尋ねた。


 騎士として、法の裁きを求める声だ。


「……無理です」


 ハンスは首を振った。


 その目には、諦めが浮かんでいた。


「相手は公爵家です。私ごときの証言など、『狂人の戯言』として握りつぶされます」


「証拠がない……物的証拠がなければ、誰も信じてくれません」


「それに、旦那様は賢い方です。もう毒は処分されているでしょう」


「私が何を言っても、『妄想だ』『恨みを持った使用人の虚言だ』と言われておしまいです」


 確かにその通りだ。


 使用人の証言だけでは、高位貴族を罪に問うことは難しい。


 この世界には、明確な階級制度がある。


 貴族の言葉は、平民の言葉よりも重い。


 それが、現実だ。


 逆に、誣告ぶこく罪でこちらが処罰される可能性もある。


 貴族に対して虚偽の告発をした、と。


 ゼンメルワイス先生の無念が蘇る。


 『真実を見せるだけでは、人は動かない』


 百六十年前、先生は真実を訴えたが、誰にも信じてもらえなかった。


 証拠があっても、権威がなければ、真実は葬られる。


 いや、違う。


 私には、先生にはなかった武器がある。



「証拠なら、あります」


 私は顕微鏡を指差した。


 みんなの視線が、その真鍮色の装置に集まる。


「あなたの胃の中に残っていた毒と、公爵邸にあるはずの毒。それを『科学的』に一致させることができます」


「顕微鏡で観察すれば、毒物の結晶構造が分かります」


「そして、その構造は、産地や精製方法によって微妙に異なります」


「まるで指紋のように、一つ一つが固有の特徴を持っているんです」


 私はスケッチを見せた。


 針状の結晶の詳細な図。


「これが、あなたの体内から採取した毒物の結晶構造です」


「もし公爵邸から同じ毒が見つかれば、それを顕微鏡で観察します」


「そして、この結晶構造と一致すれば——それは、動かぬ証拠になります」


「『同じ毒物である』ということを、科学的に証明できるんです」


 ハンスが、驚いたように顕微鏡を見た。


「この……箱のような道具で、そんなことが?」


「ええ。これは『命のレンズ』です」


 私は微笑んだ。


「病気を診断するだけでなく、真実を明らかにすることもできるんです」



 ルーカス先輩が頷いた。


「なるほど。科学捜査、というわけか」


「前世で言う『法医学』ですね」


 私は説明した。


「証拠を科学的に分析し、真実を導き出す学問です」


「証言だけでは不十分でも、物的証拠があれば、誰も反論できません」


「でも……」


 エリーゼが心配そうに言った。


「公爵家を家宅捜索するなんて、そんな権限、誰が持っているの?」


 確かに、それが問題だ。


 いくら証拠が重要だと分かっていても、公爵家を捜索する権限がなければ、何もできない。


 そして、公爵家ほどの権力者を相手にするには——


 それ相応の権威が必要だ。


「私が、すぐに行動を開始します」


 私は立ち上がった。


「アレクサンダー王子と、ヴィルヘルム先生に急使を送ります」


「状況を伝え、協力を仰ぎます」


「王家の権威と、医学院の信頼を背景にすれば、公爵家でも無視できません」


 ゼンメルワイス先生が失敗したのは、一人で戦ったからだ。


 でも、私は違う。


 私には、仲間がいる。


 王家の後ろ盾がある。


 そして、科学という武器がある。



 夜。


 診療所にアレクサンダー王子がお忍びでやってきた。


 護衛の騎士を数人連れて、質素な外套に身を包んでいる。


 一般市民には、王子だと気づかれないだろう。


 私は、執事ハンスの証言と、顕微鏡で観察した毒物の結晶構造を説明した。


 話を聞いた王子の顔は、最初は驚きで、次に怒りで、真っ赤になっていた。


「弟を……カールの命を狙ったというのか」


 王子の声が震えている。


 怒りで、拳が震えている。


「許さん。レオポルド公爵……!」


 王子は剣の柄を握りしめたが、すぐに深呼吸をして冷静さを取り戻した。


 感情に流されず、理性で判断する。


 それが、未来の国王としての資質だ。


「リーゼ先生。その『顕微鏡』というもので、確実に証明できるのだな?」


「はい」


 私は断言した。


「ハンスさんの体内から採取した毒の結晶構造と、公爵家から押収されるであろう毒物の構造。それが一致すれば、動かぬ証拠になります」


「毒物は指紋のように、産地や精製方法で微細な特徴が異なります。顕微鏡なら、それを見分けられます」


「そして、その特徴が一致すれば——『同じ場所で、同じ方法で精製された、同一の毒物である』と証明できます」


「つまり、公爵家にある毒と、ハンスさんに飲まされた毒が同一であれば——」


「公爵家が、ハンスさんに毒を飲ませたという証拠になります」


 王子は深く頷いた。


 その目には、決意の光が宿っている。


「分かった。父上(国王)には私が話す」


「近衛騎士団を動かし、公爵邸を家宅捜索する。毒が見つかれば、貴様の出番だ」


「ただし——」


 王子は真剣な顔で私を見た。


「もし証拠が一致しなければ、我々が窮地に立たされる」


「公爵家を不当に捜索したとして、逆に訴えられるかもしれない」


「それでも、やるか?」



 私は一瞬も迷わなかった。


「やります」


「科学は嘘をつきません。証拠は、必ず真実を語ります」


「そして、私は医師です。患者を——カール王子を守る義務があります」


 王子が微笑んだ。


 それは、信頼と感謝の笑みだった。


「そうか。では、任せたぞ」


「明日の朝、近衛騎士団が公爵邸を捜索する」


「毒物が見つかり次第、すぐに知らせる」


「お前は、顕微鏡で分析する準備をしておいてくれ」


「はい!」


 私は敬礼した。


 ゼンメルワイス先生。


 見ていてください。


 権力と科学が手を組めば、悪意ある陰謀さえも暴くことができる。


 あなたは一人で戦い、敗れました。


 でも、私は違います。


 仲間がいます。権威があります。そして、科学という武器があります。


 私は今、あなたの教えを実践します。


 『真実は、正しいだけでは勝てない。力を持たなければならない』


 その言葉の意味を、私は理解しました。


 そして、今こそ、その力を使う時です。



 王子が去った後、私は顕微鏡の前に座った。


 エリーゼとルーカス先輩も、隣にいる。


「明日、決着がつくわね」


 エリーゼが言った。


「ええ。公爵家から毒が見つかれば、すぐに分析します」


「そして、真実を明らかにします」


 ルーカス先輩が私の肩に手を置いた。


「お前は、本当に強くなったな」


「以前は、ただ患者を治すことだけを考えていた」


「でも今は、政治と戦い、陰謀と戦い、そして真実のために戦っている」


「立派な医師だ」


 その言葉に、私は少し照れくさくなった。


「私は、ただ正しいことをしているだけです」


「でも、それができるのは、先輩たちがいるからです」


「一人では、何もできません」


 三人で、顕微鏡を見つめた。


 この小さな装置が、明日、王国を揺るがす真実を明らかにする。


 そして、カール王子の命を守る。


 私は、絶対に失敗しない。


 科学の力で、悪を暴く。


 それが、私の使命だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
最高権力者との伝手があるというある意味最強の手札があるというのは、ちょっと強力すぎる気がします。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ