第65話 王子との出会い
王宮での結核診断から三日が過ぎた。
その間、医学院は私の名前で持ちきりだった。
「リーゼ先輩、すごいです!」
「王宮で診察なんて!」
廊下を歩くたびに、学生たちが声をかけてくる。
嬉しいけれど、少し照れくさい。
研究室に戻ると、また手紙の山があった。
「リーゼ、また増えてるわ」
エリーゼが驚いた顔をしている。
「王宮診察の報道が新聞に載ったから、王国中から手紙が来てるのよ」
一通一通読んでいく。
診察の依頼、講演の依頼、そして研究協力の依頼。
どれも重要そうだが、全てに応えるのは不可能だ。
「優先順位をつけないとね」
私は手紙を分類し始めた。
その時、ノックの音がした。
◇
「失礼します」
入ってきたのは、見覚えのない若い男性だった。
二十代前半、端正な顔立ち、そして高貴な雰囲気。
服装も立派で——貴族だと分かる。
いや、それ以上かもしれない。
胸につけられた紋章——それは王家の紋章だ。
私とエリーゼはすぐに立ち上がり、深く礼をした。
「リーゼ・フォン・ハイムダル先生ですね」
若い男性が微笑んだ。
「私はアレクサンダー。アレクサンダー・フォン・エステルハーゼ」
エステルハーゼ——王家の名前だ。
ということは——
「王子殿下!」
私はすぐに膝をついた。
「お目にかかれて光栄です」
「顔を上げてください」
アレクサンダー王子が優しく言った。
「堅苦しいのは苦手なんです」
◇
王子は椅子に座り、私たちにも座るよう促した。
「リーゼ先生、王宮での診察、見事でしたね」
「ありがとうございます」
「エルフリーデ様の結核を診断されたと聞きました」
王子が言った。
「私も、その報告を受けました」
「恐れ入ります」
「実は」
王子が微笑んだ。
「医学に興味があるので、王宮の医療報告にも目を通しているんです」
「そうだったんですか」
「あなたの診断能力——素晴らしいと侍医長から聞いています」
王子が真剣な顔で言った。
「他の医師が三ヶ月診断できなかった病気を、すぐに見抜いたと」
「恐れ入ります」
私は謙遜した。
王子がなぜここに来たのか——それが気になる。
◇
「実は、お願いがあって来ました」
アレクサンダー王子が言った。
「私の弟、カール王子のことです」
弟——第二王子のカール王子だ。
確か、十歳くらいのはず。
「カールは生まれつき体が弱く、頻繁に病気になります」
王子の顔が曇った。
「多くの医師が診ましたが、明確な原因が分かりません」
「最近では、歩くのも辛そうです」
「リーゼ先生、弟を診ていただけませんか?」
王子が頭を下げた。
王子が頭を下げる——それは異例のことだ。
でも、それだけ弟思いなのだろう。
「分かりました」
私は即答した。
「診させていただきます」
「本当ですか」
アレクサンダー王子の顔が明るくなった。
「ありがとうございます」
「いつお伺いすればよろしいですか?」
「明日の午後、王宮へお越しいただけますか?」
「はい」
私は頷いた。
◇
王子が帰った後、エリーゼが興奮気味に言った。
「リーゼ、王子様よ! 王子様が直接来たのよ!」
「驚いたわね」
私も少し興奮していた。
「でも、第二王子の診察——責任重大だわ」
「大丈夫よ」
エリーゼが励ましてくれた。
「あなたなら絶対できる」
ルーカス先輩が研究室に入ってきた。
「リーゼ、今アレクサンダー王子が出ていくのを見たぞ」
「はい」
私は事情を説明した。
「カール王子の診察か」
先輩が真剣な顔になった。
「それは大変な仕事だな」
「でも、お前なら大丈夫だ」
先輩が私の肩を叩いた。
「自信を持て」
◇
その日の夕方、ヴィルヘルム先生に報告に行った。
「リーゼ、アレクサンダー王子から依頼を受けたそうだな」
先生はすでに知っていた。
「はい」
「カール王子の症例は、私も聞いている」
ヴィルヘルムが説明してくれた。
「生まれつき虚弱で、頻繁に感染症にかかる。歩行困難もある」
「多くの医師が診たが、明確な診断がつかない」
「難しい症例ですね」
「ああ」
先生が頷いた。
「でも、お前なら何か見つけられるかもしれない」
「お前の診断能力は、この国で最高レベルだからな」
「ありがとうございます」
私は決意を新たにした。
「全力を尽くします」
◇
その夜、部屋で医学書を読み漁った。
生まれつき虚弱、頻繁な感染症、歩行困難——これらの症状から考えられる疾患は?
免疫不全症候群?
先天性代謝異常?
それとも筋疾患?
様々な可能性を考える。
でも、実際に診察しないと分からない。
明日、しっかり診察しよう。
窓を開けると夜風が入ってくる。
星が美しく輝いている。
「お父様、お母様、マルタさん」
星に向かって小さく呟いた。
「明日、第二王子の診察があります」
「とても重要な診察です」
「緊張していますが、全力を尽くします」
「見守っていてください」
星が優しく瞬いている。
◇
翌日の午後、王宮へ向かった。
エリーゼも一緒に来てくれた。
「リーゼ、緊張してる?」
「少しね」
私は正直に答えた。
「でも、やるしかないわ」
王宮の門で、アレクサンダー王子が待っていた。
「リーゼ先生、お待ちしておりました」
「お招きいただき、ありがとうございます」
王子が案内してくれた。
長い廊下を歩き、奥の部屋へ。
「カールはここにいます」
王子がドアをノックする。
「カール、リーゼ先生が来てくださったよ」
部屋に入ると、ベッドに横たわる少年が見えた。
十歳のカール王子——痩せていて、顔色が悪い。
でも目は澄んでいて、知的な印象を受ける。
◇
「カール王子、初めまして」
私はベッドの横に座った。
「リーゼ・フォン・ハイムダルです」
「リーゼ先生……」
カール王子が弱々しい声で言った。
「兄上から、先生のことを聞いていました。すごい先生だって」
「ありがとうございます」
私は微笑んだ。
「今日は診察に来ました。色々質問してもいいですか?」
「はい」
診察を始めた。
まず問診。
「いつから体調が悪いんですか?」
「生まれた時から……だそうです」
カール王子が答える。
「よく熱を出して、風邪もよくひきます」
「歩くのは?」
「最近、とても辛いです。すぐに疲れます」
次に身体診察。
脈を取る——弱く、速い。
体温——三十七度。微熱がある。
リンパ節を触診——頸部、腋窩、鼠径部——全て腫れている。
関節を確認——動きに制限がある。特に膝と足首。
◇
筋力を確認する。
「手を握ってみてください」
カール王子が握る——弱い。
「足を上げてみてください」
足を上げる——すぐに下りてしまう。
筋力低下が明らかだ。
そして皮膚——よく見ると、細かい発疹がある。
胸と背中に。
症状を整理する。
生まれつき虚弱、頻繁な感染症、リンパ節腫脹、筋力低下、発疹。
これらの症状から考えられる疾患は——
前世の知識を総動員する。
そして、一つの可能性に辿り着いた。
若年性皮膚筋炎。
自己免疫疾患の一種で、筋肉と皮膚に炎症が起こる病気だ。
子供に発症することがある。
でも確証が必要だ。
◇
待って。
もう一度、よく診る必要がある。
「カール王子、もう一度お顔と手を拝見させてください」
「はい……」
カール王子が近づいてくる。
よく見ると——まぶたに薄い紫色の発疹がある。
ヘリオトープ疹——これは。
そして手の指の関節を見る。
関節の上に、盛り上がった赤い発疹がある。
ゴットロン徴候——これも。
「背中と肩も見せていただけますか?」
背中を確認する。
肩から背中にかけて、ショールをかけたような形で赤い発疹が広がっている。
ショールサイン——やはり。
全ての所見が一致する。
生まれつき虚弱、筋力低下、ヘリオトープ疹、ゴットロン徴候、ショールサイン。
これは間違いない。
「診断がつきました」
私は立ち上がった。
「カール王子の病気は、若年性皮膚筋炎です」
「皮膚筋炎?」
アレクサンダー王子が尋ねた。
「はい」
私は説明を始めた。
「自己免疫疾患の一種で、自分の免疫が自分の筋肉と皮膚を攻撃してしまう病気です」
◇
「治るんですか?」
アレクサンダー王子が不安そうに尋ねた。
「完治は難しいですが、症状をコントロールすることは可能です」
私は正直に答えた。
「適切な治療を行えば、普通の生活を送ることもできます」
「本当ですか」
カール王子が目を輝かせた。
「僕も、普通に歩けるようになりますか?」
「はい」
私は頷いた。
「治療を続ければ、きっと歩けるようになります」
「やった!」
カール王子が笑顔になった。
その笑顔を見て、私も嬉しくなった。
治療法を説明した。
薬草の組み合わせ——抗炎症作用のある薬草と免疫調整作用のある薬草。
全身性エリテマトーデスの治療と似ている。
生活習慣の改善。
そして定期的なリハビリテーション。
アレクサンダー王子が真剣にメモを取っている。
◇
「リーゼ先生」
王子が言った。
「本当にありがとうございます」
深く頭を下げた。
「多くの医師が診ても分からなかった病気を、あなたは診断してくださった」
「いえ」
私は謙遜した。
「たまたま、似た病気を経験していただけです」
「その謙虚さも素晴らしい」
王子が微笑んだ。
「リーゼ先生、これからもカールの治療をお願いできますか?」
「もちろんです」
私は頷いた。
「定期的に診察に伺います」
「ありがとうございます」
カール王子も言った。
「リーゼ先生、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
私は少年の手を握った。
「一緒に頑張りましょう」
◇
診察を終えて、アレクサンダー王子が見送ってくれた。
「リーゼ先生」
王子が言った。
「あなたは本物の医師です」
「技術だけでなく、患者への優しさも持っている」
「ありがとうございます」
「今後、何か困ったことがあれば、いつでも言ってください」
王子が真剣な顔で言った。
「私も、できる限り協力します」
「恐れ入ります」
私は深く礼をした。
王宮を出る時、エリーゼが興奮気味に言った。
「リーゼ、すごかったわ!」
「王子様、すごく感謝してたわよ」
「でも、まだ治療は始まったばかりよ」
私は窓の外を見た。
「これから、しっかりカール王子を治さないと」
◇
医学院に戻ると、ヴィルヘルム先生が待っていた。
「リーゼ、どうだった?」
「診断がつきました」
私は報告した。
「若年性皮膚筋炎です」
「なるほど」
先生が頷いた。
「その診断、正しいと思う。他の医師たちが気づかなかったのは、この病気がまだあまり知られていないからだ」
「でもお前は、前の症例の経験から類推できた」
「はい」
「素晴らしい」
先生が微笑んだ。
「これで、王家との信頼関係もさらに深まるだろう」
その夜、部屋で今日のことを振り返った。
アレクサンダー王子との出会い。
カール王子の診察。
そして新たな治療の開始。
全てが順調に進んでいる。
◇
窓を開けると夜風が入ってくる。
星が美しく輝いている。
「お父様、お母様、マルタさん」
星に向かって小さく呟いた。
「今日、第二王子の診察をしました」
「若年性皮膚筋炎と診断しました」
「アレクサンダー王子にも感謝されました」
「これからカール王子の治療が始まります」
「必ず治します」
星が優しく瞬いている。
まるで祝福してくれているかのように。
机の上には、明日の予定表があった。
授業、実習、研究、そしてカール王子の治療計画作成。
全てが大切な仕事だ。
「おやすみなさい」
小さく呟いて、ベッドに入った。
王子との出会い——それは予想外の展開だった。
でも、これも医師としての大切な経験だ。
身分に関わらず、全ての患者に誠実に向き合う。
それが医師の使命だから。
少女医師の挑戦は、続いていく。




