第57話 難病への挑戦~医師として、人として~
翌日の午後、ヴィルヘルム先生に呼ばれた。
院長室へ向かってドアをノックすると、「入りなさい」という先生の声が聞こえる。中に入ると、先生の隣に一人の男性が立っていた——四十代くらいの立派な服装をした貴族だ。
服の質、装飾、立ち振る舞い——全てが上流階級を示している。高位の貴族だとすぐに分かった。
「リーゼ、紹介しよう」ヴィルヘルム先生が言った。「こちらはフォン・ハルテンベルク公爵だ」
公爵——王国でも最高位の貴族の一つだ。私は深く頭を下げ、膝をついて礼をする。
「リーゼ・フォン・ハイムダル、お目にかかれて光栄です」
「顔を上げてください」公爵の声が優しかった。
顔を上げると、公爵は疲れた顔をしていた。目の下に隈があり、心配事がある顔だ。
「リーゼ先生」公爵が私を見た。「お願いがあります。私の娘ソフィアを診てほしいのです」
◇
公爵の説明によると、娘のソフィアは十五歳で、三ヶ月前から原因不明の体調不良に悩まされている。
倦怠感、微熱、関節痛——そして最近では呼吸困難も出てきた。多くの医師が診察したが誰も原因を特定できず、治療も効果がない。
「王都の名医と呼ばれる者たちに全て診てもらいました」公爵の声が震えていた。「でも誰も治せない。娘は日に日に弱っていく——もう時間がないかもしれない」
その言葉に私の心が動いた。
十五歳の少女——私より三つ年上だけだ。その子が苦しんでいる。
「分かりました」私ははっきりと答えた。「お嬢様を診させてください」
「本当ですか」公爵の顔が明るくなった。「ありがとうございます。リーゼ先生ならきっと娘を救ってくれる」
「最善を尽くします」私は誓った。
◇
翌日、公爵の屋敷へ向かった。
エリーゼが一緒に来てくれる。
「リーゼ、大丈夫?」友人が心配そうに尋ねた。「多くの医師が治せなかった病よ」
私は頷いた。「大丈夫よ」
でも心の中では不安もあった。前世の知識はあるが、この世界の病は前世と同じとは限らない。魔法の影響、未知の薬草——様々な要因が絡んでいるかもしれない。
公爵の屋敷は王都の高級住宅街にあった。
広大な敷地、美しい庭園、立派な建物——全てが豪華だ。執事が迎えてくれ、中に案内される。
長い廊下、高い天井、美しい絵画が壁に飾られている。二階の奥の部屋にソフィアがいた。
◇
部屋のドアを開けると、ベッドに横たわる少女が見えた。
十五歳のソフィア——美しい金髪、青い瞳。
でも顔色が悪く、青白く痩せている。呼吸が浅い。
公爵夫人がベッドの横に座っていた。三十代後半の上品な女性だが、目が赤い——泣いていたのだろう。
「ソフィア、リーゼ先生が来てくださったわ」夫人が優しく娘に声をかけた。
ソフィアがゆっくりと目を開けた。
青い瞳が私を見る。
「リーゼ……先生……?」弱々しい声だが、どこか希望が混じっている。
「はじめまして、ソフィアさん」私はベッドの横に座った。「今日は診察に来ました」
「お願い……します……」ソフィアが小さく頷いた。
私は診察を始めた。
まず脈を取る——不整で速い。
次に体温を確認すると微熱がある。三十七度五分くらい。
瞳孔の反応を見る——正常だが、眼球結膜が少し黄色い。黄疸の兆候だ。
腹部を触診すると肝臓が少し腫れており、脾臓も同様だ。
関節を確認する——膝、肘、手首、全てに軽い腫脹がある。
そして皮膚——よく見ると細かい発疹がある。胸と背中に。
◇
診察を終えて考えた。
症状を整理する——倦怠感、微熱、関節痛、呼吸困難、肝脾腫、黄疸、発疹。
これらの症状から考えられる疾患は……前世の知識を総動員する。
自己免疫疾患だろうか。
全身性エリテマトーデス?
でも確証が必要だ。
「ソフィアさん」私は優しく尋ねた。「日光に当たると症状が悪化しますか?」
ソフィアが小さく頷いた。「はい……外に出るとすぐに疲れます」
「顔に赤い発疹が出たことは?」
「あります……」ソフィアが頬に手を当てた。「蝶のような形で……」
蝶形紅斑——
それは全身性エリテマトーデスの特徴的な症状だ。
診断がついた。
「分かりました」私は立ち上がった。公爵夫妻を見る。「おそらく診断がつきました」
「本当ですか」公爵が前に出た。期待と不安が混じった表情で私を見つめる。「娘の病は何ですか?」
「全身性エリテマトーデスと呼ばれる病気です」私は説明を始めた。「自己免疫疾患の一種で、自分の免疫が自分の体を攻撃してしまう病気です」
夫人が不安そうに尋ねた。「治るんですか?」
「完治は難しいです」私は正直に答えた。
嘘はつけない。医師として、患者とその家族には真実を伝えなければならない。
「でも症状をコントロールすることはできます。適切な治療を行えば普通の生活を送ることも可能です」
◇
治療法を考えた。
前世ではステロイドと免疫抑制剤を使用したが、この世界にはそれがない。
代わりに何が使えるか——薬草の知識を思い出す。
抗炎症作用のある薬草、免疫調整作用のある薬草。それらを組み合わせれば……。
「治療を開始します」私は公爵夫妻に説明した。「まず炎症を抑える薬草の煎じ薬を使います——柳の樹皮、カモミール、そしてターメリック。これらを組み合わせることで症状を和らげます」
「次に免疫を調整する薬草——セイヨウニワトコ、エキナセア。これらを毎日服用してもらいます」
「そして生活習慣の改善——日光を避ける、十分な休息、バランスの良い食事」
公爵夫人が真剣にメモを取っている。一言も聞き逃すまいという真剣さだ。
「これらをしっかり守ってください」
夫人が頷いた。「はい、全てその通りにします」
私はソフィアに微笑みかけた。「大丈夫。必ず良くなります」
「ありがとう……ございます……」ソフィアが涙を流した——希望の涙。
◇
その日から毎日ソフィアの様子を見に行った。
授業の後公爵邸へ向かい、診察をして症状を確認し、薬の調整をする。
一週間後、変化が現れた。
ソフィアの顔色が少し良くなり、微熱が下がってきて、関節痛も和らんでいる。
「リーゼ先生」ソフィアがベッドで体を起こした——以前はそれもできなかった。「今日は少し楽です」
私は微笑んだ。「よかった。でも無理はしないでね」
ソフィアが小さく頷く。「はい」
公爵夫人も喜んでいた。「リーゼ先生、本当にありがとうございます」涙を流している。「娘がこんなに元気になるなんて」
「まだ治療は続きます」私は説明した。「でも順調に回復しています」
◇
二週間後、ソフィアはベッドから起き上がれるようになった。
椅子に座って本を読んでいる。顔色もだいぶ良くなり、発疹もほとんど消えた。
「リーゼ先生」ソフィアが私を見た。「私、また普通の生活ができるようになりますか?」
私は頷いた。「もちろんよ。薬を続けて生活習慣を守れば、きっと元通りになれます」
「よかった……」ソフィアが涙を流した——でも今度は喜びの涙だ。
◇
一ヶ月後、ソフィアは完全に回復した。
庭を散歩できるまでになった——もちろん日傘を差して、日光を避けながら。でも外を歩ける。それは大きな進歩だ。
「リーゼ先生」ソフィアが庭で私に話しかけた。「私、将来医師になりたいです」
予想外の言葉に、私は驚いて目を見開いた。
「え? 医師に?」
ソフィアの目が輝いている。「はい。リーゼ先生みたいに、人を救う医師になりたいんです」
「素晴らしい夢ね」私は微笑んだ。「でも医師の道は厳しいわよ」
「分かってます」ソフィアは真剣な顔で言った。
その瞳には強い決意が宿っている。
「でもこの病気を経験して分かりました。医師の大切さを、そして人を救う喜びを——私もリーゼ先生のようになりたいです」
その言葉が心に響いた。
私の行動が誰かの人生を変えた——それは何よりも嬉しいことだ。
「頑張ってね、ソフィア」私は彼女の手を握った。「いつか一緒に働ける日を楽しみにしてる」
ソフィアが強く頷いた。「はい。必ず」
◇
公爵邸を後にする時、公爵が見送ってくれた。
「リーゼ先生、本当にありがとうございました」公爵が深く頭を下げた。「娘の命を救っていただいた。この恩は一生忘れません」
「いえ、私は医師として当然のことをしただけです」私は謙遜した。「これからもソフィアさんの経過を見守らせてください」
公爵が微笑んだ。「もちろんです。いつでもお越しください」
◇
馬車に乗り、医学院へ戻る。
エリーゼが一緒だった。
「リーゼ、すごかったわ」友人が言った。「誰も治せなかった病を治したのよ」
私は首を横に振った。「まだ完治したわけじゃないわ。これからも治療は続く。でも症状はコントロールできる」
「それで十分よ」エリーゼが微笑んだ。「ソフィアさん、普通の生活ができるようになった——それはあなたのおかげよ」
◇
その夜、研究室で論文を書いた。
全身性エリテマトーデスの症例報告——診断の過程、治療法の選択、薬草の組み合わせ、そして結果。全てを詳しく記録する。
この論文が他の医師の役に立つかもしれない。
同じ病で苦しむ患者を救えるかもしれない。
ペンを走らせる。時間を忘れて書き続ける。
窓の外が暗くなっているがまだ書く——もう少しで完成する。
深夜、論文が完成した。
満足感がある。
窓を開けると夜風が入ってくる。星が美しく輝いている。
「お父様、お母様、マルタさん」星に向かって小さく呟いた。
「また一人救えました。難病でしたが諦めませんでした——前世の知識とこの世界の薬草を組み合わせて新しい治療法を見つけました」
「これからももっと多くの人を救います」
星が優しく瞬いている——まるで祝福してくれているかのように。
机の上の論文を見た。
これは私の成果だが、同時に多くの人の支えがあってこそだ——ヴィルヘルム先生の指導、エリーゼの支援、公爵夫妻の信頼、そしてソフィアの頑張り。全てがこの成功につながった。
「ありがとう」小さく呟いた——全ての人に。
◇
翌朝、医学院で論文をヴィルヘルム先生に提出した。
「リーゼ、素晴らしい」先生が論文を読んで言った。「全身性エリテマトーデスの治療法——これは画期的だ。この世界ではまだ確立されていない疾患概念だが、お前がその治療法を見つけた」
「ありがとうございます」私は頭を下げた。
「この論文を王立医学会で発表しなさい」先生が提案した。「多くの医師にこの知識を共有するべきだ」
私は決意を新たにした。「はい」
知識を共有すること——それが医学の発展につながり、多くの命を救うことになる。
◇
廊下を歩いているとトーマスとクラウディアが駆け寄ってきた。
「リーゼ、聞いたわ」クラウディアが興奮気味に言った。「公爵の娘さんを治したって」
トーマスも言った。「噂になってるぞ、医学院中で」
私は少し照れくさくなった。「そんなに大げさな……」
「当然だろ」トーマスが笑った。「お前はもう伝説だよ」
伝説——
その言葉に少し照れくさくなったが、同時に責任も感じた。
期待に応えなければならない。もっと成長し、もっと多くの人を救わなければならない。
◇
その夜、ベッドで小さく呟いた。
「おやすみなさい」
難病への挑戦——それは成功した。
でもこれで終わりではない。もっと多くの挑戦が待っている。もっと多くの患者が待っている。
その全てに応えていく——それが私の使命だ。
少女医師の挑戦は続いていく。




