第55話 教えることと学ぶこと
来月が来た。二年生への指導が始まる。
一年生への指導とはまったく違う——二年生は基礎はすでに学んでおり、より高度な技術を求めている。そして私と同じ学年で、年齢も近い。
教えることの難しさが予想される。
でも挑戦だ——新しい挑戦。それが私を成長させてくれる。
◇
月曜日の朝、私は自室で準備をしていた。
今日の午後、二年生への最初の授業がある。
机の上には、私が作成した講義ノートが広げられている。腸管吻合の手順、解剖学的構造、合併症のリスク——全てを詳しく書き込んだ。
でも不安がある。
同級生に教える——それは一年生に教えるよりもずっと難しい。
一年生は私を「先生」として見てくれた。年齢差があり、経験の差も明白だった。でも二年生は違う。同じ年齢、同じ学年——なぜ私だけが教える側なのか。そう思う学生もいるだろう。
トーマスやクラウディアもいる。親しい友人たちに教える——それはどんな気持ちだろう。
鏡を見た。
十三歳の少女が映っている。小さな体、幼い顔。でもこの体には前世の知識が詰まっている。三十年以上の外科医としての経験が。
「大丈夫」
自分に言い聞かせた。
「前世の経験を活かせば、きっとうまくいく」
でも同時に思った。
教えることで、私も学べるはずだ。知識を言葉にすることで、理解が深まるはずだ。エドムント先生が言っていた——「教えることは最高の学びだ」と。
深呼吸。
窓を開けると、爽やかな風が入ってくる。
「頑張ろう」
小さく呟いて、部屋を出た。
◇
午後二時、二年生の実技教室へ向かった。
廊下を歩きながら、心臓がドキドキしている。手が少し震える。
深呼吸——落ち着け。大丈夫。
教室のドアの前に立つ。中からざわめきが聞こえる。学生たちがすでに集まっている。
ドアノブを握る。冷たい金属の感触。
もう一度深呼吸。
そしてドアを開けた。
広い教室。実習台が並べられている。二年生がすでに集まっていた——約三十人。
トーマス、クラウディア、マティアス、私のクラスメートたちもその中にいる。
みんな少し複雑な顔をしている。同級生に教えられる——それは少しプライドが傷つくかもしれない。
視線を感じる。期待、好奇心、そして少しの懐疑。
「リーゼが本当に教えられるのか?」
そう思っている学生もいるだろう。
でも仕方がない。私は先生に頼まれた。その責任を果たさなければならない。
エドムント先生が教室の前に立っている。私を見て微笑んだ。
「リーゼ先生、準備はいいですか?」
「はい」
私ははっきりと答えた。
先生が学生たちに向き直った。
「本日から、リーゼ先生が高度な外科手技の指導をしてくれます」
先生の声が教室に響く。
「彼女は病院実習で手術の助手を経験しています。そして緊急事態への対応でも高い評価を受けています。皆さん、しっかり学んでください」
拍手が起こった。でも一年生の時より少し控えめだ。
エドムント先生が私に目配せをして、教室を出て行った。
静寂。
三十人の視線が私に集中している。
重圧。
でも、ここで引くわけにはいかない。
私は前に出た。実習台の前に立つ。
深呼吸——落ち着け、大丈夫。
「皆さん、こんにちは」
私ははっきりと言った。声が少し震えている——でも気づかれないように。
「同じ二年生として、一緒に学んでいきたいと思います」
教える立場だが、対等に——それが大切だと思った。
「私が病院実習で経験したことを共有します。そしてみんなで議論しながら、理解を深めていきましょう」
学生たちの表情が少し和らいだ。対等に扱われる——それが嬉しいのかもしれない。
トーマスが小さく頷いた。クラウディアも微笑んでいる。
その反応に少し勇気づけられた。
「では、始めましょう」
◇
「今日は、腸管吻合について学びます」
私は説明を始めた。
「腸を切除した後、残った腸をつなぐ技術です。非常に重要な手技です」
黒板にチョークで図を描く。腸管の断面、粘膜層、筋層、漿膜層。
「腸管は複数の層から成り立っています」
私は丁寧に説明した。
「最も内側が粘膜層——ここは消化液や食物と接する部分です。その外側に粘膜下層、筋層、そして最も外側が漿膜層です」
学生たちが真剣にメモを取っている。
「腸管吻合では、これらの層を適切につなぐ必要があります。特に粘膜層と漿膜層——この二層をしっかり縫合することが成功の鍵です」
一人の学生が手を上げた。
「リーゼ先生、質問してもいいですか?」
「もちろん」
「なぜ二層なんですか? 一層じゃだめなんですか?」
良い質問だ。
「良い質問です」と私は答えた。「一層縫合でも可能ですが、二層の方がより確実です。理由は——」
黒板に図を描きながら説明する。
「第一層で粘膜を縫合することで、腸管内容物の漏れを防ぎます。そして第二層で漿膜を縫合することで、吻合部を補強し、腹腔への漏れを完全に防ぐんです」
「なるほど……」
学生たちが納得した顔をしている。
「では、実際にやってみましょう」
実習台の前に立つ。豚の腸管が準備されている——新鮮な腸管、人間のものとほぼ同じ大きさだ。
「まず、腸管を切開します」
メスを手に取る。慎重に、でも確実に。
刃を当てる。
ゆっくりと切開していく。
粘膜が見える。ピンク色の柔らかい組織。
「切開線は直線に」と私は説明を続けた。「斜めになると吻合が困難になります」
完全に切開した。二つの断端ができた。
「次に、断端を整えます」
ハサミで余分な組織を切除する。
「断端はきれいに整えることが重要です。不揃いだと吻合がうまくいきません」
学生たちが身を乗り出して見ている。
実習台の周りに集まって、じっと私の手元を見つめている。
緊張する。
でも、ここで失敗はできない。
前世の経験を思い出す。何百回とやった腸管吻合。手が覚えている。
「では、縫合します」
針を手に取る。吸収糸のついた湾曲針。
「まず第一層——粘膜層の縫合です」
針を刺す位置を示す。
「断端から約三ミリの位置に刺します。粘膜層だけを掬うように——筋層まで刺してはいけません」
針を刺した。
粘膜層だけを通す。慎重に、でも確実に。
針が出てくる。
「対側も同じように」
もう片方の断端に針を刺す。同じ深さ、同じ位置。
針を引き抜く。
糸を引く——でも強く引きすぎない。
「張力が重要です」と私は説明した。「強すぎると組織が虚血になります。弱すぎると隙間ができます。ちょうど良い張力——組織が白くならない程度です」
結紮する。
外科結び——前世で何千回とやった結び方。
一結び、二結び、三結び。
「三回結ぶのが基本です」と私は説明した。「一回では緩みやすく、二回では不十分。三回で確実に固定できます」
糸を切る。
「次の針」
同じ手順を繰り返す。針を刺す、通す、引く、結ぶ、切る。
リズムよく、正確に。
一針、二針、三針、四針——
学生たちが息を呑んで見ている。
私の手が動く。前世の経験が蘇る。体が覚えている動き。
十針目。
「ここで重要なのは縫合間隔です」
私は手を止めて説明した。
「間隔が広すぎると漏れのリスクがあります。狭すぎると血流が悪くなります。約五ミリ間隔が理想的です」
「なぜ五ミリなんですか?」
また質問が来た。
「経験則です」と私は答えた。「様々な研究で、五ミリ間隔が最も合併症が少ないことが分かっています。三ミリだと組織が虚血になりやすく、七ミリだと漏れのリスクが高まります」
前世の知識だ。この世界ではまだそこまで研究されていないかもしれない——でも確実な知識だ。
縫合を続ける。
十五針、二十針、二十五針——
第一層が完成した。
きれいな一列。均等な間隔。適度な張力。
「第一層、完了です」
学生たちから小さな拍手が起こった。
私は微笑んだ。少し緊張が和らぐ。
「次は第二層——漿膜層の縫合です」
新しい針を手に取る。
「第二層では、吻合部を完全に覆います。漿膜と筋層を一緒に縫合することで、強度を増します」
針を刺す。今度は深く——漿膜から筋層まで。
「第一層とは逆方向に縫います」と私は説明した。「こうすることで、二層が互い違いになり、より強固になります」
縫合を続ける。
第二層は第一層よりも速く進む。より大きな組織を掬うため、針の出し入れが楽だ。
十針、二十針——
そして完了。
「第二層、完了です」
完成した吻合を持ち上げて見せた。
きれいな円形。均等な縫合線。隙間なし。
学生たちから大きな拍手が起こった。
「すごい……」
「完璧だ……」
ささやき声が聞こえる。
私は少し照れくさくなった。でも嬉しい。
「では、皆さんも実習の時間です」
学生たちがそれぞれの実習台に向かった。
◇
教室を回って一人一人を見た。
最初はトーマスのところへ。
彼は真剣な顔で縫合しているが、少し糸の張力が強い。組織が白くなっている。
「トーマス」
私は優しく声をかけた。
「ん?」
「少し張力を緩めて。組織が白くなっているのが見える?」
トーマスが自分の縫合を見た。
「あ、本当だ……」
「これは虚血のサインよ。血流が悪くなっている証拠」
私は説明した。
「虚血になると組織が壊死します。そうなると吻合が失敗する可能性が高い」
「じゃあ、どうすれば?」
「もう少し緩めに引いてみて。組織の色が戻るまで」
トーマスが糸を少し緩めた。
組織の色がピンク色に戻る。
「こう?」
「そう。その張力が良いよ」
トーマスは納得したようだった。
「ありがとう、リーゼ」
次にクラウディアのところへ行った。
彼女の手技はとても丁寧だが、少し時間がかかりすぎている。まだ五針しか縫えていない。
「クラウディア」
「あ、リーゼ」
彼女は少し焦った顔をしている。
「手技は完璧ね」と私は褒めた。「縫合間隔も張力も理想的」
「でも、遅いわ……」
「確かに少し遅いけど」私は優しく言った。「でも正確さの方が大切。速度は練習で上がる」
「本当?」
「本当よ。最初は正確に。速度は後からついてくる」
でも、と私は付け加えた。
「実際の手術では時間も重要。だから少しずつスピードを上げる練習もしてみて」
「分かったわ。試してみる」
クラウディアは安心したような顔で頷いた。
マティアスのところへ行った。
彼はすでに第一層を終えている。速い——でも正確だ。
「マティアス、すごいね」
私は感心した。
「手技が速いのに、正確だ」
「ありがとう」
マティアスは照れくさそうに微笑んだ。
「リーゼの説明が分かりやすかったから。どこに刺すか、どう引くか——全部イメージできた」
「それは嬉しいわ」
他の学生たちのところも回った。
一人の女子学生——名前はアンナ——が困っている。
「先生、針が通らないんです……」
見ると、針が組織に引っかかっている。
「少し角度を変えてみて」
私は彼女の手を取って、針の角度を調整した。
「針の湾曲に沿って回転させるの。こう——」
針がスムーズに通った。
「あ、通った!」
アンナが嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます、先生!」
別の男子学生——ハンス——が質問してきた。
「先生、結び目がすぐ緩むんですが……」
「見せて」
彼の結び目を見た。外科結びができていない。
「結び方が違うわ。外科結びを使って」
私は実演して見せた。
「最初の結びで二回巻く。こうすることで摩擦が増えて、緩みにくくなる」
「なるほど……」
ハンスが真似をする。
「できました!」
「そう、それが外科結びよ」
一人一人に時間をかけて指導した。
それぞれ違う問題がある。張力、角度、速度、結び方——全て個別に対応する。
でも教えることで、私も学んでいる。
なぜこの角度が良いのか。なぜこの張力が適切なのか。
前世では無意識にやっていたことを、言葉にして説明する。そうすることで、理論的に理解できる。
教えることは学ぶことでもある——それを実感した。
◇
二時間後、授業が終わった。
「本日は、お疲れ様でした」
私は深く頭を下げた。
拍手が起こった。今回は最初より大きい——学生たちが満足している証拠だ。
学生たちが近づいてきた。
「リーゼ、とても勉強になったよ」
トーマスが言った。
「君の説明は本当に分かりやすい。理論だけじゃなくて、実践的なコツも教えてくれる」
「ありがとう」
私は微笑んだ。
「でも私も勉強になったわ。教えることで、自分の理解も深まった。だから私もみんなに感謝してる」
クラウディアも近づいてきた。
「リーゼ、一つ質問してもいい?」
「もちろん」
「腸管吻合で、漏れを防ぐための他の方法はあるの?」
その質問に私は少し考えた。前世の知識を思い出す。
「あるわ」
私は答えた。
「吻合部を補強する方法。大網——胃から垂れ下がっている脂肪組織——を使って吻合部を覆うの」
「大網?」
「そう。大網は血流が豊富で、治癒を促進する。そして万が一漏れても、腹腔内への拡散を防げる」
「なるほど……」
クラウディアは真剣にメモを取った。
「あと、吻合部にドレーンを置く方法もあるわ」
「ドレーン?」
「管を入れて、漏れた液体を外に出す。こうすることで、腹腔内に液体が溜まるのを防げる」
他の学生たちも集まってきた。
質問が次々と出る。
「縫合糸の太さは?」
「細すぎると切れやすく、太すぎると組織を傷める。中程度の太さが理想的」
「吸収糸と非吸収糸、どちらが良い?」
「腸管吻合では吸収糸が一般的。非吸収糸だと長期的に異物反応を起こす可能性がある」
「吻合にかかる時間は?」
「熟練すれば二十分から三十分。でも最初は一時間くらいかかるわ」
一つ一つ丁寧に答えた。
時間をかけて、質問に向き合う。
質問に答えることで、私自身も学んでいる。知識を整理している。そして新しい視点を得ている。
三十分後、やっと学生たちが帰り始めた。
「また来週お願いします」
「ありがとうございました」
みんな満足そうな顔をしている。
教室が静かになった。
私は一人、片付けをした。
実習台を拭き、器具を洗い、部屋を整える。
疲れた——でも充実している。
教えることの難しさ、でも喜び。
学生が理解する瞬間の顔——それを見るのが何よりも嬉しい。
◇
授業の後、エドムント先生が声をかけてきた。
「リーゼ先生、素晴らしかったです」
「ありがとうございます」
「私、見学していました」
先生が微笑んだ。
「あなたの教え方——丁寧で、分かりやすく、そして学生一人一人に向き合っている。理想的な教師です」
「いえ、まだまだです……」
私は謙遜した。
「二年生への指導も、とてもうまくいきました」
先生は満足そうに言った。
「学生たちも満足していました。そしてあなた自身も成長しているように見えます」
「はい」
私は頷いた。
「教えることで、自分も学んでいます」
「それが教師の特権です」
先生は微笑んだ。
「教えることと学ぶことは表裏一体。良い教師は常に学び続けます」
その言葉が心に響いた。
教師として、でも同時に学生として——両方の立場を経験している。それが私を成長させてくれる。
「これからも頑張ってください」
先生が私の肩に手を置いた。
「あなたは医学院の宝です。多くの学生が、あなたから学びたいと思っています」
「精一杯、努力します」
私は誓った。
◇
夕方、部屋に戻ると疲れがどっと出た。
ベッドに横になる。
天井を見つめる。
今日の授業——うまくいった。学生たちは満足していた。でも本当にこれで良かったのか。
もっと分かりやすく説明できたのでは。
もっと丁寧に指導できたのでは。
反省点がいくつも浮かぶ。
でも、と思った。
完璧を求めすぎてはいけない。大切なのは学生が成長すること。そして私も成長すること。
ノックの音。
「はい」
ドアが開いて、トーマスとクラウディアが入ってきた。
「リーゼ、少し話してもいい?」
「もちろん」
私は起き上がって、二人を部屋に招いた。
簡単な椅子に座ってもらう。
「今日の授業、本当に良かった」
クラウディアが言った。
「分かりやすくて、丁寧で——本当に勉強になったわ」
「でも一つ気になることがあるの」
「何?」
クラウディアが真剣な顔で聞いてきた。
「リーゼはどうやってそんなに技術を身につけたの? 私たち、同じ二年生なのに、あなたの技術はまるでベテラン医師のようだわ」
その質問に私は少し考えた。
前世の経験——それをどう説明するか。
「たくさん練習したの」
私は慎重に答えた。
「毎日、縫合の練習をした。朝も夜も。休みの日も。そして常に改善を考えた。どうすればもっと速く、もっと正確にできるか——それをずっと考え続けた」
「そうか……」
トーマスは納得したような顔をした。
「やっぱり、努力なんだね。天才じゃなくて、努力の人なんだ」
「天才……そんなことないわ」
私は首を横に振った。
「私はただ人より多く練習しただけ。誰でもできることよ」
でも心の中では思った。
前世の経験がなければ、ここまでできなかったかもしれない。
転生者としての利点——それは認めなければならない。
でもそれを公言することはできない。
「リーゼ」
トーマスが真剣な顔で言った。
「俺も、もっと練習する。お前みたいになりたい」
「私も」
クラウディアも頷いた。
「リーゼを目標に、頑張るわ」
その言葉が嬉しかった。
私の努力が、他の人を励ましている。それが何よりも嬉しい。
「一緒に頑張ろう」
私は二人に微笑んだ。
「私もまだまだ学ぶことがたくさんあるから」
◇
二人が帰った後、部屋で一人考えた。
教えることと学ぶこと、その関係。
教師として学生を育てる。でも同時に学生として学び続ける。
両方が大切だ——どちらか一方では不十分だ。
教えるだけでは成長が止まる。
学ぶだけでは知識が活用されない。
両方をバランスよく——それが理想的だ。
窓を開けると夜風が入ってくる。星が美しく輝いている。
「お父様、お母様、マルタさん」
星に向かって小さく呟いた。
「教えることの難しさを知りました。でも同時に喜びも知りました」
星が優しく瞬いている。
「学生が成長する姿を見る——それが何よりも嬉しいです」
まるで応援してくれているかのように。
「これからも、精一杯頑張ります」
星に誓った。
◇
翌週の木曜日、病院実習があった。
今回もフリードリヒ医師の下で学ぶ。
午前中は外来診療。
様々な患者を診た。腹痛、発熱、外傷——それぞれに丁寧に対応する医師の姿を見た。
診察の手順、質問の仕方、診断の過程——全てが学びだ。
そして午後、手術の助手。
今回の手術は胆嚢摘出だった——前世でも何度も経験した手術だが、この世界では初めてだ。
患者は四十代の女性。胆石による胆嚢炎。
手術室に入る。
消毒、手洗い、ガウンを着る——全ての準備を完璧に。
患者が手術台に横たわっている。
麻酔医が麻酔をかける。患者の意識が落ちる。
フリードリヒ医師が執刀する。
「リーゼさん、準備はいいですか?」
「はい」
私は助手の位置に立った。
医師が皮膚を切開する。
右上腹部、肋骨の下——約十センチの切開。
皮膚、皮下組織、筋膜——層ごとに切開していく。
「鉤」
医師が言う。
私は創を開く鉤を渡した。
視野が開ける。
腹腔内が見える。
肝臓の下に、胆嚢がある——腫れて、充血している。
「胆嚢炎ですね」
医師が呟いた。
「炎症が強い。慎重に剥離しないと」
医師が胆嚢を掴む。
周囲組織から剥離していく。
慎重に、一層ずつ。
私は視野を確保する。鉤で肝臓を持ち上げ、ガーゼで出血を抑える。
前世の経験が蘇る。
胆嚢摘出——何百回とやった手術。
術野を見ていると、次に何をするか分かる。
医師が総胆管を確認する。
「ここが総胆管」
医師が私に教えてくれる。
「胆嚢管と合流する部分。ここを傷つけないように注意しないと」
「はい」
私は頷いた。
医師が胆嚢管を結紮する。
二重に糸をかけて、その間を切離する。
次に胆嚢動脈を結紮する。
同じように二重結紮して切離。
「さあ、胆嚢を摘出します」
医師が肝臓から胆嚢を剥離していく。
癒着が強い——炎症のせいだ。
慎重に、少しずつ。
出血する。
「ガーゼ」
私はすぐにガーゼを渡す。
医師が止血する。
剥離を続ける。
十分後、胆嚢が完全に遊離した。
「摘出完了」
医師が胆嚢を取り出した。
腫れて、赤黒い——重症の胆嚢炎だ。
「洗浄します」
医師が腹腔内を洗浄する。
生理食塩水で何度も洗い流す。
「ドレーン」
私はドレーンを渡した。
医師が胆嚢窩にドレーンを留置する。
「閉腹します」
筋膜を縫合する。
私は針を渡しながら、医師の手技を観察した。
縫合の間隔、糸の張力——全てが完璧だ。
前世の自分と同じレベル——いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。
この世界の医師も、確かな技術を持っている。
皮膚を縫合して、手術終了。
「お疲れ様でした」
医師が私に言った。
「リーゼさん、今日も完璧でした。視野の確保、器具の受け渡し——全てがスムーズでした」
「ありがとうございます」
「君は本当に優秀な助手だ」
医師が微笑んだ。
「いつか、術者として手術をしてみたいと思わないか?」
その言葉に私の心が高鳴った。
術者——自分で手術を執刀する。
それは外科医の夢だ。
「はい」
私ははっきりと答えた。
「いつか、必ず」
「その日を楽しみにしているよ」
医師が私の肩を叩いた。
「君なら、きっと素晴らしい外科医になれる」
◇
病院実習の後、医学院に戻った。
廊下を歩いていると、ルーカス先輩が待っていた。
「リーゼ」
「先輩」
「少し話してもいいか?」
「はい」
私たちは図書館の静かな一角へ行った。
窓際の席に座る。
「お前、最近すごく忙しそうだな」
ルーカスが心配そうに言った。
「授業、実習、指導——全部やってて、大丈夫か?」
「大丈夫です」
私は微笑んだ。
「忙しいですけど、充実してます」
「でも、無理はするなよ」
ルーカスは真剣な顔で言った。
「前にも言ったけど、自分の体調管理も医師の責任だ。患者を治すには、まず自分が健康でなければならない」
「分かってます」
私は約束した。
「ちゃんと、休む時は休んでます。睡眠も食事も、しっかり取ってます」
「それなら、いいけど」
ルーカスは少し安心したような顔をした。
「お前は医学院の希望だからな。倒れられたら、みんな困る」
「希望……」
私は少し照れくさくなった。
「そんな、大げさな」
「いや、本当だ」
ルーカスは断言した。
「お前を見ていると、みんな励まされる。もっと頑張ろうって思える。それがお前の存在意義だ」
「先輩……」
「だから、無理はするな。長く続けることが大切だ」
ルーカスが私の頭を撫でた。
「分かった?」
「はい」
私は素直に頷いた。
◇
その夜、部屋で日記を書いた。
『教えることと学ぶことの両立』
ペンを走らせる。
『一年生への指導、二年生への指導、病院実習——全てが私を成長させてくれる』
『忙しいが充実している。毎日新しいことを学んでいる』
『そして学生たちも成長している——それが嬉しい』
ペンを置いた。
窓を開けると夜風が入ってくる。
星が美しく輝いている。
「これからも、頑張ります」
星に向かって誓った。
医師として、教師として、学生として——全ての役割を果たしていく。
ベッドに入り、目を閉じる。
明日からまた新しい日々が始まる。
挑戦、成長、充実——全てが私を前に進ませる。
「おやすみなさい」
小さく呟いて、眠りについた。
教えることと学ぶこと、その両方を大切にしていく——それが私の道だ。
少女医師の挑戦は、続いていく。
◇
翌週の月曜日、二年生の授業が再びあった。
今回は前回よりもスムーズに進んだ。
学生たちも私に慣れ、質問も活発になった。
授業の後、一人の学生が残った。
マティアスだ。
「リーゼ、ちょっといい?」
「もちろん」
「俺、外科医になりたいんだ」
マティアスが真剣な顔で言った。
「リーゼみたいな外科医に」
「マティアスなら、きっとなれるわ」
私は微笑んだ。
「君は手技が正確で、理解も早い。素質がある」
「本当?」
「本当よ」
「じゃあ、教えてほしいんだ」
マティアスが頭を下げた。
「もっと高度な技術を。個人的に指導してもらえないか?」
その申し出に私は少し驚いた。
でも嬉しかった。
「いいわ」
私は頷いた。
「時間を作って、個別に指導するわ」
「ありがとう!」
マティアスが嬉しそうに笑った。
教えることの輪が広がっていく。
それが私の使命なのかもしれない。




