第051話 病院実習
二年生に進級して、二週間が過ぎた。授業は格段に専門的になり、内科学、外科学、小児科学とそれぞれの分野を深く学んでいく。教科書も厚くなり、覚えるべきことも増えたが、充実している。毎日、新しい知識を吸収している。そして今日から新しい課程が始まる——病院実習だ。
◇
「二年生の皆さん」
アルブレヒト先生が教室の前に立った。
「今日から、王都中央病院での実習が始まります」
教室が少しざわついた。緊張と期待が混じっている。
「実習は毎週二日間。月曜日と木曜日に、病院で実際の医療現場を学びます」
先生が説明を続けた。
「担当医師の指導の下、診察、処置、手術の見学などを行います」
私は真剣にメモを取った。実習、実際の医療現場——それは医学生にとって最も重要な学びだ。教科書では学べないこと、実際の患者と向き合うこと。それが本当の医療だ。
「注意事項を申し上げます」
先生の声が厳しくなった。
「病院では、皆さんは見習いです。患者の命を預かる場所です。軽率な行動は絶対に許されません。担当医師の指示に従い、慎重に行動してください」
みんな真剣な顔で頷いている。
「それでは、グループ分けを発表します」
先生が名簿を読み上げ始めた。
「第一班、トーマス、アンナ、ハンス……」
次々と名前が呼ばれていく。私はじっと待った。
「第三班、リーゼ、クラウディア、マティアス」
私の名前が呼ばれた。一緒のグループになったのはクラウディアとマティアス。クラウディアは二年生の女子学生で十六歳、優秀で真面目な性格だ。マティアスは十八歳の男子学生で、少し無口だが実技が得意だ。
「各班の担当医師は、後ほど病院で紹介します」
先生が最後に言った。
「では、午後から病院へ移動します。準備を整えてください」
◇
昼食後、私たちは王都中央病院へ向かった。石造りの大きな三階建ての建物で、正面には王立医学院の紋章が掲げられている。この病院は医学院の付属病院だ。
正門をくぐると広いロビーがあり、患者たちが待合室で順番を待っていた。子供を連れた母親、松葉杖をついた老人、包帯を巻いた若者。様々な人々がここに集まっている。空気が緊張している——医学院とはまったく違う雰囲気だ。ここは実際の医療現場なのだ。
「二年生の皆さん、こちらへ」
看護師が私たちを案内してくれた。
廊下を歩く。薬品の匂い、清潔な白い壁、忙しそうに行き来する医師たち。全てが前世の病院を思い出させる。
会議室に通された。長いテーブルに数人の医師が待っていた。
「医学院の学生たちか」
一人の医師が立ち上がった。五十代くらいの男性で、白い髭を蓄えている。威厳のある佇まいだ。
「私はベルンハルト医師だ。この病院の外科部長を務めている。本日から、君たちの実習を担当する」
◇
ベルンハルト医師が病院内を案内してくれた。一階は外来診療室で、内科、外科、小児科それぞれの診察室が並んでいる。二階は入院病棟で重症患者がここで治療を受け、三階は手術室と処置室、最も重要な場所だ。
「実習生は主に外来診療を見学します」
ベルンハルト医師が説明した。
「診察の様子を観察し、学んでください。質問があれば遠慮なく聞いてください。ただし、診察の邪魔にならないように」
私たちはそれぞれの診察室に配属された。私は外科診察室で、担当は若い医師だった。三十代前半で、名前はフリードリヒ医師。
「よろしく、リーゼさん」
医師が微笑んだ。
「噂は聞いているよ。十二歳で実技試験満点、シャルロッテ令嬢の手術を成功させた天才医師だって」
「天才……そんなことは」
私は謙遜した。
「まだまだ学ぶことがたくさんあります」
「その謙虚さが、素晴らしいね」
フリードリヒ医師は満足そうに頷いた。
「では、早速始めよう」
◇
最初の患者が入ってきた。四十代の農夫らしい男性で、日焼けした顔とごつごつした手をしている。
「先生、手を怪我しまして……」
男性が右手を見せた。手のひらに深い切り傷があり、血は止まっているが傷口は大きく開いている。
「いつ怪我をしましたか?」
フリードリヒ医師が尋ねた。
「今朝、鎌で誤って……」
「分かりました。縫合が必要ですね」
医師が準備を始めた。私はそばで観察する。消毒液、針と糸、鉗子——全ての器具が整然と並べられていく。
「リーゼさん、近くで見ていいですよ」
フリードリヒ医師が言った。
私は近づいた。医師が消毒を始め、慎重に傷口の周りを拭く。そして麻酔。この世界にも局所麻酔がある——薬草から抽出した麻酔薬だ。効果は前世のリドカインほどではないが、痛みを和らげることはできる。
「では、縫合します」
医師が針を手に取った。
傷口に針を刺す。慎重に——でも、少し角度が浅い。組織を通す時、少し無駄な動きがある。糸を引く張力もやや強すぎる。組織が少し白くなっている——血流が悪くなっている証拠だ。
私は黙って見ていた。口を出すべきではない。私はまだ実習生だ。でも気になる——もっと良い方法があるのに。
◇
縫合が終わった。患者は礼を言って帰っていった。
「どうだった、リーゼさん?」
フリードリヒ医師が尋ねてきた。
「はい……勉強になりました」
私は慎重に答えた。
「何か気づいたことは? 遠慮しないで、言ってください」
医師が真剣な顔で聞いてきた。
「実は……」
私は少し考えてから言った。
「針の角度が、もう少し垂直の方が良いかと思いました。そして糸の張力も、もう少し緩めの方が……」
フリードリヒ医師は驚いた顔をした。でも怒ってはいない——むしろ興味深そうだ。
「なるほど……詳しく教えてもらえますか?」
私は説明を始めた。針の角度について、組織への侵襲を最小限にする方法について、糸の張力について、血流を確保しながら傷を閉じる技術について。前世の知識とこの世界での経験、全てを言葉にして伝えた。
フリードリヒ医師は真剣に聞いていて、時々メモを取っている。
「素晴らしい」
医師は感心したように言った。
「さすが、天才医師と呼ばれるだけのことはある。実は私も独学で縫合を学んだから、基本はできるが細かい技術は自信がなかった。でも今の説明で、よく分かった」
医師は嬉しそうに微笑んだ。
「次の患者で、教えてもらった方法を試してみよう」
◇
午後、さらに数人の患者を診察した。擦り傷の処置、火傷の治療、捻挫の固定——様々な症例を見学した。
フリードリヒ医師は私の意見を積極的に聞いてくれ、そして実際に試してみてくれた。私の提案した方法がうまくいった時、医師も患者も嬉しそうだった。
実習の最後、フリードリヒ医師が言った。
「リーゼさん、君は優秀だ。実習生というより、もう立派な医師だよ」
「いえ、まだまだです」
私は謙遜した。
「でも今日は本当に勉強になりました。教科書では学べないことを、たくさん学びました」
「こちらこそ、君から学ばせてもらった」
医師は微笑んだ。
「次回も、楽しみにしているよ」
◇
夕方、医学院に戻った。クラウディアとマティアスも疲れた顔をしていた。
「どうだった?」
私が聞くと、クラウディアが答えた。
「すごく勉強になったわ。でも緊張した。実際の患者と向き合うのは、教室とは全然違う」
「そうだな」
マティアスも頷いた。
「責任の重さを感じた」
二人の言葉がよく分かる。実際の医療現場、患者の命——その重さは教科書では学べない。体験して初めて理解できる。
「でも、楽しみね。次の実習が」
クラウディアが微笑んだ。
「ああ。もっと学びたい」
マティアスも同意した。
私も同じ気持ちだった。病院実習——それは私を次の段階へ導いてくれる。
◇
部屋に戻ると、エリーゼが待っていた。
「リーゼ、どうだった?」
「うまくいったよ」
私は微笑んだ。
「病院実習、とても勉強になった」
「良かった」
エリーゼは嬉しそうに言った。
「私も、来年が楽しみだわ」
「一年生も、頑張ってるの?」
「ええ」
エリーゼは頷いた。
「でも、リーゼがいないと少し寂しいわ」
「私も、エリーゼと一緒の方が良かったけど」
私は正直に言った。
「でも、これが私の道だから」
「分かってるわ」
エリーゼは微笑んだ。
「あなたは前に進まなきゃいけない。もっと成長しなきゃいけない。それがあなたの使命だもの」
私たちはしばらく話した。医学の話、授業の話、友人の話——こういう時間がとても大切だ。
◇
夜、部屋で今日のことを振り返った。病院実習の初日、多くのことを学んだ。実際の患者、実際の医療現場——そこには教科書では学べないことがたくさんあった。患者の不安、医師の責任、治療の難しさ。全てがリアルだった。
窓を開けると夜風が入ってくる。星が美しく輝いている。
「お父様、お母様、マルタさん」
星に向かって小さく呟いた。
「今日から病院実習が始まりました。実際の医療現場で学んでいます。もっと成長したいです。もっと多くの患者を救いたいです」
星が優しく瞬いている。まるで応援してくれているかのように。
ベッドに入り、目を閉じる。明日からまた授業が続く。そして木曜日にはまた病院実習がある。忙しい日々——でも充実している。毎日、成長している。それが嬉しい。
「おやすみなさい」
小さく呟いて、眠りについた。
◇
翌日の授業は内科学だった。アルブレヒト先生が呼吸器疾患について講義した。肺炎、気管支炎、喘息——それぞれの疾患の症状、診断、治療法を詳しく学んだ。
私は真剣にメモを取った。前世の知識はあるが、この世界特有の疾患もあり、治療法も異なる。薬草療法、魔法療法——それらを統合して理解しなければならない。
「リーゼ先生、質問は?」
アルブレヒト先生が尋ねてきた。
「はい」
私は手を上げた。
「肺炎の場合、薬草療法と魔法療法、どちらが効果的ですか?」
「良い質問ですね」
先生は満足そうに頷いた。
「両方とも効果的です。薬草療法は炎症を抑え、魔法療法は自然治癒力を高めます。理想的には両方を併用するのが良いでしょう」
併用——私もそう思っていた。前世の医療とこの世界の医療、それらを統合することが最も効果的だ。
「ありがとうございます」
私はノートに書き込んだ。この知識はきっと役に立つ。
◇
木曜日、二回目の病院実習だった。今回もフリードリヒ医師の下で学んだ。様々な症例——骨折の固定、脱臼の整復、そして小さな手術の見学。全てが貴重な経験だった。
「リーゼさん、君は本当に優秀だ」
実習の終わりにフリードリヒ医師が言った。
「もし良ければ、来週は手術の助手をしてもらえないか?」
「手術の……助手ですか?」
私は驚いた。
「ああ。簡単な手術だ」
医師は説明した。
「皮膚の腫瘍摘出。君なら、できると思う」
私は少し考えた。手術の助手——実習生がそこまでやるのは異例だ。でもチャンスだ。学ぶチャンス、成長するチャンス。
「はい。やらせていただきます」
私は決心した。
「素晴らしい」
フリードリヒ医師は嬉しそうに微笑んだ。
「では、来週を楽しみにしているよ」
◇
その夜、部屋で手術の準備をした。教科書を読み直し、腫瘍摘出の手順、必要な器具、考えられる合併症——全てを頭に入れる。
前世の記憶も蘇ってくる。東京の病院で行った無数の手術、その経験が私を支えてくれる。
「大丈夫」
小さく呟いた。
「私なら、できる」
自信を持って、でも慎重に——それが医師の姿勢だ。
窓を開けると秋の夜風が入ってくる。星が美しく輝いている。
「来週、頑張ります」
星に向かって誓った。新しい挑戦、手術の助手——それが私を次の段階へ導いてくれる。
ベッドに入り、目を閉じる。明日からまた勉強だ、準備だ、そして成長だ。
「おやすみなさい」
小さく呟いて、眠りについた。
病院実習が始まった。実際の医療現場で学んでいる。教科書では学べないこと、患者と向き合うこと、医師としての責任——全てを体で学んでいく。
少女医師の挑戦は、さらに深まっていく。




