第49話 広がる名声
シャルロッテ令嬢の手術から三日が過ぎた。令嬢は順調に回復している。
エルンスト侯爵から毎日感謝の言葉が届いた——「リーゼ先生のおかげで娘が助かりました」「この恩は一生忘れません」。
でも私にとっては医師として当然のことをしただけだ。王族だろうと平民だろうと、患者は患者だ。全力で治療する——それが医師の使命だ。
◇
しかし王宮での手術の噂は瞬く間に王都中に広がった。
「十二歳の少女医師が侯爵の娘を救った」「王宮で緊急手術を成功させた」「神童医師、リーゼ・フォン・ハイムダル」——噂はどんどん大きくなっていく。
医学院の廊下を歩くと知らない学生たちまで立ち止まって私を見る——尊敬の眼差し、憧れの眼差し、そして少し怖いくらいの注目。
「リーゼ先生!」
ある日、若い医師が駆け寄ってきた。
「私の患者を、診ていただけませんか?」
「はい……でも、私はまだ学生で」
「いいえ。あなたは、もう立派な医師です」
医師は、真剣な顔で言った。
「王宮で手術をされた方に、お願いしたいんです」
私は、少し困惑した。
でも、患者のためなら。
「分かりました。診させていただきます」
◇
その日から診察の依頼が増え始めた——医学院の学生たちから、若い医師たちから、そして貴族たちからも。
「リーゼ先生に診ていただきたい」「あの天才医師に相談したい」——毎日何人もの人が訪ねてくる。授業の合間、実習の後、夜遅くまで。
私はできる限り応じた。一人一人丁寧に診察する——症状を聞き、診断し、治療法を提案する。前世の知識を総動員して。
でも体力的にきつくなってきた。十二歳の体——まだ小さく、まだ弱い。毎日疲れが溜まっていく。
◇
「リーゼ、大丈夫?」
エリーゼが、心配そうに声をかけてきた。
「顔色が悪いわよ」
「はい……少し疲れました」
正直に答えた。
「無理しすぎよ」
エリーゼは、優しく言った。
「あなたは、まだ十二歳なんだから」
「全部引き受ける必要はないわ」
「でも、患者さんが困っていて……」
「あなたが倒れたら、もっと困る人が出るのよ」
エリーゼの言葉に私ははっとした。
確かに——無理をして倒れたら誰も助けられなくなる。医師として自分の体調管理も重要だ。
「ありがとう、エリーゼ」
私は、微笑んだ。
「少し、休みます」
「そうして。ゆっくり休んで」
◇
その夜、部屋で一人考えた。
最近の自分——毎日診察と治療に追われ、多くの人を助けている。それは嬉しいことで、医師としてやりがいがある。
でも同時に不安もある。この生活をずっと続けられるのか——十二歳の体で、どこまで頑張れるのか。そして本当にこれでいいのか。
前世ではもっと計画的に働いていた——勤務時間を決め、休日を取り、バランスを保っていた。でもこの世界ではそうもいかない。患者が来れば断れない、困っている人がいれば助けたい——それが医師の性だ。
窓を開けると夜風が入ってくる。星が美しく輝いている。
「どうすればいいんだろう……」
小さく呟いた。
◇
翌日、ヴィルヘルム先生が私を呼んだ。
「リーゼ先生、少しお話があります」
「はい」
私は、院長室へ向かった。
先生は、真剣な顔をしていた。
「リーゼ先生、最近無理をしているようですね」
「いえ……」
「正直に言ってください」
先生の声は、厳しかった。
「あなたは、まだ十二歳です」
「確かに、優れた技術を持っています」
「でも、体は子供なんです」
「無理をすれば、倒れます」
私は、何も言えなかった。
先生の言う通りだ。
「診察の依頼は、これから断ってください」
先生は、続けた。
「全てに応じる必要はありません」
「あなたの健康が、最優先です」
「でも、患者さんが……」
「他にも医師はいます」
先生は、断言した。
「あなたでなければならない、というケースだけ対応すればいい」
「それ以外は、他の医師に任せなさい」
私は、少し考えた。
確かに、先生の言う通りだ。
全てを一人で抱え込む必要はない。
「分かりました」
私は、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「あなたは、将来有望な医師です」
先生は、優しく微笑んだ。
「だからこそ、長く活躍してほしい」
「そのためには、今は無理をしないことです」
◇
先生のアドバイスに従って私は診察の依頼を選別し始めた——緊急性の高いもの、専門的な知識が必要なもの、他の医師では対応できないもの。そういった依頼だけ受けることにした。
最初は断るのが難しかった。でもエリーゼとルーカス先輩が助けてくれた——「リーゼ先生は今授業中です」「別の医師を紹介します」。二人がうまく対応してくれる。
おかげで私は少し余裕ができた。授業に集中でき、実習にもしっかり参加でき、そして夜はちゃんと眠れる。体調も少しずつ回復してきた。
◇
ある日、講習会の日だった。
月に一度の縫合技術講習会。
今回は、第三回目だ。
会場は、また満員だった。
前回よりも、参加者が増えている。
約百人の医師たちが、座っている。
「本日は、皮下縫合について教えます」
私は、説明を始めた。
「皮下縫合は、傷跡を最小限にする技術です」
「皮膚表面を縫うのではなく」
「皮下組織を縫合します」
台の上の豚の皮膚に、切開を入れる。
「まず、針を皮下組織に刺します」
針を組織に通す。
慎重に。
でも、確実に。
「重要なのは、針の軌道です」
私は、ゆっくりと動作を見せた。
「皮下組織を通って、反対側の皮下組織に出ます」
「表面には、傷が見えないように」
医師たちが、真剣にメモを取っている。
「糸を引くと、このように」
組織の断端が、内側で接合された。
表面は、ほとんど傷が見えない。
「これが、皮下縫合です」
会場から、感嘆の声が上がった。
◇
講習会の後、ある年配の医師が近づいてきた。
「リーゼ先生、素晴らしい講習でした」
「ありがとうございます」
「私は、王都の病院で働いているクラウス医師です」
医師は、名刺を差し出した。
「実は、お願いがあります」
「はい」
「私の病院で、講演をしていただけませんか?」
クラウス医師は、真剣な顔で言った。
「若い医師たちに、あなたの技術を教えてほしいのです」
「病院で……ですか?」
「はい。報酬も、もちろんお支払いします」
私は、少し考えた。
病院での講演。
医学院以外の場所で、教える。
それは、新しい経験だ。
でも、ヴィルヘルム先生の言葉を思い出す。
無理をしない。
自分のペースで。
「いつ頃を考えていますか?」
「来月の、ご都合の良い日に」
「分かりました。一度、院長先生に相談させてください」
「もちろんです。お返事、お待ちしています」
◇
ヴィルヘルム先生に相談すると、先生は賛成してくれた。
「良い機会です」
先生は、微笑んだ。
「医学院以外の場所で教える経験も、大切です」
「ただし、無理はしないように」
「はい。ありがとうございます」
こうして私の活動は少しずつ広がっていった——医学院での授業、月に一度の講習会、そして病院での講演。全て自分のペースで、無理をせず、でも着実に。多くの医師たちに技術を伝えていく。
◇
ある夜、エリーゼとルーカス先輩と一緒に食事をした。
「リーゼ、最近元気そうね」
エリーゼが、嬉しそうに言った。
「はい。ペース配分ができるようになりました」
「それは良かった」
ルーカスが、頷いた。
「お前は、優秀すぎるからな」
「みんな、頼りにしすぎるんだ」
「でも、お前も人間だ。限界がある」
「はい。それが、ようやく分かってきました」
私は、微笑んだ。
三人で楽しく話す——医学の話、授業の話、将来の夢。
こういう時間がとても大切だと思う。医師として働くだけでなく、人として成長する時間、友人と過ごす時間。
「リーゼは、将来どうしたいの?」
エリーゼが、聞いてきた。
「どうしたい……」
私は、少し考えた。
「もっと多くの人を救いたいです」
「でも、一人では限界があります」
「だから、技術を伝えたい」
「私の知識を、多くの医師と共有したい」
「そうすれば、もっと多くの患者を救える」
「素晴らしい目標ね」
エリーゼは、感心したように言った。
「私も、頑張らなきゃ」
「俺も、負けてられないな」
ルーカスも、笑った。
◇
その夜、部屋で日記を書いた——最近のこと、忙しすぎて倒れそうになったこと、でもヴィルヘルム先生やエリーゼのおかげで立ち直れたこと、ペース配分の大切さを学んだこと、そしてこれからの目標。
窓を開けると夜風が入ってくる。星が美しく輝いている。
「お父様、お母様、マルタさん」
星に向かって小さく呟いた。
「最近いろいろありました。忙しすぎて疲れてしまいました。でも、周りの人たちが助けてくれました——私は一人じゃないんですね」
星が優しく瞬いている——まるで応援してくれているかのように。
「これからも頑張ります。でも無理はしません。自分のペースで着実に、多くの人を救っていきます」
◇
翌週、病院での講演が行われた。
王都中央病院——大きな建物。多くの医師や看護師が働いている。
講演会場は病院の大講堂だった。約五十人の医師たちが座っている——若い医師、中年の医師、老齢の医師。みんな真剣な顔で待っている。
「初めまして、リーゼ・フォン・ハイムダルです」
私は、はっきりと言った。
「本日は、外科縫合の基本と応用について、お話しします」
二時間の講演。
基本的な縫合技術。
皮下縫合の方法。
そして、実際の手術例。
シャルロッテ令嬢の手術について、詳しく説明した。
もちろん、患者のプライバシーに配慮しながら。
医師たちは、熱心に聞いていた。
質問も、たくさん出た。
「縫合の速度を上げるには?」
「複雑な傷の場合は?」
「感染予防は?」
全てに、丁寧に答えた。
講演が終わると、大きな拍手が起こった。
◇
「リーゼ先生、素晴らしかったです」
クラウス医師が、嬉しそうに言った。
「若い医師たちも、大変勉強になったようです」
「ありがとうございます」
「また、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい。でも、月に一度くらいで」
私は、正直に言った。
「あまり頻繁だと、授業に支障が出ますので」
「もちろんです。学業が最優先です」
クラウス医師は、理解してくれた。
病院を出ると夕暮れだった。オレンジ色の空——美しい。
充実感がある。今日も良い一日だった——自分のペースで、無理をせず、でも着実に前進している。
◇
医学院に戻ると、エリーゼが待っていた。
「リーゼ、どうだった?」
「うまくいきました」
私は、微笑んだ。
「みんな、真剣に聞いてくれました」
「そうだろうね」
エリーゼは、嬉しそうに言った。
「だって、あなたは本物の天才医師だもの」
「天才……そんなこと、ないです」
「いいえ、本当よ」
エリーゼは、断言した。
「でも、あなたの一番すごいところは」
「技術じゃないの」
「え……?」
「謙虚さよ」
エリーゼは、優しく言った。
「どんなに褒められても、おごらない」
「いつも、もっと学ぼうとしている」
「それが、あなたの本当の強さだと思う」
私は、少し照れくさくなった。
でも、嬉しかった。
「ありがとう、エリーゼ」
「これからも、一緒に頑張ろうね」
「はい」
◇
夜、部屋で今日のことを振り返った。
病院での講演——成功だった。多くの医師たちに技術を伝えられた。そして自分も学ぶことがあった——質問への回答、医師たちとの議論、新しい視点。教えることは学ぶことでもある。
これからもこういう機会を大切にしよう。でも無理はしない——自分のペースで、バランスを保ちながら。
医師として、学生として、そして一人の少女として——全てを両立していく。
◇
翌日、ヴィルヘルム先生が私を呼んだ。
「リーゼ先生、昨日の講演、大成功だったそうですね」
「はい。ありがとうございます」
「クラウス医師から、感謝の手紙が届きました」
先生は、手紙を見せてくれた。
「また、別の病院からも講演の依頼が来ています」
「どうしますか?」
私は、少し考えた。
依頼は嬉しい。
でも、全て受けることはできない。
「月に一度まで、と決めています」
私は、はっきりと言った。
「それ以上は、授業に支障が出ますので」
「素晴らしい判断です」
先生は、満足そうに頷いた。
「自分の限界を知っている」
「これは、医師として非常に重要な資質です」
「では、来月の講演は、この病院で」
「再来月は、こちらの病院で」
「このように、計画的に進めましょう」
「はい。お願いします」
◇
こうして私の生活は安定していった——医学院での授業、実習、月に一度の講習会、月に一度の病院講演。全てをバランスよく、無理をせず、でも着実に。
名声はさらに広がった——「天才少女医師、リーゼ」「十二歳の講師」「王宮で手術をした医師」。様々な呼び方をされる。
でも私は変わらない。一人の医師として、患者を救うために——技術を磨き続け、知識を増やし続け、そしてそれを伝え続ける。
◇
ある日、アーデルハイドが話しかけてきた。
「リーゼ、最近すごく忙しそうね」
「はい。でも、楽しいです」
「私も、もっと頑張らなきゃ」
アーデルハイドは、真剣な顔で言った。
「あなたを見ていると、刺激を受けるわ」
「私も、アーデルハイドから学んでいます」
「本当に?」
「はい。あなたの薬学の知識は、素晴らしいです」
「ありがとう」
アーデルハイドは、微笑んだ。
実技試験の後、彼女は変わった。
前のような敵対心はない。
今は、良きライバルだ。
お互いに切磋琢磨する関係。
これが、本来あるべき姿だ。
◇
医学院に入学して数ヶ月が過ぎた。
最初は不安だった——十二歳の少女が医学を学べるのか、周りに受け入れられるのか。でも今は違う。実力を認められ、友人ができ、そして多くの患者を救えた。
これからもこの道を進んでいく——医師として、教師として、そして一人の人間として。
窓を開けると夏の終わりの風が入ってくる——涼しい風、季節の移り変わりを感じさせる。
「新しい挑戦がまた始まるのね」
小さく呟いた。
星が優しく瞬いている——まるで応援してくれているかのように。
ベッドに入り、目を閉じる。
明日からまた新しい日々が始まる。でも怖くはない——準備はできている、仲間がいる、そして目標がある。
「おやすみなさい」
小さく呟いて、眠りについた。
広がる名声、増える責任——でもそれを乗り越えていく。自分のペースで、着実に。
少女医師の挑戦は、これからも続いていく。




