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第5話 初めての手当て

「でも……前世で救えなかった命への償いとして。この世界で、できることを——」


小さく呟いたその瞬間——


「キャアッ!」


屋敷の奥から、鋭い悲鳴が響いた。

反射的に立ち上がる。心臓が跳ねる。

十歳の体なのに、体が勝手に走り出していた。


——助けなきゃ。


厨房の扉を開け放つと、若いメイドが床にしゃがみ込んでいた。

白い床に、赤い血が滲んで広がっていく。

指先を押さえ、震える声で泣いていた。


「大丈夫ですか!?」


周囲のメイドたちが慌てて駆け寄る。

でも誰も、どうすればいいか分からず立ちすくんでいる。


血の匂い——

懐かしい。けど、この体の心臓が、怖いほど早く打つ。

呼吸を整える。思考を切り替える。

——医師としての目、スイッチが入った。


まず観察。

顔色は蒼白、呼吸は浅い。ショックの初期。

出血は指先。脈動なし。動脈は切れていない。

出血量、約50ml。致命的ではない。

でもこのままでは感染の危険が——この時代の衛生では、敗血症のリスクすらある。


判断は一瞬。


「水を! 清潔な布と、蒸留酒を持ってきてください!」


「えっ……お嬢様……?」


「急いで!」


一瞬のためらいを押し切る声。

その勢いに押され、メイドたちは慌てて動き出した。


血。

冷たい床。

震える手。

——前世で何度も見たはずの光景なのに、この小さな手が少し震えている。

でも止まれない。助けたい。


水、布、蒸留酒が届く。


まず水で洗い流す。異物を除去。

次に清潔な布で圧迫止血。

圧を一定に——強すぎず、弱すぎず。

呼吸を合わせて、出血の勢いを確かめる。


「少し痛いかもしれませんが、我慢してください」


「っ……は、はい……!」


蒸留酒を布に含ませ、傷口に押し当てる。

アルコールが触れた瞬間——


「ああっ!」


少女の悲鳴。

涙が滲む。痛いよね。でも今は我慢して。

感染だけは、絶対に防がないと。


やがて、出血が止まり、傷口を新しい布で包む。

きゅっと結び、血流を確かめて——完成。


「これで大丈夫です。少しでも腫れたり、熱を持ったら、すぐに教えてください」


「……お嬢様……ありがとうございます……」

震える声。涙を拭いながら、メイドが小さく頭を下げた。

「こんなに優しくしてもらえるなんて……」


リーゼは小さく首を振った。

「いいえ。これくらい、当然です」


胸が温かくなる。

助けられた——

それだけで、前世の痛みが少し癒える気がした。


——けれど。


これ以上、目立つわけにはいかない。

この世界の“常識”から見れば、十歳の少女が見せた冷静な手際は、異常だ。


「リーゼ!」


扉が開き、アンネが駆け込んできた。

「何があったの!?」


「大丈夫です、お母様。少し手当をしただけです」


アンネは娘の手に残る血を見つめて、眉を寄せた。

「リーゼ……まだ体調が悪いのに、無理しちゃだめよ」


「平気です。……本当に、大丈夫だから」


微笑みながら答える。

でもその笑顔の奥では、自分への問いが止まらなかった。


——私は、どこまで踏み込んでいいんだろう。


医療の知識を使えば、人を救える。

けど、それを使えば、「この子」はもう普通の少女ではいられない。


その夜。

ベッドに横たわりながら、窓の外を見上げる。

知らない星座が、静かに瞬いていた。


「私は……リーゼとして、生きていく」


前世の罪と、今の命。

二つの記憶が胸の奥で、静かに溶け合っていく。


新しい家族との絆——

それは、今ようやく芽吹いたばかりだった。

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