第48話 重要な手術
講習会から二週間が過ぎた。評判はさらに広がっていた。
「リーゼ先生の講習会は素晴らしい」「あの年齢であれほど教えるのが上手いとは」——王都中の医師たちの間で話題になっているらしい。
次回の講習会には百人以上の申し込みがあり、会場をもっと大きな部屋に変更しなければならないほどだ。
私は嬉しかった。でも、同時にプレッシャーも感じていた——期待に応えなければ、もっと良い内容を準備しなければ。
◇
ある朝、ヴィルヘルム先生が私を呼んだ。
「リーゼ先生、緊急の依頼が来ました」
先生の顔は、真剣だった。
「緊急の依頼……ですか?」
「はい。王宮からです」
私は、少し緊張した。
「王宮から……?」
「エルンスト侯爵の娘さんが、病気になられました」
先生が、説明してくれた。
「腹部の激痛で、動けない状態です」
「王宮付きの医師たちが診ましたが、原因が分かりません」
「そこで、あなたに診てほしいと」
私は、少し考えた。
腹部の激痛。
原因不明。
可能性は、いくつかある。
虫垂炎、胆石、腸閉塞、卵巣嚢腫……。
「分かりました。すぐに行きます」
「準備をしてください」
先生が、言った。
「馬車を手配します」
◇
三十分後、私は王宮へ向かっていた。医療鞄を持って——中には必要な器具が全て入っている。メス、ピンセット、鉗子、縫合針、糸、そして薬草の軟膏や煎じ薬。全てを確認した。
王宮に到着すると、侯爵が出迎えてくれた。
「リーゼ先生、来ていただきありがとうございます」
侯爵の顔は、心配で曇っていた。
「娘が……娘が苦しんでいるんです」
「すぐに診せていただきます」
私は、はっきりと言った。
侯爵に案内されて一つの部屋へ——豪華な寝室。
大きなベッドに一人の少女が横たわっていた。十五歳くらいだろうか——美しい顔立ちだが、今は苦痛に歪んでいる。顔色は蒼白で、額には汗が浮かんでいる。
◇
「こんにちは。リーゼ・フォン・ハイムダルです」
私は、優しく声をかけた。
「これから、診察させていただきます」
「お願い……します……」
少女の声は、弱々しい。
「お名前は?」
「シャルロッテ……です……」
「シャルロッテさん、痛いのはどこですか?」
少女が右下腹部を指差した。
「ここ……です……」
右下腹部——これは……。
私は慎重に問診を始めた。
「いつから痛み始めましたか?」
「昨夜……から……」
「最初は、どこが痛みましたか?」
「お腹の真ん中……でも、だんだん右下に……」
典型的な症状だ。
「吐き気はありますか?」
「はい……何度も……」
「熱は?」
額に手を当てる——熱い。おそらく三十八度以上。
「食欲は?」
「全く……ありません……」
全ての症状が一つの病気を指し示している——虫垂炎。急性虫垂炎だ。
◇
「腹部を触診します。少し痛むかもしれませんが、我慢してください」
私は慎重に腹部を触った。まず左上腹部から——痛みのない場所から始める。少しずつ右下腹部に近づいていく。
右下腹部を軽く押さえる。
「痛い!」
シャルロッテが、悲鳴を上げた。
圧痛がある。
次に圧迫を解除する——反跳痛を確認する。
「痛い……!」
また悲鳴。反跳痛もある。
これは間違いない——急性虫垂炎だ。しかも、かなり進行している。破裂の危険がある。
私は、侯爵を見た。
「侯爵、お話があります」
「はい」
侯爵が、緊張した顔で近づいてきた。
私たちは、部屋の外に出た。
「診断は、急性虫垂炎です」
私は、はっきりと言った。
「虫垂……盲腸のことですか?」
「はい。虫垂が炎症を起こしています」
「そして、かなり進行しています」
侯爵の顔が、さらに青ざめた。
「治療法は……?」
「手術が必要です」
私は、断言した。
「虫垂を切除しなければなりません」
「すぐに」
「手術……」
侯爵が、震えた声で言った。
「危険では……?」
「手術をしなければ、もっと危険です」
私は、真剣な目で侯爵を見た。
「虫垂が破裂すれば、腹膜炎を起こします」
「そうなれば、命に関わります」
侯爵は、少し考えた。
そして、決断した。
「分かりました。お願いします」
「任せてください」
◇
準備が始まった。
王宮の一室が手術室に変えられた——清潔な部屋、大きなテーブル、十分な照明。
私は器具を並べた。メス、ピンセット、鉗子、縫合針、糸——全てを煮沸消毒する。
王宮付きの医師たちが助手として待機していた。みんな緊張した顔をしている。十二歳の少女が侯爵の娘を手術する——前代未聞のことだ。
でも私には経験がある。前世の知識がある。その知識が今役立つ。
「シャルロッテさんを運んでください」
私は、指示した。
シャルロッテが、手術台に横たわった。
「怖い……です……」
彼女の声は、震えている。
「大丈夫です」
私は、優しく手を握った。
「私が、必ず治します」
「信じて……いいですか……?」
「はい。信じてください」
私は、微笑んだ。
「すぐに、楽になりますから」
◇
麻酔薬を投与した。この世界の麻酔薬は薬草ベースで、完全な無痛ではないがかなり痛みを軽減できる。
シャルロッテの意識が朦朧としてきた。
「始めます」
私はメスを手に取った。
右下腹部を消毒する——セージとタイムの煎じ液で。抗菌作用がある。
深呼吸——落ち着け。前にもやったことだ。大丈夫。
メスを皮膚に当て、一気に切開する——約八センチ。
血が滲み出てくる。すぐに布で拭い、助手に止血を指示する。
「ここを圧迫してください」
「はい」
助手が布で圧迫する。
私はさらに剥離を進める——皮下組織、筋層。一つ一つ慎重に。
腹膜を開く。内部が見えてきた——腸管、そして虫垂。
暗赤色に腫れ上がっている。炎症がひどい。でもまだ破裂はしていない——間に合った。
◇
「虫垂を確認しました」
私は、助手たちに言った。
「これから切除します」
慎重に虫垂を腹腔外へ引き出す。
触るとぶよぶよとした感触——膿が溜まっている。危なかった。もう少し遅ければ破裂していた。
虫垂の根部を確認する——盲腸との接続部。ここを結紮する。糸を二重に巻き、しっかりと結ぶ。血流を完全に遮断。
「鉗子で固定してください」
助手に指示する。
「はい」
助手が鉗子で虫垂を固定する。
私はメスで切断する——結紮部のすぐ上を。
切れた。虫垂が分離された。
断端から少し内容物が漏れる。すぐに清潔な布で拭う——腹腔内への汚染を最小限に。
「切除完了です」
私は、言った。
助手たちが、安堵の息をついた。
でもまだ終わりではない。
断端を処理する。糸でもう一度結紮し、断端を盲腸壁内に埋没させる——巾着縫合。前世で学んだ技法。
腹腔内を観察する——他の臓器に異常はないか、出血はないか。全てを確認する。
問題ない。
「洗浄します」
薬草を煎じた液体を腹腔内に注入する——抗菌作用のあるセージとタイムの煮出し液。
清潔な布で腹腔内を優しく拭う。血液、滲出液、薬草液——全てを吸い取る。可能な限り清潔に、感染のリスクを最小限に。
◇
「閉腹します」
私は縫合を始めた。
腹膜を縫合する——薄い膜を細い針で丁寧に。筋層を縫合する——外腹斜筋、内腹斜筋を元の位置に戻す。皮下組織を縫合する。そして最後に皮膚。
一針一針丁寧に——正確な間隔、適切な張力。美しい縫合。
最後の糸を結ぶ。
「手術、完了です」
私は、大きく息をついた。
助手たちが、拍手した。
小さな拍手だが、心からの拍手。
「お疲れ様でした、リーゼ先生」
「ありがとうございました」
私は、シャルロッテを見た。
彼女は、まだ眠っている。
でも、顔色は少し良くなった気がする。
呼吸も、安定している。
「術後管理を始めます」
私は、指示した。
「別室に移して、安静にさせてください」
「感染症を防ぐため、抗菌薬を投与します」
「そして、経過を観察してください」
「はい」
助手たちが、シャルロッテを別室に運んだ。
◇
手術室を出ると、侯爵が待っていた。
「リーゼ先生、どうでしたか?」
侯爵の顔は、不安で一杯だった。
「手術は成功しました」
私は、はっきりと言った。
「虫垂を切除しました」
「破裂は、していませんでした」
「本当ですか!」
侯爵の顔が、明るくなった。
「ありがとうございます、リーゼ先生」
「まだ、安心はできません」
私は、真剣な顔で言った。
「これから数日間が、重要です」
「感染症を起こさないよう、管理します」
「分かりました。お願いします」
その日から私は王宮に泊まり込んだ——シャルロッテの経過を見守るために。
二時間おきに創部を確認する——発赤は? 腫脹は? 滲出液は? 感染の兆候を見逃さないように。
体温も測定する——熱が出ていないか。
薬草の投与も続ける。抗菌作用のあるセージ、タイム、エキナセア——二時間おきに煎じて飲ませる。
一日目の夜——少し熱が出た。でも予想の範囲内だ。術後の発熱はよくあること。
薬草の投与を続け、治癒魔法も使う。創部に手を当てて集中する。
「癒しの光よ、傷を癒したまえ」
手のひらから温かな光が溢れる。
二日目——熱が下がり始めた。創部も順調に治癒している。
三日目。
シャルロッテが、目を覚ました。
「リーゼ……先生……?」
「はい。私です」
私は、微笑んだ。
「手術は成功しました」
「もう、大丈夫ですよ」
「ありがとう……ございます……」
シャルロッテの目に、涙が浮かんだ。
侯爵も、涙を流していた。
「リーゼ先生、本当にありがとうございました」
「娘を……娘を救ってくださって……」
「いえ、当然のことをしただけです」
私は、謙遜した。
一週間後——シャルロッテは完全に回復した。もう歩けるようになり、食欲も戻ってきた。傷跡も綺麗に治っている。
「リーゼ先生、本当にありがとうございました」
シャルロッテが、深く頭を下げた。
「あなたのおかげで、私は生きています」
「元気になって、良かったです」
私は、微笑んだ。
侯爵も、感謝の言葉を述べた。
「リーゼ先生、あなたは我が家の恩人です」
「何か、お礼をさせてください」
「いえ、必要ありません」
私は、首を振った。
「患者さんが元気になること」
「それが、医師にとって最大の報酬です」
侯爵は、感動したように私を見た。
「あなたは、本当に素晴らしい医師です」
◇
医学院に戻ると、エリーゼとルーカス先輩が待っていた。
「リーゼ、お疲れ様!」
エリーゼが、抱きしめてくれた。
「一週間も王宮にいたのよね」
「はい。でも、無事に終わりました」
「さすがだな」
ルーカスが、満足そうに言った。
「侯爵の娘を救うなんて」
「お前の評判は、さらに上がるぞ」
その夜、部屋で窓から星空を見上げた。美しい星。
「お父様、お母様、マルタさん」
小さく呟いた。
「私、侯爵の娘さんを救いました。手術は成功しました。これからも頑張ります」
星が優しく瞬いている——まるで祝福してくれているかのように。
重要な手術——成功だった。そして私の評判はさらに広がっていく。
少女医師の挑戦は続く。




