第44話 実技試験~運命を決める一日~
試験当日の朝、いつもより早く目が覚めた。窓の外はまだ薄暗く、緊張で心臓が激しく鼓動していてもう眠れない。今日は実技試験、アーデルハイドとの対決の日だ。
「深呼吸、深呼吸……落ち着け、リーゼ」
と自分に言い聞かせながら身支度を整える。私には知識がある、経験がある。きっと大丈夫。
部屋を出る。今日という日に、私の運命が決まる。
◇
実習室に着くと、すでに多くの学生が集まっていた。みな緊張した面持ちで、いつもの雑談は一切聞こえない。実技試験は全学年共通で、一年生から四年生まで全員が参加し、成績は公開される——誰が一番優秀か、一目瞭然だ。この重苦しい空気が、試験の重要性を物語っている。
「リーゼちゃん、おはよう!」
とエリーゼが声をかけてきた。
「おはようございます。準備はいかがですか?」
「う、うん……なんとか。リーゼちゃんは?」
「正直に言うと、すっごく緊張してます……」
不安そうに答える私を、エリーゼは「大丈夫よ。リーゼちゃんなら絶対にできるから」と励ましてくれた。
その時、アーデルハイドが取り巻きを数人従えて入ってきた。彼女は私を見つけると冷たく笑う。
「あら、リーゼ。今日は頑張ってね」
皮肉っぽい声に、私ははっきりと答えた。
「はい。お互いに」
負けない、絶対に。
◇
エドムント先生が教室に入ってきた瞬間、ざわめきが一斉に静まる。
「おはよう。今日は実技試験です」
厳格な声が響く。
「試験内容は三つ。縫合技術、止血技術、総合的な外科手技。各項目100点満点、合計300点満点です」
先生が黒板に書きながら説明する間、学生たちは真剣にメモを取っている。
「では番号順に始めます。最初は1番から10番まで」
私は23番、アーデルハイドは45番でしばらく待つことになる。でもこの時間を無駄にはしない——他の学生たちの手技を観察し、減点されるポイントを分析するのだ。
◇
最初のグループが試験を始めた。私は待機席から観察を続ける。
縫合技術の試験では、豚の皮膚に入れられた切開を制限時間内に縫合する。学生たちは緊張で手が震えており、「あ、針が曲がっちゃった……」「うわ、糸が絡まった!」と声があちこちから聞こえてくる。みんな必死だが、普段の実力が出せずにいる。
エドムント先生は鷹のような目で一人一人を観察している。10分後、最初のグループが終了し、先生が点数を発表し始める。
「1番、70点。2番、65点。3番、80点」
次々と発表されていき、最高点は85点だった。かなり厳しい採点基準のようだ。
「なるほど……先生は縫合の間隔と結び目の美しさを特に重視してるみたい」
心の中で分析を続けながら、どんな技術が評価されているのか、どこで減点されているのかを全て頭に叩き込む。前世の知識だけでは不十分——この世界での基準を理解しなければならない。
◇
「21番から30番、前へ」
ついに私の番がやってきた。立ち上がると少し足が震えた。深呼吸して落ち着く。台の前に立つと豚の皮膚があり、約10センチの切開が入っている。これを完璧に縫合するのだ。
「始め!」
先生の声と同時に針と糸を手に取る。針を組織に刺す。90度の角度で慎重に反対側に通し、適度な張力で糸を引いて結ぶ。
一針目、完了。
不思議なことに手が自然に動く。前世の経験とこの一週間の猛練習が体に染み付いている。二針目、三針目、四針目とリズムよく縫い進める。周りの雑音は聞こえない——ただ自分の作業だけに集中する。七針目、八針目でほぼ完了し、最後の糸を丁寧に結ぶ。
「終わりました!」
手を上げると、エドムント先生が近づいてきて私の縫合をじっくりと観察する。長い沈黙の後、先生ははっきりと言った。
「100点」
教室がざわめく。
「完璧だ。間隔、張力、結び目。全てが理想的。これ以上は望めない」
先生の賞賛に少しほっとした。でもまだ二つの試験が残っている——気を抜くわけにはいかない。
◇
次は止血技術で、豚の血管を切開して止血する。制限時間は5分だ。
「始め!」
メスを血管に入れると血が滲み出てくるが、すぐに清潔な布で圧迫し、全体重をかけて確実に押さえる。3分経過して布を離すと出血は止まっていた。次に別の血管を切開し、今度は結紮止血。糸を血管に巻いてしっかりと結ぶ。
「終わりました!」
先生が確認する。
「問題ない。100点」
また100点。でも最後の試験が一番難しい——総合的な外科手技。これで全てが決まる。
◇
昼食を簡単に済ませて実習室に戻ると、エリーゼとルーカス先輩が待っていてくれた。
「リーゼちゃん、すっごかったよ! 二つとも100点なんて今年初めてよ!」
とエリーゼが興奮して言う中、ルーカス先輩は真剣な顔で忠告する。
「でも油断するな。最後の試験が一番難しい。今までの倍は集中しろ」
「はい。分かっています」
と答えた時、アーデルハイドが通りかかった。彼女は私を見つめると複雑な表情を浮かべる。悔しさと焦り、そして何か別の感情が混じっている。
彼女も良い成績を取ったのだろう。でも私には勝てなかった現実を受け入れようとしているのかもしれない。
◇
午後の試験が始まった。
「最後の試験は総合的な外科手技です」
とエドムント先生が説明する。
「切開、剥離、結紮、縫合。全ての技術を順番に行います。制限時間は30分」
先生が台の布をめくると豚の腹部が現れた。
「腹部を切開し、内部を観察します。そして指定した血管を結紮し、閉腹します。手順を間違えれば減点、時間オーバーも減点。全てが評価対象です」
学生たちの顔が青ざめる。これは本当に難しい。本格的な外科手術の簡易版だ。
「番号順に始める」
また長い待ち時間が始まる。私は頭の中でシミュレーションを続けた。切開の位置、剥離の方法、結紮の手順、縫合の技術——全ての工程を脳内で繰り返し確認する。
◇
ついに私の番が来た。
台の前に立つと豚の腹部があり、清潔な皮膚が準備されている。最後の深呼吸。
「始め!」
メスを手に取り、皮膚を切開する。正中線に沿って約10センチ、一気にだが慎重に。皮下組織を剥離し、筋層を確認して腹膜を開く。
内部が見えてきた。腸管、血管、内臓が全て整然と配置されている——まるで解剖学書の図版そのままだ。
指定された血管を探すと腸間膜動脈の一部を発見。糸を用意して血管に巻き、しっかりと結ぶ。二重結紮で確実に処置して完了。
次に閉腹に移る。腹膜を縫合、筋層を縫合、皮下組織を縫合、最後に皮膚を縫合。一針一針丁寧にだが時間を意識しながらスピーディーに進める。
最後の糸を結ぶ。
「終わりました!」
時計を見ると25分。制限時間内だ。
エドムント先生が近づいてきて私の作業を詳しく観察する。切開部位、結紮の状態、縫合の美しさを全て入念にチェックしている。
長い、長い沈黙の後、先生ははっきりと言った。
「100点」
教室中がどよめく。
「完璧だ。切開、剥離、結紮、縫合。全ての工程が完璧に実行されている。これは……プロの技術だ」
私は心の底からほっとした。全身の力が抜けるような安堵感だった。
三つとも100点、合計300点。満点だ。
◇
全員の試験が終わり、エドムント先生が結果を発表し始めた。
「今年の実技試験、最高点は……リーゼ・フォン・ハイムダル、300点満点」
教室中が温かい拍手に包まれ、あちこちから「すごい」「信じられない」という感嘆の声が聞こえてくる。でも一部の学生は複雑な顔をしており、特にアーデルハイドの表情は硬い。
「次点は、アーデルハイド・フォン・エステルハーゼ、270点」
アーデルハイドは立ち上がって礼をした。でも悔しさがにじみ出ている。270点は十分に優秀な成績だが、私には勝てなかった。
「三位は、フリードリヒ・フォン・エーベルハルト、265点」
フリードリヒが嬉しそうに立ち上がり、私に向かって親指を立ててくれた。私も微笑んで応えた。
◇
結果発表が終わって学生たちが教室を出始めた時、「リーゼ」とアーデルハイドが声をかけてきた。彼女は一人だった。取り巻きはいない。
振り向くと、アーデルハイドは今まで見たことのない表情をしていた。
「あなた……本当に、実力があるのね」
彼女の声は小さかった。
「私、間違ってたわ。あなたを子供だと見下してた。でも、あなたは本物の医師だった。技術も、知識も、全てが本物」
そして彼女は深く頭を下げた。
「ごめんなさい」
私は驚いた。あのアーデルハイドが謝っている。
「いえ……私も配慮が足りなかったかもしれません。いきなり来て目立ってしまって、皆さんの気持ちを考えていませんでした」
「そんなことない」
とアーデルハイドは顔を上げる。
「あなたは正直に自分の実力を示しただけ。悪いのは、それを認められなかった私よ」
彼女は手を差し出した。
「これから、友達になってくれる?」
私は少し驚いたが、とても嬉しかった。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
私が彼女の手を握ると、アーデルハイドは初めて本当の笑顔を見せた。
「ありがとう、リーゼ」
◇
夕方、部屋に戻った。
窓を開けると夕暮れの空が広がっていて、オレンジ色の美しい色彩が私を迎えてくれる。星が一つ、二つと現れ始めている。
今日は本当に大きな一日だった。実技試験で満点、アーデルハイドとの和解、新しい友情。全てが良い方向に進んだ。でも、これで満足してはいけない——まだまだ学ぶことはたくさんある。
「お父様、お母様、マルタさん」
星に向かって小さく呟いた。
「私、試練を乗り越えました。実力を証明できました。これからも、頑張ります」
星が優しく瞬いている。まるで祝福してくれているかのように。
ベッドに入り、目を閉じる。明日からまた新しい日々が始まる。でも今は少し休もう——今日は本当によく頑張った。
「おやすみなさい」
小さく呟いて、眠りについた。
試練を乗り越えた日。そして、新しい友情が生まれた日。
少女医師の王都生活は、確実に前進している。




