表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら十歳の幼女医師でした~前世の医学知識で異世界医療を改革します~  作者: NN
転生したら十歳の幼女医師でした~前世の医学知識で異世界医療を改革します~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/125

第28話 大疫病への挑戦 ②

「私たちは医療に携わる者です」


マルタの言葉が、まだ胸に響いていた。


「危険を恐れて人を見捨てることはできません」


その決意を胸に、私たちは屋敷へと急いだ——


「お父様、隣町で疫病が発生したそうです」


書斎の扉を開け、私は父に事情を説明した。


父は大きな机の向こうに座っていた。

領主としての書類が、机の上に積まれている。


「私たち、行ってきます」


父の表情が、瞬時に変わった。


険しくなる。

眉間に皺が寄る。

大きな手が、机の縁を強く握りしめた。


「リーゼ…疫病は危険だぞ」


父の声が、低く響く。


普段よりも重い声。

心配と恐怖が混じっている。


大きな手が、机を握りしめている。

その手が、わずかに震えているのが見えた。


「お前も感染する可能性がある」


その言葉には、父親としての深い愛情があった。


娘を失いたくない。

危険な場所に行かせたくない。

守りたい——


「分かっています」


私は頷いた。


父の目を、真っ直ぐに見つめる。

逸らさない。


「でも、放っておけません」


胸の奥から、言葉が湧き上がってくる。


「多くの人が苦しんでいるんです」


「私には知識があります。助けられる可能性があります」


父は長い沈黙の後、深く息をついた。


肩が上下する。

目を閉じ、何かと戦っているようだった。


領主として。

父親として。

二つの立場が、せめぎ合っているのが分かった。


そして——


「分かった」


父が立ち上がった。


「だが、エーリヒを同行させる。護衛としてだ」


その声には、もう迷いはなかった。


「お兄様が…?」


「ああ」


父は書斎の扉を開け、廊下で待機していたエーリヒを呼んだ。


訓練場から来たのだろう。

革の訓練着を着ている。

汗で髪が額に張り付いている。


「万が一のことがあっては困る」


エーリヒが大股で書斎に入ってきた。


訓練着のまま。

腰には剣を差している。


「リーゼ、行くんだろう?」


力強い声。


その目には、迷いがなかった。


「俺も一緒に行く」


その一言が、どれほど心強かったか。


「お兄様…」


声が震えた。

目頭が熱くなる。


「お前一人で行かせるわけにはいかない」


エーリヒは私の肩に手を置いた。


大きな手。

温かい手。

力強く、でも優しい手。


「俺は、妹を守る。それが兄の役目だ」


その言葉に、私は心強さを感じた。


一人じゃない。


支えてくれる人がいる。

守ってくれる人がいる。

共に戦ってくれる人がいる——


「ありがとう、お兄様」


母も、私たちのもとに駆けつけてきた。


廊下を走ってくる足音。

息を切らしている。


「リーゼ…」


母が私を抱きしめた。


強く、強く。

まるで、離したくないとでも言うように。


温かい。

母の香りがする。

ラベンダーとローズマリーの、優しい香り。


「必ず、無事に帰ってきてね」


その声が震えていた。


肩が震えている。

涙を堪えているのが分かった。


「はい、お母様」


私も母を抱きしめ返した。


「必ず、帰ってきます」


この温もりを、忘れない——


     *     *     *


隣町への道は、馬車で半日の距離だった。


エーリヒが御者台に座り、私とマルタは荷台に乗った。


馬車が動き出す。


車輪が地面を転がる音。

馬の蹄が石畳を叩く音。

それらが、規則正しいリズムを刻んでいる。


馬車が揺れる。


上下に、左右に。

窓から見える景色が流れていく。


屋敷が遠ざかる。

村が小さくなる——


春の緑が美しい。


木々の若葉が、陽光を受けて輝いている。

草原に花が咲いている。

黄色、白、紫——色とりどりの花々。


鳥が空を飛んでいる。

雲が流れている。

穏やかな、平和な春の日。


でも、これから向かう町には、死の影が忍び寄っている——


「リーゼ様」


マルタが不安そうに言った。


その声は、小さく震えていた。


「本当に、大丈夫でしょうか」


マルタの手が、膝の上で握りしめられている。

指が白くなるほど、強く。


「私たちも感染するのでは…」


その恐怖は、当然のものだった。


疫病は見えない。

いつ、どこで感染するか分からない——


「大丈夫です」


私は彼女の手を握った。


冷たい。

緊張で血の気が失せている。


でも、この手を温めなければならない。


「感染を防ぐ方法があります」


私は、できる限り落ち着いた声で説明し始めた。


「まず、患者に触れた後は必ず手を洗うこと」


マルタが頷く。

その目は、真剣に私を見ていた。


「石鹸で、しっかりと」


「そして、食事の前にも手を洗う」


「患者の排泄物には直接触れない」


一つ一つ、丁寧に説明していく。


前世の医学で学んだ、基本的な感染防御。

それを、この世界の言葉で伝えていく。


「これを守れば、感染のリスクは大幅に減ります」


マルタは少し安心したように頷いた。


「分かりました」


その声には、まだ不安が残っていた。

でも、以前よりは落ち着いている。


知識があれば、恐怖は軽減される——


午後遅く、隣町に到着した。


馬車が止まる。

車輪の音が止み、静寂が訪れる——


いや、静寂ではない。


呻き声が聞こえる。

泣き声が聞こえる。

苦しむ声が、あちこちから——


そして、私たちは言葉を失った。


馬車から降りた瞬間、その光景が目に飛び込んできた。


想像以上に、深刻な状況だった。


通りには病人があふれている。


道端に倒れている人。

壁にもたれかかっている人。

家の前で苦しそうに呻く人——


どこを見ても、病人だらけだった。


子供を抱いて泣いている母親。


その子供は動かない。

顔色が悪い。

もう——


私は目を逸らした。


でも、目を逸らしても、現実は変わらない——


そして——


悪臭。


鼻を突く、強烈な悪臭。


汚水が道に流れている。


茶色く濁った水。

ヘドロのような、粘ついた液体。

それが、あちこちの側溝から溢れ出ている。


排泄物が処理されず、そこらじゅうに放置されている。


道端に。

壁際に——


ハエが群がり、ブンブンと音を立てている。


黒い塊。

何百、何千というハエ。

それらが、排泄物の上を這い回っている。


そして——


腐敗臭。


死体の匂い。


どこかで、遺体が放置されているのだろう——


「これは…」


マルタも言葉を失っていた。


顔が青ざめている。

手で口を覆っている。


エーリヒが馬車から降りてきた。


そして、顔をしかめる。


「ひどい…」


その声は、怒りと悲しみで震えていた。


私は深呼吸をした。


臭い空気が肺に入る。

でも、冷静にならなければならない。


落ち着け。


冷静になれ。


これは東京の救命センターよりもひどい状況だ——


でも、パニックになっては何もできない。


医師として。

冷静に。

論理的に。


状況を把握し、優先順位をつけ、行動する——


「まず、町長さんに会いましょう」


私は二人に告げた。


声は落ち着いていた。

でも、心臓は激しく打っている。


二人が頷く。


私たちは町の中心部へと向かった。


道を歩く。


病人を避けながら。

汚水を避けながら。

倒れている人々の横を通り過ぎながら——


その一人一人が、助けを求めている。


手を伸ばす人。

目で訴える人。


でも、今はまだ何もできない——


まず、全体の状況を把握しなければならない。


町長の家に案内されると、そこにいたのは——


立派な服を着た、四十代ほどの男性。


知的な顔立ち。

でも、疲労で目の下に深い隈ができている。

頬がこけている。

髪は乱れている。


数日、ほとんど眠っていないのだろう。


「初めまして」


男性が丁寧に頭を下げた。


その動きは、疲労で緩慢だった。


「私はヴィルヘルム・フォン・シュタイナー」


その名前に、私は少し驚いた。


「王都から派遣された医師です」


医師。


王都からの派遣。


つまり、正式な医師だ——


そんな人物が、ここにいる。


でも、その顔には深い疲労と、そして——絶望があった。


「リーゼ・ハイムダルと申します」


私も丁寧に頭を下げた。


「こちらは薬草師のマルタさん。そして兄のエーリヒです」


「ああ、噂は聞いています」


ヴィルヘルムは疲れた目で私を見た。


その目には、もはや懐疑も驚きもなかった。

あるのは、ただ諦めだけ——


「十二歳の天才医師だとか」


その声には、皮肉ではなく、ただ疲労だけがあった。


「天才かどうかは分かりませんが、できる限りのことをしたいと思っています」


私は真っ直ぐに答えた。


「そうですか…」


ヴィルヘルムは深くため息をついた。


長い、長いため息。


椅子に座り込み、頭を抱える。


その背中が、小さく震えていた。


「正直、手に負えない状況です」


その声は、もはや医師としての冷静さを失っていた。


「すでに三十人以上が亡くなり、感染者は百人を超えています」


数字が、重く響く。


三十人——

百人——


それは、ただの数字ではない。

一人一人に、名前があり、人生があり、家族があった——


「そして、今も増え続けている」


その絶望的な声に、胸が痛んだ。


彼も、必死に戦ってきたのだろう。

でも、一人では限界がある——


「症状は?」


私は質問を続けた。


感情に流されてはいけない。

今は、情報を集めなければならない。


「高熱、激しい下痢、嘔吐」


ヴィルヘルムが答える。


その声は、機械的だった。


「脱水症状で衰弱していく患者が多数います」


「特に子供とお年寄りは…」


言葉が途切れる。


その先を言う必要はなかった。


脱水症状。

体液の喪失。

電解質バランスの崩壊。

そして——死。


私は即座に診断を下した。


頭の中で、症状を整理する。

鑑別診断を列挙する——


「おそらく、コレラか赤痢です」


ヴィルヘルムが顔を上げた。


その目に、わずかな光が戻った。


「水系感染症ですね」


「水系感染症?」


彼は聞き返した。


その声には、初めて関心が混じっていた。


「汚染された水を飲むことで感染する病気です」


私は説明を続けた。


できる限り簡潔に。

でも、正確に。


「まず、清潔な水の確保が最優先です」


「しかし、この町の井戸は…」


町長が絶望的な声で言った。


「すべて汚染されている可能性があります」


私は窓から外を見た。


汚水が道に流れている。

それが、地面に染み込んでいる。

地下水脈を汚染している——


井戸水が汚染されるのは時間の問題だ。


いや、もう汚染されている。


この感染者の数を見れば、明らかだ——


「川の上流から、清潔な水を引いてくる必要があります」


私は町長に向き直った。


その目を、真っ直ぐに見つめる。


「すぐに人を集めて、上流の清潔な水源を確保してください」


「そして、汚水が流れている道を掃除し、患者の排泄物は適切に処理してください」


「しかし、そんなこと…」


町長が言いかけた時、私は強く言った。


声を張る。

力を込める。


「これをしなければ、感染は止まりません」


「町全体が危機に陥ります」


「すべての住民が感染し、町が死に絶える可能性すらあります」


その真剣な表情に、町長は息を呑んだ。


顔が青ざめる。

喉が動く。

そして——


頷いた。


「分かりました。すぐに手配します」


その声には、決意があった。


ようやく、動き出す——


……でも、本当にこれで間に合うのか?

私に、本当にこの町を救えるのか?


そんな不安が、胸をよぎった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ