第24話 マルタとの深まる絆 ②
「マルタさん、今日から数日間、診療所は休みにしましょう」
私は強く言った。
迷いはない。
マルタの健康が、何より優先だ。
「あなたは安静が必要です」
「でも、患者さんたちが…」
マルタが弱々しく抗議する。
声に力がない。
でも、責任感だけは強い。
「患者さんたちのためにも、まずマルタさんが元気にならないと」
私は彼女の手を握った。
冷たい。
体温が下がっている。
炎症による体力消耗。
発熱による脱水。
「私が父に頼んで、屋敷で診療を続けます」
「だから、マルタさんは治療に専念してください」
マルタの目から涙が溢れた。
ゆっくりと、頬を伝う。
透明な涙。
「リーゼ様…ありがとうございます」
「何を言っているんですか」
私は優しく微笑んだ。
できるだけ、安心させるように。
「マルタさんは私の大切な師匠であり、友人です」
その言葉に、マルタは驚いた表情を見せた。
目を見開く。
信じられないという顔。
「友人…ですか?」
「はい」
私は頷いた。
心から、そう思っている。
「年齢も立場も違いますが、マルタさんは私にとって、かけがえのない存在です」
マルタは静かに涙を流した。
それは、悲しみの涙ではなかった。
温かい、嬉しい涙だった。
感謝の涙。
その日から、私はマルタの治療に専念した。
まず、絶食を指示した。
腸に負担をかけないためだ。
炎症を起こしている腸を、休ませる。
水分だけを摂取させる。
清潔な水。
薄いハーブティー。
時々、蜂蜜を少し加えて。
そして、強力な抗菌作用を持つ薬草の煎じ薬を処方した。
ニンニクを数片、潰して煮る。
刺激的な匂いが部屋に満ちる。
鼻をつく、強い匂い。
でも、この匂いが、治癒の匂い。
そこにエキナセアの根を加える。
茶色い根。
土臭い香り。
さらに、ゴールデンシールの粉末。
黄色い粉。
苦い匂い。
黄色い液体が煮えている。
泡立ち、湯気を上げる。
「これを、一日三回飲んでください」
私はカップに注ぐ。
「苦いですが、我慢してください」
マルタは素直に飲んだ。
顔を歪めている。
眉をひそめ、唇を噛む。
確かに苦い。
とても苦い。
でも、効果はある。
一日目。
マルタの症状に大きな変化はなかった。
痛みは続いている。
発熱も続いている。
額に手を当てる。
熱い。
私は冷たい布で、額を冷やし続けた。
布を水に浸し、絞る。
額に当てる。
温かくなったら、また冷やす。
繰り返し、繰り返し。
二日目。
少し、痛みが和らいだようだった。
「リーゼ様…少し、楽になりました」
マルタの声に、わずかに力が戻っている。
でも、まだ完全ではない。
私は焦りを感じ始めていた。
……もっと効果的な治療法はないのか。
……抗生物質があれば。
東京なら、抗生物質を使える。
点滴もできる。
血液検査で炎症の程度も分かる。
でも、ない。
この世界には、ない。
私にできることは限られている。
その現実が、胸を締め付けた。
無力感。
前世でも感じた、あの感覚。
「もっとできることがあるはずだ」
でも、ない。
夜。
マルタの家で、私は彼女の看病をしていた。
小さな家。
石造りの壁。
薪ストーブが、部屋を暖めている。
額に冷たい布を当て、定期的に薬草茶を飲ませる。
「リーゼ様…もう、休んでください」
マルタが弱々しく言った。
「あなたも、疲れているでしょう」
「大丈夫です」
私は微笑んだ。
「マルタさんが良くなるまで、そばにいます」
窓の外では、雪が降り始めていた。
白い雪が、静かに積もっていく。
冷たく、美しく、でも容赦ない冬。
三日目。
朝、マルタの様子を見ると、少し顔色が良くなっていた。
血色が戻っている。
目にも、少し生気が。
額に手を当てる。
「マルタさん、熱が下がりました」
体温が、正常に近づいている。
マルタは弱々しく微笑んだ。
「リーゼ様のおかげです…」
でも、私はまだ油断できなかった。
まだ、症状は残っている。
完治したわけではない。
「マルタさん、正直に言ってください」
私は真剣な表情で尋ねた。
「他に何か症状はありませんか?」
「隠さないで、教えてください」
マルタは少し躊躇った後、小さく頷いた。
「実は…最近、排便時に血が混じることがあって…」
その言葉に、私は診断を修正した。
これは単純な憩室炎ではない。
おそらく、潰瘍性大腸炎か、クローン病の可能性がある。
あるいは、憩室からの出血を伴う、複雑な憩室炎。
慢性的な炎症性腸疾患。
これは、完治が難しい。
長期の管理が必要になる。
「マルタさん、もう少し詳しく調べる必要があります」
私は穏やかに言った。
不安にさせないように。
でも、正直に。
マルタは恥ずかしそうにしながらも、詳しく説明してくれた。
下痢。
時に血液混入。
粘液も混じる。
その情報から、私は診断を絞り込んだ。
「おそらく、腸に慢性的な炎症があります」
私は正直に言った。
嘘はつけない。
医師として、患者に正直でなければならない。
「完治は難しいかもしれませんが、症状をコントロールすることはできます」
マルタの表情が曇った。
希望の光が、少し暗くなる。
「…そうですか」
その声は弱々しかった。
絶望ではない。
でも、重い現実の受け入れ。
「大丈夫です」
私は彼女の手を強く握った。
温かい。
少しずつ、体温が戻ってきている。
「私が必ず、マルタさんを支えます」
「一緒に、この病気と向き合っていきましょう」
マルタは私の目を見つめた。
そして、強く頷いた。
「はい…一緒に」
その目には、再び希望の光が宿っていた。
……でも、本当に大丈夫なのか?
私に、本当にマルタを支え続けられるのか?
そんな不安が、胸をよぎった。




