第23話 マルタとの深まる絆 ①
初冬の風が、診療所の窓を叩いている。
冷たく、鋭く、容赦なく。
ヒューヒューという音。
窓枠が、小さく震えている。
私は薪ストーブに薪を追加した。
パチパチと音を立てて、炎が燃え上がる。
赤い炎が踊る。
温かい熱が、部屋に広がっていく。
冷えた空気が、少しずつ暖まる。
診療所を開いてから半年が過ぎた。
秋が終わり、冬が来た。
季節が移り変わる中、私たちの活動は続いている。
父の許可を得て、診療時間を週四日に増やしてもらった。
それでも、患者は後を絶たない。
朝から夕方まで、途切れることなく。
「おはようございます、マルタさん」
扉を開けると、マルタがすでに薬草の調合をしていた。
乳鉢で何かをすり潰している。
ガリガリという音。
リズミカルな音。
そして、薬草の香り。
この診療所の、いつもの香り。
「おはよう、リーゼ様。今日も冷えますね」
マルタは温かいハーブティーを差し出してくれた。
白い陶器のカップ。
湯気が立ち上る。
カモミールとミントの香りが心地よい。
温かく、優しい香り。
「ありがとうございます」
私はカップを両手で包んだ。
温かい。
手のひらに、熱が伝わる。
外の寒さとは対照的な、温もり。
二人で並んで座り、今日の予定を確認する。
この時間が、私は好きだった。
穏やかで、静かで、安心できる時間。
東京の救命センターでは、こんな時間はなかった。
常に走り回り、常に叫び声が響き、常に緊迫していた。
朝から晩まで、休む暇もなく。
患者が次々と運ばれてくる。
でも、ここは違う。
マルタと話していると、心が落ち着く。
彼女の存在が、心の支えになっている。
「リーゼ様、実は相談があるんです」
マルタが真剣な表情で言った。
いつもの穏やかな表情ではない。
少し、苦しそうな顔。
眉間に皺が寄っている。
顔色も、少し悪い。
「なんでしょうか?」
私はカップを置いた。
心配が、胸に広がる。
「最近、私の体が…時々、激しい痛みに襲われるんです」
マルタが左下腹部に手を当てる。
「ここ」
その言葉に、私は即座に医師モードに切り替わった。
心臓が、少し早く打ち始める。
でも、冷静に。
「いつ頃からですか?」
木板とペンを取り出す。
記録を取らなければ。
「二週間ほど前からです」
マルタの声が少し震えている。
不安。
痛み。
恐怖。
「最初は軽い痛みだったんですが、日に日にひどくなって…」
「昨夜は、痛みで眠れませんでした」
その言葉に、私は焦りを感じた。
マルタは、私の大切な協力者。
友人。
師匠。
絶対に、助けなければ。
私は質問を続けた。
落ち着いて。
体系的に。
見落としがないように。
「詳しく教えてください。痛みはどんな感じですか?」
「鈍痛ですか、それとも鋭い痛みですか?」
「鋭い痛みです」
マルタが顔を歪める。
思い出すだけで、痛いのだろう。
「まるで、何かに刺されるような…」
「時には、焼けるような痛みも」
鋭い痛み。
灼熱感。
急性の炎症の可能性。
「発熱は?」
「微熱があります。夜になると、上がります」
「食欲は?」
「あまりありません。吐き気もあります」
私は頭の中で鑑別診断を進めていた。
左下腹部痛。
鋭い痛み、時に灼熱感。
発熱。
食欲不振。
吐き気。
これらの症状から考えられるのは——
憩室炎。
最も可能性が高い。
腸炎。
感染性か、虚血性か。
卵巣の問題。
嚢腫、捻転、炎症。
あるいは腎結石。
左側の尿管結石の可能性。
でも、マルタの年齢——五十代——を考えると、憩室炎の可能性が最も高い。
加齢とともに、腸壁に憩室ができやすくなる。
そこに便が詰まり、炎症を起こす。
「マルタさん、失礼ですが、触診させていただいてもよろしいですか?」
「もちろんです」
マルタは長椅子に横になった。
少しためらいながら。
痛みを感じることを、恐れながら。
私は手を温めてから、慎重に腹部に触診を始めた。
冷たい手で触れば、筋肉が緊張して正確な診察ができない。
東京の救命センターで、何度も言われたことだ。
「患者に配慮しなさい」
「不快感を最小限に」
「でも、見落としがあってはならない」
指導医の声が、耳に蘇る。
まず、右上腹部から。
肝臓の位置。
柔らかい。異常なし。
次に、左上腹部。
脾臓の位置。
こちらも異常なし。
右下腹部。
虫垂の位置。
問題なし。
そして、左下腹部。
ゆっくりと、慎重に。
組織を感じながら、圧迫する。
そっと押すと——
「っ…!」
マルタが小さく悲鳴を上げた。
体が反射的に緊張する。
腹筋が硬くなる。
「ごめんなさい」
私は手を離した。
圧痛、確認。
しかも、強い圧痛。
ほんの軽い圧迫で、これほどの反応。
さらに、反跳痛を確認する必要がある。
これは、腹膜刺激症状を見るための重要な所見。
「もう一度、触らせてください」
私は優しく声をかけた。
ゆっくりと圧迫し、そして——
急に手を離す。
「あっ…!」
マルタの顔が苦痛で歪んだ。
体が跳ねる。
激しい痛み。
反跳痛、陽性。
これは、腹膜刺激症状だ。
急性の炎症が起きている。
腹膜に炎症が及んでいる。
「これは…急性の炎症を起こしています」
私は穏やかに、でも真剣に言った。
できるだけ、マルタを不安にさせないように。
でも、正直に。
「おそらく、憩室炎か、腸の炎症です」
マルタの顔が蒼白になる。
唇から血の気が引く。
手が震える。
「重症ですか…?」
その声は弱々しい。
いつもの力強いマルタではない。
不安に怯える、一人の患者。
「今すぐ命に関わるというわけではありませんが、放置すると悪化する可能性があります」
私は治療方針を考えた。
この世界には抗生物質がない。
でも、抗菌作用のある薬草はある。
ニンニク——アリシンという成分が、強力な抗菌作用を持つ。
エキナセア——免疫系を活性化させる。
ゴールデンシール——ベルベリンという成分が、抗菌作用を持つ。
そして、絶食と安静——
腸に負担をかけず、炎症を鎮める。
これが、今できる最善の治療だ。
……いや、本当にこれで大丈夫なのか?
もっと何かできることがあるんじゃないか?
でも。
今は、これしかない。




