第22話 評判の広がり ④
ある日の夜。
月明かりの中、私は医療記録を見返していた。
診療所の奥の部屋。
小さな蝋燭が、記録を照らしている。
揺れる炎。
影が、壁に踊る。
この数ヶ月で、百人を超える患者を診た。
重要な症例を清書した羊皮紙の束が、机の上に積まれている。
一人一人の記録。
一つ一つの症例。
そのほとんどが回復し、感謝の言葉を残していった。
「リーゼ様のおかげで、痛みが治りました」
「もう、普通に歩けます」
「ありがとうございます」
その言葉を思い出すと、胸が温かくなる。
でも、中には治せなかった患者もいる。
記録をめくる。
ある記録が目に入る。
「患者番号23。男性、68歳」
高齢で、複数の病気を抱えていた老人。
心臓が弱っていた。
肺も悪かった。
腎臓の機能も低下していた。
できることはすべてやった。
でも、間に合わなかった。
「患者番号51。女児、5歳」
手遅れの状態で運ばれてきた子供。
高熱が三日続いていた。
意識も朦朧としていた。
おそらく、敗血症。
全身に感染が広がっていた。
抗菌作用のある薬草を使った。
解熱処置もした。
でも、この世界には抗生物質がない。
二日後、息を引き取った。
その記録を見ると、今でも胸が痛む。
「もっと早く診られていれば…」
「もっと良い治療法があったのではないか…」
そんな自問自答が、いつも頭を離れない。
蝋燭の炎が揺れる。
影が、大きく動く。
でも、それでいいのだ。
完璧な医師など、いない。
すべての患者を救えるわけではない。
限界がある。
それを認めることが、医師の誠実さだ。
常に反省し、常に学び続ける。
それが、医師の生き方だから。
窓の外では、星が美しく輝いている。
満天の星空。
この世界の、澄んだ夜空。
同じ星空を、東京でも見上げていた。
救急車のサイレンが鳴り響く中、疲れ果てた体で。
病院の屋上で、一人、夜空を見上げた。
あの頃は、孤独だった。
仕事に追われ、休む暇もなく。
誰にも理解されず、一人で戦っていた。
でも、あの頃とは違う。
今の私には、家族がいる。
温かい家族。
優しい父と母。
頼もしい兄。
マルタがいる。
三十年の経験を持つ、信頼できる協力者。
共に学び、共に成長する仲間。
ハインリヒ先生がいる。
正式な医師として、私を認めてくれた人。
必要な時には相談できる、先輩医師。
支えてくれる人々がいる。
「私は、正しい道を歩んでいるのだろうか」
そう自問しながらも、心の中には確信があった。
……いや、本当に確信があるのか?
ただ、そう思いたいだけじゃないのか?
この道は、間違っていない。
多くの人を救い、この世界の医療を変えていく——
それが、私の使命なのだ。
記録を閉じ、私はベッドに横たわった。
柔らかいベッド。
温かい毛布。
明日も、診療が待っている。
どんな患者が来るのだろう。
どんな病気に出会うのだろう。
不安もある。
治せない病気に出会うかもしれない。
難しい症例に直面するかもしれない。
でも、期待の方が大きい。
一人でも多くの人を救いたい。
一つでも多くの知識を得たい。
そして、この世界の医療を、少しでも良くしたい。
その思いを胸に、私は静かに目を閉じた。
窓の外から、夜風が吹き込んでくる。
冷たいが、心地よい風。
遠くで、フクロウが鳴いている。
ホーホーという、穏やかな声。
十一歳の医師、リーゼ・ハイムダルの挑戦は、まだまだ続いていく。
この世界で、多くの命を救うために。
そして、医療という光を、この世界に広げるために。
私の心は、希望に満ちていた。




