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第2話 リーゼという少女

息づかい——誰かが、そばにいる。


「リーゼ! リーゼ、目を覚ましたの!?」


聞いたことない言葉。

なのに、理解できる。


声の方を向く。

栗色の髪を束ねた女性。涙を浮かべて、こっちを見てる。

三十代半ば、くらい?

顔を見た瞬間、口が勝手に動いた。


「お母様……?」


え。

何今の。

でも同時に——この人を母と呼んだ記憶が、頭の奥から溢れ出す。


「ああ、リーゼ……三日も眠り続けて……」


アンネ。

この人の名前。知ってる。なんで知ってる。

彼女が私の手を握る。働き者の、温かい手。

ほのかに花と石鹸の匂いがした。どこか懐かしい。

手袋越しじゃない。生身の温もり。


でも。

違和感が消えない。


自分の手を見下ろす。

……小さい。

細い。

二十八歳の手じゃない。子供の、華奢な手。


腕を曲げてみる。軽い。あまりに軽い。

寝台から足を下ろそうとする。床までの距離が遠い。

体全体が——十歳前後?


心臓が早く打つ。


これ夢?

それとも現実?


いや。待って。

医学的に考えれば——この感覚の鮮明さ、夢じゃない。


「鏡……鏡を……」


掠れた声。

アンネが慌てて手鏡を差し出す。

震える手で受け取る。恐る恐る覗き込む。


映ったのは。


見知らぬ少女。


青みがかった銀の髪。

大きな紫の瞳。

幼い顔立ち。


……佐藤美咲の面影、どこにもない。


私は、佐藤美咲じゃなかった。


リーゼ・ハイムダル——辺境伯爵家の長女。

記憶が流れ込んでくる。断片的に。

一週間前、高熱で倒れた。昏睡してた。


で、今。

私の魂が、この体に。


転生……?

なにそれ。


「リーゼ、大丈夫? お医者様を呼びましょうか」


アンネの声。

首を振る。小さく。

「大丈夫……少し、疲れてるだけです」


この世界の医療、中世レベル。

衛生も治療も原始的。

でもリーゼは生き延びた。

いや、私が代わりに息してる。


その時。

扉が勢いよく開いた。


「リーゼ!」


茶色の髪、緑の瞳の少年が飛び込んでくる。

十三歳くらい。背が高い。がっしりした体格。

兄のエーリヒ——記憶が教えてくれる。


彼が駆け寄って、膝をついて目線を合わせた。

涙を浮かべた緑の瞳。


「よかった……本当に……」


大きな手が、私の頭を撫でる。

温もり。


「心配かけて……ごめんなさい」


声が震えた。

リーゼの記憶が蘇る。この兄の優しさ。

いつも妹を守ってくれた。大好きな兄。


「謝ることなんてない。無事でいてくれれば」


胸の奥が熱くなる。

兄の手の温もりが、幼いリーゼの記憶と重なった。

でも同時に、痛い。


私、本当のリーゼじゃない。

彼の妹を奪った——

いや、何言ってんだ。

この体で生きてる以上、私がリーゼなんだ。


「ゆっくり休みなさい」

アンネがコップを差し出す。木製の、少し濁った水。

ガラスじゃない。プラスチックでもない。

粗削りな木の器。


喉が渇いてる。

飲み干す。

冷たい。少しだけ土の味がする。

浄水設備ない時代の水だ。


二人が部屋を出ていった。

扉が閉まる音。遠ざかる足音。


静寂。


私は、状況を整理する。

——佐藤美咲、二十八歳。救急救命医。過労で倒れて、死んだ。

——今、異世界の少女リーゼとして目覚めた。


医学の知識は残ってる。

人体の構造。病気の診断。治療の手順。

全部、頭の中にある。


けど。

この小さい手で何ができる?

メス握れる?

注射針刺せる?


それ以前に、この世界に医療器具あるの?


視線をろうそくの炎に向ける。

風もないのに、炎がわずかに揺れてる。

まるで意思を持つみたいに——


「魔法……?」


リーゼの記憶が囁く。この世界には魔法がある。

手を伸ばす。炎に向かって呟く。


「動いて……」


ほんのわずか、炎が揺れた。

気のせい?

心臓が跳ねる。

医学と魔法。

もし両方を組み合わせられたら——

この世界の医療、変えられるかも。


窓の外。

知らない星座が輝いてる。

見たことない星の配置。

ここ、地球じゃない。


遠くから夜警の声。

「異常なし!」

中世ヨーロッパみたいな、この異世界。


静かな夜。


「この世界で……医師として」


言葉にしてみる。

前世で救えなかった命への償い。

あの少女に、「もう一度命を救えるなら」って願った自分への答え。

リーゼとしての人生を、悔いなく。


医学の知識がある。

魔法って未知の力もあるかも。

子供の体だけど、時間かければ成長する。


この世界で、私にできること——


「明日から、どうなるんだろ……」


不安。

でも期待も。

後悔は、しない。


もう一度生きるチャンス、もらったんだから。

今度こそ。

誰かを、救う。


静かに目を閉じた。

心臓の音だけが、暗闇の中で響いてる。

それは、前の世界で止まったはずの鼓動。

けれど今は——新しい命を刻む音だった。



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