第1話 変わり者の先輩
俺の名は、ルーカス。
王立医学院の三年生だ。
◇
医学院に入学して、三年が過ぎた。
あと一年で卒業——だが、正直に言うと、自信がない。
「ルーカス、今日の講義の内容、理解できたか?」
同級生のフェリックスが、声をかけてきた。
「まあ、なんとか」
俺は曖昧に答えた。
「お前、いつも控えめだよな。もっと自信持てよ」
「自信か……」
俺は、苦笑した。
自信など、持てるわけがない。
◇
医学院には、優秀な人間が山ほどいる。
貴族の子弟、天才と呼ばれる秀才たち。
彼らは、講義を一度聞けば理解し、試験では満点を取る。
俺は——そうではない。
何度も読み返さないと覚えられない。
試験も、ぎりぎりで合格することが多い。
平凡だ。
俺は、平凡な人間だ。
それでも医学院にいるのは——人を救いたいからだ。
その思いだけは、誰にも負けないつもりだった。
◇
「おい、聞いたか?」
ある日、食堂で噂が広まっていた。
「新入生に、子供がいるらしいぞ」
「子供? 医学院に?」
「ああ。十二歳だとか」
「馬鹿な。そんな年齢で、医学を学べるわけがない」
俺は、その噂を聞きながら、興味を持った。
十二歳で医学院——普通ではない。
どんな人間なのだろうか。
◇
新学期の初日。
俺は、いつも通り講義室に向かった。
席に座り、教科書を開く。
周りでは、学生たちがざわめいている。
「あれが、例の子供か?」
「本当に小さいな……」
俺は、視線の先を見た。
そこには——
銀色の髪の少女がいた。
小柄で、華奢な体。
でも、その目には——
不思議な光があった。
子供の目ではない。
何かを経験した者の目だ。
◇
「おや、珍しいな」
俺は、思わず声をかけた。
少女が、こちらを見る。
紫色の瞳。
「子供が医学院にいるなんて」
少女は、一瞬だけ警戒するような目をした。
だが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「……特別枠ではありません」
はっきりとした声で言った。
「推薦を受けて、入学しました」
「ほう、推薦? どんな実績があったんだ?」
俺は、純粋に興味があった。
「疫病の封じ込めです」
少女は、淡々と答えた。
「五百人以上の患者を診て、死亡率を大幅に下げました」
「……五百人?」
俺は、目を見開いた。
「本当か?」
「本当です」
少女の目が、真剣だった。
嘘ではない。
俺には、分かった。
「それは……すごいな」
俺は、素直に感心した。
「俺は、ルーカス。三年生だ」
「リーゼ・フォン・ハイムダルです」
少女が、丁寧に答えた。
「今日から、こちらで学ばせていただきます」
「ハイムダル……地方貴族の家だな。よろしく、リーゼ」
俺は、手を差し出した。
少女——リーゼが、その手を握った。
小さくて、温かい手。
「よろしくお願いします、ルーカス先輩」
◇
授業が始まった。
ヴェルナー先生が、解剖学の講義を行う。
俺は、いつも通りノートを取りながら聞いていた。
しかし、途中で驚くことが起きた。
「大腿骨骨折の場合、内出血が大量に起こる可能性があります」
リーゼが、手を挙げて発言したのだ。
「特に、骨折部位が大腿骨の中央部や近位部の場合、骨髄腔からの出血と、周辺筋肉の損傷による出血で、一リットル以上の血液が失われることもあります」
教室が、静まり返った。
ヴェルナー先生でさえ、驚いた顔をしていた。
「……その通りだ。よく知っているな」
「実際に、大腿骨骨折の患者を診たことがあります」
リーゼが答える。
俺は、その姿を見つめていた。
十二歳の少女が、医学院の教授と対等に議論している。
これは——本物だ。
◇
授業後、リーゼの周りに人だかりができた。
「すごいな、お前」
「本当に十二歳なのか?」
「どこで、そんな知識を学んだんだ?」
質問攻めにされている。
リーゼは、丁寧に答えていた。
だが、その目には——少し疲れた色があった。
注目されることに、慣れていないのかもしれない。
俺は、人だかりの外から見守っていた。
「ルーカス」
フェリックスが、声をかけてきた。
「あの子、すごいな」
「ああ」
俺は、頷いた。
「本物の天才だ」
「お前、最初に声をかけてたよな。さすが、変わり者」
「変わり者か……」
俺は、苦笑した。
確かに、俺は変わり者かもしれない。
普通なら、子供を見て侮るか、無視するか。
でも、俺は声をかけた。
興味があったからだ。
◇
その夜、俺は寮の自室で考えていた。
リーゼ・フォン・ハイムダル——
十二歳の天才少女。
五百人以上の患者を診た経験。
医学院の教授を驚かせる知識。
俺には、到底及ばない。
「才能というのは、すごいものだな……」
呟いた。
俺は、平凡だ。
何度も読み返さないと覚えられない。
試験も、ぎりぎり。
天才とは、程遠い。
でも——
「あの子は、一人だ」
リーゼの目を思い出す。
周りを警戒する目。
孤独な目。
天才は、孤独になりやすい。
周りと違いすぎて、理解されにくいから。
「俺にできることは——」
何だろう。
天才を助けることなど、できるのだろうか。
平凡な俺に。
◇
翌日、俺はまたリーゼに声をかけた。
「おはよう、リーゼ」
「あ、ルーカス先輩。おはようございます」
リーゼが、少し驚いた顔をした。
「昨日の授業、すごかったな」
「いえ、そんな……」
「謙遜するな。本物の実力だ」
俺は、笑った。
「何か困ったことがあったら、言ってくれ。先輩として、できることはするから」
リーゼが、少し目を見開いた。
そして——
「ありがとうございます」
小さく、微笑んだ。
その笑顔は——子供らしい、素直な笑顔だった。
◇
その日から、俺はリーゼを見守るようになった。
天才を助けることなど、できないかもしれない。
でも、孤独を和らげることはできるかもしれない。
それが、平凡な俺にできることだと思った。




