第6話 命の値段
一週間後。
わしは、王都への帰路についた。
◇
「ベルトルト様、お体は大丈夫ですか」
リーゼが、馬車の前で見送ってくれた。
「ああ。もう、普通に動ける」
わしは、自分の腹を軽く叩いた。
まだ少し痛むが、日常生活には支障がない。
「傷口には、まだ気をつけてください」
「激しい運動は、もう少し控えて」
「分かっている」
わしは、頷いた。
そして、リーゼの目を見た。
「改めて、礼を言う」
「盗賊に襲われたのは不運だったが——」
「お前に出会えたのは、幸運だった」
リーゼが、小さく微笑んだ。
「お元気で」
「ああ。お前も」
わしは、馬車に乗り込んだ。
◇
馬車が動き出す。
ハインツが、窓から手を振った。
「先生、本当にありがとうございました!」
「父を救っていただいた恩は、一生忘れません!」
リーゼと、傍にいたマルタが、小さく手を振り返す。
やがて、二人の姿が見えなくなった。
わしは、静かに目を閉じた。
◇
「父上」
ハインツが、声をかけてきた。
「何だ」
「父上が、あんなに素直に謝るのを、初めて見ました」
「……」
「驚きました」
わしは、苦笑した。
「わしも、驚いている」
「自分が、こんなに素直になれるとは思わなかった」
「なぜ、変わったのですか?」
わしは、窓の外を見た。
田舎の景色が、流れていく。
「死にかけたからだ」
「……」
「人間、死を目の前にすると、色々なものが見えてくる」
わしは、静かに言った。
「わしは、五十年商売をしてきた」
「その中で、自分の目に自信を持ちすぎた」
「肩書きや地位で、人を判断するようになった」
「それが、間違いだった」
ハインツは、黙って聞いていた。
「あの少女は——リーゼ先生は、わしに大切なことを教えてくれた」
「人の価値は、肩書きでは測れない」
「実力こそが、すべてだ」
わしは、息子を見た。
「お前も、覚えておけ」
「はい、父上」
◇
王都に戻ったのは、それから五日後だった。
屋敷に着くと、使用人たちが駆け寄ってきた。
「旦那様! ご無事でしたか!」
「盗賊に襲われたと聞いて、心配しておりました!」
わしは、彼らを安心させた。
「見ての通り、無事だ」
「少々怪我をしたが、もう治った」
「それより——」
わしは、使用人たちを見回した。
「商会の者たちに伝えてくれ」
「明日、全員を集める」
「大切な話がある」
◇
翌日。
商会の主要な者たちが、集まった。
番頭、会計士、各部門の責任者——
皆が、わしの言葉を待っている。
「皆、聞いてくれ」
わしは、静かに語り始めた。
「わしは、盗賊に襲われて重傷を負った」
「腹を刺され、内臓が傷ついた」
「普通なら、死んでいた」
皆が、息を呑む。
「だが、わしは生きている」
「辺境の診療所で、命を救われた」
「誰に?」
番頭が尋ねた。
「十一歳の少女にだ」
◇
皆が、ざわめいた。
「十一歳……?」
「子供が、旦那様を……?」
「信じられない顔をしているな」
わしは、苦笑した。
「わしも、最初は信じなかった」
「子供の遊びだと、侮った」
「だが、彼女は本物だった」
わしは、自分の腹を示した。
「腹を開いて、傷ついた腸を縫い合わせた」
「腹の中を洗浄し、感染を防いだ」
「そんなことができる医師は、王都にもいない」
皆が、驚きの表情を浮かべている。
「わしは、彼女に謝った」
「侮辱したことを」
「そして、約束した」
「いつか、彼女の名を広めると」
◇
番頭が、尋ねた。
「その医師の名は?」
「リーゼ・フォン・ハイムダル」
わしは、はっきりと言った。
「辺境のハイムダル領にいる」
「今はまだ、静かに患者を救いたいと言っていた」
「だから、大々的には広めない」
「だが——」
わしは、皆を見回した。
「いつか、彼女が表舞台に出る時が来る」
「その時は、わしらが彼女を支える」
「ベルトルト商会の全力を挙げて」
「それが、命を救われた者の務めだ」
皆が、頷いた。
「承知しました」
「リーゼ先生のこと、覚えておきます」
◇
それから、わしは変わった。
人を見る目は、以前と同じだ。
だが、判断の基準が変わった。
肩書きや地位ではなく、実力を見るようになった。
若い者でも、能力があれば重用する。
老いた者でも、無能なら退場させる。
「父上、最近変わりましたね」
ハインツが、ある日言った。
「そうか?」
「はい。以前より、公平になった気がします」
わしは、微笑んだ。
「死にかけた甲斐があったというものだ」
◇
数ヶ月後。
王都で、ある噂が広まり始めた。
「辺境に、すごい医師がいるらしい」
「腹を開いて、命を救えるとか」
「ベルトルト商会の当主が、そう言っていたそうだ」
わしは、約束を守った。
大々的には広めない。
だが、機会があれば、さりげなく話す。
「そういえば、わしの命を救ってくれた医師がいてな——」
そんな風に、話題に出す。
聞いた者は、驚く。
そして、興味を持つ。
噂は、少しずつ広がっていった。
◇
ある日、宮廷から使者が来た。
「ベルトルト殿、王宮に出頭せよとのことです」
「王宮? 何用だ」
「詳しくは存じませんが——」
使者が、声を潜めた。
「医療に関する話だと聞いております」
わしは、にやりと笑った。
ついに、噂が王宮にまで届いたか。
「分かった。すぐに参上しよう」
◇
王宮で、わしは宰相に会った。
「ベルトルト殿、辺境の医師について聞きたい」
「はい。何なりと」
「腹を開いて命を救える医師がいると聞いた」
「真実か?」
わしは、深く頷いた。
「真実でございます」
「わしは、その医師に命を救われました」
「リーゼ・フォン・ハイムダルと申します」
宰相が、興味深そうに聞いてきた。
「どのような人物だ?」
「十一歳の少女です」
「十一歳……?」
宰相が、眉を上げた。
「信じられないかもしれません」
わしは、正直に言った。
「わしも、最初は信じませんでした」
「だが、彼女は本物です」
「わしの腹を開き、傷ついた腸を縫い、命を救った」
「王都の医師にも、そのような技術を持つ者はおりません」
宰相は、しばらく考え込んでいた。
「興味深い……」
「調べてみよう」
わしは、内心で微笑んだ。
これで、リーゼ先生の名は、王宮にまで届いた。
約束は——果たされつつある。
◇
わしの名は、ベルトルト・ヴァイス。
五十五歳の商人だ。
五十年の商人人生で、多くのものを見てきた。
成功と失敗。勝利と敗北。生と死。
その中で、一つの真実を学んだ。
人の価値は、肩書きでは測れない。
年齢でも、地位でも、家柄でもない。
実力だ。
そして、もう一つ。
命の価値は、金では買えない。
わしは、大商人だ。
金なら、いくらでもある。
だが、あの時——死にかけた時——
金は、何の役にも立たなかった。
わしを救ったのは、金ではなく、一人の少女の技術と志だった。
◇
リーゼ先生——
お前のおかげで、わしは生きている。
そして、大切なことを学んだ。
この恩は、一生忘れない。
お前が困った時は、いつでも力を貸そう。
ベルトルト商会の全力を挙げて。
それが——命を救われた男の、誓いだ。
◇
窓の外を見る。
王都の街並みが広がっている。
活気のある商店街、行き交う人々、聳え立つ王宮。
わしは、この街で商売を続けていく。
だが、これからは——少し、視点が変わるだろう。
人を見る時、肩書きではなく、目を見よう。
姿勢を見よう。
そして——その人の、真の価値を見極めよう。
◇
ハインツが、部屋に入ってきた。
「父上、グリューネヴァルト伯爵との商談、改めて日程が決まりました」
「そうか。今度こそ、無事に辿り着けるといいな」
「はい」
ハインツが、微笑んだ。
「でも、もし何かあっても——」
「今度は、リーゼ先生に直接お願いできますね」
わしも、微笑んだ。
「そうだな」
「だが、二度も世話になるつもりはない」
「護衛を増やせ。盗賊対策も徹底しろ」
「はい!」
ハインツが、元気よく答えた。
◇
命の値段——
それは、金では測れない。
だが、わしは今、理解している。
命とは——かけがえのないものだ。
一度失えば、二度と戻ってこない。
だからこそ、大切にしなければならない。
自分の命も。
そして——他人の命も。
◇
リーゼ先生は、わしの命を救った。
それだけではない。
わしに、大切なことを教えてくれた。
人を見る目。
命の価値。
謙虚さ。
五十五歳になって、子供に教えられた。
だが、恥ずかしくはない。
学ぶことに、年齢は関係ない。
◇
いつか、また会える日が来るだろう。
その時は——もっと成長した姿を見せよう。
商人として。
そして、人間として。
リーゼ先生に、恥じない生き方をしよう。
それが——わしの、新しい誓いだ。




