第5話 恩人への誓い
外伝H ベルトルト・ヴァイス編「命の値段」
外伝H ベルトルト・ヴァイス編「命の値段」
第05話 恩人への誓い
回復は、順調だった。
手術から五日が過ぎ、わしは歩けるようになっていた。
◇
「ベルトルト様、経過は良好です」
リーゼが、傷口を確認しながら言った。
「傷も塞がりつつあります。あと数日で、旅ができる状態になるでしょう」
「そうか」
わしは、窓の外を見た。
「そろそろ、王都に戻らねばな」
「商会の者たちも、心配しているだろう」
「はい。でも、無理はしないでください」
リーゼが、真剣な顔で言った。
「傷が完全に治るまでは、激しい動きは控えて」
「分かっている」
わしは、苦笑した。
「年寄りの言うことは聞くものだ——と言いたいところだが」
「お前の言うことなら、聞こう」
リーゼが、小さく微笑んだ。
◇
「父上」
ハインツが、部屋に入ってきた。
「少し、外を歩きませんか?」
「外?」
「はい。この診療所の庭、見晴らしがいいんです」
わしは、リーゼを見た。
「先生、大丈夫でしょうか」
「短い散歩なら、問題ありません」
「むしろ、少し動いた方が回復が早まります」
「では、行くか」
わしは、ゆっくりと立ち上がった。
まだ腹は痛むが、歩けないほどではない。
◇
診療所の庭は、確かに見晴らしが良かった。
小高い丘の上にあり、領地の景色が一望できる。
緑の草原、遠くに見える森、小さな村々。
「いい景色だな」
わしは、深呼吸をした。
「ああ、生きているというのは……いいものだ」
「父上……」
ハインツが、隣に立った。
「私、考えていたんです」
「何をだ」
「商人として、本当に大切なものは何か」
わしは、息子を見た。
ハインツの表情は、真剣だった。
「父上は、いつも『人を見る目』だと言っていました」
「ああ」
「でも、今回のことで——私は、もう一つ大切なものに気づきました」
「何だ?」
「謙虚さ、です」
◇
わしは、少し驚いた。
「謙虚さ?」
「はい」
ハインツは、頷いた。
「父上は、人を見る目に自信がありました」
「でも、リーゼ先生のことは見誤った」
「それは——」
「父上のせいではありません」
ハインツが、真剣に言った。
「誰だって、間違うことはある」
「でも、父上は間違いを認めました」
「そして、謝りました」
「それが、大切なことだと思うんです」
わしは、黙って聞いていた。
「どんなに優れた商人でも、間違うことはある」
「大切なのは、間違いを認め、改められるかどうか」
「謙虚でなければ、それはできない」
「父上は——謙虚さを、持っていた」
「だから、リーゼ先生に謝ることができた」
「そして、先生も父上を許してくれた」
◇
わしは、息子を見つめた。
この子は——いつの間に、こんなに成長していたのだ。
「ハインツ」
「はい」
「お前も、いい商人になれるだろう」
「え……」
「人を見る目も大切だが、謙虚さも大切だ」
「お前は、両方を持っている」
わしは、息子の肩を叩いた。
「自信を持て」
ハインツの目に、涙が浮かんだ。
「……ありがとうございます、父上」
◇
その夜、わしはマルタと話をした。
「この診療所は、いつからあるのですか?」
「もう何年も前からですよ」
マルタが、お茶を淹れながら答えた。
「領主様——リーゼ様のお父上が、診療所を開きたいとおっしゃって」
「それで、リーゼ先生が医師を?」
「ええ。最初は私が薬草の知識を教えていたんですが……」
マルタは、遠い目をした。
「いつの間にか、リーゼ様の方が詳しくなっていました」
「あの子は、本当に天才ですよ」
わしは、驚いた。
「天才?」
「ええ。医学の知識、薬草の調合、手術の技術——」
「どこでそれを学んだのか、私にも分かりません」
「まるで、前世から医師をやっていたかのように……」
前世——
確かに、あの子供の知識は、尋常ではなかった。
◇
「マルタさん」
わしは、真剣に尋ねた。
「リーゼ先生は、なぜ医師をやっているのですか?」
「領主の子供なら、別の道もあったはずだ」
「……」
マルタは、少し考えてから答えた。
「リーゼ様は、こうおっしゃっていました」
「『目の前で苦しんでいる人がいれば、助けたい』」
「『それが、私の使命だ』と」
「使命……」
「ええ」
マルタの目が、温かくなった。
「あの子は、本当に……人を救うことに、すべてを捧げています」
「貴族の地位も、富も、関係ない」
「ただ、人を救いたい」
「それだけなんです」
◇
わしは、深く考え込んだ。
命を救うことに、すべてを捧げる。
それが、リーゼ先生という人間だ。
「……すごい子供だ」
「いえ」
マルタが、首を振った。
「子供ではありません」
「え?」
「リーゼ様は、子供の体をしていますが……中身は、違います」
「どこか、悟りを開いた賢者のような……」
「でも、時々ふと、年相応の少女らしさも見せる」
「不思議な方です」
わしは、頷いた。
確かに、あの少女は不思議だ。
子供とは思えない知識と技術。
だが、時折見せる純粋な笑顔。
◇
出発の前夜、わしはリーゼの部屋を訪ねた。
「リーゼ先生」
「ベルトルト様。どうかされましたか?」
「明日、出発する」
「はい。傷の状態も良好です。問題ありません」
わしは、椅子に座った。
「その前に、一つ聞きたいことがある」
「何でしょうか」
「お前は……なぜ、医師をやっているのだ?」
リーゼは、少し驚いたような顔をした。
そして——静かに答えた。
「幼い頃から、古い文献を読むのが好きでした」
「古い文献……?」
「はい。この国では失われた、遠い国の医学書です」
「そこに書かれていた知識を、実践してみたいと思いました」
◇
わしは、驚いた。
古い文献——遠い国の医学——
「そんなものが、あるのか」
「はい。腹を開いて手術する方法、腸を縫い合わせる技術——」
「どれも、その文献に記されていました」
リーゼが、頷いた。
「この国では珍しい知識かもしれません」
「でも、世界のどこかでは、当たり前に行われていた医療なのです」
「……」
「だから、私はこの国にも、その知識を広めたい」
「一人でも多くの人を、救いたい」
「それが、私の使命だと思っています」
わしは、深く頷いた。
◇
「リーゼ先生」
わしは、立ち上がった。
「お前の使命——わしには、手伝えることがあるかもしれん」
「え?」
「わしは商人だ。人脈と、金がある」
「お前の医療を広めるために、力になれるかもしれん」
「でも、今は広めないでほしいと——」
「ああ。今は、控える」
わしは、真剣に言った。
「だが、いつかお前の準備ができたら——」
「その時は、全力で協力しよう」
「薬草の流通、医療器具の調達、人材の紹介——」
「商人だからこそ、できることがある」
リーゼの目が、輝いた。
「ベルトルト様……」
「命を救ってもらった恩は、一生忘れん」
わしは、深く頭を下げた。
「リーゼ先生、これからもよろしく頼む」
「……こちらこそ」
リーゼが、微笑んだ。
「お体に気をつけて」
(続く)
回復は、順調だった。
手術から五日が過ぎ、わしは歩けるようになっていた。
◇
「ベルトルト様、経過は良好です」
リーゼが、傷口を確認しながら言った。
「傷も塞がりつつあります。あと数日で、旅ができる状態になるでしょう」
「そうか」
わしは、窓の外を見た。
「そろそろ、王都に戻らねばな」
「商会の者たちも、心配しているだろう」
「はい。でも、無理はしないでください」
リーゼが、真剣な顔で言った。
「傷が完全に治るまでは、激しい動きは控えて」
「分かっている」
わしは、苦笑した。
「年寄りの言うことは聞くものだ——と言いたいところだが」
「お前の言うことなら、聞こう」
リーゼが、小さく微笑んだ。
◇
「父上」
ハインツが、部屋に入ってきた。
「少し、外を歩きませんか?」
「外?」
「はい。この診療所の庭、見晴らしがいいんです」
わしは、リーゼを見た。
「先生、大丈夫でしょうか」
「短い散歩なら、問題ありません」
「むしろ、少し動いた方が回復が早まります」
「では、行くか」
わしは、ゆっくりと立ち上がった。
まだ腹は痛むが、歩けないほどではない。
◇
診療所の庭は、確かに見晴らしが良かった。
小高い丘の上にあり、領地の景色が一望できる。
緑の草原、遠くに見える森、小さな村々。
「いい景色だな」
わしは、深呼吸をした。
「ああ、生きているというのは……いいものだ」
「父上……」
ハインツが、隣に立った。
「私、考えていたんです」
「何をだ」
「商人として、本当に大切なものは何か」
わしは、息子を見た。
ハインツの表情は、真剣だった。
「父上は、いつも『人を見る目』だと言っていました」
「ああ」
「でも、今回のことで——私は、もう一つ大切なものに気づきました」
「何だ?」
「謙虚さ、です」
◇
わしは、少し驚いた。
「謙虚さ?」
「はい」
ハインツは、頷いた。
「父上は、人を見る目に自信がありました」
「でも、リーゼ先生のことは見誤った」
「それは——」
「父上のせいではありません」
ハインツが、真剣に言った。
「誰だって、間違うことはある」
「でも、父上は間違いを認めました」
「そして、謝りました」
「それが、大切なことだと思うんです」
わしは、黙って聞いていた。
「どんなに優れた商人でも、間違うことはある」
「大切なのは、間違いを認め、改められるかどうか」
「謙虚でなければ、それはできない」
「父上は——謙虚さを、持っていた」
「だから、リーゼ先生に謝ることができた」
「そして、先生も父上を許してくれた」
◇
わしは、息子を見つめた。
この子は——いつの間に、こんなに成長していたのだ。
「ハインツ」
「はい」
「お前も、いい商人になれるだろう」
「え……」
「人を見る目も大切だが、謙虚さも大切だ」
「お前は、両方を持っている」
わしは、息子の肩を叩いた。
「自信を持て」
ハインツの目に、涙が浮かんだ。
「……ありがとうございます、父上」
◇
その夜、わしはマルタと話をした。
「この診療所は、いつからあるのですか?」
「もう何年も前からですよ」
マルタが、お茶を淹れながら答えた。
「領主様——リーゼ様のお父上が、診療所を開きたいとおっしゃって」
「それで、リーゼ先生が医師を?」
「ええ。最初は私が薬草の知識を教えていたんですが……」
マルタは、遠い目をした。
「いつの間にか、リーゼ様の方が詳しくなっていました」
「あの子は、本当に天才ですよ」
わしは、驚いた。
「天才?」
「ええ。医学の知識、薬草の調合、手術の技術——」
「どこでそれを学んだのか、私にも分かりません」
「まるで、前世から医師をやっていたかのように……」
前世——
確かに、あの子供の知識は、尋常ではなかった。
◇
「マルタさん」
わしは、真剣に尋ねた。
「リーゼ先生は、なぜ医師をやっているのですか?」
「領主の子供なら、別の道もあったはずだ」
「……」
マルタは、少し考えてから答えた。
「リーゼ様は、こうおっしゃっていました」
「『目の前で苦しんでいる人がいれば、助けたい』」
「『それが、私の使命だ』と」
「使命……」
「ええ」
マルタの目が、温かくなった。
「あの子は、本当に……人を救うことに、すべてを捧げています」
「貴族の地位も、富も、関係ない」
「ただ、人を救いたい」
「それだけなんです」
◇
わしは、深く考え込んだ。
命を救うことに、すべてを捧げる。
それが、リーゼ先生という人間だ。
「……すごい子供だ」
「いえ」
マルタが、首を振った。
「子供ではありません」
「え?」
「リーゼ様は、子供の体をしていますが……中身は、違います」
「どこか、悟りを開いた賢者のような……」
「でも、時々ふと、年相応の少女らしさも見せる」
「不思議な方です」
わしは、頷いた。
確かに、あの少女は不思議だ。
子供とは思えない知識と技術。
だが、時折見せる純粋な笑顔。
◇
出発の前夜、わしはリーゼの部屋を訪ねた。
「リーゼ先生」
「ベルトルト様。どうかされましたか?」
「明日、出発する」
「はい。傷の状態も良好です。問題ありません」
わしは、椅子に座った。
「その前に、一つ聞きたいことがある」
「何でしょうか」
「お前は……なぜ、医師をやっているのだ?」
リーゼは、少し驚いたような顔をした。
そして——静かに答えた。
「幼い頃から、古い文献を読むのが好きでした」
「古い文献……?」
「はい。この国では失われた、遠い国の医学書です」
「そこに書かれていた知識を、実践してみたいと思いました」
◇
わしは、驚いた。
古い文献——遠い国の医学——
「そんなものが、あるのか」
「はい。腹を開いて手術する方法、腸を縫い合わせる技術——」
「どれも、その文献に記されていました」
リーゼが、頷いた。
「この国では珍しい知識かもしれません」
「でも、世界のどこかでは、当たり前に行われていた医療なのです」
「……」
「だから、私はこの国にも、その知識を広めたい」
「一人でも多くの人を、救いたい」
「それが、私の使命だと思っています」
わしは、深く頷いた。
◇
「リーゼ先生」
わしは、立ち上がった。
「お前の使命——わしには、手伝えることがあるかもしれん」
「え?」
「わしは商人だ。人脈と、金がある」
「お前の医療を広めるために、力になれるかもしれん」
「でも、今は広めないでほしいと——」
「ああ。今は、控える」
わしは、真剣に言った。
「だが、いつかお前の準備ができたら——」
「その時は、全力で協力しよう」
「薬草の流通、医療器具の調達、人材の紹介——」
「商人だからこそ、できることがある」
リーゼの目が、輝いた。
「ベルトルト様……」
「命を救ってもらった恩は、一生忘れん」
わしは、深く頭を下げた。
「リーゼ先生、これからもよろしく頼む」
「……こちらこそ」
リーゼが、微笑んだ。
「お体に気をつけて」




