第1話 商人の誇り
わしの名は、ベルトルト・ヴァイス。
ベルトルト商会の当主だ。
◇
商人として、五十年が過ぎた。
十五歳で父の商会に入り、三十歳で当主を継いだ。
以来二十年以上、商会を率いてきた。
今では、王都でも指折りの大商会に成長した。
取り扱うのは、絹織物、香辛料、宝石、そして書物。
王侯貴族から一般商人まで、幅広い顧客を持っている。
「ベルトルト商会の品は、間違いがない」
そう言われることが、わしの誇りだ。
◇
商人として成功するために、最も大切なものは何か。
金か? 人脈か? 運か?
どれも大切だ。
だが、わしは「人を見る目」だと思っている。
商品の価値を見抜く目。
取引相手の器量を見抜く目。
従業員の能力を見抜く目。
それがあれば、商売は必ず成功する。
わしは、その目に絶対の自信を持っていた。
◇
わしには、一人の息子がいる。
ハインツ——二十代前半の若者だ。
わしの跡を継ぐべく、商売を学んでいる最中だ。
「父上」
ある日、ハインツがわしの部屋に来た。
「グリューネヴァルト伯爵との商談、いよいよですね」
「ああ。明日、出発する」
「私も、お供させていただけませんか?」
わしは、息子を見た。
真剣な目をしている。
「なぜ行きたい?」
「父上の商談を、間近で見たいのです」
「いずれ私も、大きな取引を任されることになる」
「その前に、一流の商談というものを学びたい」
◇
わしは、しばらく考えた。
グリューネヴァルト伯爵は、辺境の有力貴族だ。
良質な絹を求めており、大口の取引が見込める。
「いいだろう」
わしは、頷いた。
「だが、ただ見ているだけではつまらん」
「お前にも、仕事を与える」
「本当ですか」
ハインツの目が、輝いた。
「何でもお申し付けください」
「交渉の間、伯爵の反応をよく観察しろ」
「表情、声の調子、仕草——すべてを見逃すな」
「帰りの馬車で、報告を聞く」
「はい!」
ハインツは、嬉しそうに頷いた。
◇
翌朝、わしらは王都を出発した。
馬車二台、護衛五人。
商談に必要な絹の見本と、旅の荷物を積んでいる。
「父上」
馬車の中で、ハインツが尋ねた。
「グリューネヴァルト伯爵は、どのような方ですか?」
「堅実な人物だ」
わしは答えた。
「派手さはないが、約束は必ず守る」
「そういう相手との取引が、一番安心できる」
「なるほど……」
「商売で大切なのは、信頼だ」
わしは、息子に語りかけた。
「一度の大儲けより、長く続く信頼関係の方が価値がある」
「覚えておけ」
「はい、父上」
◇
街道を進みながら、わしはハインツに商売の心得を教えた。
「人を見る時、何を見る?」
「まず、目ですか?」
「そうだ。目は嘘をつけない」
「どんなに口で上手いことを言っても、目を見れば分かる」
「誠実な者の目には、澱みがない」
「嘘をつく者の目は、どこか落ち着きがない」
ハインツは、真剣に聞いていた。
「次に見るのは?」
「……手、でしょうか」
「手? なぜだ」
「手を見れば、その人の生き方が分かると聞きました」
「労働者の手、貴族の手、職人の手——」
「それぞれ違う」
わしは、感心した。
「悪くない」
「だが、もう一つある」
「姿勢だ」
◇
「姿勢……」
「自信のある者は、背筋が伸びている」
「不安を抱えている者は、どこか縮こまっている」
「言葉を発する前から、姿勢を見れば多くのことが分かる」
「なるほど……」
ハインツは、メモを取っていた。
「父上は、どうやってそれを学んだのですか?」
「経験だ」
わしは言った。
「五十年の商売人生で、何千人もの人間を見てきた」
「その中で、自然と身についた」
「すごいです……」
「いいや。お前にもできる」
わしは、息子を見た。
「人を見る目は、才能ではない」
「努力と経験で培うものだ」
「お前も、多くの人と会い、観察し、学べ」
「そうすれば、必ず身につく」
「はい!」
◇
初日の夜、わしらは宿場町に泊まった。
「明日は、山道に入る」
わしは、ハインツに言った。
「盗賊が出ることもある。護衛に任せるが、油断するな」
「盗賊……ですか」
「商人にとって、最大の敵だ」
わしは、真剣に言った。
「商品を奪われれば、損失が出る」
「だが、それ以上に恐ろしいのは——」
「命を失うこと、ですね」
「そうだ」
わしは頷いた。
「金は取り返せる。商品も、また仕入れられる」
「だが、命だけは戻ってこない」
「だから、危険な時は迷わず逃げろ」
「商品より、命を優先しろ」
「……はい」
ハインツは、真剣な顔で頷いた。
◇
二日目、わしらは山道に入った。
緑の木々が、両側にそびえている。
鳥の声が聞こえる。
穏やかな旅だった。
「父上、この辺りは何という領地ですか?」
「ハイムダル領だ」
わしは答えた。
「小さな領地だが、薬草で知られている」
「薬草?」
「ああ。ここの薬草は、品質が良いと評判だ」
「商会でも、仕入れを検討したことがある」
「なぜ、しなかったのですか?」
「量が少ないからだ」
わしは説明した。
「品質は良いが、大量に仕入れるのは難しい」
「だから、今は様子を見ている」
ハインツは、興味深そうに窓の外を見た。
「なるほど……小さな領地にも、特色があるのですね」
「そうだ。どんな土地にも、何かがある」
「それを見つけるのも、商人の仕事だ」
◇
旅は順調に進んでいた。
このまま、何事もなくグリューネヴァルト領に着けるだろう。
そう思っていた。
しかし——
三日目の午後。
運命は、わしらに牙を剥いた。
「父上……何か、おかしくありませんか?」
ハインツが、不安そうに言った。
「静かすぎる気がします」
わしも、同じことを感じていた。
鳥の声が、聞こえなくなっている。
風もない。
不気味な静寂——
「護衛に伝えろ。警戒を——」
その言葉を言い終える前に——
「止まれ!」
前方から、男たちが現れた。




