第7話 馬上の夢
厩舎への道を、杖をつきながら歩いた。
久しぶりの外。
風が、気持ちいい。
◇
「殿下、大丈夫ですか?」
「ああ。問題ない」
リーゼ先生が、隣を歩いてくれている。
厩舎まで、あと少し。
僕は、足を進めた。
◇
厩舎の扉を開けると——
馬たちの匂いがした。
懐かしい匂い。
「シュテルン……」
奥の馬房に、白い馬がいた。
シュテルン——「星」という名の、僕の愛馬。
「シュテルン」
僕が声をかけると、シュテルンが顔を上げた。
そして——
「ヒヒーン!」
嬉しそうに嘶いた。
◇
シュテルンが、馬房の柵に顔を寄せてきた。
僕は、その鼻面を撫でた。
「覚えていてくれたんだな」
シュテルンが、僕の頬を舐めた。
「くすぐったいよ……」
温かくて、柔らかい。
懐かしい感触。
「ごめんな、長い間会えなくて」
シュテルンが、首を僕の胸に押し付けてきた。
まるで、「気にするな」と言っているようだった。
僕は、シュテルンの首を抱きしめた。
涙が、溢れてきた。
「会いたかった……」
◇
「殿下」
リーゼ先生が、優しく声をかけた。
「今日は、馬に触れるだけで大丈夫です」
「焦らず、少しずつ慣れていきましょう」
「……分かった」
僕は、シュテルンの体を撫でた。
毛並みが、相変わらず綺麗だ。
誰かが、ちゃんと世話をしてくれていたのだろう。
「シュテルン、また乗せてくれるか?」
シュテルンが、頷くように首を振った。
僕は、微笑んだ。
「約束だぞ」
◇
それから、毎日厩舎に通った。
最初は、馬の横に立つだけ。
シュテルンと話しながら、体を撫でる。
「今日も来たよ、シュテルン」
「もうすぐ、また乗れるようになるからな」
シュテルンは、いつも嬉しそうに迎えてくれた。
◇
数日後——
「殿下、今日は鐙に足をかけてみましょう」
「鐙に……」
「はい。まだ乗りません。足をかけるだけです」
リーゼ先生と馬丁が、僕の体を支えた。
僕は、鐙に足をかけた。
「……っ」
体が、持ち上がらない。
「もう一度」
「……っ」
足に力を入れる。
でも、筋力が足りない。
「難しいですね……」
リーゼ先生が、考え込んだ。
「足の筋力を、もう少し鍛えましょう」
「そうすれば、乗れるようになります」
「分かった」
僕は、頷いた。
「何でもする」
◇
馬に乗るための訓練が、始まった。
「殿下、スクワットをしましょう」
「スクワット……?」
「足の曲げ伸ばしです。これで、足の筋力がつきます」
リーゼ先生に支えられながら、膝を曲げる。
「……っ」
「いいですね。もう一回」
「……っ」
「もう一回」
きつい。
でも、やるしかない。
◇
毎日、訓練を続けた。
スクワット、歩行訓練、階段の昇り降り。
「殿下、今日は二十回できましたね」
「本当か……」
「はい。一週間前は、五回が限界でした」
「すごい進歩です」
リーゼ先生が、嬉しそうに言った。
僕も、少しずつ自信がついてきた。
◇
そして——
「殿下、今日は乗ってみましょう」
リーゼ先生の言葉に、僕は緊張した。
「乗れるだろうか……」
「大丈夫です。私と馬丁さんが支えます」
シュテルンの横に立つ。
鐙に、足をかける。
「せーの」
リーゼ先生と馬丁が、僕の体を持ち上げた。
僕は、鐙に足をかけたまま、力を込めた。
「……っ!」
体が、持ち上がる。
足が、鞍を跨ぐ。
そして——
「乗れた……」
僕は、シュテルンの背中にいた。
◇
高い。
景色が、違って見える。
「乗れた……僕、乗れた……!」
涙が、溢れてきた。
半年以上、夢にまで見た瞬間。
「素晴らしいです、殿下!」
リーゼ先生が、下から拍手した。
「乗れましたね!」
僕は、シュテルンの首を撫でた。
「シュテルン、また乗れたよ……」
シュテルンが、嬉しそうに嘶いた。
◇
しかし、乗れただけでは終わらない。
「殿下、手綱を握ってください」
「こうか?」
「はい。そのまま、シュテルンに合図を送ってください」
僕は、シュテルンに合図を送った。
シュテルンが、ゆっくりと歩き出す。
「っ……!」
体が、揺れる。
バランスを取るのが、難しい。
「殿下、大丈夫ですか?」
「大丈夫……もう少し」
僕は、必死にしがみついた。
足に力を入れ、体を安定させる。
「いい感じです。そのまま」
リーゼ先生の声が、励ましてくれる。
シュテルンが、ゆっくりと厩舎の周りを歩く。
揺れる体。震える足。
でも、僕は落ちなかった。
「やった……乗れている……!」
◇
それから、毎日乗馬の訓練をした。
最初は、歩くだけで精一杯だった。
「殿下、バランスを崩さないように」
「分かっている……」
何度も落ちそうになった。
何度も怖くなった。
でも、諦めなかった。
「殿下、今日は落ちませんでしたね」
「本当か……」
「はい。上達しています」
リーゼ先生の言葉が、励みになった。
◇
二週間が過ぎた頃——
「殿下、今日は少し速く走ってみましょう」
「分かった」
僕は、シュテルンに合図を送った。
シュテルンが、小走りになる。
「……っ!」
体が、大きく揺れる。
でも、落ちない。
足に力を入れて、しがみつく。
「いいですね! そのまま!」
風が、顔を撫でる。
久しぶりの感覚。
走っている——僕は、馬に乗って走っている!
「やった……!」
嬉しくて、叫んでしまった。
「走れた! シュテルン、走れたぞ!」
シュテルンが、嬉しそうに嘶いた。
◇
兄上の誕生日まで、あと二週間。
僕は、秘密の特訓を続けていた。
「殿下、かなり上達しましたね」
リーゼ先生が、感心したように言った。
「もう、並足なら安定して乗れます」
「兄上を驚かせられるかな」
「絶対に、驚きますよ」
リーゼ先生が、微笑んだ。
「だって、四ヶ月前は歩くこともできなかったのですから」
僕は、シュテルンの首を撫でた。
「シュテルン、ありがとうな」
「お前がいなければ、ここまで頑張れなかった」
シュテルンが、僕の手を舐めた。
◇
「リーゼ先生」
「はい?」
「ありがとう」
僕は、心から言った。
「先生がいなければ、僕はまだベッドの上だった」
「いいえ。殿下自身が、諦めなかったからです」
リーゼ先生が、僕を見上げた。
「私は、道を示しただけ。歩いたのは、殿下です」
「でも、先生が導いてくれた」
「先生が、励ましてくれた」
「先生が、信じてくれた」
「だから——僕は、ここまで来られたんだ」
リーゼ先生の目が、少し潤んだ。
「殿下……」
「本当に、ありがとう」
僕は、馬上から頭を下げた。
「先生のおかげで、僕は——また、翼を取り戻せた」
◇
兄上の誕生日が、近づいていた。
僕は、最後の仕上げに入った。
「殿下、姿勢を正して」
「こうか?」
「はい。背筋を伸ばして、堂々と」
リーゼ先生が、細かく指導してくれた。
「当日は、たくさんの人が見ています」
「王子として、堂々とした姿を見せましょう」
「……分かった」
僕は、背筋を伸ばした。
シュテルンに乗り、真っ直ぐ前を見る。
「いいですね。とても立派です」
リーゼ先生が、微笑んだ。
「アレクサンダー殿下も、きっと喜ばれます」
「そうだといいな……」
僕は、空を見上げた。
もうすぐだ。
兄上に、元気になった姿を見せられる。
あと少し——頑張ろう。




