第6話 挫折と励まし
治療を始めて、二ヶ月が過ぎた。
◇
歩けるようになったのは、嬉しかった。
でも——
「殿下、今日は階段の練習をしましょう」
「……階段か」
僕は、階段を見上げた。
たった五段。
でも、今の僕には山のように見える。
「私が支えますから、ゆっくり」
リーゼ先生が、僕の腕を取った。
僕は、一段目に足をかけた。
「……っ」
足が、震える。
体が、持ち上がらない。
「頑張って」
リーゼ先生が、励ましてくれる。
僕は、歯を食いしばった。
一段、二段、三段——
「っ……!」
四段目で、膝が崩れた。
「殿下!」
リーゼ先生が、僕を支えてくれた。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫」
僕は、息を整えた。
「もう一回」
「今日は、ここまでにしましょう」
「でも——」
「無理は禁物です」
リーゼ先生の声は、優しかった。
でも、僕は——悔しかった。
たった五段の階段も、上れない。
こんなことで、馬に乗れるのか。
◇
訓練が、辛くなってきた。
毎日同じことの繰り返し。
歩いて、立って、また歩いて——
でも、進歩が遅い。
「リーゼ先生」
「はい?」
「僕……本当に治るのか?」
リーゼ先生が、僕を見た。
「最近、進歩が遅い気がする」
「いつになったら、走れるようになるんだ」
「馬に乗れるようになるんだ」
「……」
「このままじゃ、一生かかっても——」
「殿下」
リーゼ先生が、僕の言葉を遮った。
「焦っていますね」
「……」
「分かります。辛いですよね」
リーゼ先生が、僕の隣に座った。
「でも、殿下は確実に進歩しています」
「一ヶ月前、殿下は立つこともできませんでした」
「今は、歩けるようになりました」
「でも——」
「それは、すごいことなんですよ」
リーゼ先生の目が、真剣だった。
「殿下は、諦めずに頑張っています。だから、ここまで来られたのです」
「でも、走れない。馬にも乗れない」
「いつか、必ず——」
「いつかじゃ、遅いんだ!」
僕は、叫んでしまった。
「兄上の誕生日は、四ヶ月後だ!」
「それまでに、馬に乗れるようになりたいんだ!」
「兄上に、元気になった姿を見せたいんだ!」
◇
言ってしまってから、僕は後悔した。
リーゼ先生は、一生懸命治療してくれている。
それなのに——
「すまない……」
「いいえ」
リーゼ先生は、微笑んだ。
「殿下の気持ち、よく分かりました」
「アレクサンダー殿下への贈り物——素敵な目標ですね」
「でも……四ヶ月じゃ、無理だろう?」
「正直に言いますと——」
リーゼ先生が、少し考え込んだ。
「簡単ではありません」
「やっぱり……」
「でも、不可能ではありません」
リーゼ先生の目が、輝いた。
「殿下がそこまで決意しているなら——」
「私も、全力でお手伝いします」
「本当か?」
「はい。でも、条件があります」
「何だ?」
「諦めないこと」
リーゼ先生が、僕の目を見た。
「どんなに辛くても、諦めないと約束してください」
「……約束する」
僕は、頷いた。
「絶対に、諦めない」
「では、訓練を強化しましょう」
リーゼ先生が、立ち上がった。
「今日から、新しいメニューを始めます」
◇
訓練は、さらに厳しくなった。
「殿下、あと五歩です」
「……っ」
「頑張って」
「……四歩」
「いいですね。そのまま」
「……三歩」
足が、震える。
息が、上がる。
「……二歩」
もう、限界だ。
でも——
「……一歩」
「やりました!」
リーゼ先生が、拍手してくれた。
「廊下を歩き切りましたね!」
僕は、壁にもたれかかった。
息を整える。
「明日は、もっと長い距離に挑戦しましょう」
「……ああ」
きつい。
でも、やるしかない。
兄上のために。
自分のために。
◇
訓練は、毎日続いた。
廊下を歩く。
階段を上る。
杖をついて、庭を歩く。
「殿下、バランスを取って」
「……っ」
「いいですね。上手になってきました」
少しずつ、体が動くようになってきた。
でも——挫折もあった。
◇
ある日、庭で転んでしまった。
「殿下!」
リーゼ先生が、駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫」
僕は、起き上がろうとした。
でも、足に力が入らない。
「……っ」
何度も試すけど、立てない。
「リーゼ先生……」
「はい」
「僕、立てない……」
情けなくて、涙が出そうになった。
「また、立てなくなった……」
「殿下」
リーゼ先生が、僕の手を取った。
「転ぶのは、恥ずかしいことではありません」
「でも……」
「大切なのは、転んだ後にまた立ち上がることです」
「……」
「殿下は、何度転んでも、立ち上がる強さを持っています」
「だから——諦めないで」
リーゼ先生が、僕の腕を引いてくれた。
「さあ、もう一度」
僕は、深呼吸をした。
そして——立ち上がった。
「立てた……」
「はい。殿下は、強いです」
リーゼ先生が、微笑んだ。
「この調子で、頑張りましょう」
◇
挫けそうになるたびに——
リーゼ先生が、励ましてくれた。
「殿下なら、できます」
「諦めなければ、必ず歩ける」
「私は、殿下を信じています」
その言葉が、僕を支えてくれた。
◇
兄上も、応援してくれた。
「カール、調子はどうだ」
「兄上……」
「見ているぞ。お前は、毎日頑張っている」
「でも、まだ全然——」
「何を言っている」
兄上が、僕の肩を叩いた。
「お前は、三ヶ月前は歩けなかったんだぞ」
「今は、杖があれば歩けるようになった」
「それは、すごいことだ」
「兄上……」
「焦るな。お前なら、必ず元通りになる」
「俺は、信じている」
その言葉が——胸に染みた。
◇
訓練を続けて、三ヶ月が過ぎた。
兄上の誕生日まで、あと一ヶ月。
「殿下」
リーゼ先生が、言った。
「そろそろ、次の段階に進みましょう」
「次の段階……?」
「はい」
リーゼ先生が、窓の外を指さした。
「厩舎です」
「厩舎……!」
僕の心臓が、跳ねた。
「シュテルンに、会いに行くのか?」
「はい。馬に乗る訓練を始めましょう」
リーゼ先生が、微笑んだ。
「殿下は、ここまで頑張りました」
「もう、次に進む準備ができています」
僕は、窓の外を見た。
厩舎。
シュテルン。
半年以上、会っていない愛馬。
「行こう」
僕は、杖を握りしめた。
「シュテルンに、会いに行こう」




