第4話 同志
その日が来た。
十二歳の少女が、医学院に入学する日。
◇
朝、講義室に入ると——
いつもと空気が違った。
学生たちが、ざわついている。
「本当に来るのか?」
「十二歳の天才少女」
「疫病を封じ込めたって本当か?」
私は、静かに席に着いた。
(どんな子なんだろう)
期待と、少しの不安が入り混じる。
◇
解剖学の授業が始まった。
ヴェルナー先生が教壇に立つ。
「今日は、新学期最初の授業だ」
先生が教室を見渡した時——
扉が開いた。
一人の少女が入ってきた。
◇
小さい。
本当に、子供だ。
銀色の髪、紫色の瞳——まるで人形のように可愛らしい。
しかし、その目には——
強い意志が宿っていた。
大人でも持っていないような、確固たる決意。
「リーゼ・フォン・ハイムダルです」
少女は、はっきりと名乗った。
「今日から、こちらで学ばせていただきます」
◇
私は、息を呑んだ。
(この子は……)
直感で分かった。
(普通じゃない)
十二歳とは思えない落ち着き。
そして——何かを背負っているような、覚悟。
私と、同じだ。
◇
授業が始まった。
ヴェルナー先生が骨格の説明をしている時——
リーゼが手を挙げた。
「大腿骨骨折の場合、内出血が大量に起こる可能性があります」
教室が静まり返った。
「特に、骨折部位が大腿骨の中央部や近位部の場合——」
私は、驚愕した。
この子は、何者なのか。
十二歳で、こんな知識を持っているなんて。
◇
さらに驚いたのは、アルベルトとのやり取りだった。
アルベルト・フォン・ケーニッヒ——四年生のエリートだ。
彼が、リーゼに質問を浴びせた。
挑戦的な態度で。
しかし——
「約八百ミリリットルでした」
リーゼは、冷静に答えた。
「患者は四十二歳の男性、体重約七十キログラム——」
完璧な回答だった。
アルベルトは、黙り込んだ。
教室中が、驚きに包まれた。
◇
私は、胸が高鳴るのを感じた。
(この子は、本物だ)
同じ女性として、医学を志す者として——
この子となら、一緒に歩ける気がする。
(話しかけよう)
私は、決心した。
◇
授業が終わった。
私は、リーゼに近づいた。
「さっきの計算式、すごかったね」
「あ……ありがとうございます」
リーゼは、少し照れたように笑った。
「私、エリーゼ。二年生よ」
「リーゼです。よろしくお願いします」
「こんなに若いのに、もう実践経験があるなんて」
「どこで医療を学んだの?」
「地方の診療所で、薬師に師事しました」
「そして、疫病の時に多くの患者を診ました」
私は、感心した。
この子は、本当に本物だ。
◇
昼食を一緒に取った。
ルーカス先輩も一緒だった。
「リーゼは、どこから来たの?」
「ハイムダル領です」
「ああ、北部の領地ね」
私は、リーゼと話しながら——
不思議な親近感を覚えていた。
同じ女性として、医学を学んでいる。
孤独に闘っている。
(この子がいれば……)
私は、初めて希望を感じた。
(一人じゃない)
◇
午後は、解剖実習だった。
「二人一組になって」
教師の指示が出た。
私は、迷わずリーゼに声をかけた。
「リーゼ、一緒にやろう」
「いいんですか?」
「もちろん。一緒に学びましょう」
リーゼは、嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て——
私も、自然と笑顔になった。
◇
実習が始まった。
リーゼがメスを持った。
その手つきを見て——
私は、言葉を失った。
「すごい……」
完璧だった。
正確な線、無駄のない動き。
まるで、何十年も外科医をやってきたような技術。
「リーゼ、手つきが完璧よ」
「ありがとうございます」
リーゼは、淡々と解剖を進めた。
◇
「ここが、腹直筋です」
リーゼが私に説明してくれた。
「この筋肉は、体幹を支える重要な筋肉です」
「人体でも、同じ構造を持っています」
私は、真剣にノートに書き込んだ。
この子から学べることは、たくさんある。
年下だからといって、侮れない。
むしろ——
私より、遥かに優秀だ。
◇
実習が終わる頃——
私たちの解剖は、最も綺麗に仕上がっていた。
「素晴らしい」
教師が感心した。
「非常に丁寧な解剖だ」
私は、リーゼを見た。
リーゼも、私を見た。
二人で、微笑み合った。
(この子と出会えて、よかった)
心から、そう思った。
◇
夕食の時間。
私は、リーゼに聞いた。
「リーゼは、将来どうしたいの?」
「どうしたい……」
リーゼは、少し考えた。
「私は、医学を広めたいです」
「今は、私一人の知識しかない」
「でも、それを体系化して、教育できるようにしたい」
「そうすれば、もっと多くの患者を救える」
「素晴らしい目標ね」
私は、心から感心した。
この子は、自分のためだけに医学を学んでいるのではない。
もっと大きな目標を持っている。
◇
「エリーゼは?」
リーゼが聞き返してきた。
「私は……」
言おうか、迷った。
弟のことを。
家系の病のことを。
しかし——
「私も、救いたい人がいるの」
曖昧な答えでごまかした。
まだ、話す勇気がなかった。
◇
その夜、部屋に戻って——
私は、窓の外を見つめた。
「リーゼ……」
不思議な子だ。
十二歳なのに、私より遥かに優秀で、落ち着いている。
まるで、何度も人生を経験してきたかのような——
そんな雰囲気がある。
「でも、彼女も孤独なはずだ」
女性で、しかも子供。
私以上に、偏見と闘っているはずだ。
「私は、彼女の味方になろう」
そう、心に決めた。
「リーゼを支える。そして、一緒に成長する」
「彼女となら——きっと、何かが変わる」
◇
翌日から、私たちは一緒に行動するようになった。
一緒に授業を受け、一緒に実習をし、一緒に食事を取る。
リーゼの知識は、驚異的だった。
私が知らないことを、たくさん教えてくれた。
「エリーゼ、この薬草の効能は——」
「この症状が出たときは——」
私は、必死にメモを取った。
リーゼから学ぶことは、教科書の何倍も多かった。
◇
「エリーゼは、努力家だね」
ある日、リーゼが言った。
「え?」
「いつも真剣にメモを取っている」
「それに、質問もたくさんしてくれる」
「私にとっても、すごく勉強になるの」
「そうかな……」
私は、照れくさくなった。
「私は、まだまだよ」
「リーゼに比べたら、全然」
「そんなことない」
リーゼは、真剣な目で言った。
「エリーゼには、経験がある」
「二年間、孤独に闘ってきた経験」
「それは、私にはないもの」
「……」
「だから、私たちは補い合える」
「一緒に学べば、もっと強くなれる」
◇
その言葉が、嬉しかった。
私たちは——
対等なのだ。
年齢も、知識量も違う。
でも、同じ目標を持っている。
同じ道を歩んでいる。
「リーゼ」
私は、手を差し出した。
「これからも、よろしくね」
「うん」
リーゼは、私の手を握った。
「よろしく、エリーゼ」
◇
リーゼとの出会い——
それは、私の医学院生活を大きく変えた。
初めて、本当の意味での「同志」ができた。
同じ女性として、同じ医師を目指す者として。
孤独な闘いに、光が差し込んだ。
◇
父との約束は、あと一年。
一年以内に、成果を出さなければならない。
しかし——
リーゼがいれば、きっと大丈夫。
そう思えるようになった。
私は、諦めない。
ルーカスを救う方法を、必ず見つける。
そのためにも——
リーゼから、たくさんのことを学ぼう。
◇
十六歳の私は、初めて本当の友人を得た。
それは、私にとって——
弟を救う旅の、大きな転機だった。




